モノクロ・スナップの洪水に呑まれる。90年代、ゼロ年代、2010年代の世界8都市で撮られた膨大なモノクロ写真は何を見せたのか。「ミラー」、鏡とは何だったのか。熱を持ったモノクロの中へ飛び込む。
それは東西冷戦の「主義」の時代、そして写真文法表現の時代から、より直接具体的な問題の降りかかる「現在」へと移り変わってきたことを表わしていた。
【会期】R3.10/29~12/26
ニューヨーク、ハバナ、東欧、ロシア、上海、パリ、香港、東京の8都市を舞台とした壮大なスナップ写真群だ。
平時よりもかなり多くの壁面を増設していて、1壁面に6~9枚の作品を掛けているとすると、全部で250枚以上はあるだろう。濃いトーンのモノクロゆえに、実際の枚数以上のインパクトがあり、膨大なスナップ写真の物量に酔った。
これらをただの「スナップ」として通過するのは勿体ないので、自分なりの着眼点を記しておきたい。
1.都市の「顔」
本作の多くは、都市の路上で出会ったり擦れ違った人間が被写体となっている。車や看板、都市の光景全体の写真もあるが、やはり人物がとにかく画面を占め、存在感を占めている。東京だけはその他の断片的な光景が多いのだが、やはり都市の顔は人物なのだと思わされた。
だが個々の人物を独立した存在として取り上げるのではなく、あくまで都市の路上の一部として、なおかつ無名の群集の一人として撮っていて、彼ら彼女らの帰属先は都市空間にある。本作は都市のポートレイトだと思った。
鬼海弘雄との違いはそこで、手法やジャンルが異なることを承知で比較すると、鬼海は人物一人一人の「個」を徹底的に引き出し、引き受けていて、それぞれの人生伝のような趣がある。中藤作品では、写された人々と個別に正面から向き合っていても、彼ら彼女らはそれぞれの立つ「都市」の大いなる一部であり顔である。その同質化というか、還元を引き起こしているのが、粒子やコントラストの強さといった写真の文体であり、都市空間の雑多さと大きさを湛えた背景である。それらが伴って、都市空間・構造と人々を等価に結び付けている。
また、人物との出会い方が秀逸だ。風景の一部・シルエットとして場に溶け込んだ、もはや造形物の一つとなった人物もいれば、ファッション写真や映画のポスターのように写真を強くエンハンスする人物もいれば、そんな珍奇な人がよくまあ路上にいましたね、というストレンジャーもいる。
3者いずれもスタイリッシュに出で立ちがキマっていて、貧相な・悲愴な人物はいない。どの人物もそれぞれのカットにおいて主役である。写真というフォーマットの中で主役を張っていて、写真に従属するものにはなっていない。
こうした人物群からは、それぞれの都市の個性が浮かび上がる。ロシアでは軍人や警官が写り、右肩上がりの発展を遂げる上海では良い服を着た子供や勤め人が、ハバナではタフそうな生活者らが、パリでは個性ある個人が、NYではモデル然とした人たちが写っている。この多彩さがたまらない。世界の「顔」がひしめく展示会場はコスモポリタンな様相を呈していると言えよう。
熱がある。人物が驚くべき熱を帯びている。
「熱い抽象/冷たい抽象」の言い方を借りれば、北島敬三が極北の底冷えする「冷たいモノクロスナップ」だとすれば、中藤毅彦は「熱いモノクロスナップ」なのだ。個別具体的な主義主張、言語、民族として分けられた世界をネガで反転させて、熱を以って繋ぐ、コスモポリタニズムのモノクロームなのかもしれない。
2.過ぎゆく時代の証言
撮影時期は大まかに90年代、ゼロ年代、2010年代という3つの年代区分に分けられる。そのため各都市の様相の変化を5年、10年刻みで追うことになり、必然的に写真の記録性が活かされる。ファッション写真ではないので、服装から時代を感じるのは中国ぐらいだが、人物の周囲・背景に写り込む都市の様相が時代を伝えている。また、風景が主体の写真もあるので、いっそう経年変化が見てとれる。
変化が如実に伝わるのは、東京と上海だった。1995年の東京の写真は暗く襞のようで、70~80年代、昭和の延長線上にある。それが2014年の空の写真では、まさに見慣れた「平成」の後期、森ビル・スカイツリー以降の「東京」を感じる軽やかさに満ちている。
上海はとにかく高層ビルの伸長、街そのものの大改造が伝わる。1992年の繁華街の姿は今も残っているのだろうか? 通りに沿って折り重なるビルと無数の中国語の看板、路上に見える自転車やリヤカーが古き良き「中国」のイメージを湛えている。2005年を経て、2015年には細々とした猥雑さから高層ビルとブランド店に移行してゆき、街の背景にフラットな平面が増えていく印象がある。
