nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】R5.10/27-12/17「コレクションルーム秋期 特集 Tardiologyへの道程」@京都市京セラ美術館

野村仁「Tardiology」記録写真が8点全て揃った状態で展示され、学生だった1968年・設営当時のエピソード、教授との関係性について詳しく紹介されている。

 

 

四季のコレクション展、この秋季では「秋の名品:初秋から初冬まで」「山に遊ぶ」「京都市動物園開園120周年記念展示:動物にクギヅケ~日本画家のアツいまなざし」「特集:Tardiologyへの道程」の4コーナーが展開された。

 

メインタイトルにも記載されている「特集:Tardiologyへの道程」は、野村仁の最初期の作品「Tardiology」(記録写真)、2003年に収蔵していた4点に加え、2021年に追加収蔵された4点、全8点の展示が行われた。8点が揃った状態が作品として本来の姿であり、会場内の文章によれば、作家自身からも「全部揃ったところが見たいよね」と言われ、買い揃えたのだとか。

ただ、展示の企画を構想中の2023年10月3日、作者は亡くなってしまう。そのため展示構成を再考したという。

 

元の「Tardiology」は1968年、京都市美術大学(現、京都市立芸術大学)の作品展に当時学生だった野村仁が出典した、高さ約8mの巨大な段ボール作品である。会場である京都市美術館(現、京都市京セラ美術館)の前の敷地、つまり屋外に設置し、会期中の時間経過によってオブジェが変形していく過程を作品として提示した。下右の写真で分かるように、オリジナルは最後には溶けるように崩壊している。

(展示目録「学芸員による特集展示の見どころ」より抜粋)

 

この後に「Tardiology」として展示されるのは、その時間経過を記録した写真と、再制作された実物大オブジェである。

幸運にも、私は実際にその巨大な段ボールの構造体を目にしたことがある。京都府立植物園で催された「生きられた庭」(2019.512-19)で、園内に再制作された「Tardiology」が立っていた。ただ、観に行った時には既に4段組みのうち最後の1段を残して自重で潰れており、逆に本来の全体像を想像することが出来ないほど変わり果てた姿となっていた。その分、時間の流れと質量というものの働きは十分に目に見えた。

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今回は写真によって、作品=段ボールを積み上げて立たせるところから潰れるまでの形態変化が見えたわけだが、テキストからはそれ以上のことが分かった。

 

まず本展示で最も強く示されていたのは、「Tardiology」のごとき規格外の作品を許容し、成立させる教育的土壌である。

最初は野村が自力で設置しようとしていたようだが、各2mのユニット(段)を吊るして組み上げようにも重すぎてワイヤーが外れて難渋し、ワイヤーを交換して積み上げても直立させることが出来なかった。

そこに居合わせた彫刻家の教授・辻晉堂(つじ しんどう)が他の学生らに手伝うよう呼びかけて段ボールを固定、直立させ、作品として成立させることが出来たという。上の写真左のように、クレーン車と大勢の学生らが巨大な段ボールを見守っていて、非常に大掛かりな作業となったことが分かる。

普通なら危ないことをするなとか、面倒を増やすなと撤去を命じられそうな場面だが、何とか作品として成立させようと教授が協力して動いたことは、野村の作家人生にとって非常に大きな起点となったものと想像させられる。

 

また、会期中にも風致地区にあるといけない」(まあ確かに・・・)として、いつの間にか作品が畳まれて裏に撤去されてしまうという出来事もあった。野村はそれを引きずり出してまた積み上げて展示したという。設置からの経過時間が分からないのでこれは私の想像だが、復元作業も作者一人ではできないだろうし、条例に絡む問題なので、復元させてもまた同じ問題は起きるため、教授陣も無関係ではなかった(何らかの援護射撃があった?)のではないだろうか。

 

こうした京都市美術大学の教育的土壌、野村仁との繋がりについて、テキストで語られるだけでなく、展示会場では「Tardiology」の部屋の次に、辻晉堂や堀内正和らの作品展示が続く。二人は野村の恩師に当たり、辻や堀内らがそれ以前(京都市立美術専門学校だった1950年まで)の彫刻教育を刷新し、新たな制作法を導入、多様な素材を用いて技術・理論ともに先駆的な教育を行っていったというから、京都における彫刻表現、教育現場の時代の転換期を物語る内容となっていたのだろう。(私が彫刻に疎いのであまり分からず・・・。)

