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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】おかわり🙄 R5.12/16-R6.2/12「生誕120年 安井仲治―僕の大切な写真」@兵庫県立美術館

前回のプレスツアー時に招待券をいただいていたので、安井仲治をおかわりです。

今回はフリースタイルで気付きをさらさらと書いておきましょう。あ、いつもフリーか。フリーのおかわり。

 

仲治には共感ポイントが多い。

もうなんか勝手に親近感を抱いていて、いきなり下の名前で呼び捨てなのだが、実際には大先輩である。

年齢のことだけではない。年齢をうんぬんするなら、1903年生まれの仲治とは、100歳とまではいかずとも、80~90歳先輩である。

通っていた高校が同じなのだ。びびる。パイセンですよ。大パイセン。高校時代そんなこと1ミリも教えてくれなかったけどな。けっきょく写真家なんて社会的価値がXXなんですよ。はい。

 

仲治作品は表現手法の実験・探求に満ちている。絵画主義、新興写真、前衛写真など時代ごとの多彩な潮流を体現してきたこともあり、現代の写真表現の標準的なバリエーションを網羅していると言えよう。つまり何度見ても得られるものがあります。あと単純に構図の作り方がめちゃくちゃうまい。天性のものがあるとしか言えない。

 

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無論、技術的な面だけではない。

新たな表現へ向かう挑戦心や貪欲さ、大胆すぎるトリミング、多重露光や半静物の卓越したセンス、そうした何でもありの態度を可能にしたアマチュア精神を学ぶことができる。ひいては戦前の関西の写真文化として、同好の士が集まって協力し切磋琢磨しあう市民文化、草の根的に自発的に沸き起こるムーブメントの豊かさ、つまり関西人DNAをそこに感じることもできよう。わあい。

Twitter(X)でひねたことを言ってないで、表現に懸命に邁進すべきなのであります。そっすね。ああっ。

では前回と重複する面もあるが改めて感想、思い付いたことを書き留めておこう。動画で喋るのが嫌なので書くしか形にする術がなく、形にしなかったものは時の流れの中で消えてしまうのが常であるから。もっともらしいことを言うようになった。

 

 

◆大胆な四則演算

本展示では《歌》や《(凝視)》、《或る船員の像》のような代表作について、何をどうやって作られたかの謎解きが提示されている点が特徴的だ。ただの写真展ではない。安井仲治という写真表現先駆者についての研究成果が披歴されている場である。

仲治の独特な表現力の強さと新しさ、衝撃は、ひとえに画角の安定感と大胆さにあると思う。矩形の中へ鉄板の収まりの良さを誇りつつ、しかしそれを撮ろうと思ったら100㎜とかそれ以上の引き寄せで絞り込んだ画角が必要になるカットが多い。実際には大胆なトリミング、そしてそれを組み合わせての大胆な多重露光から生み出されていることが分かった。

 

イメージを機材的に操作するところから新たなイメージを見出し、またその新しさを追求していく、モダニズム時代の写真家としての姿が浮かび上がってくる。

1枚の撮影に全身全霊を入魂、被写体の魂と向き合って対峙、みたいな写真職人的な写真ではない。それこそまるで近代的工業のマニュピレーターのように映像を映像として、被写体をオブジェクトとして、付かず離れずのところで配置し操作し1枚の像へと合わせていく。冷徹というわけではないが万物に対して「半静物」的な、構成の芸術を感じるのだ。そのスタンスが私の性に合う。

初期~中期の多くの作品は背景、前後左右が非常に切り詰められていて、無駄が全く無いのだが、それもそのはず、徹底的にトリミングで切り落としていたのだった。

大胆なトリミングで印象的な効果を得るというのは、植田正治、岩宮武二にも見られ、珍しい手法ではないのだが、しかし切り取らずとも十分よく出来ているように思われる写真をあえて大胆にバッサリと断っていて、これには驚かされた。真似できることではない。切らんでも十分スナップとして完成してますやんか。なんでや。何が仲治にそうさせたのか、やはりスナップ写真以前の時代、絵画/肖像画が念頭にあったのか。尊敬する。しました。

 

 

◆美女?なにそれ?おいしいの?

