nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【ART】R4.3/5~3/13 ARTISTS' FAIR KYOTO 2022 @清水寺(ヤノベケンジ、Yotta、宮島達男、椿昇、名和晃平、等)

京都の清水寺で、横たわって幼児の声で呟く巨大こけし、スタイリッシュでメタリックな近未来的巨大狛犬! スーツ姿のおじさんが無限に9カウントと海水息止めを繰り返す! 絵画!彫刻!猫!心臓!遅延する風景! 祭りだ!京都だ!そしてアートだ!わああ。

 

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【会期】R4.3/5~3/13

 

 

2018年の開催から5年目を数えるアートフェア、気鋭の若手とベテランが3つの会場で展示を繰り広げる。清水寺は他2会場の出展者を推薦人であったベテラン勢が一堂に会し、大型展示があり、見応えがある。ばえる。それでいて美術上の戦略や技がある。

作品の売買会という枠を超えて、エンタメ要素もあるのがありがたい。デ〇ズニーランドよりも楽しいですね私。おほほ。

 

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1.入口:仁王門、西門(Yotta、ヤノベケンジ

これでよろこばない人はいないであろう、Yottaとヤノベケンジの巨大作品が待ち構えている。これはもう理屈も美術史も要らない。祭りである。

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こてん ( ´ -`)

 

 

◆Yotta《花子》(2011)

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こけしである。大変に人気で、新型コロナ禍でめっきり人の少なくなった清水寺とはいえ、観光客は居るもので、雪交じりの小雨が降り付ける中を、およそ現代美術と縁が無さそうな家族連れや老若男女が取り巻いていた。こけしの頭部と並んでの記念撮影を狙っているのだ。少女がこけしから動かない。一人がやると我も我もで、もはやアイドルだ。

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なんか懐かしいなと感じるのは「こけし」に対する郷愁か、いや六本木アートナイト2013」東京ミッドタウン内に屹立した13mのカワイイ巨体を目の当たりにし、近未来のスタイリッシュな高層ビル内部とやわらかカワイイとの取り合わせに痺れた。そんな記憶が疼くのだ。あのとき東京はなんか輝いていた。今はどうだろうか?

 

さて清水寺では完全に溶け込んでいて、意外性や緊張感はない。むしろ横倒しになっているところに「はんなり」さのリアリティを感じる。しみるなあ。なんちゅう説得力や。直立していたら興ざめだったかもしれない。京都は高さや優劣を競う場所やない。はんなりや。わたし大阪の民やさかいにくわしいことわかりませんどす。

 

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門の階段を上ると、この頭部ですよ。後頭部。弱点が丸見え(なんの弱点や)。こういうところが非・東京的というか、一方向の視座で見せたいところだけを見せるのではない、茶碗を手に取って上から下から横から眺めるような作法を感じます。これも「かわいい」だけでは済まされない何かがある。

 

 

ヤノベケンジ《KOMAINU - Guardian Beasts - 》(2019)

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かっこいい。思わず声を上げてしもうた。

これはかっこいい。存在感が抜群である。サイズが大きいからだけではない。キャラが立っているからだけでもない。周囲の環境に調和し、溶け込みながら、威嚇するような攻撃性を内に秘めている。高いバランス感がまさに「狛犬」だ。あくまで場の主役ではなく、場を守る従者である。

 

片や、神社で見慣れたアイコンとしての「狛犬」だけでなく、その名の通り「ビースト(獣)」と呼ぶにふさわしい。元はポケモンのような可愛い・ゆるいキャラが、進化を経て威厳を備えた強キャラとなった姿である。黒とシルバーという引き締まった色に、引き締まった肢体、可愛さを脱した筋肉質の造形を得て、キャラクターであることを脱していく。リアルへと自立していく要素を備えつつ、それでいてキャラ性を保っていて、バランス感が素晴らしい。細く絞られた脚が象徴的だ。

 

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私にとってヤノベ作品といえば、初期の黄色い放射線防護服をモチーフにしたシリーズから、「ジャイアントトラやん」、「ラッキードラゴン」や「ウルトラ -黒い太陽-」「サン・チャイルド」あたりの作品に慣れ親しんでいた。それらは空想上のキャラである。

この狛犬/ビーストは絶妙に実在的というか、実際の神社、神域で生き続けてモチーフを継承しアップデートさせていて、つまり馴染みのリアリティがあり、これまでの代表作とはどこかで一線を画している。

 

www.yanobe.com

このページにあるように、京都芸術大学の大階段や比叡山延暦寺などに設置され、その際には風災害や疫病といった忌むべきものから人々を護るもの、まさに魔除けとしての意味が語られてきた。今回のフェアに際してもヤノベ自身が「現在のコロナ禍やウクライナ情勢など、災厄をおさめたいという願いが込められている」と語っている朝日新聞、2022.3/4)狛犬の歴史的な普遍性の高さと、魔除けという役割の汎用性の高さゆえに、どこまでも・全てを口実として召喚されていくことだろう。