 

 

テキストが語ることのもう一点としては、やはり野村仁作品のスケールの大きさである。段ボールは軽くて丈夫なので、いかに巨大とは言え、積めば積み上がりそうに見える。さすがに高さが規格外なのでクレーン車は必要だとしても、何とかなるように思ってしまう。だがこれら1968年当時の苦労話に触れることで、「Tardiology」=ダンボールが見た目以上の重量と物質としての強度、すなわち「人の手に余る」スケールとしての存在感を有していることが実感できる。

 

ワイヤーを弾き、金具が作動せず、クレーンでも太刀打ちできない質量。質量に振り回される人間たち。段ボールの姿をした質量なるものが、確実にその場の状況、秩序のようなものを歪めていたと察せられる。

手元で素材を切ったり繋げたりする表現行為というよりも、「モノの存在」、在ること自体の状況を生み出すという、自然現象に近いものだという実感が湧く。それは作者の手を離れたところで働く物理現象そのものとなり、その可視化をもたらす観測器であり変換器となる。

 

野村仁というと、写真によって月や太陽の運行、地球の自転など、地球規模のスケールを写真によって表したものが代表作として想起される。だが「Tardiology」はモノそのものに力を加えさせ、ゆっくりと力を顕現させている。同時にモノは解体され自然へと還る、非常にダイレクトかつダイナミックな作品である。段ボールは段ボールを超えた「力」である。その力は、常に、いつまでも、私たちを魅了する。

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他のコーナーは明治、大正、戦前の昭和あたりの絵画が主に展示された。京都市動物園開園120周年記念展示:動物にクギヅケ~日本画家のアツいまなざし」のみ撮影可能である。これは同時期に開催されていた企画展「竹内栖凰 破壊と創生のエネルギー」との連動・派生企画とも言える内容で、竹内栖凰のアヒルや獅子の下書きをはじめ、竹内に師事した西村五雲、さらにその西村に師事した山口華楊などの動物の作品が並ぶ。

 

いずれも京都市動物園など、実在の動物らをモチーフに写生し、「写実」を導入した絵画である。旧来の日本画の平面性の中で、動物の細部や動きの写実を組み込んでいて、リアルと虚構(文体)とが不思議なマッチングを来している。

竹内栖凰「若き家鴨(下絵)(右隻)」昭和12年作なので晩年のものだ(昭和17年、77歳で没)。学芸員の解説で「アヒルの配置について何度も検討した苦悩の跡も見られます」とあり、下書きの薄い線がそれを物語っている。

右下に「ホネ半分 サツバツと句のように書きつけられているのが気になる。

 

企画展「竹内栖凰 破壊と創生のエネルギー」で詳しく紹介されていたが、日本画としてあるべき約束事、何をどう描くべきかの伝統(掟)を、竹内は動物園での写生で培った「写実」を盛り込み、創造的に破壊していった。そして大学で教育者として活躍した。このコーナーはまさにその系譜、竹内の企画展の後にあるものを提示していると言えるだろう。

 

榊原紫峰の屏風絵「奈良の森」「獅子」は、伝統的平面と写実とが高いテンションで画面内に満ち満ちており、気持ち悪いぐらいだ。現実の視界とかけ離れた日本画の世界のまま、写実寄りに強烈にデフォルメしているのが、見慣れないものとして迫ってくるからだろう。喩えが違うかもしれないがHDRを過剰に掛けた風景写真の超風景にクラクラするような感じと言えば良いか。

メスライオンが釣り上げた深海魚みたいに喉の奥から何か出してて、まあすごいんすよ。さすがに浮き袋はないので舌だと思いますけど。

 

 

琴塚英一「仔象の風景」はこれらの中で最も変わっていて、佐伯祐三をもっと簡略化しポップに丸めたような造形と配置が素敵だ。よく見ると画面の奥に象がいる。言われないと全く気付かなかった。これはまさに京都市動物園の一角、当時のサル島の南東側付近で、現在のフクロウ舎側から描いたものだという。

象さんかわいい。

 

 

コレクション展の意義が発揮された展示でありました。

 

( ´ - ` ) 完。