nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】2025.5/24_瀬居島「SAY YES」@島内、旧瀬居小学校、瀬居幼稚園/瀬戸内国際芸術祭2025(春会期)

瀬戸内国際芸術祭2025瀬居島の端々を巡る「SAY YES」の旅。2025.5/4に行って、全く見終わらず、おかわり不可避、5/24-25土日・春会期の最終日に再来をキメたのであった。

 

前回なにやら感激したというか、「瀬戸芸ええやん」「瀬居島SAY YESええやん」と、認識と気持ちを揺さぶられた我々は、その日の帰路にもうおかわりを決意。そして5/24、朝の5時6時から車を飛ばして瀬戸大橋を渡り、朝10時に再び瀬居島に降り立った。瀬居島は瀬戸芸の春会期しかやっておらず、とにかく行くしかなかった。

 

5/24(土)はあいにくの雨と強い風で、各島への航路は運休し、橋を渡るときにめちゃくちゃ煽られてすっごい怖かったですよ。あいにくすぎるわ怖い。真の煽り運転 by 風。ハンドルがあんなに持っていかれたのは雪の日光でスリップして以来のことだ。冷や汗をかいた。天晴れに晴れていた前回との落差が激しい。

 

まあまあな雨の残る中、土がドボドボ、ヌルヌルにえぐれた瀬居中学校グラウンドに車を停めて、バスに頼らざるを得ない島巡りとなった。レンタサイクルしたかったが雨がしつこい。まあいいですバス乗ります。そして島巡りと呼んでいるが今やもう陸続きになっているので「島」ではない、けれどなんだか「島」と呼びたくなる雰囲気がある。前回の中学校の作品による影響かもしれない。

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◆島内(竹浦~北浦)

前回5/4(日) 旧瀬居中学校のレポには誤りがある。瀬居島プロジェクト「SAY YES」が中学校・小学校・幼稚園だけしか会場でないような書きぶりになっている。違う。瀬居島の端と端も「SAY YES」だったのだ。

チャゲアス・・・いや。彼らは関係ない。瀬戸内海と瀬戸大橋と、平らな工場群と青空とが生み出す90年代的近未来の憧憬が、キュレーターにその言葉を漏らしめたのだ。

中学校から先にも車道が延びているので、車で一周できそうに思うのだが、瀬居島(瀬居町)の道は東側の「竹浦」、西側の「北浦」ともに途中で尽きている。島(町)の北側には山が跨がり、巨石群だの展望台だのがある。島を巡るには中学校で車を置いて、レンタサイクルかバスを使って東西の両端を往復せねばならない。

バス、、、時刻表に合わせて作品鑑賞しなければならないのはやや気が重い。動画映像があればタイムが大幅に狂うし、寄り道散策は当然できない。X(Twitter)への短観投稿も後回しとなる。来場者はみんな雨でバス停に並んでるし、この人数が同期して島内を動くのかと思うと、めんどくさい。都市生活者はこうしてあれこれと効率性に気を揉み、せわしなく、寿命を削る。ああ哀しい。永久にコスパを気にして生きていくのか。猫を撫でたいな。

 

まず竹浦へ行くことにした。ぐねぐね道をバスがゆく。対向車とぶつかりそうな勢いのカーブ。チャリで回るのはしんどかったかもしれない。

着いた先は「島」そのものの、小さな漁港と集落の真っ只中だった。海と家屋が近い。ああ、これは求めていた瀬戸内海の「島めぐり」だ。晴れていたら良かったのに。

 

といいつつ、古民家や古公民館など、屋内の展示に観客が集中したらいやだなと、せわしない打算的心情はどうにもならず、傘をさしながらせこせこと小走りで行動する、都会人の悲しい習性が加速する。誰やねん島じかん満喫したい言うてたのは。体内時計を壊せない。

 

◇槙原泰介「アーム」

竹浦漁港の端っこへ回り込み、MAP片手に作品のあるはずの空き地を見やるが、青いプレートしか見当たらない。

雑草の生えた空き地の中に、巨大な金網を筒状にして、手前から奥へと「く」の字に斜めに置いたオブジェ?廃材アート?がある。アートか? まさかと思ったがこれ以外に作品がないので、工事の資材みたい作品ということで間違いないだろう。隣や奥には使われなくなった廃材、パレットが積んであり親和性が高いというか廃材そのものというか。

