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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R6.3/20-24 TIPAアートプロデュース2024「徳永写真美術研究所に関わる作家7人の個展と研究活動の報告展」@enoco(江之子島文化芸術創造センター)

TIPAアートプロデュース2024「徳永写真美術研究所に関わる作家7人の個展と研究活動の報告展」、企画全体のレポ。普通の「写真展」だと思って行くとかなり混乱する(しました)。

写真という枠に全く囚われないジャンルレスな手芸的な作品と、従来からお馴染みの写真プリント作品とが共に提示される。

本企画は「徳永写真美術研究所(TIPA)」に関わるメンバーが1年半の準備を経て開催された、成果発表展である。

enoco4階のフロア全体:全8室を用いたわりと規模の大きな企画で、展示構成は「創作実験クラブ」の合同展と、研究所に関わるメンバー7名による個展7つだ。

 

「TIPA」は徳永隆之・徳永好恵の二人が運営を行い、各種講座・ワークショップで写真表現を教えつつ、二人とも作家としての活動を行っている。2008年から大阪の鶴橋でスタートし、今に至るまで写真と美術を中心に研究を行ってきた。関西の写真文化を下支えしている機関と言えよう。

tokunaga-photo.com

 

以前から会の名前は目にしていたが、具体的な活動内容を知るのは今回が初めてだ。会の名前もさることながらホームページでもフィルム写真の基本的な技術、暗室ワークをしっかりやっているようだったので、伝統的な写真をやる教育機関なのだと思っていた。実際そうなのだが、会場に来て驚かされた。もっと多彩で幅広かったのだ。入って早々に「写真」と呼んでいいのか分からない作品が続くので、別の団体の企画が同じフロア内で混ざってるのかと思ったぐらいだ。

 

では各展示の傾向や構成を概括しよう。

 

◆写真離れした作品_創作実験クラブ、水谷俊明、出村実英子

最も「TIPA」の活動内容をよく伝えていたのが「創作実験クラブ活動報告」だ。

主催の徳永好恵を含むクラブ部員6名(興津眞紀子、佐藤亜希子、建石芳子、谷口正彦、出村実英子、徳永好恵)による作品展示だが、芸大の卒展で染色や織物、手芸、版画など多分野の生徒が合同展をしているような様相を呈していた。

これが比喩ではなく「写真」のフォーマットを領域横断していて、気持ちいいぐらい別ジャンルの展示となっていた。

時間の都合もあり個別に詳細を見ていないが(点数が非常に多い💦)、例えば像の転写・焼き付け、記憶の継承、物の色や形を別の素材へ転移させて変形・加工させる、素材の探求、等々の表現的試行を行った成果と思われる。

 

「創作実験クラブ」の活動内容は、「徳永写真美術研究所 運営日誌」に記録されている。やはり写真に留まらない活動である。

blog.goo.ne.jp

自由である。

「TIPA」における、まず各自の手でやってみよう、やっていく中からテーマ性を見つけてみよう、という遊びの実践姿勢を性を感じた。

 

クラブメンバーとして参加している出村実英子は、個展「存在と蔭」も展開していて、こちらは一室まるごと幻想的な光の透過と反射の間としている。

真綿、ナイロン糸、水彩紙などが素材に用いられ、吊るされている。それらはモノとしては制作物であり作品というべきなのだが、それらが光に干渉して空間に落とす影や反射・透過する光こそが作品の主役である。素材のテクスチャーや掲げられたモノの形だけでなく、本来は透明なものとして度外視されている「光」の表情に目を向け、影と不可分な揺らぎとして体感する作品である。

 

水谷俊明「origami frottage - 見えない光を掬い取る」は、青い紙を卵パックのように規則的に折り続けたパターンから成る正方形が主たる作品として提示する。

水面の波にしては規則的すぎ硬質的で、風景とは呼べず、何かのオブジェにしては平面すぎ、無論「写真」とは似ても似つかぬ形態であり、これは一体何なのかが分からなかった。ここ写真の展示ですよね…(最初にこの展示から入ったので戸惑いが凄い)

天井、壁、机にオブジェ?が配され、風と水のある光景をイメージした部屋のように感じられた。

作者の意図としては「紫外線付近の光に反応するサイアノタイププリンにより、人の目に見えない光(紫外線)が空気の流れに応じて揺らいでいるのでは、という想像を可視化した」という。青いのはサイアノタイプで、託されていたのは太陽光(紫外線)だったのだ。

折り紙様にしてサイアノタイプの技法で感光させることで、凹凸で生じる光の入りと反射がそのまま青の陰影を生み出す=光の空間が生まれる。

感光、光を扱うこと、光を可視化するという発想は、古典写真技法を手で実践しないと出てこない。1枚の写真作品を作るのではなく、サイアノタイプでオブジェ風に仕上げていく発想は独特なものがあった。

 

 

◆写真+α(徳永隆之)

通常にイメージするプリントとしての写真だけでなく、プラスオンで別の試みが付加された作品として、TIPA主催者の一人である徳永隆之「現実の向こうへ」がある。

これはボリュームがあったので個別に特集している。まあ私が勝手に盛り上がってボリューム増えただけなんですが。おもろいは正義なんすよ。

 

