瀬戸芸の隙間に入れましょう、イサムノグチ。

みなさんあるのは知ってると思うんすよ。屋島の麓の庭園美術館。ただ、行けない。行こうと思ったら行けるけれどもなんとなく行けないままになったる。
美術館といえど、まあまあ敷居が高いため、「存在は知ってるけど、なかなか行く機会がない」代表格のスポットだろう。
◆瀬戸芸とどう絡めたか
予定の隙間に入れるのに難儀する。要はスキマ系のスポットではない。内容もまた、スキマ消費エンタメ・レジャーと一線を画する。存在を懸けろ、と魂が言われたり、魂が自ら存在存在と言い出したりする場所なのだ。行ったらわかる。そういうわけで「庭園美術館のために1日充てるぞ」という前提での予定の組み立てが必要だ。
今回は幸運にも、瀬戸芸の予定と綺麗に噛み合った。これは結果論でしかない。
瀬戸内国際芸術祭は船移動と車移動の組み合わせでできている。くわえて、16時半~17時に展示終了する。これによって一日の動きと鑑賞可能エリアの上限がおのずと見えてくる。
今回、瀬戸大橋エリア(瀬居島・沙弥島)と、男木島・女木島を回るプランを考えたが、展示が16~17時に終了するのと、船のダイヤ、そしてエリア移動時間の兼ね合いを見ると、必然的に一泊二日プランしかあり得ないことになっていた。船がプランの全てを決定するのだ。
そして瀬戸芸、展示エリア・島の数はやたら多いが、実は春夏秋の3会期でそれぞれ割り振られており、1シーズン中に回れるエリアはかなり限られている。
瀬戸大橋エリアの後に、繋げられる展示エリアは、春会期には皆無だった。じゃあ他に何か目玉になるうる寄り道スポットはないかと思うが、ない。
ないことはないはずだが、気持ちが完全にアートに傾いているので、それ系の候補でなければ納得できない。このあたりは繊細な問題がある。
そんなわけで、「土曜朝イチに瀬戸大橋エリア入りして瀬戸芸を観賞し、坂出から高松港方面に移動する道中に、最遅の15時の回でイサム・ノグチ庭園美術館をセット。一泊し、翌日曜に高松港から女木島・男木島を回る」が最適解となったのだ。この結論に辿り着くまで結構手間取った。
ただしこのルート成立は「瀬戸大橋エリアの沙弥島を全切りした」という特殊事情が絡んでいる。沙弥島では地元住民への配慮から、展示会場付近には車を置くことができず、指定の駐車場からは予想以上の時間がかかると現地で判明したため、ばっさりと予定を切って、瀬居島の後、イサムノグチに直行したのだ。変に沙弥島をかましていたら、ツアー時間に間に合っていなかったと思う。
◆庭園美術館の概要
この庭園美術館はイサム・ノグチの邸宅・アトリエを、1988年の没後、一般公開用の施設へと改修、1999年に開館したものだ。
イサム・ノグチ庭園美術館の簡単な特徴を挙げてみよう。以下のポイントを見るだけでも、瀬戸芸のノリとは異なっている。
- 完全予約制(1日3枠/10時、13時、15時)※7-8月は10時、11時半の2枠
- 週3日(火木土)のみ
- 入場料けっこうする(大人3300円)
- 撮影禁止
更に、予約方法もWeb入力フォーム対応になったのは2024年12月からで、それ以前はメール、電話、FAXと、なかなか古風であった。
このハードルの高さが逆に「良さ」とも言えるが、ハードルを上げて客を絞り込みたいというよりも、庭園の「良さ」を支える労力ゆえにこうした制約がついていることを後に知るのだった。
なおここで掲載する写真はどれも庭園・作品の外のものである。
◆当日、入場
15時の入場枠で、20分前に着いた。余裕を見て会場入りした、というよりも、私が直前に讃岐うどんを食うことを拒否ったためである(店が休みだったので結果的には同じだったが)。
駐車場の周囲は石材所のように多数の石がずっと積んであって、ここ高松市牟礼町が石の名産地であることを物語っていた。「庵治石(あじいし)」という花崗岩が全国的に有名で、イサム・ノグチが1969年から、わざわざ高松市牟礼町に居宅とアトリエを構えているのも、理想的な石が手に入るからだったのだ。


高松・庵治石とイサム・ノグチの深い関係については、建築方面の人にとっては周知のことらしい。土門拳と室生寺、東松照明と長崎・沖縄みたいなものだろうか?
