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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【KG+SELECT 2023】R5.4/15-5/14_【A7-A10】京都芸術センター

「KYOTOGRAPHIE 2023」サテライト展示「KG+SELECT」レポ。2会場に分けて催されたうち、「京都芸術センター」の4組のアーティストについてレポートする。

 

「京都芸術センター」では、別室でKG本体プログラムとして世界報道写真展 レジリエンス―変化を呼び覚ます女性たちの物語」が展示されていた。とにかくKGは展示数が多いので、同時に複数の展示を回れるのはありがたい。なお、今年の「世界報道写真展」は良かった。

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◆「KG+SELECT 2023」【A1-A6】堀川御池ギャラリーでの展示

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前記事で触れた通り、会場は二つに分かれているが展示作品の棲み分けはされていないようだ。

 

 

【A7】ジャイシング・ナゲシュワラン(Jaisingh Nageswaran)「THE LODGE」

今年の「KG+SELECT 2023 AWARD」受賞作品であり、来年の「KYOTOGRAPHIE 2024」でメインプログラムとして展示されることになる。AWARD発表はいつもは会期終了間際なのだが、今年はえらく早く、会期前の4/13に既に決定していた。その割にほとんどアナウンスが無かったので分からずにいた。評価されたポイントも不明である。

展示は最もシンプルで、奥の壁に大伸ばしのプリントが1枚、左右の壁にポラロイド(チェキ・instax wideと思われる縦横比)が横一列に直貼りされているのみだ。KG本体のみならず、KG+SELECTでも展示のインスタレーション化が進んでいたが、このシンプルさでAWARDを受賞したことは一つの転換・再考をもたらすかもしれない。

 

写真には、粗末なアパート?宿?と、そこに滞在する人達の姿が写されている。いかにも東南アジアの安宿といった雰囲気で、壁や床は汚く、雑多な中に人物の顔や手足が写り込む。90年代の荒々しさと自由とカオスを感じさせる雰囲気がある。と、説明を読まなければこれで話が終わってしまう。

 

実はトランスジェンダーの祭典に集まった人々が、変装や化粧の身支度をしている姿が捉えられているのだ。インド南東部の街・ヴィリュップラム(Viluppuram)地区がその舞台であると書かれている。もう少し調べてみると、そこから25㎞ほど離れたクーヴァガム(Koovagam)という街が祭典の場であることが分かった。普段は静かな街だが、毎年3~4月頃の18日間にわたってトランスジェンダーの祭典が盛大に催され、国中から参加者が集結するのだという。本作で写されているのはこの華々しい祭りの舞台裏、「女性」にトランスするところの姿である。

クーヴァガムの祭りの記事では、本作と真逆、変身後の煌びやかな姿の人達が並ぶ。それは伝統的な舞台演者のように統一感のある衣装と装飾である。

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インドでは、同性愛者などの性的マイノリティの人権は先進国よりも軽視されている印象があり、どうしてこうも大っぴらに祭典ができるのか疑問だったが、叙事詩マハーバーラタから語り継がれる神話に基づく祭典なのだった。主人公格であるパーンダヴァ5兄弟の一人・アルジュナ。その息子・アラヴァンは、戦争に勝つための祈願として命を捧げるが、死ぬ前に結婚したいと願う。それを叶えたのがクリシュナ神で、肌の青い美男子なのだが、モヒニという女性の神の姿となって現れアラヴァンの結婚相手を務め、結婚式が祝われる。その翌日、アラヴァンは死ぬ。

トランス女性らが参加する祭りはこのような、アラヴァンと結婚するために女性の姿となり、結婚式を執り行い、そして翌日未亡人となる、というヴィシュヌ神(モヒニ)側の物語をなぞって催される。

余談だが他にも「マハーバーラタ」は性について謎があって、パーンダヴァ5兄弟は王妃らが神々との間に作った子供である。これは、父親であるはずのパーンドゥは呪いのために女性に近付くことができなかったためとされる。また、クリシュナ神の女体形モヒニは他にも登場していて、シヴァ神を誘惑して一夜を共にし、合体、ハリハラという右半身がシヴァ・左半身がヴィシュヌである破壊と創造の化身になったりする。なお、シヴァ神は男性とされる。「性」が自由というか、月の満ち欠けのようにくるくるしている。

 