 

そしてまさかと思ったが、金網の筒の先に、握り拳のような巨石が台座に置かれていて、それが遠近法によって金網の筒が腕、力を込めてグーしているように見える。いやこれまさかのダジャレ的見立ての風景作品なのか。想像以上のベタさに感服。

しかしこの拳としか言い様のない巨石は何なんだ?わざわざ飾られている。

Mapには「げんこつ石」とある。

 

この岩の歴史、地元民との関係が、老人いこいの家・和室にて語られる。かつては海から顔を覗かせていた、地元でも名物の岩で、「グー石」と呼ばれ親しまれていたらしい。海遊びの時に子供らが登って飛び込む岩だったと。

当時の写真や、作品スケッチ、ヘミングウェイ老人と海などが展示され、中央のテレビに制作モノローグ映像。「げんこつがあるなら、腕もあるのではないか」と真面目に海に潜って探すところに、作者の作家性がある。そこから「幻の腕」を巡る想像力が発揮され、日々の生活における腕の仕事から『老人と海』における腕の働き~巨魚との死闘が連想され、島・海の歴史と漁と身体と文学とが無線のように接続される。



 

◇袴田京太朗「アフリカの母子と闘う女の子」

島の端に来たようで、謎の鳥居、竹藪、木を切り開いた簡易駐車場の平面、その先に海があって、更に先に白い菩薩像のようなものが見える。曇天の雨の中に白く輝いている。

 

海の手前には大きな岩が連なって段差になっている。岩の上に真っ白の、異国風の女性の像が立っている。近付いて見てみたいが、海岸はかなり高低のある岩の段々が連なり、波は静かだが雨に濡れているので、歩いては辿り着けそうにない。

 

奈良・飛鳥時代の菩薩像のような、悟った微笑みと細長の面立ちに目を惹かれる。細く尖った顎と乳に目がゆき、アフリカ系原住民のデフォルメなのだと気付く。大体のことは顔と乳を見ればわかる。そしてタイトルを見てアフリカモチーフなのだと納得する。と同時になんでここでアフリカなのかと謎にはまる。アフリカの母子が闘うべきものがこんな瀬戸内海にあるだろうか?ない。ないのだが、あるのだから仕方がない。というより真っ白なのでアフリカというより地元の観音と見える。

 

明らかな異物を、調和に満ちた風景に投入することが試みられているという。政治的人道的な訴えでは全くない。安定化された景色を揺さぶって「風景」を抽出せしめる手法だ。もちろん観ている際には方法論など気にしていない。結果を享受しつつ活用し異世界を見ようとするのである。乳・・・

 

小西紀行「島の画家」

古民家の一階・二階を使って絵画を展示する。瀬戸芸らしい展示だ。ただよくある地方芸術祭の作品と違うのは、絵の迫力と現代性である。

家族の肖像がある。顔が溶けている。衣服がない。輪郭とパーツの造形をあえて溶かして写実を抜き、一方で人間個体として抱える情念や澱のようなものを残された陰影と凹凸に宿しているから抽象的なのでもない。人物画であると同時に具象と抽象との区別を溶かしている。筆致と描線が主題を呑み込んでいる。線が線でなくなる。

人を描きながら「絵画」そのものを描いているというべきか。マルネーレ・デュマスや加藤泉を想起させたところに現代性を感じたのだ。人間の精神を描いている、といった曖昧な「好いもの」ではない。個別の表情が残存していてそこには個人がある。

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ここで移動。うまいことバスが来ていて、反対側の北浦へ向かいます。

北浦の端に作品が一つだけあるのだ。距離感がよく分からないからカットしようかなとか思うんだけども「せっかくなので…」と、まあ行くよね。芸術祭の常です。

 

◆北浦、しましまのうみ

バスが着いたのは平らな漁港というか、全てが平らである。無人機械的な平地で、船がずらずら並んでいるわけでもなく、空き地、コンクリートと海面、そして白いコンビナートのタンクと瀬戸大橋が広がっている。山っぽい竹浦と逆に、フラットなコンクリートが続いている。