受付・待合からして、年季の入った木造の古民家で、中は2階分に相当する高さがありながら、吹き抜けになっていて広く感じる。ただ完全に抜けているわけではなく、2階部分は四辺の壁に沿って通路上に足場もあり、倉庫代わりに段ボールが積まれていた。



次々に多数の客が待合に入ってくる。完全予約制なので、受付で名前をチェックしてもらった後はただ待つだけだが、「AKARI(あかり)」シリーズの展示・販売コーナーがある。完全にイサム予習なしで来たので「へえ~和の照明も手掛けてたんすね」と驚く。思ってた以上に「和」の人だった。いったい何者なのか。
待合では大型モニターで庭園や作品のプレビューが流されているが、気楽なもので、通常の美術館とは趣が違う。歴史ある土地の古い茶屋みたいなもので、そこに居ることが特別な体験になる。この、単体での作品鑑賞ではなく、その場に立つ・交わることで特別な時間を得るという構造は、この後もずっと続く。
外国人が多い。全部で30~40人はいたか。ツアーは2班に分けられ、30分ずつ一つは彫刻作品群とアトリエ、もう一つは住居と庭園のゾーンを交互に回る。
以降は撮影禁止のため、作品・場に没入していくのみだ。記録はない。ただただ、その瞬間瞬間で何かを見ていた。しかしやはり手元に何も残らないのでは、記憶も残らないのだった。篠山紀信撮影の写真集は資料として必須になる。
しかし逆に、何か深い体験をしたものの具体的に思い出せるシーンが日に日に失われ、とうとう書くこともできないぐらい忘却されてしまい、体験の深さだけが残って、渇望からイサム・ノグチ関連本を色々買い漁るという事態が起きた。こういう飢え方があるのか。

◆ツアー前半:アトリエ、作品群
まず私達のグループはアトリエ、展示室の方から案内された。木々の生い茂る歩道を少し歩くと、石垣がサークル状に取り巻いた砂地の敷地があり、手前と奥に白い壁の蔵が建っている。そして蔵の前には石の彫刻群が立ち並ぶ。
石垣に囲まれた中に垂直に立つ彫刻は、結界内の聖域のようである。精神的宇宙を醸しているのが分かる。柄にもなく精神、という言葉を使った。垂直性が、真っ直ぐに正気・理性の果てをなぞるのだ。それは精神という領域をストレートに指し示す。蔵の解説を聴きながら、はやく入りたいと思う。
解説が終わると柵が開き、敷地内を自由に観て回れる。
手前の蔵にまず入る。手前、歩道側の蔵は、かつてイサムが作業場・アトリエとした場所で、雨の日などは小型作品を中に持ち込んで制作した。「県の有形文化財だった入江邸という古い商家を丸亀から移築した」(『X-Knowledge HOME イサム・ノグチ生誕100年』より)もので、部屋が2室あり、どちらも作業場の雰囲気をそのままに残している。木の台、ハンマー、電動グラインダー、様々な缶などが置かれ、石工として日々ここで石を削り、磨いている姿が伺えた。身体を使って石を削る姿である。
それは想定していないイメージだった。
「イサム・ノグチ」という世界的高名さだけが独り歩きしていて、自分の中で、高度なプランナー、指揮者、思想家、という印象が出来上がっていた。要は、手仕事や土から遠いところで設計図を引いて指示を出す人物像を思い描いていた。実体はそうではなかった。高齢になっても世界を飛び回り、ニューヨークにもアトリエを設け美術館を設けて日本と往復している、高名な人物であるのは間違いない。だがイメージに反して、この蔵が物語るように、土に触れ、石を直に触り続けていたのだ。器具の使い込みと土と埃と錆で、彼の職人としての日々が知れた。
そうして生まれた彫刻作品が蔵の外に並んでいる。30体前後だろうか。狭すぎず広すぎない、絶妙な間隔で配置されているので、少なくはないし多すぎることもない(実際に一つ一つを見ていくとかなり多い)。
これらを彫刻と呼ぶのか石と呼ぶべきかが悩ましい。作品と呼ぶのか自然の産物と見なすべきかも悩ましい。手を入れて、技術によって、人為的に切り出し、作り出したのは間違いないのだが、そうとも言えない自然さ、natureの核心のようなものがある。いったいこれは何なのか? ものの30分足らずでは全く答えには辿り着かない。