 

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かっこいいですね。何枚撮ってもいい。観光者が記念写真に度々入り込むので撮るのに苦労しました。案外こういうアートイベントって、鑑賞と同じぐらいベストショットでの撮影に時間を食うのかもしれない。

 

( ´ - ` )、まっとうに観光してしまった。わたし観光客や。

 

 

2.経堂(宮島達男)

釈迦三尊像など文化財のたぐいは撮影禁止の暗いお堂の中で、リポーター風の男性が、揺れる海の上で何かを喋っている。

 

◆宮島達男《Counter Voice in the Water at Fukushima》(2014/2020)

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異様にチープで、ローカルニュースのレポーターをパロディ化した映像なのかと思った。揺れも人工的というか、海の背景を後から付け足して揺らしたような奇妙な質のものだ。

 

しかしもっと奇妙なのはカウントダウンの掛け声、そして数え終わるやボウルの水へ頭を突っ込んではしばらく息をとめ、この一連の流れがひたすら反復され、異様な必死さが印象に焼き付けられていく。何故だか分からないが必死なのだ。

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ザパーン。

 

作者のことを知らなければ全く意味が分からないだろうが、反面、実は多くの人が代表作を一度は目にしたことがあるかもしれない。LEDや電光掲示板で9から1までの数字をカウントダウンしていく作品で、複数の

数字がずらっと並び、それぞれ異なる速度でカウントされ、しかしどれも「0」にはならず「1」からまたカウントが「9」に戻るというものだ。六本木のテレビ朝日社屋の壁面や、今はなき原美術館でカウンターを見ることができた。

 

私はパフォーマンス作品を観るのは初めてだったので大いに刺激された。作者自身がカウンターと化して、数字を読み上げ、速度を変えながら、終わりのない「9」から「1」までのカウントを繰り返している。これは《Counter Voice》シリーズとして、本作では海水に顔を漬けるが、カウントダウンと顔面水中息止めの反復を共通の軸として、牛乳や墨汁など様々な液体を使うことでバリエーションを分かりやすく持たせている。それがそのままメッセージや文脈になる。

 

bijutsutecho.com

 

映像だけを見ている段階では、作者の従来作品:カウンターが示す生と死の永遠の変化・連続と、この生身の身体を持った人物=作者との繋がりを実感するに留まる。

 

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が、作品タイトルや、映像の隣に置かれた絵?にDVDが埋め込まれた平面作品から、この映像が福島第一原子力発電所付近の海で録られたもので、ボウルに注がれるのもまたその現地の海水であることが分かる。映像のスタートから見ると、これが合成ではなく、実際に揺れるボートの上で撮られているらしいこと、後ろに福島第一原子力発電所らしき施設が映っていることから、非常にシリアスな作品だったことに気付く。尺が21分近くあり、途中から背景がほとんど映らなくなるので、鑑賞のタイミングによっては「3.11」の文脈が掴めないままになるかもしれない。

 

ともすれば放射性物質を含んでいるかもしれない、と思わせる海水に作者自身が身を浸し続ける行為と、自身の作品そのものとなって無限にカウンターとなりきる行為、この重ね合わせは面白かった。理屈抜きにして気合で、身体で「現地」の問題に突っ込み、即時の即身仏のようにして「当事者」と化するやり方は、Chim↑Pom《気合い100連発》を連想した。

 

 

チョロすぎますか私? まあアートフェアなんで許してください。

( ´ - ` )

 

 

3.成就院(作家12名・18作品)

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最後の部屋は「成就院」、ここ来たことあるよ、2019年のアートのイベント「CONTACT」で入りました。普段は入れない施設です。

 

www.hyperneko.com

 

ここは多数の作家が1~2点ずつ、小ぶりな(と言っても大きいが、家屋に収まる)サイズとなる。多いので特に気になった作品に絞って紹介します。すんまへん。て言いつつほとんど取り上げてしまうんだけどな! アートジャンキーだ! 脳がしるをだす。

 

名和晃平《PixCell-Vulture》(2022)

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みんな大好き名和晃平このガラス球体まみれの剥製を見ると民は納得します。謎の納得力。しかし前回「CONTACT」では二条城で大型の映像作品を出していたなど、ガラス球体だけではないのです。おそろしや。

 

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これ何の鳥だっけ。コンドル?ハゲワシ? すごく見覚えがあるけれどガラス球体で覆われると抽象化が進むようで、元が何の動物なのかよく分からなくなる。動物の分類・名付けというのは、ある段階からは細部の特徴や差異を元にしたものだということに気付く。

