nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【ART】R3.12/15~12/25_final wks.祭 平面展 @GALLERY wks. (ワークス)

「GALLERY wks. (ワークス)」は大阪北区・西天満のマンション最上階の1室にあるという珍しいアートギャラリーだったが、この12月の「final wks.祭」展を最後としてクローズする。2022年からは大阪府の最北部・豊能町に「vitokuras」という名で移転オープンする。

「final wks.祭」展は会期を2つに分けて、前半を「立体展」・後半を「平面展」として開催された。私が訪れたのは「平面展」の方でした。

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【会期】(平面展)R3.12/15~12/25、(立体展)12/1~12/11

 

 

西天満は裁判所とギャラリーのある街。梅田、北新地と天満の中間あたりに位置し、主要な交通網や商業施設から離れており、なにかの「ついで」はありえない。あえて歩いて赴く必要がある場所だ。

そのため長らく「GALLERY wks.」の存在に気付かず、初めて訪れたのが今年の10月だった。これは作家ご本人から誘いがあったためで、自力で気付いたわけではない・・・

 

内部はなかなか広い空間でした。初回訪問時は1階の管理室あたりをウロウロしてました。まさかマンション最上階・11階の端の部屋がギャラリーだとは。見た目は本当に普通の一室。珍スポットみたいな場所でした。写真がない。ああう。

 

11階というのは結構高いのですよ。ほれ。

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けっこうな高さがあります。手すりから下を覗くと怖かったす。周囲のビルより高いギャラリーというのも珍しい。それにしても本当にビルしかない街ですね。次に移転する豊能町とのギャップが激しすぎる。

 

てなわけで展示みましょう展示。

 

◆「平面展」全体

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ドアをくぐると「ありがとうございました。」と壁に書いてある。いよいよ終わりですね。2回目の来訪ではやくも最終展、ギャラリーの存在に気付くのが遅かったのがくやまれます。

 

歴史を知らんのですが、節目の企画で15周年展とかもやっていたそうで、少なくとも15年は開いていたと。いうことですね。老舗や。すごい。

 

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「平面展」ゆえ、作品は絵画が主で、たまに写真や、立体物を平面上に展開したものが見られた。ほぼ絵画ですね。

企画としては「アンテパンダン方式」、無審査・参加自由で、この「平面展」には計81名もの出展者が集まっていた。そんなにいたのか。1人1作品(複数点の組み作品はある)で、小ぶりな平面作品ばかりでサッと見てしまえるためか、体感的には3~40人ぐらいに感じた。1枚のCDに60~70曲を詰め込んだコンピレーションアルバムのような、スピーディーな鑑賞体験となった。CDの喩えは古いかもしれないと怯えながら書いています。ドキドキ。

 

では気になった作品をいくつか取り上げたい。

 

 

◆野寺摩子《八十八番地》

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数少ない写真作品の一つである。3枚+額装外の1枚で一組となっていて、いずれも水田と稲作の光景スナップだ。

 

被写体は普通っぽいが、遠近感と縮尺が奇妙だ。手前が小さく、奥の方がやたら巨大で、巨人の世界のようになっている。しかし画像合成ではない。

これらは、プリントした紙を額の中で、手前から奥へと雛壇のように立てて並べたものだ。一枚の像の内側を見た時には遠近感の大小が逆転しているが、それぞれの写真パーツを別々の紙・モノとして見た時には手前から奥へと並んでいて遠近法は正しく、総合的に脳は「正しい写真」として受け止めてしまう。優れただまし絵になっている。

 

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こうして写真で撮ると伝わらないが、切り抜いたプリントをモノとして立てて並べて重ねており、平面ジオラマ感のある作品だ。実に眼に気持ち良い。立った稲の葉の一本一本をハサミで切り抜いていて、まさにphotoshop以前の世界がある。並びの段差が生み出す立体感が気持ち良かった。

被写体・テーマを変えれば展開の幅がかなり広そうだ。ありそうなのに今まで見なかった作品スタイルだ。

 

 

◆成田貴亨《恒星による展翅 #202-03》

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平面作品の千本ノック状態、ズラズラッと壁に並ぶ中で、床に立つ三脚はたいへん良いアクセントとなっていた。清涼感すらある。なんせ展示数が多くて視界には常に複数枚が飛び込んでくる上に、ほぼ知らない作家で、テーマや文脈もバラバラ、実は意外に疲れていたのか。立体が癒しです。フー。逆のことも言えるんだろうな。

 

