nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展】R3.12/8~12/25_ ブルームギャラリー コレクション展2021「林直|上野王香」

不思議な取り合わせの二人展だ。ガチンコのモノクロフィルムの写真作家・林直と、微細なコラージュで儀式のような配置を施す作家・上野王香。2022年に同「BLOOM GALLERY」にて、それぞれの個展が予定されており、本展示はそのプレ展示のような企画だ。

二人の作品はかなり異なるが、新型コロナの禍中で作られたという共通点がある。

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【会期】2021.12/8~12/25

 

 

入口の通路には上野王香、奥の部屋に上野と林、二人の作品が並ぶ。全く異なる作風なのだが、両者とも落ち着いた世界観のためか、同居していて違和感がない。普通に観れてしまう。

 

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◆上野王香:無題(2010)、《卵中(Her Egg)》(2019)、無題(2021)

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上野王香作品はコラージュで、いずれも雑誌の写真の切り抜きと種子や紐や毛などの小物とが組み合わされ、シンプルな下地に貼り付けられている。

 

各パーツは囁き声のように小さくまばらで、黄金ぽい下地の「間」が大部分を占めている。この下地が存在感を示すので、襖絵や屏風絵などの日本画のようでもあり、しかしパーツを読み解けない意味不明さと、日本人離れしたセンスが際立っていて、アラブあたりの宗教的な古典芸術のようでもある。母語なきイメージだ。

 

こうした点が、ファッション誌やグラフ誌の写真がベースでありボディである岡上淑子のコラージュ作品とは全く違った世界を展開している。写真パーツの組み合わせは非現実的ながら、サイズが小さく振る舞いも静的で動きがない。シュールレアリスムな絵柄ではあるが、写真コラージュそのものより全体の配列のバランス、配列の美学が働き、全体は象形文字ならぬ配列の暗号となって、異国の信仰や秘術を見るような不思議さと、解けない意味への誘惑を帯びている。

 

だが母語なきイメージは全てがナンセンスなのではなく、小さな「分かるイメージ」も織り交ぜられているため、人によっては理屈抜きで、本能的に伝わるメッセージ性をもたらすようでもある。パーツ選択→元画像の置換→下地への配置という「選ぶ」行為の連続の中では、主観から脱した何らかの「無意識」が強く織り交ぜられていても不思議はない。

《卵中》シリーズではまさに生命を孕むこと、新たな命が育つことを無言のうちに強く暗示している。

 

◇無題(2010)

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人間を鳥に置き換えたキャラクターを中心に据え、炎や光が配される。鳥人間は可愛い。意味は全く分からない、物語を考えようと思えば作れるのかもしれないが、近代漫画と違って時系列の枠組みがないので、絵柄の配置だけが魔術の式のように力を湛えている。

2枚組の図柄なので必ずこの2枚合わせで意味があるのだと思う。右(本サイトでは上側)の図では兵役とスーツ姿の男性、左(下側の図)では女性を現わしているようにも見える。性と社会的な役割、あるいは性的な役割があるのだろうか?

 

 

◆上野王香:《卵中(Her Egg)》シリーズ(2019)

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2019年11月には同ギャラリーにて《卵中》シリーズの個展が催されており、上野作品の世界観を語る上でも核となるシリーズだと思われる。今回出された8点組が全てかどうかは不明。

先の2011年《無題》と同じタイプの作品だが、繊細さと精度とテンションが高く、こちらの意識を引き込んで離さない迷宮のような力がある。明確な生命観だ。

 

《卵中》シリーズには作者ステートメントが提示されている。コラージュ制作は生命の胚胎の過程とリンクしている。卵子精子が出会い、奇跡的な確率で生まれた受精卵が、ケシの実ほどの大きさになるには5週間かかる。その頃には既に心臓に4つの部屋が作られている、さらにその5ヶ月後の女児の内部では500万個の卵子が作られている。命は命(卵)の入れ子構造なのだという。

 

そうした事柄がこの配置の中に秘められている。

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これを抽象性の高さと呼ぶべきか、いや、具体物が余白の上に宙吊りとなるがゆえに意味が働かず、断ち切られた名詞の機能は逆回転し、近くのパーツ群同士を引き込んで、それぞれのかたまりは暗号体となる。

ここでは「写真」の登場はごく僅かとなり、大半はリアルな造形物で、金・銀のリキッドメタルの塗料を塗って貼り付けている。どちらも時間の流れを止め、ゆえに人間の感傷を立ち入らせないため、永遠に生きてゆく儀式、方程式のような印象を強める。

 

卵子精子の邂逅、新たな命の胚胎と言われてもなお、会場の私には謎のままだった。(生命のバトンに疎いせいだろうか。) 言語を持つ以前のヒトが、重要な天恵や秘め事を伝えているかのような、シンプルにチャート化された何かの儀式のフロー、古来の伝承を強く思わせる。関連を示す糸の連なりと黄金の輝きは、通貨のなりたちと流通、交易の様子を表しているようでもあった。

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こうして写真で紹介していてもポテンシャルが伝わらないのだが、ごくごく微細な種や皮や糸などの持つ質量、造形の膨らみ、尖り、陰影が、金色の輝きによって人智の外にあるものとなって独立している。

フィルム写真がその名の通り「銀塩」の白黒の平面に、外界のあらゆるものを焼き付けて記録するとしたら、本作は逆に、いち個人の内側に起きた重要事を黄金によって象徴し、普遍化させたものと言えるだろう。

 