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◆プリントとしての写真(徳田優一、中井陽一郎、渋谷美鈴、東松至朗)

最後に、一般的に想像するプリントとしての写真作品を提示する4名の個展を紹介する。こちらもプリント写真とは言えジャンル・作風が全く異なり、驚かされた。個展とはいえ一つの組織が関わっている以上、枠がありそうなものだが自由である。自由にやることが共通ルールとも言えるだろう。

 

うち東松至朗「VIEW OSAKA 記録の街」はボリュームがすごいので個別に紹介している。これは作品の量と質のボリュームのみならず大阪の街の記録ということで、私自身の関心事でもあるためだ。

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風景という点では、中井陽一郎「水平線が泛かびくるとき」が非常にストレートに、水平線のある海景を扱っている。それもモノクロフィルムでのプリントだ。会場入り口から「写真なのか写真でないのか、というより写真的な要素を用いた自由創作」が続いていた中での、ストレートな写真作品。

写真文化、特にフィルム写真文化をレクチャーする機関であればメンバーがそちらへ偏ると想像していたが、ここでは幅広い選択肢の1つなのだった。

海景と水平線をモノクロ写真で、となると杉本博司「海景」シリーズの印象がどうしてもやってきてしまい、振り払うことができない。どうしたらいいのか。あるとしたら別のコンセプトから出発することで別の作品であると言わねばならない。

本作では海辺に4×5の大判カメラを据え、潜像―肉眼では見えない像としての海、水平線を描き出し、人の意識下に潜在的に有している記憶とそれが作り出す風景にアプローチを試みたという。コンセプトも行為も納得のいくものだったが、どうしてもまだ普通の写真に見えてしまう=杉本博司に呑まれる感があった。見せ方かも知れない。

渋谷美鈴「godness」ギリシャ神話や日本の神道などをモチーフに、モデルとなる女性らとの協働によって多彩な世界観のポートレイトを制作している。作者はフリーランスのフォトグラファーとして活動していることもあり、女性らを美しく撮ることに全力が尽くされている。ただし作者が重視する「美」には批判精神が含まれている。それは、身体や顔など容姿を不自然に触る「美」への抵抗だ。

言うても文句なしに美しいのだが、その美を実現するためにモデル自身の身体性、ポージングを重視しており、その姿の美も作者との世界観の共有によって成している。画像のレタッチ、加工を用いて顔や身体を変形させることが当たり前の時代であるが、逆に本来の身体性と「美」を引き戻すにはどうすれば良いのか?という取り組みは、AI画像生成の強度が高まる中、今後ますます重要度を増すだろう。

 

中には造形的な試みもあり、この作品では輪になった人物らの中央に石(水晶か)が直接貼り付けられ、画面全体で神秘性や永遠の美を表現していた。人物の部分は実際に輪になって折り重なるよう撮影したものと思われるが、周辺の闇や純白のオーラは後の制作工程で工夫されたものだろう。ネオ・ピクトリアリズムとでも言うのか、制作工程でデジタルの手の介入自由度が増えることで、写真は再び絵画に近付いていく。

同じ人物写真でも、徳田優一「Others」はその顔を確認することができない。人物はピンホールカメラによって浅く淡くでしか描画されず、光の中に溶け込むように立っていて、誰なのか、何者なのかを問うことはできない。いや、問うこと自体はできるが答えは永遠に与えられることがない。そのため「問い」がオーバーフローし、見る側へ逆流する。

すると見る側が見ているのは写真―人物―特定の個人ではなく、写真―光にかき消された人物の輪郭―(ID照合)→回答なし、人物の印象の持続→人物の同定―(ID照合)→回答なし、とループによって「人物」の印象→人物の記憶、つまりこちらの内部にアーカイブされたものを検索し照合する他なく、こちらの記憶を充填して「人物写真」であることを充足させようとする。

よって作者の制作工程とは裏腹に、観客一人一人で視ている人物が異なる。中にはストレートにこの茫洋とした像そのものの質感や描写を見ている人もいるだろうが、少し深入りすると個々人が自分の記憶から何かの人物像を注ぎ込んで作り出してしまう。実際に私に起きたのは「被写体は女の子(子供)なのに、30代ぐらいの女性を当てはめていた」という体験だった。

背後の光によって首が削られ、首が長く伸びて、モディリアーニジャコメッティの人物像に近付いていく点も、非実在の人物の印象→記憶→照合と充填へと転換を促していた。

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はい。計8室の展示でした。多彩でしたね。想像以上に自由で多岐にわたっていたのでびびった。

根底には「感光」「現像」「像の複製」といった写真原理がありつつ、成果物としては全員全く違ったものになること、これはInstagramTikTokでは味わえないと思うので、スマホ生活、スマホ内クリエイター活動に限界を感じたら、手を動かしたら良いんだと思いますね。手を!指ではなく!手を動かせ! そんな感じすね。やっていきましょう。はい。

 

( ´ - ` ) 完。