nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R6.3/20-24 東松至朗「VIEW OSAKA 記録の街」(TIPAアートプロデュース2024)@enoco(江之子島文化芸術創造センター)

enocoで開催されたTIPAアートプロデュース2024「徳永写真美術研究所に関わる作家7人の個展と研究活動の報告展」の個展のうち、東松至朗の個展を別途取り上げる。撮影の数、場所、期間が膨大なプロジェクトであるからだ。

 

展示は正面の壁面をモザイクのように埋める『大阪一丁目1番地』と、両脇に額装された写真で並ぶ「VIEW OSAKA」シリーズの2つで構成される。

 

『大阪一丁目1番地』は東松を代表する作品で、大阪市内に属する全24区・583町における「一丁目1番地」を撮影した、いわば場所・番地に基づく管理的タイポロジー(そんなジャンルはないが、そうとしか言えない)の作品である。

www.city.osaka.lg.jp

 

これら583枚の地点写真は2014年1月から2015年12月の2年間で撮られた。漠然と大阪市と呼んでいるものの質的・量的な実感を視覚化していて見事だ。近付くと個々の写真がしっかり特徴が分かるよう撮られていることに気付く。

 

一言に「一丁目1番地」と言っても、ある程度の広さがあり、しかも番地自体は写らないからそこにある土地や物件を撮るために、360度からワンカットを選び出さねばならない。本作では各地点の「顔」と言うべき、象徴的な場所を選んでいて、代表的なところでは梅田(大深町)のヨドバシカメラ曽根崎新地の高密度に重なる夜の店の看板、鶴見緑地鶴見区緑地公園)の「いのちの塔舞洲此花区北港白津)のフンデルトヴァッサー建築のごみ焼却炉といったランドマークが収められている。

それ以外の地点でも現地の特徴や役割が分かるよう、代表的な建物やインフラとして商業施設や鉄道などが1枚に収まるよう写されており、多くの労力が費やされていることが分かる。

こうして集められた大阪市の象徴的な顔を一望することで、何を発見するかは鑑賞者側に委ねられている。作者の意図は一貫して「記録」にあり、もうひとつの「VIEW OSAKA」シリーズとともに、移ろい消えてゆく大阪の風景、建築、生活を写真で残すことに取り組んでいる。

 

では私が本作からどんな気付きを得たか? というと、「大阪は都市空間である」ことを実感した。当たり前すぎて小学生の感想のようだが実際にそうだったのだ。どのカットも道路とビルや家屋や商業施設や電柱・電線、高架ばかりで、たまに写り込む「緑」は条例で定められた緑化率に基づく街路樹の類であり、非常に硬質なコンクリートの空間だった。予想以上にコンクリート

勿論、カメラの向きを変えたり足を延ばせば公園や空き地はあろうが、各町の中心とも言うべき地点「一丁目1番地」はコンクリートにガラスと鉄を足した世界で、そうした街と街が量産型機体のように存在していて、都市のインフラに貫かれたネットワークとなり接続され、全体として一つの大きな「大阪市」という街を形成していた。

緑は都市空間のオプションに過ぎない。鶴見区「緑地公園」は典型例だ。緑は建築物によって完璧に景観コントロールされている。

 

 

例外的で面白かったのが、鶴見区「長吉六反」の畑と、淀川区「木川東」、此花区北港緑地」夢洲中」の緑で、これらだけはナチュラルな土と緑が写っていた。

 

しかしもう8年近く昔の光景である。「長吉六反」の畑は既に宅地造成され消滅した。「夢洲中」は現在、大阪・関西万博の会場設営のため工事が行われている。「木川東」の緑は十三あたりの淀川河川敷で、「北港緑地」は埋立地舞洲の空き地である。人が住めずオフィスや工場も立たない所にしか緑と土がない。

 

恐らく東京都23区、横浜市名古屋市も撮って並べると同じようなことになるのではと想像するが、そもそも大阪は上町台地以外は湿地帯と大阪湾という水の土地で、古来から戦国時代、江戸時代、近代と治水事業を繰り返し干拓し続けて今の形になった。梅田ですら湿地帯であった。戦後、大阪湾を埋め立てて急速に工業都市化させ発展に繋げたことも重要だ。埋め立て事業の最終形態として、咲州、舞洲夢洲の3島は1970年代からごみの埋立地となり、1988年「テクノポート大阪計画」により都市化された。

 

一面に平らであったために街として開発し利用しやすく、干拓や埋め立てと不可分な歴史背景を持つことが、現在の大阪市の都市空間としての姿形に繋がっている。有史以来開発され続けてきたと思えば、まとまった緑地がないのも当然の話にも思えてくる。そうした大阪の姿と背景が本作を通じて改めて理解された気がする。

 

 

なお、展示では1枚ずつがL判サイズと小さく、それが上の段になると天井近くまで伸びていて普通には背が届かない、必然的にモザイク様の、文字通り模様を見ている感じになってしまうので、圧巻ではあるが残念というか勿体ない。

というわけで、1枚ずつをじっくり見るには同名の写真集で確認する必要があるが、それも織り込み済みのため、会場には譜面台のように写真集が置かれていた。

 

