禅フォトギャラリーのオーナー、マーク・ピアソンの2万点にも及ぶ膨大なコレクションから、3回にわたってコレクション展が催される。第1章は1850年から1985年まで、日本の「日常生活」に焦点を当てて多数の作品が紹介された。
( ´ ¬`) めちゃめちゃ多い。たいへんですよこれは。しかも半端じゃなく有名な写真家揃い。写真史の授業ですよこれ。えらいこっちゃな。
【会期】2020.11/21(土)~2021.2/14(日)
- ◆フェリーチェ・ベアト
- ◆名取洋之助
- ◆ハナヤ勘兵衛、小石清
- ◆木村伊兵衛
- ◆入江泰吉
- ◆丹野章、フランシス・ハール
- ◆小島一郎、南良和、桑原史成
- ◆北井一夫、浜口タカシ、渡辺眸
- ◆井上青龍、須田一政、百々俊二
- ◆荒木経惟、森山大道
- ◆全体を通じて
どうやったら一個人で2万点もの作品を収集できるんだろうか。えらいこっちゃ。作品って安くても1点5万円とか10万円とかしますよね。会社員には無理なんでは。実家が太いとか貴族だとか、本人が事業をやってるとか不動産収入があるとかでないと。無理ですて ( ◜◡゜) どうなってんすか本当。しかもギャラリー運営しながらとか。只者じゃないマーク氏。
マーク・ピアソンの運営する「禅フォトギャラリー」
六本木のピラミッド状のビル「ピラミデビル」内にあります。他にも現代美術系ギャラリーが複数。一度だけ行ったことある。
全3章から成る企画だが、各章で400~500点に上る作品が展示されるとのこと。確かに膨大な点数だった。普段の展示では会場を前後半の2つに分けて、必ずどちらかを美術館収蔵の入江泰吉作品の展示に充てていたが、今回は企画展だけで全フロアを使っているという異例の展示方式です。
出展作品は写真家27名分にも及ぶ。いずれも日本写真史上の重要人物が揃っており、作品もたいへん素晴らしかった。もはや授業。社会の授業にもなるぞ。2~3回見に来たかった。最終日に駆け込むなどというのはさすがに舐め過ぎであった。反省。わああ。
この場では全ては紹介できないので、特に気になった写真家をピックアップします。
◆フェリーチェ・ベアト
日本と写真の歴史で必ず出てくるベアト。「フェリックス・ベアト」と読まれる場合も多い。出展数は書いていないが多かった。ベアトで江戸時代の日本を振り返るのは、いつぞやかのKYOTOGRAPHIE以来だ。
ベアトは1869年・幕末に来日し、江戸時代から明治時代へと移り変わる日本の人々、服装や暮らし、風景などをしっかりと記録してきた。本当に多彩な記録を残していて、袴や鎧姿の武士とか古い町並みといった有名な写真のように、被写体としては比較的上位の階層におけるバリエーションが豊かであるだけでなく、身分の上下の幅も網羅していて、物売りの商人、下層町民の暮らしも記録している。大道芸人や茶屋、魚売り等それぞれのジョブ特有の服装・装備が克明に写され、。漫画やTVでお馴染みの「駕籠かき」などが生の人物としてしっかり存在している。映像は偉大だ。
特徴的なのは、それぞれのカットが蝋人形のように妙にぎこちなく、セッティングも不自然なことだ。撮影機材がまだ発展途上で露光時間が長く、1枚の撮影に多大な労力を要したことと、それゆえ1枚の中に可能な限り情報を詰め込もうとしていて、記録にしては異様に演技性が高いのが面白い。「日本人の結婚生活」「役人たちの酒盛り」の生活感のなさは演劇標本のようだ。町民を撮るときも店先や船の上にぎっしり密集させたりしていて、もはや劇団である。
また、モノクロ写真なのだが彩色が施されていて、当時の映像における流行が知れる。(何とかカラーの視座を再現しようという意欲が興味深い。写真を浮世絵化しようとしたのか?日本の風景という土産物ゆえに?)しかしやたら塗りが下手というか粗いものも多く、直接写真の上から着物の模様を書き込んだりした筆致がなんとも言えない。写真ちゃうやん。この彩色もベアト本人の作業なのだろうか? 後に出てくる日下部金兵衛などの彩色は繊細だった。一部のベアト作品の彩色の筆致がやたら強引で笑える。