確かに写真作品ながら、全体ではほぼ立体作品と呼べる代物だ。しかしやはり主体は木箱の中の「写真」である。三脚と木箱はオブジェ然としながらも写真を支えるための「額」という構造になっているのが面白い。

 

作者の「額装」に対する考察と転倒の試行は、2021年「KG+」でも存分に発揮されたところだ。

 

見れば見るほどこの「額」は中の「写真」と切り離せないと思うし、そもそも「額」の体裁をとりつつ、三脚に据えられていること、奥行きのある木箱であること、写真がモノクロであることなどから、これは古い「写真機」に見えてならない。

止まった時の中で写真を写し続ける、止まった写真機・・・

 

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木枠の厚みがあってしっかりしている。いっそう古典カメラの趣がある。カメラの中を簡略化したような装置だ。

これは反対側から見たところだが、本来の「額」装は一方向からしか作品を見せないように出来ているのに対し、本作はこのように360度、裏からも「写真」を見ることができる。つまり「額」のシステムをぐるりと回り込んで見ることに繋がる。

 

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写っているのもまた奥行きのある光景で、四角い木枠の奥にまた部屋があり、陰影があり、その奥にベランダのような外側がある。入れ子構造を引き立てるのが魚の絵で、内側と外側とを作り出す光の膜となっている。それがますます「写真」の現象を思わせるのだった。

 

 

◆成田直子《転がる林檎には苔が生えない》

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絵画の群れの中に、絵画のようで絵画でない作品が混ざっている。みんな大好きポール・セザンヌ《りんご籠のある静物(1895)、のはずが、果物が転がりすぎて絵の外にまで飛び出している。

 

セザンヌの絵の上に、切り抜かれたスーパーの広告チラシなどの写真が置かれている。絵画に広告写真を載せたらおかしくなりそうなものだが、妙な調和、リアリティがあって、違和感がない。これが正解だと思える。やばい。果物がいきいきしている。

 

リアルとは何か。

 

リアリティを与えているのは、一つには広告の印刷:値段や品種名の文字だ。絵を写真に置き換えたというだけではなく、もっと雑多で射程の遠いイメージが参入することで、コラージュとしての力というか正しさが生じている。

もう一点のリアルさは影である。貼られた広告写真は物体としてセザンヌの絵に影を落としている。しかしサイズに比して影が大きい上に、横から見ても真っ平で、さきの野寺摩子の作品と作り方が全く異なる。考えられるのは、広告写真の切り抜きを立体物に貼り付けてセザンヌの絵の上に置き、光を当てて陰影を付いたところを複写したのではないか。

 

作者は前段で紹介した成田貴亨と共に、「チームびゅ」という名義で「木津川アート2021」に出展していた。

本作は全く異なる作品だが、「木津川アート」では写真家自らが撮影行為をしなくてもよい、もっと広義でのモノとイメージとしての「写真」を取り扱うスタンスが大いに示されて、その選択肢の広さは一貫していた。本作のようなイメージ操作を試みるのは納得だ。

 

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よく見ると、この広告写真の立体貼り付けには2種類ある。広告自体を嵩上げして立体化し乗せたものと、セザンヌの絵の一部を土台として広告写真を貼って嵩上げしたものとがある。すると後者は絵画自体が二層構造になり、元の絵が部分的に立体化し新たな陰影を生むことになる。絵を多層に反復させるとは写真ならではのアプローチだ。

 

新たに生じた陰影はセザンヌの描いた世界観とマッチしており、リアリティがある。

元の絵が多視点で、様々な角度から見た静物を1枚の絵としてまとめ上げた、2次元平面の中に空間性の3次元を孕むものだったことを踏まえると、本作は更にもう1次元ぐらい足し込んでいると言うべきか。

「空間」のアプローチに「天」、上下方向が加わったことと、まさに「時間」の要素:静物が動き出して転がり出した瞬間を捉えていることに加え、価格表示などにより現代の生活事情が反映されていて、非常に写真的な要素=時間的記録性を宿している。中央の黒い瓶は大吟醸「真鶴」ですかね。これは画家は絶対描かへんすよ。写真にしか写らないすよ。けっこう高い。

 

そう、これはまさに写真なのであった。

真鶴に興奮しとるがな。はい。

 

 

◆上瀬留衣《~な文例2》

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おっ なんだなんだトロピカルだ。眼をひきます。

複合体なのに中心がある。色んなオブジェクトを盛り重ねながら、土台に人の顔があり、その目線の強さと髪の黒さがオブジェクト群を支えている。

 