もう一つ、深く仲治に共感したポイントがある。

女性への態度だ。

写真クラブでの撮影会だけでなく依頼仕事もあっただろう、女性モデルを撮影する機会はそれなりに多かったはずだ。だがキャプションを見ると全然喜んでいるフシがない。これをご覧ください。

 

「矢張り俺は木や草を撮つてゐる方が性に合ふと其度び毎に思ふのである。」

あなたは私か。

これは他人とは思えない。魂の親類縁者である。

それで次の「モデルも女優なんかだと10のものを10、或いはそれ以上出し切つてしまつて吾々が掘り出す美を残さない」「と云って、深窓の麗人ではこちらが参る。」ウオオ。あなたは私か。どういうことや。

 

これは何かというと、まあ美女などを、美女でなくてもポトレ慣れした人物をモデル撮影したことのある人はよくお分かりになるだろうが、往々にして、撮られ慣れたモデルというのは自分がどう撮られるのが美しい=「正解」であるかを知っている、あるいは「正解」を決めてかかった状態で撮影に臨み、撮影をその「美」の方向へ導いていくもので、それ以外はきっぱり拒絶するのが常だ。何なら二度とお呼びがかからない。撮り手の解釈の余地はないのである。

相手の土俵ありきで、その美の内で相撲を取るのこそが写真だ、表現だ、共犯的コラボレーションなのだ、というポトレに長けた御仁も多数おられるが、仲治はそうではない。自分で任意の場所に、何なら既知の外側に、任意の大きさ・形・質の土俵を作りたい性質だ。私もそうだ。わかるぞ。わかる。そんな心性を露わにする時点で野島康三、中山岩太とは全く別の人種であることを実感する。

と言いながら撮ってるモデル写真はすごく上手く、素敵だったりするのだから、まるで常人ではない。木や草を撮っても美女を撮ってもうまいのが安井仲治である。くう。

 

更にこんなエピソード。

甲陽園でのモデル撮影会の合間、「女性モデルから突如ぬかるんだ地面へと視線を落とし、地面のぬかるみを作品とするのは、安井ならではと言えよう。」女を撮るよりぬかるみ撮ってる(´・_・`) さっきの発言マジだったんか。

「複雑なフアクター、緊張した、確実な、抑揚に富む、線と其隆起、明るい太陽のもと地上の営みは美しい。」女性の肢体のプロポーションや肌のツヤ、弾力、肉感を愛でるかのようにエロティックさで饒舌な筆でぬかるみを褒め称える仲治。すごいす。なんか方向性があまりに他人事とは思えなくて、ちょっとDNA鑑定してもらおうかな私。

 

そんで撮ったぬかるみ写真が実際ぬらぬら、てらてらしてて、エロいのだから、さすがである。これはそんじょそこいらの美女だの令嬢だのでは相手になりません。さすが仲治。実に正しい。

 

 

何と言っても、どこぞのめし屋のおかみさんの、むちゃくちゃ胡散臭そうにこっち見ている顔をきっちり直視で撮ってるのが、すごいなあと思いましたね。なんちゅう顔しとんや(賞賛)。看板の「牛肉」とのマッチングが良すぎる。このパワー、欧米には真似できまい(よろこんでいる)。

 

 

 

◆シュールな現実/異界

新興写真でも前衛写真でもどっちもいけてしまう仲治である。現実も非現実もお手の物だが、作品数で言うと完全にシュールレアリスムそのものの文法を取り入れた作品よりも、手を加えない現実そのものの中に異形や異景を見出した作品の方が多い。あるいは現実に少しだけ手を添えて整える「半静物。ここに写真の力が大いに活かされ、そして「写真」の方もそのポテンシャルを引き出されていて、非常に魅力的だ。

作品《公園》京都の植物園の水道(蛇口)であると言われて「はいそうですね」とは即答できない、「えぇ・・・」と戸惑ってしまう、言葉を失ってしまうのが「半静物」の力である。仲治は草花を摘んで添えただけで、水は流しっぱなしになっていたらしく、ほぼ天然の現実の物である。だが明らかに異質な、公園でもなければ水道でもない、魔界のようなものが現れている。

 

