nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展】R4.7/28~9/11 ケイタタ(日下慶太)「隙ある風景 in 京都 DELTA」@DELTA

本展示は「KYOTOGRAPHIE 2022」ポートフォリオレビュー「DELTA Award」受賞記念展示である。

 

街の人々が見せる滑稽な瞬間・「隙」を愛着を持ってスナップし、共鳴を持って写真化する作品。京都・出町桝形商店街「DELTA」での展示は、相変わらずお馴染みのスーパーのチラシ感、ダンボール紙で展開する下町の親しみ感がありつつ、写真展示としてしっかりまとまっていた。

【会期】R4.7/28~9/11

 

このギャラリー外側のガラス面で早くもやられた。うまい。「スーパー玉出」的な、下町庶民の雑多な生活感にワクワクと輝きを取り込みながら、上品にまとめ上げている。

 

一見、チープな素材を用いているが、配置、色味、使う素材の数などのバランス感に優れていて、決して「雑」「いいかげん」なものになっていない。コンテンツとして立っている。

 

会場内も、狙い澄ましたチープ感がむしろ食欲(眼欲)をそそる。写真界のB級グルメ、地元メシの香りのする庶民スナップと段ボール額装の掛け合わせで「DELTA」店内を占拠していた。カフェスペースなので、黄色い独特な柄の椅子が勝ちそうなものだが、ここは段ボールの勝ち。

 

だがしかし、展示タイトルを紙1枚に1文字で貼り付け、写真を直貼りした段ボールで店内の壁面を覆い尽くしても、段ボールが前景化して大阪西成の空気を連想させるといったことはない。鑑賞者の目に届くのは、段ボールではなく写真である。

 

この組み立てのバランス感、編集力がケイタタ作品の特徴である。段ボールへの作品直貼り、そこにタイトルならぬキャッチコピーをまた直に貼り付ける手法などは、2019年の「ビジュアルアーツギャラリー大阪」展示と同じだ。

SNS等でフォローしている写真系ギャラリー等からはあまり情報がなく、その後の活動を追えていなかったのだが、直近では「函館 蔦屋書店」(R4.6/9~7/31)、大阪市京町堀chignitta space(チグニッタスペース)」(R4.7/9~24)で同タイトルを発表していた。私が3年前に観てからも多数の展示を行っていたかもしれない。

 

内容は上掲の過去記事のとおり、「隙」を主題とし、それを街中の他者の姿、仕草などからスナップしている。相変わらず瞬間芸が見事だ。前回展示と同じ写真もしばしば登場する。

 

すごい。油断のオンパレードだ。

 

世の中こんなに「隙」、油断が溢れているのかと驚かされる。新型コロナ禍のせいで移動や観光が抑制されて、浮かれた客、群集に出くわす機会が減少したせいもあるだろう。夜の渋谷などは別格としても、2019年まではこうした光景が全国にあったはずだ。

 

観光だけのはなしではない。そもそもの都市空間の話にも繋がってくる。

前回記事で触れたように、近年ではプライバシー侵害などの実害から公共空間で写真を撮ることの難しさが強まる一方だが、それに加え、逆側の立場として、人が都市空間で「油断する」ことの難しさについても思い至るところがある。

都市空間の多くは公共のようでいて、大規模な再開発によって民間企業の所有地と化している。誰のものでもない「公共」ではなく、ある特定の会社が所有し管理する施設を、「サービスとして利用」させているにすぎない。ここに顧客という概念が生じる。

施設内の土地で寝たり倒れたり、施設や道路に与えられた目的と役割に反した振舞いをすることは、「他のお客様の迷惑となりますので」、注意すべき対象、時には排除すべき対象としてカウントされ、しばしば管理の対象となる。管理は状況次第で、自己目的化する。都市は、不特定多数の人々に対して、あるべき行動、管理しやすいよう規定された通りの振る舞いを暗に(時に強力に)要請し続けている。

 

本作はそうした都市の管理・要請から、緩やかにかつパワフルに逸脱する「民」の力を感じる。施設管理の論理とシステムが勝つか、有象無象の民の生命力が勝つか。わけのわからない力を愛で、その滑稽さを愛情を持って伝える本作の視点は、何気に重要なものだと思う。

 

 

( ´ - ` ) 完。