nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R5.5/20~6/17_元永定正の「写真」@The Third Gallery Aya

具体美術協会のメンバーであり、絵本作家としても活躍した元永定正が、写真作品も手掛けていた。

 

・・・という軽い気持ちでいつものように書こうとしたが、思わぬ泥沼にはまりこむこととなった。もはや闇である。

 

作品はかわいい。これを「ファニー」という。

シンプルである。「写真」作品というが、版画作品のように背景は白や黒一色でシンプルで、キャラクターめいた造形が置かれている。特に絵本作品で見られるファニーな世界観である。

 

などといつものように書こうとしたのも束の間、どつぼに嵌まって身動きが取れなくなり、いたづらに時間を費やすこととなった。いきなり詰んだのだ。なぜか。

 

 

1.写真の使われ方がわからない。

「直に見れば分かるだろう」と思って見に行ったら詰んだ。今回、展示タイトルと解説で「写真を用いた作品」と明示されているので、「これは写真だ」という前提で鑑賞することが出来ていたが、さもなくば「写真」作品とは これはいつも無策で展示を観に行っては後出しジャンケンで読解している私にとって、例外的な事態である。作品を見ても「これは写真だ」という実感がなく、どこにどういう形で「写真」が使われているのかが分からなかった。そんなあほな。私は狼狽した。あほな。

 

どこでどのように写真を用いているのかが分からなかった。解説には最低限の紹介しか書いていない。まあいつも下調べなしで鑑賞して後から調査・肉付けしてるからそれでいけると思ってたんだ。あかんかったね。これ何すか先輩。

白地に真っ黒の造形キャラが描かれた作品についてはどう見ても写真ではなく黒い印刷、版画である。完全な平面であり何かを貼り付けたものではない。印画紙を部分的にキャラクター造形の形で焼き付けたか、逆にキャラクター造形をフォトグラム的に浮かび上がらせたか、あるいはフォトコラージュか、と疑ってみるも、どうも既知の手法ではない。写真らしさがないのだ。

中には少数だが、造形に写真の像が転写されているものもあったが、転写にしては転写元の情報が乏しい。デザインや絵画と一線を画するとすれば造形の輪郭だが、紙を切り抜いて印画紙に置いたようでもあり、完全な直線ではなくガビガビ、ガタガタとしている。解せないのは、かすれたように像と下地がまだらに混ざっていることだった。これは型を取った印画紙焼き付けでもフォトグラムでも出来そうにない。ましてや細い線まで入っている。

 

これのどこが「写真」なのか? エッチングではないのか??? お手上げである。悪夢だ。シンプルなのに制作方法が全く分からないのだった。

 

駆け出しのアーティストならまだしも、あの具体美術協会元永定正である。戦後日本美術を代表する作家のひとりである。桁違いに有名な、国際的にビッグネームの作家である。何かしら情報があるはずだ。

 

と思っていた。

 

 

2.Webにデータがない。

ない。全然ない。

 

 

( ´ - ` ) うそやん。

 

豊富な展示経歴、図録の掲載や絵本の出版、そして近年の具体美術の国際的評価の高まりからも、インターネット上にも情報は豊富にあるのだが、当該作品の画像どころか、写真作品を手掛けていたことに関する言及すら全く出てこない。異様ですらある。

あまつさえ昨年2022年は生誕100年ということで関連展示が兵庫県立美術館宝塚市立文化芸術センター、三重県立美術館で催されている。さすがにどこかに体系的な情報があるだろうと予想していたのだが、ない。

このうち、宝塚市立文化芸術センター「生誕100年 元永定正ドキュメンテーション」展は私も観に行ったので、改めて会場で撮った写真を見返してみた。1956年芦屋市展に応募した際の写真作品3点については、当時の記録写真が掲示されていたが、それ以上の情報はなく、写真作品を手掛けたことは一切触れられていなかった。

 

一応、ヒントらしき情報には辿り着いた。2008年12月9日にインタビューで残された「オーラル・ヒストリー」アーカイブにて、デビュー当時に写真作品も手掛けていた旨の言及があった。

写真のフィルムを巻いてある銀紙をね、傷つけて、それを引き伸ばし機にかけて、印画紙に直に焼いたの。そういうのは、カメラを使わない。絵と同じですけどね。

そうや、カメラ屋さん、DPE屋さんみたいなん、やったことあるわ。あれはいつやったか、弟と大石に店出してん。あの頃、進駐軍を辞めた時に7万円ほど退職金もらって、全部そっちに注ぎ込んで、7万円が弟のほうに行ってしもうて。そんなこともありました。写真屋さんやってたんや。思い出したわ。

oralarthistory.org

 

