nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】R5.7/1-7/30_田中真吾「STRIDES by strokes」@eN arts

描かれるのは「消す」描線である。

 

絵画のことは1ミリもわからぬが、この激しく舞うような筆致は惹かれる。目で追っていて気持ちがいい。直接的な身体性が絵画の魅力なのだろう。

 

画面全体に及ぶ筆の動きは、しかしどこか調和と優しさがある。どこにどう筆を走らせるかの構築を計算していて、画面全体には乱れがない。落ち着きさえ感じる。しかし無音なのではない。音が速度をもって鳴り響いている。

ではこの激しさと速度はどこから来るのか、筆致の構成美と画面の表面の光沢にあるようだ。

前者について、会場を歩き進めていくと、その速度感の謎が解けた。「消し」ストロークが生み出す勢い、引き算と乗算の効果だったのだ。

塗られた色の線を消した線が、「消す」という動作のエネルギーを生み出している。色の情報としては引き算なのだがそこにより大きな動線として「消す」筆の動作が強く残ることで、別の筆致が合わさり、全体としては2つの「描き」の動きが掛け合わせられた乗算の絵画となっている。この、色情報は引き算なのに動きは乗算という構造がスピード感をもたらし、見ている眼を躍らせるらしい。

 

もう1点の画材のツヤだが、かなり強いツヤを出していて光沢に覆われている。木材の木目を使った作品でもツヤは強く反射材のようになっている。これが塗りと消しの筆致の重ね掛けを浮き上がらせ、速度感をもたらしているようだ。

 

なぜ「消し」の筆致を用いるのかというと、「焼き」の発展形なのだという。

作者の過去作は燃焼を用いたりそれ自体を作品化したもので、火を用いて焼け落ちた絵、焦げた絵、焦がしを用いて描いた絵、焼け残った木材を組み合わせて構築した立体絵画など様々なバリエーションを試行している。

shingotanaka.net

 

本展示でもその一端を見ることができた。燃やす・燃えることは絵の中の情報を引き算するというより、土台そのものを部分的に、物理的に消失させていて、次元の異なる操作である。いや操作というより、作者の手が及ばない消失だ。火、燃焼がもたらすのは、絵画の中身の変成ではなく、画材や紙の物性の暴露である。絵には紙という厚みがあり、カンバスという厚みがあり、それらの表面や側面、断面が明らかになり、絵それ自体は後退する。

今作は「描き」の動作という同じ次元の中で引き算を行っており、絵の次元は保たれている。似て非なる、大きな飛躍だったと思うが、そうしたチャレンジを続ける姿勢が素晴らしいと思った。

 

(  ╹◡╹)完。