雨で傘が手放せず、写真を撮る気がなくなってて、ろくに残ってない。フラットやし道を間違えて危なかったす。

護岸には鮮やかなブルー基調の絵が描かれている。MAPには「しましまのうみ」とある。これは瀬戸内国際芸術祭2019にて関連イベントとして催された「神戸芸術工科大アートプロジェクト2019」の作品の一部。更に瀬戸内国際芸術祭2022で延長された。画家・中山玲佳と(主語が分からないが、大学生が?)描いたものだ。

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地域協力、地元と組んで綺麗な絵を描いただけと思っていた(情報がなかった)が、これも過去の瀬戸芸の展示だったんですね。こういうことは多々ある。「作品」としての特権的な、特別の位置づけが与えられていないと、意識から放流して見過ごしてしまうという。これは仕方ないのかもしれない、作品が作品であれる要件には、展示・プロジェクトの枠に入っているかどうかが大きい。あるいは逆に何もない時に、野ざらしにされたそれを見て、周囲から浮き上がった様に「作品」と呼ばざるを得ない屹立や個性を感じるか。

 

◇保井智貴「Next」

堤防の先に立っている白い少女の像。海/瀬戸大橋の方を見つめている。ポニーテール、マフラー、スニーカーとあどけない横顔が、地元の中~高生ぐらいを想像させる。この瀬居島あたりでこれまでティーンを迎えてきた人達の思念や面影が集合したもの、そのような存在感があった。

島の向こうを眼差している。程なくこの後、おそらく島から出て行くのではないか。進学や就職のために島の外へと巣立っていった、その歴史の積み重ねだったのではないか。少女は成長のなかで、島の外を眼差す。揃えた両足を、踏み出す。いつかそういう日が来る。

 

そんな、いつか来る「未来」の日が込められた像だと感じた。その意味では「SAY YES」の中でも反・ノスタルジー、反・過去の作品として、異なる属性を帯びているように思った。

 

◆旧瀬居小学校

いちいちバス移動してられへんから、島巡りやと思って、歩きますよ。雨量は大したことないのに傘畳んでいいかっていうと微妙に降ってるんやなこれが。なんて微妙な日だ。なお私の足元はズグズグでびちょびちょです。MERRELL(メレル)のトレッキングシューズは羽毛のように軽く、筋肉のように完璧にフィットしてくれたのだが、いかんせん素材(特に甲の部分の布地)が弱く、3年も履いたらあちこちが裂けて、水が入りまくってくるんや。グチュ。

 

意外と旧・瀬居小学校は近かった。少女像から10数分で到着。

おい二宮! 二宮金次郎じゃないか!本読みながら薪を運ぶことを美徳にするという、危険歩行を助長するからといって全国の小中学校から駆逐されたという都市伝説で名を轟かせた二宮金次郎!こんなところにいたのか!会えてうれしいよ。まだ本読んでたんやな。私は知ってるぞ、薪は売るためじゃなくて、「薪を売って家計の足しにする」という名目で読書時間を、自分の時間を確保するために背負っていたのだと。ふふ、

はい入るよ。

瀬居中学校と似ていて、まだ十分使える、手入れされた学校で、小ぶりながら必要な機能は全て備えている。もったいない環境である。

そして空いた教室に作家がこれでもかと作品をぶちこんで展開していて、相当なボリュームとなっており、やはり初見でさらっと見ても読解は難しい。楽しいんですけどね。楽しいからいいや。

 

◇狩野哲郎「既知の道、未知の地」

出ました、学校に残された備品や標本などと共に、島の歴史や記憶に由来するもの、自然に落ちていたものなどを大量に動員して、モノのネットワークで繰り出されるインスタレーション。最も言語化しづらく、視点がマクロとミクロ_個々の品物と空間全体とを行き来するため総合的な解釈に辿り着かない作品。そして記録撮影するにもモノが膨大なので幾らでもカットが生じてしまって定点を定められず時間がかかる。瀬居中学校でも福田惠、五嶋英門で手を焼いたとおり、ほぼお手上げ状態となった。

 