本作は神話と演技の祭典の裏側、トランスジェンダーがまさに「トランス」する現場、リアルな人間像を捉えた作品ということが分かった。なお作者の言葉に「宿でそこの人々と親しくなり、彼らの苦悩に共感できることに気づいた。」とあり、華やかさの裏にある影を示唆している。また、「私自身、カーストを基盤とするタミル・ナードゥ州南部の内陸部に住むダリット(不可触民)である。」と締め括っており、本作はぱっと見た以上に深く、複雑なところにある作品である。

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【A8】後藤友里「pop ropes」

華やかな自己演出、だが装いのテンションは高いわりにモデルの表情や動作はマネキンのように硬直している。しかも全員同一人物が様々な装いをしているだけだ。ステートメントによれば、「私」は孤独を埋めてくれる「誰か」を求めてマッチングアプリを始め、「200人の男性とマッチングし、9人とLINEを交換した」という。

この10行という短いステートメントは、「これは私が経験したかもしれない恋の話だ。」と締め括られる。つまり、ここで登場する/語られる「私」は、実際のマッチングアプリ使用体験を踏まえたものかも知れないにせよ、あくまで作品の中で繰り広げられる、フェイクのリアルを巡るフィクションとして捉えることができた。服装を含めて過剰な演出がなされていることからも、「作者」は演出の舞台装置であり演出家であり、あくまで主役は各キャラクターのアカウント=表象の方である。

最奥の壁に貼られた着せ替え人形を模した1枚が象徴的だ。メタな視点で言えば、「私=作者」が9名分のアカウントを同時並行的に使い分け、それぞれの物語を自演しながら、マッチング・出会い・恋の「物語」を実験的に演出してゆく、短編小説集の体裁とも言える。

 

さて各キャラがどのような戦略でプロフの文章と写真の釣り糸を垂れ、誰からアプローチされ、あるいは誰かを仕掛けにゆき、誰とリアルに会い、どんな顛末を迎えてゆくのか・・・は、ここでは明かされない。それぞれの登場人物について、社会現象として観察するか、自分が選ぶ・狙う対象として意匠の中身を空想するか、狩る側としての自分自身に置き換えて感情移入するか、そうした

ちなみに、「KG+」の枠組みで開催された「RPS京都分室パプロル」主催「PHOTOBOOK AS OBJECT」にも作者は本作「pop ropes」写真集「マッチングメーカー」を出品しており、主に写真集でマッチングアプリユーザーの辿る具体的なストーリーや内面について、まさに短編小説のように具体的に描写していた。そちらは作者一人の自演ではなくモデルを募集して作られている。「pop ropes」はマッチングアプリというテーマ/作品世界へ鑑賞者を導引するための入口、短編小説の各章のイメージカットのように効いている。

 

みんな幸せになれたかな。

 

 

 

【A9】小池貴之「Домой - シベリア鉄道

2020年12月に「galleryMain」で開催された個展と同じ展示で、旅情溢れるシベリア鉄道の旅の写真である。

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ただ、世界の状況の方が一変した。2022年2月24日、プーチン大統領が「特別軍事作戦の実施について」演説を行い、直後、ロシア軍によるウクライナ侵攻が開始された。それから現在に至るまで激しい攻防戦が繰り広げられている。米国、EU主要先進国はロシアに対し非難の意味で各種の経済制裁を実施しており、日本も足並みを揃えている。

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また、各国の領空をロシア航空機が飛行することも禁じているが、対抗措置としてロシア側も自国の領空飛行を禁じており、これによりロシアとの交流、渡航は困難となっている。仮に中東経由の便などで入国できても、ロシアから出国の手段が非常に限られること、国内でのデモや集会とその取り締まりなどで不安定な状況にあることから、外務省の渡航情報ではロシア全域で「レベル3:渡航中止勧告が出されている(当然ながらウクライナとの国境付近では最高の「レベル4」)。しかも2022年3月時点の情報から状況が固定されている。

この1年半ぐらいの間で、ロシアという国に対して認識を根底から変えなければならない事態になったこと、日・露の国交が正常でなくなり民間人の生活レベルでは交流が困難となったこと、かつてのロシアを含めた「日常」は今ではとてつもなく遠いものとなったことが確実に言えるだろう。

 

つまり本作は、作品の撮影された時期や被写体、制作・発表の形態は何も変わっていないが、社会の状況が著しく変わったために、鑑賞の意味・作品から見出される価値や意義が新たに生じた事例である。写真の記録性における特徴と価値とは、意図せざるものが写り込むことであると度々指摘されるが、本作に起きているのはそのマキシマムな現象であろう。