 

本作はかなり小ぶりで、抽象化されるといってもガラス球体も同じく小さく数が多く密集しているので、観ようによってはややグロテスクでもある。代表作である鹿の作品を基準にイメージしていると、細部を見るにつれて小さな粒の膨らみの密集が具体的で、なんかこう、別の物に見えるというか、、体調によっては・・・。

 

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動物のあるべき輪郭が、無限にガラス球体によって増幅・分散され、立体的に迂回され、目で輪郭線を追えない像となっている。これはメタな絵画論なのだろうか。

 

なお、名和晃平と言えば、東北・石巻の「リボーンアート」、荻浜エリアのでっかい鹿です。話が反れまくるけどこれはやっぱりすごい。

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椿昇Nirvana(2021)

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AR作品。カメラアプリを起動させて手水鉢にカメラを向けると、蓮の花のアイコンが浮かび上がる。そして宙を回転していく。

 

なんやろう、特にこれといって何もないんだけど、地味にいいな。

ちなみに私のスマホでは全くARが起動しなかったので、スタッフさんに見せてもらったものになります。

 

 

ヤノベケンジ《Sleeping Muse(Ship's Cat)「眠れるミューズ」》《船守祝猫宇宙図》(ともに2022)

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ヤノベケンジ大活躍です。関西の宝だ。この猫の置物もリアル路線ですね、しかし床の間にめちゃくちゃ合う。サイズ感がやばい。お金持ってたら買ってますわ。うち床の間あるねん。本棚おいて潰したけど。

掛け軸のほうが《船守祝猫宇宙図》、宇宙ねこ置物が《Sleeping Muse》。これはセットで1つという感じがする。ほしいー。

 

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リアルだ。目がキャラになってない。化け猫だ。《サンチャイルド》《サン・シスター》の女の子もそうだけど、顔は必ずしも可愛いわけではない。類型化されたキャラ絵を人間よりに崩してるというか、相当クセのある造形になっている。半分リアルが入るというか。

 

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ヤノベケンジ若冲の系譜をキャラデザ、サブカル、立体造形で現代化させたのではないかとか、この尻の丸みを見て思ったわけです。尻!腿!脾肉!裏や後ろ側へのこだわりこそリアル。

 

 

◆塩田千春《Cell》(左右それぞれ)(ともに2021)

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掌に乗るぐらいのサイズの作品が、まさか塩田千春だとは思わなかった。森美術館の背の高い空間をさんざん赤い糸黒い糸で張り巡らして支配していたのを見た身としては、逆に分からなかった。こういうのもあるのかと。

 

cell、細胞だが、見る限り心臓である。

ワイヤー部の網目の連続は確かに細胞的だが、心臓の平面と立面のペアである。心臓のオブジェはかっこいい。力強さのコアのイメージだ。2019年の森美術館での大規模展示では「自傷的」との感想や評も見受けられたが、確かに身と心を切った影のようなものは強く感じた。この作品にはそういう私情や身体性みたいなものがなく、即物的ゆえに力強い。

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加藤泉《Untitled》(どちらも)(掛け軸:2021、彫刻:2022)

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アフリカの古典美術と頭部・胸部CT写真とが合体したような、古いけれど新しい感じのする作風でお馴染みの加藤泉。いつからか分からないが、気付いた時にはしばしば目にするようになっていた。2010年代前後あたりからか? 凹凸どころか内側へと深く凹んだ穴を思わせる黒い目と、X線で透視したような描線の鼻と口は、内部を晒しながら佇む、何やら恐ろしいものとして記憶に残る。

 

 

◆鬼頭健吾《cosmic dust》(2008)

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細かい金のラメに油絵で網目のような線がうねっている。《cosmic dust》はシリーズもので、本作だけでなく、同じような形態で四角のフォーマットなど様々な作品がある。網膜の写真のような不思議な絵だ(絵か?)。遠近感がなく、具体的なモチーフもない、線ともつかない色の描線が、地下鉄やバスの路線図のように2~3色対になって描かれていて、見る距離によって線であり内容であり面ともなる。

 

網膜だなあーと思って見ていたが、2020年5月~9月に京都市京セラ美術館の「光の広間」で空間を埋め尽くしたカラフルなフラフープ群、《untitled(hula-hoop)》と通ずる作品だと気付いた。

kyotocity-kyocera.museum

あれってフラフープのインスタレーションのエンタメじゃなかったんだ、この《cosmic dust》が等身大を超えて空間展開した姿だったんだ、などと気付いた。繋がって良かった。

 

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2枚並んでいるとマジで網膜。

 

 

◆鶴田憲次《-niwa- 2021 水(櫛田川)》(2021)