写真のフィルムに巻いてある銀紙を、ネガ代わりに用いて印画紙に焼き付ける、という手法。だが芦屋市展に応募した1956年の手法を、そのまま1993年の作品制作にも当てはめたかは分からないし、そもそもフィルム写真をやっていた私にすら「フィルムに巻いてある銀紙」の意味が解らなかった。大昔はそういう包装をしていたのだろうか? 少なくとも80~90年代にそんな仕組みはなかった。

つまり結局のところ、1993年の写真作品については一から調べる必要がある。

 

結局、写真作品に関するWeb情報としては、本展示の「1993年に写真作品を発表した」というくだりしか出てこない。なにこれ。あの元永定正が写真やってたことが歴史として存在してない勢いで、ない。謎が増してゆく。  

 

 

3.図録、書籍にも情報がない。

ないねん ( ´ ¬`)

 

念のために、手持ちの具体や戦後現代美術に関連した図録や雑誌を確認してみるが、案の定、写真作品への言及がまるでない。

なるほど確かに、私の手元にあるのはコレクション展や具体美術の企画展に関する図録ばかりで、資料としては踏み込みが浅い。元永定正・個人を特集した展示図録や論考が欲しいところだ。

 

しかし、そもそも数多くある展示のいつどこで写真展が催されたのかがわからない。アタリをつけるために『美術手帖』バックナンバーから1993年前後の展示情報をざっと調べてみた。

すると93年1月に大阪、横浜、岐阜の高島屋で企画展が催されたことが分かった。これではないか。時期的には当たりだ。ここに出品されていた可能性は高いのではないか。しかも古本で図録も出ている。

 

というわけで高島屋展の図録仕入れた。

 

 

( ´ ¬`) あかん。ない。

 

カラーの絵画作品しか載っていない。

まあこれはこれで綺麗で良いです。

なぜか1992年8月に東京INAX GALLERY」で催されたモノクロ作品展の小冊子も付いてきた。おまけ??手違い??アリガトウゴザイマス。すわ、写真展はこっちか!? と期待したのだが、やはり絵画のみだった。残念。

 

写真の写の字も出てこない。

 

では1993年以降の、美術館での展示図録はどうか。作品が直接載っていなくても、美術評論家学芸員の論考に写真作品への言及があれば良い。むしろそっちの方が重要である。制作手法を知るのなら論考が一番よい。ちょっと技法を知りたいだけなのだが、だんだんムキになってきて「元永定正のキャリアにおける写真作品の位置付け、扱われ方」自体に焦点が移っていく。ええい。どこに書いてあるんや。出せ。

 

ここで入手したのが(したんかい)、2002年4~6月に催された「西宮市大谷記念美術館」元永定正展図録である。

 

この図録は素晴らしかった。展示そのものはコンパクトだったようで、会場・出展作品については30ページ程度の掲載量だが、過去作品と展示、参考文献、作者の自筆文献に関する資料が非常に充実していた。

中でもジャンルごとの作品のまとめは見事で、絵画以外の領域も網羅していた。これで勝ったと思った。列挙である。ざる・コルク・すだれ、石、釘、水、煙、タペストリー、椅子、カーペインティング、絵本。おい写真がないぞ。なんでや。

 

(  >_<) なんで写真だけないんや。

 

つんだ。

この歴史の闇やばいぞ。

 

だが完全に無駄だったわけではなかった。

 

 

4.「ブレーンセンターギャラリー」での展示

さすがは西宮市大谷記念美術館の図録。資料としての力があった。作家年譜がえらく詳細で、辿っていくと1992~93年に以下の記述を発見した。

  • クリスマス写真小品展、ブレーンセンターギャラリー/大阪(12.11~12.25)
  • 大阪府立文化情報センターで「元永定正の写真メディア論」をテーマに畑祥雄と講演会を行う。(3.16)
  • 元永定正写真展、ブレーンセンターギャラリー/大阪(3.3~4.10)
  • クリスマス写真小品展、ブレーンセンターギャラリー/大阪(12.13~12.25)

 

これです。来ましたこれ。これが答えですやん。

 

( ´ - ` ) めでたしめでたし。

 

 

 

( ´ ¬`) よくない。

 

 

「ブレーンセンターギャラリー」は現存していない。大阪駅前第3ビルにあったというのも随分昔の話、当然ながら古すぎて詳細な情報はインターネットには落ちていないのだ。ましてや時代がスマホどころかインターネット以前なので、主催者・作家側が記録を公開していない限り、情報はない。

一応、本会場「The Third Gallery Aya」が1996年に当時の「ブレーンセンターギャラリー」を引き継いでオープンしたという経緯はあるが、運営主体としては別物なのでブレーンセンター時代の展示情報までホームページに網羅しているものではない。