8点のうち4点は造形物がメインだが、残り4点は印刷物の写真のコラージュがメインだ。こちらも容易に言葉へ置き換えられるものではない。

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絵柄がふっくらとしている。確かに腹部の膨らみや、そこに託されたエネルギー、連鎖のようすを見ると、受胎・妊娠、次の子孫の継承といった図式が分かる。だが会場でパーツの配置を食い入るように見ていた私はそんな構造すらも見失い、果てしない魔術の世界に引き込まれていた。

 

上野王香作品を中東の伝承や秘術のようだと感じたのは、丸い絵柄と暑そうな地域の服装、女性が顔を隠しているという典型的な姿、そして下地の金色に近い土色が、砂漠の国を思わせたためだ。また、炎のイメージが周囲に細かく配されているのも効いた。全体的に抑制されながらエネルギーは高いのだ。

 

エネルギーの流動、伝播、人から人へ受け継がれて、そうして世界が出来ている図として見えるので、前述のように「貨幣の流通」のようだと感じた。だが貨幣のように分かりやすいものではない。曼荼羅を分解して在野の人間をベースに描いたらこのような感じになるのだろうか?

 

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◆無題(2021)

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2021年・新型コロナ禍の中で作られた新作だ。

《卵中(Her Egg)》シリーズとは構造が大きく変化し、写真はコラージュの外に飛び出して、コラージュは植物の種子や皮など、身近に手に入る材料から組み合わされ、電子回路のような造形を成している。

 

写真はその隣で類似するイメージを指し示す。イメージの答え合わせの正解としてではなく、虚実が反転していて、イメージの本体は種のコラージュにあり、写真はその影となっている。

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種子や皮などの微細なパーツからなる「本体」は個別の造形物が主役であり、それらが織り成す全体の姿もまた主役である。宝飾品に似た輝きと独自性を誇っていて、自然の産物とも手技によるものとも付かない。それは写真と併置されることで、幻想や手工芸に留まらない、「イメージ」との関係性を語るものとなる。

 

イメージとは何か? 人々の間で一定の共通した質感と輪郭を持った像、共有されているもの、まるで貨幣だ。どうも上野王香作品は私に貨幣の根本的なものを思い起こさせてならない。

 

 

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入口にあった画材道具箱は作者の七つ道具だった。素材を貼り付けて金色・銀色に塗るリキッドメタルは、日本では手に入らず、海外から仕入れているという。

 

 

◆林直《きおくの記録》

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展示作品は6点、いずれもBLOOM GALLERYでは未発表のものだ。大判カメラと手焼きで丹念に仕上げる、職人仕事のモノクローム作品である。描画の細かさと確かさに満ちていて、精神的な奥行きをも感じる。

 

これらは写真集『みつめる写真館』冬青社、2015)のシリーズに連なる。2007年から参加者を募り、持ち主の「大切なもの」を撮影するプロジェクトで、写真と共に持ち主の言葉を添えている。

本作は、新型コロナ禍で外出の憚られる状況下、自宅で、自身の過去の記憶に向き合うようにして撮られたものだという。

 

「記憶」は他者には見えない。モノそのものにも「記憶」が貼り付いているわけでもない。ある人・主体がモノや風景に対して一方的に抱く感覚であり、移ろいゆく情感や出来事の依り代としてそれらと関係を取り結んで留保されうるのだろう。ではモノを写した写真は「記憶」をどう語るのだろうか。

 

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年代を重ねたモノとは、身長を測った柱や、無数の傷が刻まれた祖母の机、年季の入った地球儀やレコードなどで、いずれも傷や経年劣化が目立ち、あるいは本来なら今はもう一般的には使われていない品物などだ。

 

作者=ある個人の持つ「記憶」とは、身近なモノとの間に重ねられた日々の積み重ねである。観念論ではなく物理的に「記憶」を撮るとは、その積み重ねの主観的歴史にまつわる物証を見つけ出して、モノとして撮影・提示することであった。つまり傷や凹みなど経年変化・劣化を尊厳を持って撮ることを指す。

 

モノクロームは現在性、記録性を停止させ、それが何時のものか、誰のものかを不問とさせる。

体、特に肌に刻まれた傷が歴史を語り、ある個人そのものを語る・・・石内都がさんざん教えてくれたことでもあるが、石内作品では傷が個人であり、主張なきところに個人の尊厳を見い出すものだった。本作は逆で、個人の持ち物に刻まれた傷や風化を、モノクロームと光の表情から、作者の脳裏や胸より解き放ち、見る側の懐かしさや思い入れ、つまり不特定多数の記憶を呼び覚ます汎的なイメージへと変質して、こちら側へシンクロしてゆく感がある。

 

見ていて、誰の持ち物なのか、誰が付けた傷なのかが不確かとなり、自分が祖父母の家で見て触れてきた様々な品などを思い起こしていたりする。微細で力強い描画の「奥行き」がもたらす没入感ゆえだろう。

 

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実はこれらの作品はけっこう大きい。マットサイズで大全紙(508×610㎜)ぐらいある。

毎度毎度、けっこうな枚数の写真でブログを書いておきながら「この写真では作品のことが伝わらない・・・」と自分で否定的なコメントをしているが、本作もそうで、写真のサイズと撮影・プリントに係る労力がまるで伝わらない。手焼きだと紙が大きくなることの負荷がものすごいのだ。

 

作者のHPで具体的な作業が紹介されている。画像データで大伸ばしを機械的に注文するのに慣れてしまうと、こうした写真の身体性とかスケール感を忘れてしまうね。

hayashi-shashin.com

 

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という感じでした。

 

上野王香さんの別の作品も見せてもらった。

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パーツの配置がおしゃれなんやで。「間」の使い方がやはり上手い。

 

またそれぞれの個展が楽しみですね。

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