特徴的なのは、断面だ。
石、岩が、滑らかに切り落とされている。どこに切れ目を入れるか、更に切り落として、どこまで「面」を露出させるか。切断された面同士をいかに重ね、積むか。イサム・ノグチの石の彫刻とはそれに尽きる。何のことはないように見えるが、そこに終わりのない時間が現れていた。石という自然の現象と時間の積み重ねの凝集体が、ある所からスパッと断たれる、すると「時」が流れ出すが、しかしその行先や終結地はなく、流れというエネルギーのようなものが露わになり、流れ自体を私達は受け止めることになる。
時の流れのその後を引き受けることになった「私」達は、辿り着くことのできない時間の、あるべき姿を探す。本来なら物理的にあるいは想像によって石の断面を塞ぐか、別の分かりやすい「形」を与えて、時の終結点を与えて時の流れを止めればよいのだが、イサム・ノグチはそれを許さない。ごつごつ、ザラザラとした岩の質感が垂直や水平に切れ落ちていて、流れ出した時間が止まらない。時の流れが終わらない。目で見て体で感じるだけの、職人に非ざる私達はなおさら、その流れに適合させられるだけのもの=終わりを用意できない。形はそこにあるが、名状できず、形として認識できないため、時の流れは止まらない。
時の流れはあるが、終着点がない。ここに「未来」がある。
イサム・ノグチ作品からもたらされる体験は、露わになった「時間」が膨大な圧縮体となって、その流れがとどまらないという、無属性と無限定という「未来」なのだ。これは通常、私達が思い描く有機的で具体的な「未来」とは別種のものだ。後者は現状の時間が経過することによる科学技術の進歩や、更にその先の破滅などを具体的に伴うイメージだが、ここで直面するのは「時」というエネルギー体に近いものの即物的、即事的な存在感そのものである。
「もの派」とも異なる。あちらは石をガラスの上に置く、角材を会場の床に置くなど、「モノ」の存在感を極端に際立たせ、さらに「美術」の場・約束事において力の構造を反転させるものだった。
イサム・ノグチが石の彫刻によって切り拓く領域は、美術の約束事や力関係の再考、即物的な存在感による場の再考といった域を遥かに超えている。
石の物質性は確かにあるが、即物的な物質性の議論などではない。確かにこれらは石には違いないが、石としての存在を超えていて、例えばこの「世界」の成り立ちや全体像としての時空間へ眼を向けさせる。そういう人外のスケールの領域があるということを、超凝縮し、その中へと導いてゆくのだ。本来は見えることもなく、来ることもない「未来」、その可能性を見て感じられるようにしたものだ。水晶を翳すときに生じるプリズムによって「光」をごく僅かに、しかし断片的にでも認識できるようになるのと同様に、これらの彫刻によって「世界」の次元の一端が姿を現わす。断面だ。面に、終わりのない時の流れが現れる。
断面だけが強調されているわけではない。石・岩の表面も素の表情を見せている。錆びのような、鮫肌のような、砂漠のような、鳥居のような…だが普通の石や岩と全く異なるのはやはり、切断があり、断面=水平・垂直をもって他の岩と接続されるところにある。
ミニマルなランドアートの趣きすらある。彫刻というから話がうまくいかない。規模感が違うのだ。モノとしてのサイズは彫刻だが、体感的には空間、地形の域にあって、一目で一望し把握できる規模のものではない。目で石を見ていると、全体から急激に細部へ、点へと吸い込まれ、いつの間にか垂直の壁に張り付いたクライマーの視座になっている。私はそれらの真っ只中に立っている。両足は石の中にあって、その凹凸や断面の黒の中に、黒い光の中にある。天地は逆転し、東西南北は無意味となり、切り立った零度の斜面に私はいる。「私」が極小化され、石・岩は逆説的ランドアートとして、モノの中に無限の地形を秘めた空間となって展開されてゆく。
◆ツアー前半2:展示室、エナジーヴォイド
敷地の奥にある大きな蔵に入ると、展示室だった。愛媛県の宇和島にあった酒蔵を移築している。