また1993年当時、写真展の冊子や図録が作られたのかも不明である。古書販売が見当たらないということは存在していないとみてよいだろう。それはそれで情報がないことになるのでつらい。

 

ちなみに脱線するが、本体の「株式会社ブレーンセンター」は今も写真集など面白い本を出版している。ちなみに事業の本体はもっと多角的で企業ブランディングやIR広報、CSR広報、マーケティングなどの支援事業を行っている。

www.bcbook.com

 

結局、ブレーンセンターまでは辿り着いたが、ホームページに詳細な情報もなく、再び詰んでしまった。

このままでは「ちなみに制作については謎である。」「写真作品についてはよくわかりません。完。」というわけのわからんブログになってしまう。困った。みもふたもないが、原点に立ち返り、ここは本展示の最大の情報源であり核心でもある関係者トークイベントの内容を確認する他はなさそうである。

最初から素直にそうせえという声が聞こえます。いやいや旅は自力で彷徨うに限ります(謎理論)。

 

 

5.トークイベント(R5.5/26 畑祥雄+中辻悦子)より

本展示の会期に合わせて5/26(金)に行われたトークイベントでは、畑祥雄氏(現「大阪国際メディア図書館 館長」)と、元永の妻であり作品制作パートナーであった中辻悦子氏が登壇、会場「The Third Gallery Aya」オーナー・綾氏も加わり、3名により1993年当時の作品制作~展示に関する話が語られた。

畑氏は、なんと先述の記録にあった、1993年に元永と共に写真とメディアに関する講演会を行い、更に元永の写真作品のプロデュースも行った人物である。なお、私の通っていた写真学校の館長でもある。お世話になっております。うへえ。

 

実は私、トークの行われた金曜の晩は労働していて聴きにいっていないのだが、blogを書くに当たって闇に足を突っ込んでしまったため、トーク収録動画を閲覧させていただいた。ぎゃああ。

約1時間ほどのトークだったが、非常に重要な話が多く、初めからこれ聴いてたらよかったのではないか。せやな。前を向いて生きることにします。

以下はトーク要点のまとめです。

 

◆写真作品/展示について

1956年の芦屋市展・写真の部に応募した際に、写真作品が登場。作風はまさに今回展示されている白地のモノクロ作品と同じ。

・絵画の作風がファニーな(コミカルな)キャラクター画になるのは、NYからの帰国以降(1967年頃)になるが、最初期の写真作品では既にその傾向が見られる点は注目すべき特徴である。

・1963年に『美術手帖』誌上で行った「私の抽象漫画宣言」にて、ファニーな絵画:漫画のように言葉を介さずして、見ただけで伝わる抽象画を標榜している。

blog.livedoor.jp

・次に写真作品が登場するのが、1993年「ブレーンセンターギャラリー」での展示。

・さらに次の写真展示はそこから30年の月日を経た、今回の展示。

・つまり写真作品が登場した展示は、通算3回のみ。
(一応、ブレーンセンターギャラリー「クリスマス小品展」でも登場してはいるが、本格的な展示は実質的に1993年と今回の2回のみ)

 

 

◆写真作品/制作について

・カメラを介さず、印画紙に像を直接焼き付けている。モノクロ、カラーがある。

・主な手法は2通り:
 ①煙草やガムの銀紙をネガフィルムの代わりに引き延ばし機に入れて焼き付け
 ②35㎜ポジフィルムに直接ペイントを施して焼き付け(かなり小さい面に微細な作業を施している)

・①に至っては、ただの銀紙なので、作品にするには作家本人の総合ディレクションがないと不可能。

・カラー作品は1993年、銀紙作品の再制作時に「新しいことをしないと」との工夫によって生まれた。要らないフィルムをそのまま使ったものもある。

・中辻氏曰く「元永氏は世間の流れは知らなかったと思う」。(写真・映像がどんどん現代美術の手法として扱われるようになり、様々なジャンルの現代美術家が写真も撮るようになった動向について)

・同年代の美術家として、岡本太郎(画家)、八木一夫(陶芸家)、清水九兵衛(彫刻家・陶芸家)などは写真をやっている。

 

・作家活動をする以前は弟と二人でDPE店を開いていたため、写真の扱いには慣れていた。

・後に成安造形大学の特任教授となったタイミングで、大学に暗室が設置され、畑氏などが制作サポートを行った。

・原版は残されているが、作品としてのサインはプリント後に作者が手書きしていたため、もう作れない(→スライドのプロジェクションはできるか)。

 

◆映像作品について

・映像作品の発表として代表的なところでは、1976年「京都KBSレーザリアム」での「第9回 現代の造形<映像表現’76>」展で、様々な作家と映像作品を展開。

映画用ロールフィルムに直接ペイントを施した作品がある。当初は映写機を回して投影していたが、劣化するためVHSに録り直し、更にそれをDVDに記録し直したものがある(20分程度)。