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アクリル絵画で水の底、水そのものを描いている。「真水」の透明感と質感がどっしりと表されていて、飲みたくなる絵だ。写真に近い。だが近付くにつれ写真ではない、絵画の質感がモロに出てくる。写真と絵画を分けるものは何だろうか? 写実性だけではない。

 

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◆薄久保香《My collage and his portfolio》(2022)

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パッと見はクールで、洗練と丸みの共存した絵、90年代のポップさが2010年代の液晶デバイスのクールさで精緻に描出されたような質感がある。陰影により立体があることが示されるが、物理的な奥行きというより設定上の・記号としての奥行きで、全部平面に属している。

 

スマートな絵柄ゆえに、これはこういうものとスッと了解してしまえそうで、一度引っ掛かると解し難い世界観・造形なため、いつまでも引き込まれる絵だ。絵なのか?

要因は、全体の全貌が見えそうで見えない、中央の立体オブジェの「かたち」が実は想像できないことにある。オブジェは作りかけの(あるいは解体されてゆく)パズルのように、一部がずれて重なっていて、どうも尋常ではない。しかしピースのずれ・解体によってオブジェの内側や向こう側が示されるのかというと、逆に手前と奥、オブジェと壁・背景・下地、絵画のウラ、などとの関係が突き崩される。

 

絵画の文法自体をずらして掘り起こす、ズレを反復する操作があり、「私」が見ているのは「絵」の表なのか、内側なのか、何なのかが分からなくなる――そもそもそんなものはない、全ては一枚の「絵」にすぎない、という見方もあるが、疑似的な立体性によってそうは捉えられない、そんな迷いの森に導かれてしまう。

 

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◆井口皓太《空の時計 / Blank Clocks》(2021)

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入場の際に「庭園の写真撮影はだめです」と注意されていたが、思いもよらない装置が2台並んでいた。何を映しているのか分からなかったが、人が通りかかると時間差で、円形レーダーが探知するようにガビガビ、ギザギザと向こう側の風景が描画される。誰も来なければ静的な、ただのモニター画像だが、誰かが干渉すれば非常にアクティブな反応を示す。京都の寺の庭園が、映像のインタラクティブを伴った姿と思うと面白い。

 

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めっちゃぐるぐるするよ。これは「ARTISTS' FAIR KYOTO」の紫の冊子を間近くでめっちゃぐるぐる回したところ。ちょっとやそっとでは迫力が足りないので、間近くで派手に写り込ませる方がいいです。最初はこのモニターがどういう機能なのか、庭園と共に見ていても全然わからないので、反応を手探りで調べることになると思う。

 

ちなみに井口皓太は、2020年の「奥大和 MIND TRAIL」でも出展していた。こんなところで再開できるとは。

www.hyperneko.com

 

人間(ここでは、着物の師範代である同行者の方)が映り込んだ場合。空間を切り裂いて現れてはまた裂け目へと消えていく強キャラ感が出ます。もう作品がどうとかじゃなく現象が面白いんだ。

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はい消えます。バラバラになりながら現れ、バラバラになって消えていく。なぜ後ろの風景は何も起きないのか、手前のオブジェクトだけバラバラに分解されていくのか、物理化学が分からないので何とも言えませんが、かっこいいですね。消えるとはなにか。風景とは何か。

 

 

◆矢津吉隆《日付られた彫刻/1945年8月6日(左)、1980年8月6日(中央)、2015年8月6日(右)(いずれも2022年)

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これ何でしょうね???骨?鉱物?人? 素材は「廃コンクリート、廃木材、パラフィン、蝋、石膏、綿、接着剤など」。8月6日は言うまでもなく広島へ原爆が投下された日である。1945年は投下の年、1980年は作者が生まれた年、2015年は不明だ。

 

ただの瓦礫か、元になる広島の瓦礫があったのか。白と黄色が綺麗だ。作者は小規模アート複合スペース「クマグスク」を運営している。

kumagusuku.info

 

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人工か自然か判然としない形と色が面白い。硫黄成分がこびりついた結晶体なのか。由来が気になるところだ。

 

 

◆大庭大介《M》(2021)

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間近くで撮ったせいで立体物のようになってしまったが、1枚の平面絵画(彫刻?)である。左右から放射状に光の線が出て、弧が描かれている。スピード感と共鳴がある。宇宙人へのメッセージ盤のようだ。

本作の主旨や意味は分からないが、こうした光を反射、偏光する作品を作っているという。目に見えない「光」の軌跡や波状のイメージを刻印として刻みつけ、凹凸を付けたような作品である。

 

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面白かったですね。アートに触れて、人間愛が高まったり、かしこくなるといいんですが、そういうもんでもないので、まあせめて体験がすべて一元的な消費に陥らないようあれしていきます。あれです。あれを催させるのが京都です。いいですね。おけいはん

 

 

( ´ - ` ) 完。