ガチなシュール文法として、静物の組み合わせによってシュールレアリスムの世界を真っ当に作り上げた作品もあり、非常に説得力がある。文句のつけようもなく見惚れるだけだ。暗さに満ちている。暗さとは内面の更に奥にある、ヒトが自分の意識では到達しようもないところに潜んでいる、意識の向こうにある「夢」の世界を描き出すことに成功している。それは秩序と無秩序が混交していて魔界と言ってよい有様だ。同時代の多くの者がそうした表現に血道を上げただろうことは想像に難くない。

 

だがやはり何の変哲もないところ、日常の暮らしの中で、操作もなくポッと異界を見てしまうところに仲治の凄みはある。

日常はどこまでいっても日常であり、見慣れた、平板な景色であるはずだ。稀に手ごろな怪異が訪れ、バズ投稿を呼ぶ写真としてSNSに供されたりするが、基本的には偶発的なレア物である(だから共感性の高い奇跡としてバズる)。仲治はそうした棚からぼた餅的な、お友達レベルの怪異とは違い、自身の見る角度や視野を自ら怪異モードへ切り替えている。それはモノそのもの・存在そのものが帯びる、造形の具体的すぎる在り様がもたらす異様さである。もう少し行けば吐き気にも繋がるのだろうか。

これは干物であるという。本当にそうなのか? 「そうである」を凝視し続けていくことで「そう」の外殻が崩れて中身が溢れ出し、怪異が始まる。シュールレアリスムなのか、実存主義なのか。

 

 

◆生への尊厳。

しかし安井仲治の根本にあるのは、尊厳に対する深い敬意と共鳴ではないか。さんざんマニュピレーターだのモダニズムだの怪異だのと面白がった直後に尤もらしい賛辞を綴っても説得力がなさそうだが、あるのだ。

メーデーの写真にせよ朝鮮人集落の写真にせよ、造形表現・映像表現の挑戦に富んでいることは確かだが、そもそもなぜ被写体がそこなのか、というと、社会のマジョリティに回収されず所属せず、しかし生活者として立っている寄る辺なき者への共鳴が感じられる。

ある種の限界的な状況下で生きている者へ、寄り添ったり庇護するのではなく、個として対等に向き合う、対峙する、個対個の間柄の中で向かい合うといった眼差しがある。それを最も強く感じさせるのが「山根曲馬団」―「サーカスの女」シリーズだ。

メイクのせいもあるが他のカットで見せる表情のふとした幼さに対して、たいへんに成熟した、自立した大人の風貌を見せている。我が身が恥ずかしくなるほどの凛々しさに満ちている。

説明されなければこの人物がサーカル小屋の一員であるとは気付かないし、何者であっても良いと思える。屹立するその光の筋の通った存在感の前では、職業、年齢、性別その他はもはやどうでも良くなる。この人物が如何にして今日まで生きてきたか、どんな苦労があったか等という俗人的な詮索を完封する力がある。サーカスを生業としているのは彼女の人生にとって逃れ難い状況ではあったかもしれないが、サーカスがそのまま彼女を覆い尽くしたり染め上げてはいなくて、サーカスの舞台裏という現場にありながらその日常的かつ人生上の状況を食い破って、個として屹立する姿だけがここにはある。仲治はその切り立った個を捉えている。

 

それは前述のような、写真に撮られ慣れた美人モデルには成しえないことだった。後者は写真という機構とカメラマンに応じて最適化された挙動、絵になるための絵姿を逆算でとる。対してここに立つ彼女は、恐らくは写真と仲治によって初めてこの尊厳を帯びた姿を見出され、発揮できたのではないか。その「初めて」は後世の人間にとってすら永遠に「初めて」であり続ける。だからこそ同じ人物の複数枚のカットが今もこうして重要視され、陳列され、参照され続けるのだ。私達はその尊厳を仰ぎ見る、それそのものに直に手を触れたり言葉で捉えることは叶わない。

 

「流氓ユダヤ」シリーズも人間の尊厳に関わる重大な状況――ナチスドイツとホロコーストの危機から逃れたユダヤ人を捉えた写真だが、どちらかというと明確な意図、正義や政治を排した、曖昧さが大きく写されたスナップだ。人間個人のプライドがシンプルかつ純粋に、明確に、結晶体としてそこに立っている様を最も見せられるのは、これら「サーカスの女」シリーズの方だった。