ステートメントによればこれらは「島」を「鳥」の眼で見た、新たな体系の解釈論といえる。ひとつ言えることは、部分と全体との区別が消失することだろう。

人間の生活に身近でありながら別の体系を生きる存在としての「鳥」の視点を取り入れたインスタレーション。日用品や自然物といった身の回りのものを組み合わせ配置されたオブジェは、羽根を休めるとまり木であり、興味を引くわなであり、単材ともなりうるねぐらともなる。

職員室で張り巡らされた、長く伸びた角材は、瀬戸内海の島々を結ぶ瀬戸大橋のように、それぞれのオブジェ/備品のブロックを渡ってゆく。いや、この島から見れば、島の外周となって橋は宙に渡し掛けられているのだから、部屋の中央に置かれたスチール机とキャビネットの島がそのまま瀬居島と見なし得るかもしれない。だがその上に散りばめられた、中国の煌びやかな先進的な都市のように上へと延びたガラスや陶器、色付きビー玉や配線はもっと都市部の表情をしている。高松も含めた四国そのものか?

「普通教室」は机と椅子がきちんと並んだ体裁で、机上にオブジェが並んでいる。オブジェとどこまで言えるのか、ガラスや陶器の器、台座や、木材、木の枝と釣り道具の浮きと木片などを結び付けた何か、これらの意味を言語化することに意味はなく、例え逐次言語化したところでバラバラの単語の羅列で終わるだろう。道具でも物語でもない、ただし受け手によっては隠喩にはなりうる。そこにシュルレアリスムの文脈ではなく「鳥の眼」という新たな/超古典的な(非歴史的な)視座を挿入し、それによって「島」への原点回帰をもたらそうとしたともいえる。ビーチコーミングが「世界」を取り結ぶのだ。

更に隣の「普通教室」では、木片や枝、毛のようなもの、何かのパーツ、浮きなどの釣り具、紐、等々が結び付けられ、複合化されて宙吊りになっている。天井から自転車の車輪フレームやプリズムの板や紐が吊られ、繋がり合っている。これもオブジェとは呼び難く、この部屋が最も「鳥」的というか、人間でないものの眼で見たときの「世界」の意味体系を体現している(かに見えるアートとして成立している)。紐で結ぶ、質量が少ない、巣のパーツのような、塊未然の状態にあることが、異なる領域の「意味」めいたものを示唆する。

 

これらは、人間中心世界を脱したときに見えてくるものへの、可能性への誘いであろうか。「自然」という手に負えないものへの時空が開いている。

 

 

◇小瀬村真美「自然の/と陳列」

2階。「自然」へのアプローチが続く。

「自然」の側から見た主観・主体、その可能性の一端として法則性とランダムネスを人間世界のそれから入れ換えた様相を可視化してみせたのが狩野哲郎だとすると、小瀬村真美は人間が「自然」の網羅的な可読性を求め、歴史的に様々なメディアを用いて把握しようとしてきたことを表す。その代表格が「標本・図版」「絵画」そして「写真」だ。

自然物を採取・収集し、網羅するために並べられる標本。それらを平面の形へ落とし込んでは図鑑化し、あるいは絵画の形で模写してきた。更に科学的な収集と網羅を推し進め、絵画の上位互換の記録媒体となったのが写真である。

 

それらは元の、有象無象の自然から、合理的な「自然」を体系的に抽出し、モデルを示してみせる。意味の変容したもうひとつの「自然」界が人間側に作られ、参照される。本展示で我々が見ていたのはその参照レイヤーの存在と揺らぎなのだろうか。

「理科室」では植物や岩石などの標本と写真が盛り沢山に示される。この物量は魅惑的であると同時に、狩野哲郎と同様、展示会場/教室にあるものの全体と部分の上下関係をフラットにならして、どれもこれも主役としての質を発揮させつつ圧倒的な量で情緒を圧してくる。ここでは「自然」が可算名詞のように切り取られ収集され、個別具体的に扱われていることを確認できる。それが標本である。

そして標本は写真になり、標本や理科の器具とともに並べられる。博物学の厚い歴史をそのまま込めたように、写真は重厚感がある。

普通の写真でないのは、他の写真作品からも分かる通り、作者は西欧絵画史、それも「still life」・静物を写真によって再考しているためで、西欧絵画と写真、更には動画との領域の差異と連続性、そして絵画の主題としての「自然」(それがいかに不自然か)を扱っている。

 

