nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R5.6/9-29_大坪晶「カーテンの向こう側」@N project

「NUKAGA GALLERY OSAKA」が「N project」へ改名、リニューアルオープンした。

そのオープニング展が大坪晶で、戦後日本の米軍による接収住宅と歴史の痕跡をテーマとした従来作「Shadow in the House」シリーズに、新作のインスタレーションが加えられた。

【会期】R5.6/9-6/29

 

n-project.art

「N project」の場所は大阪キタの西天満でも南森町のあたりで、天神橋筋商店街にもほど近い。実は数年来、近くの美容室に2~3カ月おきに通っているのだが、まさかギャラリーがあるとは全く知らなかった。

外観は完全にオフィスビルで、展示の案内はエントランスの扉の向こうにあり、このビルで展示をしているとは気付かない。しかもギャラリーは2階。

道を歩いていても絶対気付かない罠。

 

中に入ると意外に広くて驚いた。手前の広く明るい大部屋、奥に閉じた小部屋の2室に加え、カウンター前の壁面本棚の空きスペースも作品を配置でき、計3ゾーンで展開される。

展示されている写真作品は、2017年から取り組まれている「Shadow in the House」シリーズ:戦後日本の占領期に連合軍に接収された住宅を舞台とした作品だ。発表当時の2018年頃は様々な場所で展示が催され、作者の名をよく目にしていた。近年は特に展示などがなく動向が不明だったので、久々に展示が見られてうれしい。

www.hyperneko.com

 

ギャラリースペース内と、カウンター前の本棚にも写真作品が並ぶ。

 

 

接収住宅については調査・研究資料も多いためここでは詳しく触れないが、太平洋戦争での敗戦を境として具体的に「日本」という国の在り様がどう変容したかの歴史を具体的に証言する建築・生活空間であろう。「日本」は空襲と原爆投下、あるいは日米安保条約によって直ちに今の姿に変わったのではなく、連合国側の生活がリアルに差し挟まれたことで、根っこの部分で欧米化されたのだ。

 

横浜市の戦後接収の歴史をチラッと読んだだけでも、占領軍40万人のうち10万人が横浜市に駐留し、焼け残ったあらゆる施設が接収されため「都市機能がマヒした」というのだから、その後の日本に及ぼした影響は計り知れない。

www.city.yokohama.lg.jp

 

人が何年間かそこに住むということは、建築空間に暮らしが染み込むわけで、更には自分達にとって暮らしやすいように建築的なカスタマイズも施される。接収住宅はそうした歴史の転換期を語る証言者であるわけだが、個人宅も多いのでずっと保管されていくわけにもいかず、徐々に取り壊され失われてゆく。世代交代によって記憶自体も失われる。大文字の歴史を記録的に保全する傍らで、個々人の記憶は何処にゆくのだろうか。

 

本作はこうした記憶、声なき声を扱う。

見る側に想像させるため、接収住宅内をダンサーと共に長時間露光で撮影し、何ものかの気配を残像によって現わす。それは進駐軍の家族かも知れないし、追い出された元の持ち主である日本人かもしれない、返還後に戻ってきたけれども結局は家屋を手放して去っていった人たちかも知れない。そうした人達の、日本と欧米の二重の息吹を宿してきた住宅そのものの存在感であるかも知れない。

額装された写真だけでなく、大きな半透明の布地にも写真が写されている。遠い昔に撮られた家族の写真のようだ。印刷の粗い新聞紙を拡大したかのように顔の中身を知ることは出来ない。確証はないが陰影=彫りの深さから、占領軍の家族なのではないかとも思う。どちらでもいいのかも知れない。

窓の外の光を受けて、像はますます薄く、光の中に溶け込んで消えてしまう。

 

 

ギャラリーの一番奥には小部屋があり、壁面と流しの中に映像作品が流れている。こちらもはっきりとした像ではなく思い出を手繰るように不確かな半透明さがある。住宅の壁の痕跡、炊事の姿などが映される。

 

「Shadow in the House」シリーズのボディが「記憶」のイメージであるとすれば、その核心は歴史性にある。歴史とは遺され、紡がれてきた記録、証言によって成立する。個人の私的な記録・記憶の他に、国によって残されてきた公文書の記録が本作を貫き、日本とアメリカ、過去と現在、作家と住宅と見えない住人らの魂とが接続される。

これらの写真と記述(アメリカ国立公文書記録管理局(NARA)で行ったリサーチの成果だろうか)は進駐軍とその家族の生活が日本人の暮らしの場に食い込み、衣食住を欧米へ転換していった様子の一端が見える。接収住宅にはこうしたダイナミックな歴史の動きが刻まれているのだ。

公文書による記録、物件に残る痕跡、それらが語る公的な「歴史」を現在形の気配として現わすのが写真作品である。「歴史」とは過去の点として終了し完結した物事を記号的に指すことが多いが、年表の記述以上の幅をもってそれは残存し、土壌のように完全には消えず、そこに積もってゆく。そのようなことを思わされた。

 

( ´ - ` )完。