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写真のコラージュで積み上げてある。

作者自身の撮影によるものか、既製品の印刷物を切り抜いて貼っているのか分からないが、飛んでいるハチドリや土星の姿など個人で撮影できそうにないものが盛られているので、既製品イメージの積み重ねと思われる。

こんなに多彩かつ主張のつよい形状・色彩のイメージを盛りつけながら、全く破綻がなくむしろ全体で一つのものとして調和しているのは面白い。等価というより強い同質性へと引き込んでいるのは、やはり作品の主体が個々のイメージにではなく、人物の顔の方にあるためだろう。

 

プロフィールを読むと「私と私以外の物との関係について」、様々な素材・手法と作者自身の身体を組み合わせて表現を行っているという。土台となっている顔写真は作者自身なのではないだろうか。もしそうなら、頬の上にもう一つ顔写真が貼り付けられていて、自分に自分を盛る・自分で自分を演出することへのメタな言及をしていることになる。

 

アイデンティティーの海鮮丼みたいで面白い。タコ、エビ、イクラ、ホネガイがいい仕事をしています。

 

 

◆きだ はるな《イキる吸う イキる吐く》

( ´ ¬`) これいいですよ面白かった。現在進行形の話題であり必須消費財である「マスク」がモチーフでありつつ、そのままの記録ではなく造形物へとひねりが加えられていて、素材かつ作品として主役になっているのが素敵です。

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マスクだがマスクでない。保健衛生的なニュアンスは薄く、造形的な面白さに移行している。言うまでもなくカラフルなゴム紐の力だ。作者が「ヒーロー」と称しているように、リスペクトが伺える。

真っ白な普通の市販品マスクだと、新型コロナ禍のニューノーマルを象徴あるいは記録(記録の象徴化か?)する「マスク」となっただろう。

 

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「呼吸」を司る横隔膜と肋間筋をイメージした造形だったらしい。色の付いた紐が電気の配線っぽくて、メカとソフトの中間帯だなと思って見てました。コードの強調によって、マスク=システム、制度的なものへの移行も暗示しているような。

 

モチーフやテーマをマスク縛りにしたグループ展があったら面白そうですね。どこかでやってほしいな。アベノマスクが8200万枚も余っているなら、それを全力で現代美術に使うことこそクールジャパンに。政府与党にとっては冷や水ジャパンになりますが。マスクは命を守ると同時に、命を吸い上げて作られるものなのか。

脱線しました。はい。

 

( ´ - ` ) このように想像力が刺激されます。はい。

 

 

◆島香澄《外光》

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ざっと見て流してしまう平面の中で「目が合う」感じがして、足を止めたのがこの作品。

目力があるだけでなく、暗闇を切り裂くスリットがそれを強調する。目元以外が黒で隠されていて、黒装束となっている。画面内の一部分だけにスリット光が当たって協調される構図は、スナップ写真でも超お馴染みである。私が直感的に惹かれたのは、写真の定番の構図に反射反応したからなのか。

 

また、目元から顔の下半分が黒く覆われ、鼻から口元、顎にかけて肌が見えない姿は、やはり新型コロナ禍でのマスク着用を連想させる。マスクと不可分な現在の生活を喩えた作品

 

・・・ではなく、作者はこの黒装束の部分に、夜の都市を描いている。

あれだ、夕方や夜の伊丹空港へ、飛行機が下りてくる時に眼下に広がる、膨大な都市の姿。光の点と線の面である。

都市のくだりは、後に作者のHPでステートメントを読んで知ったことだ。現場ではマスクだと思っていた。作者は人の身体に走る血管や筋骨格を、都市を俯瞰した時に見える道路や河川といった「脈」に見立ててオーバーラップさせている。西野荘平の逆じゃん! あの人、地図・地形の俯瞰図に現地で撮った写真を大量にコラ貼りしていたが、本作では個人の身体が都市になっている。

 

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存在感が素晴らしいです。プロポーションが写真だなあ。作者HPを見た限り、強い陰影でスリットを入れた作品はなく、全身を見せていた。こちらの方が断然好きです。喩えによる想像力の喚起が強い。

 

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( ´ - ` ) 面白かったですね。

 

来年以降、豊能町へ移転されると、場所によっては電車で行けないので、どうなるでせうか。ちなみに豊能町というのは上に京都府亀岡市が、手前~西に兵庫県川西市があり、大阪府の中でもすごいところです。

どんな感じの運営形態になるんでしょうね。たのしみどす。

 

( ´ - ` ) 完。