 

 

尊厳を相手に見出すだけでなく、最後は自身の尊厳についても深く言及している。展示最終盤の「雪月花」シリーズと「上賀茂」3部作だ。それまでの「攻め」のモダニズム表現から一変して、自然の風景を、何の衒いもなく真っ直ぐに撮っている。

いずれも撮影時期は1941年、この発表から1年足らずの間に仲治は腎不全で亡くなる。

気力体力が落ち込んだから、あるいは保守に回帰したから、和の風景をストレートに撮ったのか? 話はそう簡単なものではない。

 

以下は展示図録の論考集より若山満大「世界そのものの愛好者 安井仲治と「不易流行」をめぐる一考察」を参照・引用する。

 

1941年11月発刊の『丹平写真倶楽部会報』に寄稿されたエッセイ「雪月花」より抜粋された一文が、展示キャプションとして掲げられている。

若し感懐を自然に託して吐露するのが無理のない藝術であるならば淡如たる風月の裡に烈々たる心事を潜ませる事も出来、修羅の巷の描写に爲楽の相を表はす事が出来る。そこが藝術する人間のよろこびである。

1937年の日中戦争以降、日本は国家による統制を強め、本格的に戦時体制へと移行していく。個人の自由な言論、表現活動、写真撮影は徐々に制限され、国家・戦争へ協力するものであることを求められていった。制度としても国民感情としても総動員体制が備えられてゆき、警察だけでなく市民の目も険しくなっていった。もはや芸術は個人の喜びのものではなくなっていった時期である。

 

芸術に生きる人間としての生き場を失ってゆく状況に対し、仲治は芭蕉の言葉をひいて、先の言葉の前に、「雪月花」についてこう綴っている。

時艱非常であるにしても付きは月であり花は花である。これは「変わらざる事」で芭蕉の「不易」と云つてゐるのがそれに近い。月に詠ずる心、花に吟ずる人の心は世のうつりかはりと共にあるのだから非常時には非常時のそれぞれの偽はらざる見方があるべきである。これは「流動」である。芭蕉はこれを「流行」と云つている。

 

展示の最終コーナーで銘されたタイトル「不易と流行」は、この松尾芭蕉の思想にリンクした仲治の言葉から来ているわけだが、俳諧に表現を学ぶためというものではなく、もっと大きく深い意図で用いられていた。すなわち戦争という国難の非常時、ひいては表現者の存在の危機に際して、表現者が、写真家がどうあるべきかを説くために参照・引用されている。

 

卓上一個の果物を撮る人も、戦乱の野に報道写真を撮る人も「道」において変りはないのであります。従つて本当の「道」というものについて実践しようとすれば、果物を写すのも、戦場に出て写すのも同じ覚悟でなければならぬ。

 

非常時には、表向きは静かに、無抵抗のように、事を荒立てぬように、素朴で無害な様をしているかもしれない。しかしその胸の内・腹の底ではそうではなく、従軍者と対等なぐらいに表現者としての覚悟を決めていなければならない。

「雪月花」や「上賀茂」の風景写真の一見静かで穏やかな視座の内に、鉄を溶かすようにしてじりじりと燃えるような思いが潜められていると思うべきだろう。そこに、最後まであくまで表現者たろうとし、決して退かなかった仲治自身の「尊厳」を見る思いがしたのだった。逆を言えば、そうやって内に秘める形で自己の尊厳を守らねばならぬほど、国家の事態は切迫していったのだと察する。

それら一切合切含めて「アマチュアの生き様である。「アマチュア」とは今では(いつの時代でも?)半ば蔑称に近いニュアンスがあるが、安井仲治はあえて肯定的に自称する。楽しみのために表現を行う・表現を楽しむという宣言だが、最後まで見た暁には表現と趣味性の域に止まらないものがある。

自身の信念に対して柔軟かつ自在に、率直であれるかどうか。表現に対して、どうか。

 

 

そんなことを感じ、知った。

 

 

( ´ - ` ) 完。