しかしドキュメンタリー・時代記録としての価値は揺るがない。「江戸、黒田様のお屋敷」では刀を差した武士が、門の前を落ち着かない様子でウロウロし、窓から頭だけ出して様子を伺っている者もいる。この挙動不審さ、人間臭い反応が遺されているのがまさに写真的だ。最も直球だったのは、処刑後に見世物として晒されるがままになっている死体の写真だ。死体は演出もできず重力にだらしなく従うだけだ。ベアトの写真にはそうした、記録や演出をはみ出したリアル、江戸時代人と「写真」とが遭遇した戸惑いのような生々しさが宿っている。
◆名取洋之助
1930年代あたりに日本に西欧のフォトジャーナリズムを持ち込んだ写真家、4点の写真はぴしっと過不足のない、スタイリッシュな構図で事実を写している。江戸、明治、大正ときて、ハナヤ勘兵衛や小石清との並びで見ると、『LIFE』など報道系雑誌の様式がいかに新しかったか驚かされる。その分、写真に特に個性がなく、印象に残っていない・・・。
◆ハナヤ勘兵衛、小石清
どちらも昭和初期の「新興写真」の担い手、ハナヤは「芦屋カメラクラブ」、小石は「浪華写真倶楽部」を結成してフォトモンタージュの技法を活用した。日本に来襲したシュールレアリスムの波は写真にも及び、非現実的で不可思議なビジュアルを求め、先鋭的な表現が試行された。それも太平洋戦争が始まるまでの束の間の熱狂だったが・・・。
展示されたハナヤ作品は1点、小石清作品は6点。小石清はいずれも戦後のストレートフォトで、かつてのような操作・創作に満ちたものではないが、人工的なフォルムを強調されたボタ山、画面の中心のない原爆ドームと通行人など、普通っぽく見えて少し変わった写真だった。
◆木村伊兵衛
映画のワンシーンのように映っている全ての人物が「動き」を保っている。「ライカ使い」の異名は伊達ではない。手持ちでフィルムでバシバシ撮れるようになった時代を象徴するような、機動性に満ちた写真だ。動いている人間を動きごとフレームに収める、まさに「スナップ」という概念はここから始まったように実感する。
都市の街頭スナップだけでなく、秋田の農村部でも人物の動きと表情を捉えていて、場所と相手を選ばない。1枚の写真、家事をしながら床に寝かせた子供に授乳する女性の姿に、何故か強く目を奪われた。母親は体のすぐ下に寝かせた子どもとは全く別の方向を見ている。鍋でも火にかけているのか、画面外の向こうのほうを強く意識している。その眼差しに生活のシリアスを感じる。都市部の外側には、無名の農村部の暮らしが確かにある、その当たり前のことを突き付けられた思いがする。
◆入江泰吉
戦後・1940~50年代の奈良の市街地を撮った写真11点だが、ここだけは美術館所蔵作品。普段は奈良の自然、仏像、寺社仏閣が展示されるのが常で、都市景の作品を見たのは初めてだった。基本的なビルと車道の並びや若草山との位置関係などが現在の風景と大差なく、大阪と比べると景観の変化が穏やなようだ。奈良に特有の時間の流れがある。
◆丹野章、フランシス・ハール
2人はサーカス団員と海女という特殊な職能人を特集している。会社員や公務員など組織の務め人を日本社会のマジョリティとするなら、それらはアウトサイダー的な存在である。
丹野章『日本のサーカス』ではサーカス団に密着し、飛び回る団員を上から下から横から縦横無尽に撮っている。観客と動物とは目と鼻の先で、座席と舞台の間仕切りどころか間隔もほとんど空いていない。事故と隣り合わせになりかねない、凄まじい興行だ。民衆の娯楽の記録というより、危険と隣り合わせで体当たりの興行をうつ団員らの姿にリアルを感じる。
ハール『日本の人魚 海女』は海女漁に密着してその生活を撮っている。ウェットスーツも着ず、上半身裸で漁をする。とてつもなく健康的で透明な印象を与えるのは、海女の鍛えられた身体と、ハールの構図やプリントに宿るフラットな美意識ゆえだろう。珍奇な存在・見られる対象としての海女ではなく、海と共にあり、一家の生活を支える自立した存在としての姿がある。