都市の時代だけでなく、本作では写真の文体それ自体の時代性も物語っているのが面白い。
90年代に撮られた写真は「粗い」。クオリティの高低のことではなく、アレ・ブレ・ボケの系譜というべきか、撮り方・焼き込みが異なる。
写っているのは具体的な対象としての被写体というより、撮影行為自体の痕跡であって、像がブレていたり、中心がなかったり、現実の複製であること(=記録性)から逃れているような勢いが見られる。墨で塗りつぶしたようなモノクロームの深い黒が魅力だ。
だが2010年代の写真は対象をクリアかつ繊細に描画し、質的に大きな変化が見られる。この差はフィルムからデジタルカメラへ移行し、撮影、現像やプリントの全ての工程が一変したこと、それによって物理的に得られる像が根本的に変わったことを反映している。また私達人間側の認知もアナログからデジタルへ移行し、何が「写真」の像か、何が「映像」なのか、求める質感も変化していることで、90年代の「写真」とは異なるものが撮られている。
外界を粗い粒子と深いコントラストの、写真独自の文体の内へと落とし込むものから、とめどなく世界で――写真の外側で起きている事柄をキャッチし食らいついていくものへの変化である。
対置したのは2019年のパリと香港、路上で民衆が繰り広げ、警官隊と衝突するデモの様子だ。このような時勢的な光景は過去作品には見られなかった。あまりに高速かつシリアスに動き続ける世界の情勢に、作者というより写真それ自体が、デジタルの軽き自由度を活かしてキャッチしに掛かったように思えた。
3.対立する「主義」の果て
本作を俯瞰すれば、80年代終わり~90年代初頭まで地球を占めていた東西冷戦対立、資本主義陣営・対・社会主義陣営を軸とした各主要都市のコントラストがあった。初期作品のモノクロームの陰影の尖り方は、緊張感を残す各国のイズムの痕跡や記憶の深さでもあるだろう。
1991年12月のソビエト連邦解体以降、「主義」、イズムの時代の終わりは、2001年9月11日の米国多発テロで決定的となる、新たな世界地図への書き換えは加速する。国家ではなく企業が覇権を握るグローバル経済がWebと共に世界を覆い、主要先進国は無差別テロに脅かされ、一人勝ちのごとく経済発展を遂げる中国の覇権があり、「世界」から手を引き内向きの熱狂的支持を得るためのポピュリズムが過熱する。フェイクニュースと「真実」が連呼される中で貧困、移民、自然災害、ウイルスといった問題が直撃している。
展示の最終コーナーが東京と香港との向かい合わせで組まれていたのは象徴的だった。言論の自由と資本主義という、いわば日本と同じ属性の都市が、なすすべなく中国の強権によって封じ込められていく、その最後の抵抗、大規模な路上デモの様子が撮られている。香港の裏のコーナーがパリの2019年デモの写真で繋がっている。
NYやハバナで撮られた初期作品とは、やはり「状況」の切迫度が大きく異なるように見受けられた。写真が自己の文体を抜け出て、外界を撮らざるを得ないほどの状況に見舞われている、ということではないだろうか。
中藤毅彦はステートメントの冒頭で、自身が事件や社会問題を扱う人間ではなく、直感でパーソナルな視点によりスナップ写真を撮っていることに言及している。だが、時として意味や説明を超えた得体のしれない力を感じること、リアルな現実を映し出しながらも、現実そのままではない「鏡の向こう側」の領域に立ち入った何か――人々の魂や土地の記憶が写る、ということを記している。
その「何か」が現在、大きく変質していて、現在進行形で進行する政治や経済、災害や環境破壊や感染、差別、支配関係といった、直接的に目や肌に触れるものになっているのではないだろうか。
イズムはそれに与するか否かを選択できる。だがイズムを超えた問題は否応なく我が身に降りかかる。恐らく女性蔑視や人種差別、地球温暖化、労働力搾取などの構造的な問題はその類だろう。生きているだけでどこかで加担しているし、その影響が跳ね返った時には何らかの形で、個人の生活において被弾する。
本展示の作品が直接的には扱っていない話題ばかりだが、中藤毅彦が捉えてきた都市とその人々の姿とその変遷は、こうした現在形の状況へと思いを巡らさせるものであった。
まさに本作は「ミラー」であり、その内側を垣間見せたのだった。
( ´ - ` ) 完。