同じことがまさに2020年の新型コロナ禍・感染拡大に伴う社会・日常の激変期にも起きていて、特に狙い澄ました意図やテーマを持たないスナップ写真を相手に、そこに写り込んだ様々なものから日常の豊かさを再発見したり、緊急事態宣言下での生活とかつての日常との距離感を測ったりした。今置かれている「世界」のスケールや状況、色合い、風向風力などを測り直し、捉え直すのである。本作が「KG+SELECT」にノミネートしたのはその意義が評価されたためではないだろうか。

もちろん、主要先進国から明白な「敵」と見なされてしまった「ロシア」なるもの、そこに住むロシア人の素朴な実体について、改めて肌の触れ合う距離から見返す機会として本作が大いに機能することは言うまでもない。プーチン大統領が判断を誤らなければ多くの「ロシア人」と私達は今も変わらず、友好的に同じ列車で旅をすることが出来たはずだろう。全てはタラレバの話にすぎないが・・・。

 

 

前回の個展から追加された要素として、旅情や旅の思い出だけでなく現在の政情を反映したものに改めてられたステートメント、日本の方角を向いて撮ったロシアの空の写真と「誰も戦争を望んでいない」とのテキスト、そして紅茶調色サイアノタイプの新作「8000㎞離れた朝食」がある。サイアノタイプは抽象的な水彩画に見えるが、右下隅を齧った食パンの中央にAK-47用ライフル弾のフォルムが重ねられている。

 

「渦中の地から8000㎞離れた東京で何事も無くパンを食べ紅茶を飲む。そんなここだけの平和へのアンチテーゼとしてこの作品を制作しました。」作者にとっても、銃弾を込めた作品を作るのは本意ではなかったはずだ。平和的解決の訪れることを望む。

 

 

 

 

【A10】李卓媛(Sharon Lee)「If Tomorrow Never Comes(もし明日が来なかったら)」

淡い光、薄暗い視界の中で人物は消え入りそうになっているが、写真には時間が流れないので、消えることはなくいつまでも留まり続ける。結果、追憶の中を見つめ続けるようなヴィジョンがそこにある。写されているのは作者の家族や友人で、「すでに私のもとを離れた人もいれば、もうすぐ離れていく人、あるいは決して離れないであろう人もいる。」とある。身近な人物であるにも関わらず顔面が消えていて情報が失われているのはどういうことだろうか。

答えはもう一つのシリーズにある。ポートレイト群とは対照的に、カラーで明確に写し撮られたモノの写真は一見何を撮ったものかが分からない。日用品のようでいて手が加えられ加工されている。アート彫刻作品かとも思ったが身近な人物の写真群と関連がなさすぎる。ステートメントを何度も読んで、どうやらモデルとなった人たちにゆかりの物をピンホールカメラに改造し、それを用いて本人を取ったのがこれら朧げなポートレイトであることが分かった。加工は、カメラの眼の穴だ。

 

あえて身近な人を、その私物からピンホールを作り、それで不確かな肖像を撮ったこと、そして「もし明日が来なかったら」という不穏なタイトルが付けられていること、これらの意図を解するのは困難だった。

だが作者が他にも植民地支配の歴史とモニュメントに関する作品を制作していることや、1992年香港生まれの作家であることなどを踏まえると、やはり「香港」という歴史的・政治的に微妙な行政区、大国の意図によって揺れ動く身柄であることに思い至らざるを得ない。かつては英国の植民地であり、一時期は日本の統治下に置かれ、日本の敗戦後は再び英国の植民地に復帰。しかしそれがゆえに経済的にも民主的にも発展を遂げ、中国大陸内にありながら独自の、西側アイデンティティーを形成してきた。1997年の中国返還以降は一国二制度の原理が敷かれるも、習近平政権からはいつしか自治が脅かされるようになる。2014年のデモ以降、締め付けは苛烈さを増し、2019年の苛烈なデモ抵抗もむなしく、2020年の香港国家安全維持法は民主化運動を沈黙させる決定打となった。

こうした背景を重ね合わせるとき、「香港人」はどこへ行こうとしているのか、未来は来るのか、そうした問いはひどく現実的な問題と、個々人の中に宿る孤独や不安としてそこに立ち現れる。

 

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( ´ - ` ) 完。