◆小島一郎、南良和、桑原史成
戦後1950~60年代の日本の「裏」側を撮っている。それは都市部に食料や労働力、エネルギーを供給しながらも、決して光を当てられることなく見えざる存在であった「地方」の姿である。
小島一郎『津軽』は故郷の青森県、津軽や下北半島を撮っているが、人の住む地とは思えない。闇と寒風が全てを削り奪い去った、あまりに荒々しい寒村だ。演出的な表現技法も加味されているとはいえ、インフラが及ばぬ列島の北端の姿を衝撃的に伝えている。
南良和『秩父』は故郷の埼玉県秩父にて1963~70年に撮影、田園都市の一年の暮らし、習俗を丹念に網羅している。文化人類学の資料収集かと思うぐらい幅が広く、老若男女が登場し、衣・食・住の様子を伝えている。
農家と炭鉱町の過酷な生活に肉薄する桑原史成の『あわら田』で写された稲作光景は驚愕のもので、人間が胸まで泥に埋まりながら作業している。もはや沼地だ。これは富山県上市町の超湿田だと思われるが、住み着いたもののどうしても土地が無かったため沼地でコメを作らざるを得なかったという。今は乾田化されているので失われた生活光景となったが、とにかく衝撃的だ。
同作者の『筑豊』は福岡県の筑豊炭鉱での生活。粗末な家、労働争議の賃上げ要求の垂れ幕、子供ら。恐らくエネルギー革命によって炭鉱業界が斜陽化している頃だろう。決して楽ではなさそうな生活の中で、明るく生きる子供らの姿がある。
◆北井一夫、浜口タカシ、渡辺眸
この3名は1960~70年代の学生運動や過激派の闘争を撮っている。今では「運動」はオフィシャルに許可を得て、プラカードや楽器で平和にデモ行進を行うよう、抗議する側が手続きとルールを順守するが、かつての日本では暴動そのものだった。学生や新左翼の活動員らが異議申し立てとして警官隊・機動隊を相手に角棒を振り回し火炎瓶を投げ付けて暴れ回り、死者すら出ていた。
それぞれの写真家で撮り方が違い、北井一夫『過激派』は都市の路上を舞台に警備隊と闘争者が列で睨み合う「対峙」のパワーを撮っている。浜口タカシ『三里塚闘争』は闘争中の人物らを、権力に抗する主体として戦争写真のように濃いモノクロの焼きで表す。渡辺眸『東大全共闘』は先の二人とかなりトーンが異なり、東大キャンパス内に籠城する全共闘学生らの居場所としての空間、闘争の合間のひと時を柔らかく見つめている。
◆井上青龍、須田一政、百々俊二
井上と須田の二人が撮ったのは大阪西成の労働者街・あいりん地区だ。井上青龍『釜ヶ崎』は1955~61年、モノクロで路上や飲み屋でも労務者らの顔をバシバシ横から正面から撮っている。全国から色んな素性・経歴の人たちが集まる日本最大級のドヤ街で人を写すなど正気の沙汰ではないが、個人間のいざこざ・人間関係で済んだ時代だったとも言える。
須田一政『大阪・西成』の方は撮影年不明だが、カラーで、撮り方に気を遣っていて、ノーファインダーで歩きながら流し撮りしており、井上よりもずっと後の時代だと思われる。後に調べると2000年に西成を撮り下ろしていることが分かった。縦位置2枚一組の構成から、ハーフカメラで歩きながら撮影したと考えられる。生活者の空間を歩いていくライブ感に満ちていた。
百々俊二『新世界むかしも今も』は1980~85年の新世界(大阪・新今宮~通天閣あたりのエリア、今は串カツ屋だらけ)の街頭で人々をバシッと写している。新世界は西成エリアとあびこ筋を1本挟んでいるが、西成と違って歓楽街・観光スポットのため、遥かに気楽に歩くことができる。本作はストリートスナップの人物主役版で、その背後と左右は家屋や商店や生活環境がひしめいていて、1枚1枚がぱんぱんに餡子の詰まったアンパンのような豊かな情報量を持っている。昭和の生活力のパワーを見せつけられた。
◆荒木経惟、森山大道