こちらにも多数の石の彫刻が置かれている。
暗がりにひときわ黒く、大きく光る、巨大な螺旋のような剛体がある。それは金属のようであり、石の極みであり、宇宙のように「無」であった。この世のあらゆる次元に位置する空間を、遥かな遠さから仏の眼から見たように、黒く光る「無」がそこにある。
高さ3.6m、重さ17tの大型作品「Energy Void(エナジーヴォイド)」。
これを収められる高さの空間を求め、わざわざ愛媛県から酒蔵を譲り受けて、移築し、展示室にしたという。
作者と関係者の異才、卓越のエピソード、庭園美術館のこだわりにまつわる一切は、説明の言葉がある時には絶対的中心である。だが声が止み、文字もなく、依るべきスマホやカメラも手に取れない今、それらは全てヴォイドの周りを空虚に回るものでしかない。ヴォイドは黒い宝石であり、筒状の宇宙として目の前にあり、目の前の黒の中で「私」は明らかに浮遊し、漂っていた。夢ではなく覚醒でもない。日常でも非日常でもない。時の流れが流れそのものとしてただそこにあり、流れは何処にも辿り着かず流れのままに「ある」。
黒光りする石、外界の光を反射し、一方で、石の内側に湛えられた純度100%の「黒」が光ってもいる。わざわざ蔵の戸を全て開け放ってくれたのだが、それは要らなかった。正面の扉だけが開いた状態、建物向かって左の隅で、暗い影の中に秘められていたヴォイドが、恐ろしく美しかった。
恐ろしく美しい。理解ができないものは皆、そうだ。長すぎるトンネルのように、自分が何処にいるのか、自分はもう既にいなくなってしまったのではないかと不安になるが、終わらないでくれとも思う。時間だけがある、前後左右のない時間がある。ヴォイドは宇宙や現世をその外側から見たときの姿形なのだと知った。「思った」「考えた」のではない。カラビナのような形状で、全てに丸みを帯びた黒いそれを目にし、眼がその内側へ取り込まれ、全身が相転移したときに、「知った」のだ。
後のことは覚えていないが、暗い影の中で黒く輝くエナジーヴォイドは、私にとって明確な希望になったことは確実だった。「こういうものが現に存在するならば、自分がこの世に留まる理由になる」という実感だ。これも考えたのではなく言葉は事後的なものだ。救いということになる。ヴォイド、ひいてはイサム・ノグチ作品は、無機質な、無機物の仏教なのかもしれない。あるいは、禅を取り込んだ西欧の理知か。
◆ツアー後半:庭園・自宅、丘、あかり
ツアー後半は庭園やかつてイサムが住んでいたという邸宅を案内された。
イサムの邸宅の中には入れなかったが、入口や窓から垣間見るに、自宅というよりこちらもアトリエ、人が集まって談義する場に思えた。
日本家屋の間取りの基本を知らないので標準形か分からないが、中央の居間にあたる部屋は、中央に水滴のような黒く光る半球体と台座の彫刻が鎮座し、それを囲む床は土間かどうか判然としない、部屋の四方はその一段高く畳や板が敷かれている。こんな中央(宙)が空の空間でどうやって生活するのか想像がつかない。
覗き見ることができるのは断片的だが、使い込まれた古民家ではあるものの、生活感が感じられず、和なのだがソリッドさがあり、空間はイサムの彫刻作品と同等の質を備えているように感じられた。「あかり」シリーズの照明が灯され、ますます作品的さと「和」の合わさった場となる。2階部分もあるようだが全容は全く知れない。彼にとっては生活が即、創作であり作品だったのだろうか。
イサム邸宅の外では石の階段が続いている。白く大きな石に誘われて、踏みしめて上っていくと、快感がある。良い石は単純に歩くことすら快感に転換する。上ると、青々と草の生えた広場に出る。「彫刻庭園」である。
庭園は自由散策してよいという。ここにも岩の彫刻作品が立っているが、ツアー前半にアトリエ周りで見た彫刻作品とは趣きの異なり、人の手があまり入っておらず、もっと荒々しく、古代からやってきた石に見える。すぐ上にはこんもりと曲面を描く、小高い丘がある。