写真集になるとまさしく2010年代半ばの「大阪市」景のアーカイブとして厚みと重みを実感する。これは遺されるべき光景の資料だ。

すごいんすよ。写真は量が重要であることが分かる。そして量でなければ土地、地点と風景は形にできない。

 

これ1枚ずつ全部半切以上のサイズで全面展開したら非常に面白そうなんだが、大阪・関西万博で各国のパビリオンが埋まらんとかどうのと言うぐらいなら、こういう作家・作品に無償でスペース貸し出してくれたら良いのにブツブツ…

 

Web検索してみたが本書の取扱店舗がなく、現時点での流通は不明。他にも写真集を出版されているので作者個人ホームページを掲載しておく。

viewosakatowns.blogspot.com

 

 

さて「VIEW OSAKA」シリーズ・全14点の方だが、2010年代の大阪市の街景を個別に撮影したもので、多くは古い町並みや物件、多くは2024年現在、閉店・廃業や解体によって存在しないものとなっている。

住宅や商店には個別の事情があるので、ここでは良し悪しは言わないが、こうした雰囲気のある(レトロみのある・風情のある)物件が建てられた時代が戦後の高度成長期あたりだとすると、40~60年経過しいよいよ持ち主の世代交代と相続の問題、耐震性や老朽化の問題から、本格的に「街」そのものが総入れ替えの時期を迎えていると見るべきだろう。下手すればタワマン的な根こそぎ土を入れ替えるような開発が行われるが、その経済性も見込めなかった場合は更地が残り続けたり、コインパーキングになるのだろう。

 

となると物件や集落の個別の消滅に対してノスタルジックに懐古し惜しむよりも、ある年代以上の物件や生活区といった、日常的な都市風景全般についてどう評価し扱うか、何に着目しどこに価値を見出すべきかが考察され論じられなければならない。一方で消滅は進行形であるから、まずは記録・保存を進める他ない。

 

つまり「誰がそれをするのか」といういつもの問題に突き当たる。

そういったことを作者は重々分かっているためか、こうして10年近く前から自分で動いており、撮影を重ねてきた。

風景への愛着なり惜別なりノスタルジックな想いもあるだろうが(写真を見ていると陰影や描写から、ただ機械的に記録・保存するだけ以上の目を感じる)、まずは記録ということで撮り集めている。

 

そして記録性については写真撮影自体だけでなく、むしろ撮影後の写真の扱いに力点が置かれている。

作者は前述のとおり写真集「VIEW OSAKA」シリーズを自家出版しているが、その目的は紙の形として美術館や図書館、博物館などの公的施設に保存してもらい、将来に亘って不特定多数の第三者の手に触れられるようにすることだ。データでハードディスク保管することのハードルはその点にあり、著名写真家でもない個人が撮り溜めた画像データを公的機関が保管することはない。だが紙の刊行物なら話は別である。「写真」の公式な定義はプリントであり、写真集なのだ。

 

作者個人ホームページに「VIEW OSAKAシリーズ 所蔵機関リスト」としてまとめられている。

viewosakatowns.blogspot.com

 

確かに、国や自治体が「歴史」や「風景」として記録を保存し管理していくのは、それが大文字の歴史すなわちアイデンティティーに深く関わる場所であるか、観光などの経済効果を生む場合か、利権や圧力によって要請された場合に限られる。何気ない市井の日常的な暮らしの場面は、俎上に上らない。新たな都市計画の策定によって再開発を求められ、スクラップアンドビルドの中で、より安全で安心な街としてリニューアルされ、破砕されてゆく。

 

まあ誰もがスマホを駆使し、SNSなりクラウドなり何かしらのサービスへ写真・画像をuploadする時代なので、どんな土地や風景も何かしら撮り残されているだろう、と思いきや、企業がサービスを停止すればデータもろとも消え、スマホの会社を渡り歩けば以前の利用サービス先とも紐づけが切れたりする。たとえInstagramやXに写真が上がっていても検索に掛からなければ探すことができず、「記録」にはならない。また個人アカウントもいずれは消滅するし、そもそも見る専の人間は意外と多いのだ。

いつ・どこで誰が撮ったかも含めて、誰もがアクセス可能なアーカイブとして写真を残すとなると、最初から目的意識とメソッドが必要である。対象エリアや取組み期間を幅広くとればとるほど、それが出来る人は限られる。地域ぐるみでやっていくか、定期的にワークショップをするか、場所と日時を判定するプログラムで各種サービスに投稿された写真を調査し補完するクローラーを開発するか・・・

 

そうした土地と記録、アーカイブについて考えさせられる展示であった。

 

大阪の工業風景を象徴する、新木津川大橋ループすぐ傍の中山製鋼所」の転炉工場も、2012年に閉鎖され、その後は段階的に施設が撤去され、現在はSFめいた鋼鉄の異世界を見ることは叶いません。「工場萌え」なんてブームの真っ只中でしたね。何でも消えるの早いんで油断ならんですね。どうしたらいいんや。

 

 

( ´ ¬`)完(むりやり終わらせる