戦後日本写真の表現領域をその先へと切り拓き、「現代」への道を牽引した2人である。写真にしか表現できない世界がそこにある。
荒木経惟『愛の劇場』55点は1965年頃、まだ電通勤務時代の初期作品だ。後の作風に通じる女性・裸体や密室、路上、私的な空間が既に出ている。庶民の生活の写真ではない。戦後日本の、高度成長へ歩みを進める生活空間の内側を舞台として、演出的にプライベートを撮っている。
森山大道は『にっぽん劇場写真帖』『写真よさようなら』等から26点。本展示のほぼ採集コーナーで登場するが、ここまでほぼガチンコで現実に向き合う報道やドキュメントとしての写真を見てきて、森山大道は完全に異質だ。これは現実ではない。現実の光景の影と被膜から作ったヴァーチャルの世界だ。他の写真家と違って懐かしさや時代感、生活感が全く沸き上がってこない。厚さ、奥行き、温度のない、第二現実としての写真だ。こんなスナップは他にない。
◆全体を通じて
超駆け足で書いたが、鑑賞は2~3時間かかった。本当に見応えのある展示だった。作家の顔ぶれが凄すぎて、普通に写真史の授業として最良のものだった。
本展示のセレクトはそのサブタイトルに反して、一般的に想像される「日常生活」--庶民の私的な「日常」を扱った写真や、写真家の側から日常を撮った写真、いわゆるコンポラ写真はない。日常がしきりに登場する90年代以降も射程外となっている(今後の回で登場するだろうか)。
しかし社会の資料集や「激動の昭和」「写真で見る昭和史」のような、単なる事実的・教育的な記録写真とも大いに異なる。それらは安全な記録である。本展示の写真、特に戦後に写された人間たちはどれも強く個として、表現としての主張を放っている。
会場の写真は、こちらに素通りさせない。かつて私達が十把一絡げに「日本人」とくるんで同一視していたのに対し、マーク・ピアソンは写真家が向き合った対象―写真に写された者たちに、強い「個人」を見ていたのではないか。更には、自分たちの権利を申し立てる「市民」をもそこに見出していたかもしれない。私達マジョリティ側が好んで立ち入らなかったり、そもそも存在に気付くことがなくアクセスできない人々の生活・存在の写された写真を取り上げている。
一つは農村や田舎・地方の集落の人々だ。木村伊兵衛が秋田の農村で捉えた授乳中の母子や、南良和が食らいついた秩父の集落の暮らし、桑原史成の「あわら田」での過酷な稲作と筑豊炭鉱の暮らし、小島一郎の人の世から隔絶されたような津軽の寒村、これらは急速に近代化を進めてゆく都市部から切り離されたが、写真家の活動によって明らかにされたものだろう。
二つ目は近代化・都市化を支える陰としての街・労働者の存在、井上青龍と須田一政が捉えた大阪の西成・釜ヶ崎である。大都市のすぐ足元にあり、高度成長期の原動力でありながら、それはアンタッチャブルな地域・人々として伏せられてきた。
三つ目は、力を合わせて権力への異議申し立てを行い、壮絶な衝突を挑んだ無名の人々の姿である。1960年代の学生運動、そして1970年代の三里塚闘争を記録した写真家、浜口タカシ、渡辺眸、北井一夫だ。欧米に比べると日本人は政策や制度に対して目立った反対表明を行わないし、西欧における「市民」の在り様ともまた異なるだろう(学生運動ではマルクスに影響され世界同時革命を標榜していたのだから、全く根本が違う)が、日本人の若者らが主体的に議論し行動し、権力に全力で抗したのは事実である。
すなわち本展示のサブテーマ「日常生活」とは、日本が戦後の近代化・高度成長を進める中で、労働力・生産力として、あるいは権力によって管理・制圧の対象として埋もれていた多くの人々を、優れた写真家らが個々の「生」として浮かび上がらせた姿である。マーク・ピアソンはセレクトによって、単なる群衆が声を持った「市民」へと復権されるところを、改めて空間に提示した。
作家やキュレーターだけでなく、コレクターの精神や審美眼もまた「表現者」として注目されるべきなのかもしれない。
( ´ - ` ) 完。