庭園の脇、松や桜の木の生えるあたりに、神社の鳥居を集めて埋めた遺跡のように、細長い長方形の石が並べて敷かれている。そして石舞台古墳のように、巨石が桜の木の下に横たわっている。生前のイサムはここで花見をしたらしい。無機質なようで、粋だ。
丸い丘に登る。球面を回り込んでいく。草は全て短く刈り込まれている。庭園の周囲は木々が生えているので、おそらくわざわざ何の変哲もない山を切り拓いて、平らにし、見事な丸みの丘を作出し、更に枯山水のように大小の白い石を配して流れを作り、造園したのだと思う。イサム・ノグチの印象がまた大きく変わり始めた。アトリエを見て、自らの手で日々、石を削り、穿つ職人という認識を得たが、丘を見て、多数の職人を指揮し、地形もろともデザインし彫刻的に造園する監督者、プロデューサーとしての顔も見えてきた。振れ幅が大きく、それらの仕事を一人の人物像として統合するには、私の想像力では不可能だった。勿論、ともに作品を造ってきた石彫家・和泉正敏の存在は無視できないが、もっと大掛かりな力を見たのだ。
丘の頂上に立つと、屋島の戦艦のような横顔が正面に見える。それを、卵のような岩が眺めやっている。秘められた未来への予兆のような丸い岩が、少し斜め上を向いて、丘の頂上に鎮座している。一体何年間こうしてきたのだろうかと思わされる。庭園の歴史でいうなら30~40年だが、年表的な時間軸は二つの岩の間にとっては無意味だ。卵の岩と屋島とがそれぞれ経てきた時間は百万年、1千万年の単位に及ぶだろう。遥かに過去から刻まれてきた時間が圧縮されたもの、時の結晶体が、石や岩だ。その「時」が対峙して、断層の中に未来に似たものが生じている。
また未来という厄介なフレーズが出てきた。勝手に想起されるので止めようがないが、古層としての屋島の地形に、卵型=未分化、これから生まれるものの象徴という対置は、否応なく人間のイメージを刺激する。こういうところにイサムが「美術家」である所以を感じる。庭園美術館だけを見れば極めてソリッドな禅の彫刻家だが、それ以前、1920-40年代の作品を見ると、まっとうに抽象とシュールレアリスムを取り入れた西欧美術家そのものなのだ。
なんと多面的で多彩なことか。北大路魯山人とも関連付けて論じられるのも頷ける。全く人物像が定まらず、複数のイサム・ノグチを抱え、私は丘を下りた。
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他にも言いたいことがあったかもしれないが、いったんはこれで終わりにする。鑑賞時間はたったの60分足らずで、なのに何週間もかけて超時空の探求をしてきたような思いがする。実際、誇張ではない。文字に起こすためには、写真集や書籍の力を借りて、時間をかけて振り返る必要があったのだ。その場で記録撮影ができなかったことで、深まった部分もあれば、大きく失われた記憶や印象もある。それを時間をかけてまた取り戻して言語化するのに、一か月が必要だった。
なぜ丸一か月もかけてこんなに面倒なことをしているのか? 私はイサム・ノグチに執着しているのかもしれない。心の一部をあれらの作品群、空間に置いてきたように、気持ちがどこか囚われている。やはり救いだったのかもしれない。と言いながらも浅薄な消費者に過ぎないから、リチャード・セラやウォルター・デ・マリアを突き付けられ、取り囲まれたら、同じように「救いだ」と譫言を漏らしているだろう。鉄、黒、零度、時、無属性の時空は、どれも救いだ。
しかし庭園を成立させているのは、作品だけでなく、日々の管理・清掃という人力によるところが実に大きい。庭園の多くは土、砂地である。数十人の鑑賞者が歩き回った後には、少なからず土が乱れる。それを徹底的に掃き清め、聖なる状態に戻している。リセット、無、回帰。ランドアート的だが枯山水なのだ。膨大な手間がかかるため鑑賞できる日時が限られているのだと知った。
ちなみに、庭園美術館に来るまでの道中、「牟礼源平広場」には、イサム・ノグチ作の遊具が2点常設されている。赤いテトラポッド様の「オクテトラ」と、甘いドーナツのような「プレイスカルプチュア」だ。これらはゆるくて、楽しい。


( ´ ¬`) 完。