Photo(写真展)
シンプルに成功していた面と大きな課題を突き付けた面とがある。
記事公開後、気持ちの悪さがずっと収まらず、いったん非公開にして、大幅修正を加えた。 「AIを使って、観てもいない展示について書いたらどうなるのか」 結果は、「やってはいけないことをした」「産んではいけないものが産み出された」という気持ちの悪さ…
「距離」を撮るとはどういうことか?
「KYOTOGRAPHIE 2025」から続く「ヒロシマ」、原爆と敗戦、戦後の核心部へ迫る作品展が大阪・中之島の2カ所で展開された。
野中ひとみは写真プリントへの刺繍で像を倍増する。山形紗織は写真の配置を曼荼羅のように糸で結ぶ。澄毅は写真プリントに穴をあけ、スリットを入れ、感光をもう一段開増やす。
戻れない時代を見た。象徴的だったのだ。
二つの展示は1960年代から80年代にかけての日本と、80年代ニューヨークがそれぞれ主題となっている。日米… 米国の背を追ってきた日本と、荒みきっていた米国。 児玉房子「1960-1980」(@The Third Gallery Aya、2025.5/9-6/7) 北島敬三「NEW YORK」(@VIS…
人は、自分を生きられるのか? 望ましい生き方を選べるのか? KG+の3つの展示が示唆するのは、三者三様の生き方、その選択についてである。 【26】千賀健史、林田真季 【19】SHIFT80 【35】鷹巣由佳
「KYOTOGRAPHIE」の中でも謎の位置づけにある「アソシエイテッド・プログラム」3本の鑑賞レポどす。
「KYOTOGRAPHIE」サテライトイベント「KG+」枠の公募型コンペ「KG+SELECT」、選出された10組の展示。 2025.4/14、今年のアワード受賞者は、フェデリコ・エストル「SHINE HEROES」に決定した。
「KYOTOGRAPHIE 2025」全14プログラムを5つの観点から見てみる。
そこにいるのは「あなた」という存在。
「大阪」の各所を撮った写真で、初回撮影時から約10年後、再び同じ場所を撮影し、それらを二枚一組で提示して、風景・土地の変化を示した作品である。
予想の3~4倍は射程が広かった。 「ブツ撮り」が、広がる。
何が残されたのだろうか?
バウムガルテンと鈴木崇、2人の作品によって、都市の構造、何から都市空間が成り立っているかが如実に示された。線と面である。
写真をやっていれば必ず名を聞く「写真の町 東川」「東川国際写真フェスティバル」、だが北海道に行けなくて詰んでいる人は少なくないはず。そんな人(私)にとって嬉しい展示。
引き続き、大阪芸大の卒展から「優秀制作展」にノミネートした写真学科の3名、映像作品の2名、同時にあべのハルカス・スカイキャンパスで催された同大学院の修了制作展からデザイン(写真)分野3名、計8名の作品をレポ。
韓国の仏教文化、「荼毘式」。宮大工の眼から撮られる朝について。
「BLOOM GALLERY」が2009年に開廊して以来、特別な関わりのある作家として、内倉真一郎、林直、北義昭、田中一泉、福島耕平の5名が集うグループ展である。
写真集の読める写真集カフェ「芥(Aquta)」。2025年1月10日、京都の西陣に誕生。 君は5,000冊読めるだろうか。
私の知らない西成・あいりん地区(釜ヶ崎)に、「私が」立ち会っている実感が生じたことが驚きだった。
完成度と密度が高い。 ハンドアウトに詳細かつ簡潔に、各階の展示構成、作者のコンセプト、会場(東條會舘写真研究所)と写真との関わりが書かれており、実際その通りに理知と情とが収め/治められていて、展示のお手本のような展示である。
2024.10/19(土)「森の芸術祭 晴れの国・岡山」ツアー、時間切れのため蒜山で打ち止めです。1日で回るの全然無理でした。 蒜山の「GREENable HIRUZEN」には川内倫子、上田義彦の作品があるので、見ずには帰れないのですわ。
1970年大阪万博(日本万国博覧会)の跡地に整備された「万博記念公園」の森。通称「万博の森」。 自然と人間のあるべき関係性を、そして人は未来にどうありたいかを、森は問いかけてくる。
普通のポトレじゃない。一人の「彼」が複数の人物に見える、その揺らぎについて。音楽活動、ライヴでの「表現」と、写真による「表現」との二つが並行され、重なるところについて。
丹野章、1950年代「サーカス」は知っていたが、1960年代以降の「地底のヒーローたち」は知らなかったし初見だった。炭鉱!
パワーだ。ライヴだ。
日本で初となるアン・ジュン(Ahn Jun)の体系的な個展。「Self-Portrait」シリーズのあまりのヴィジュアルの良さに却って見えづらくなっていたアン・ジュンの本当の姿と思考の幅広さ、本展示の最大の成果はそれらを伝えたことにあるだろう。
現代美術家、写真家3名のグループ展。華やかなポートレイト作品が集うが、三者ともそれぞれに異なる点でオリジナリティを問うものだった。