・その映像作品は1999年「神戸新聞松方ホール」での「舞台空間展」で流している。

・映像に近い作品として、プロジェクターで壁などに絵、光の線などを投影するタイプの作品があり、絵画でも動画でもない領域を表現していた。西宮市大谷記念美術館での2002年の展示ではターンテーブルを置いて映像が動くようにした。

・元永作品においては写真、映像、プロジェクションなどが独立していなくて、全部が繋がっている。

 

◆写真・映像作品の扱われ方、今後について

・1993年当時は、日本ではまだ写真がアートのいち分野として積極的に見なされていなかった。日本で写真が美術館に収蔵されたのは80年台後半以降(1985年につくば写真美術館、1988年に川崎市市民ミュージアムが開館)で、日が浅かった。

・実はまだ大量に作者の残した「写真」がある。作品、プライベート、展示記録、交友録などが混在しており、未整理の状態。

・本人が資料を捨てるのを嫌がる人だったので、山のように保管している。

 

・現在は写真、アートの位置付け、価値が変わったので、もう一度、写真作品を見てもらい、再考してもらいたい。若い世代に伝えたい。

・綾氏「ギャラリーとして、眠っている作品を掘り起こして、展覧会をして知ってもらうことが大事」。

・特に、元永定正と写真・映像」という観点でぜひ研究を行ってもらいたい。資料も沢山ある。元永氏の交遊録、アーティスト群像を調べたりすることは、美術館の学芸員の新しい仕事になるのでは。 

 

・関西という土地における美術・写真・映像の文化は独特である。独立しておらず、ジャンルが混ざっている。

・「具体美術協会」と並んで重要なのが「デモクラート美術協会」(1951年、瑛九が大阪で結成~1957年、解散)。写真関係で言うと、瑛九をはじめ、岩宮武二、棚橋紫水、細江英公などがいた。そこには写真・美術評論家福島辰夫が理論的指導者として関わっていたが、福島はVIVOへ繋がってゆく。

www.tokinowasuremono.com

 

6.まとめ_誰か調査・研究してやで。

大まかに以上である。ようやく闇が晴れた気がする。最大の関係者から直に語ってもらわないと実態が分からないのであった。

 

特に畑氏が繰り返し強調したのが元永定正は、写真・映像という観点から研究されるべき」ということだった。

 

これは今回の一件で本当に痛感した。マジで写真・映像と元永定正を結びつける研究や言説がなく、写真は作家史において全く扱われていない。言葉になっていないので、探しても出てこない。奇妙である。

資料や情報がないから学芸員など美術館側があえて避けて通っているのか、「写真」やプロジェクションとなると別ジャンルだから扱いづらいのか、他の作品全体に占める割合で言うと小さいからなのか、分からないが、とにかく、言及自体が「ない」のである。ないねん。

展示鑑賞blogをやっていても、こういう変なオチは珍しい。

 

例えば西宮市大谷記念美術館なら、2002年の図録の内容に写真・映像に関する資料・研究を加えてゆくことで、元永定正の全体像を全体骨格として充実させることが出来るのではないだろうか。

資料の調査、リストアップ、データベース作成と管理といった作業は、専門的な教育を受けた技術者が行うべきだ。学芸員の仕事は一朝一夕には出来るものではない。

 

作品の良さやイメージについての感想よりも、今回は作家史、作家と作品を巡る言説について辿ってゆく旅を体験した。

次に元永作品を読んで考えるべきこととしては、本作を見た時に写真作品として・独立したジャンルとは実感できなかった実感を基にして、元永作品の核は何なのか、表現形態・メディアを越境して、共通して表されるファニー、疑似的な生命感というのは何なのか、汎メディア・汎ジャンル的な力の正体は一体何なのか、そういった問いと探索であろうと思う。

 

中には1枚だけ、展示作品の写真がある。透明ビニールに入れた色水を宙に吊るした、水の彫刻である。

これがファニーな疑似生命的な抽象画に同列に加わってくることの意味。

抽象画とは?造形とは?平面芸術とは?

それらが関与し催させる二項対立的な概念の数々を、作家は自覚してか本能的にか、それらを穏やかに併せ呑みながらも鋭く対置させてもいるのではないか(抽象と具象、前衛と伝統、平面と立体、絵画と写真、絵画と彫刻、彫刻と自然、作品と自然物、生物と非生物、有機と無機、単体と複合体、ファニーとシリアス、芸術と遊戯、etc、etc)。

 

かわいいは、強くて深い。

 

 

(ぜんぜん未完)/(^o^)\