残りの部屋では《野菜と果物の静物画》、《饗 Banquet》や《粧 Guise》が主要作品として展開される。これらはまさに西欧絵画の伝統的な「still life」が映像メディアとして、ジャンルを越境していく様を思考/試行している。どちらも絵画のDNAを引きながら、類似するのは目鼻立ち=図像・フォームであって、情報媒体としての中身、動作原理は全く別物とも言える。

《野菜と果物の静物画》は、黒板を埋める巨大な横長の動画だが、そこに動きらしい動きはない。たまに気のせいか、飛蚊症が動いたかのレベルで、何かが動いた気がする。

3ヶ月かけた定点撮影で得られた大量の写真を繋げた超高速スライドショー=超低速動画は、絵画としての文体と様式、構造を持ちながら、写真であり、更に、動画になりつつある。絵画の姿形をしながら、絵画を食い破るもの。一方で、定点観測の連続撮影によって時間経過が取り込まれ、内側から反映することで、模造された「自然」をモチーフとしながらも逆説的に「リアルの自然」がそこにある。花は枯れ、果物は萎み、

《饗 Banquet》や《粧 Guise》は写真だが、やはり古典的な西欧絵画が題材とした「自然」(日常、静物)の不自然さを暴露する。溢れんばかりに盛り付けられた花瓶は、時間経過によってどんどん枯れてゆく。だがそんな過剰な美の盛り付けこそが「絵画」という世界における「自然」だったのだ。

「自然」は映像=時の流れの中で不可逆の命の減衰を暴露する。絵画はそれを豪奢に永遠なるものへと押し留める。写真は絵画と映像との領界を明らかにし、その差を決壊させる。

 

 

◇下道基行「津波石」

作者を代表する作品シリーズのひとつだ。約400年周期(過去2千年間で600年周期とも)で起きる大津波によって、海底から八重山諸島宮古諸島の海岸に打ち上げられた巨石を津波石」という。

それはデジタル写真にしか見えない。海岸の巨石が風景的に映し出されたまま、視点はずっと固定されているので、液晶に映し出された映像はデジタル写真として見ても何ら違和感がない。写真か。そう思ったところで、鳥が映像の中を飛んでいく。

「これは映像だ」、そう気付いたところであまり意味はない。

さきの小瀬村真美の作品では、映像の中の動き、すなわち「時間」の作出によって写真と絵画との境界を溶かしつつ、メディアの質の違いを実感させ、我々の「自然」観を揺さぶった。時の流れは日数単位のものを秒的に目に見える形にし、一方向へ向かって確実に下へ向かって墜ちてゆく――朽ちてゆくものが本当の(物理的な)「自然」であった。そしてエントロピー増大に抗するのが人為的な(アートな)「自然」観であることが指摘されていた。

 

だが下道作品では、作品の映像内で時間が流れようと流れまいと大した変化がない。画面内で圧倒的重量を占める巨石に揺らぎがないのだから、周りで鳥が飛ぼうが、波打とうが、観客が往来しようが、かえって巨石の不動が際立っていくことになる。その時間的規模は、いち画面内の話ではなく、地球という星に絶え間なく起きてきた自然現象、地殻変動のスケールのことを指している。モニター周囲の床には多数の空き瓶が並んでいて、時折思い出したようにチリンチリンと鳴っている。これらは津波石の傍で採取された、漂着した瓶だという。

時の流れと、その無限にも思える繰り返しを感じる。人間のスケールでは、止まっているようなものだ。

 

「写真だと思ったら映像でした」というだまし絵的な構造は、悠久の時の流れを感じさせるとともに、「今は津波石はここにある。しかし将来、新たな地震津波によって流失するかもしれない、増えるのかも知れない」という宣告にも見えなくはないのである。

 

◆旧瀬居幼稚園/中﨑透「Say-yo, chains, what do you bind or release?」

「SAY YES」展の最終スポットとなる「旧瀬居幼稚園」に向かった。

瀬居小学校から、工場群に面した太い車道沿いを歩いて、中学校の方へ戻ってくる途中に園はある。雨は弱いものの風が強くなり、歩いていて傘の扱いに難儀した。あかんて。どこから吹いてんのこれ。道路の向こうは大規模な工場敷地が拡がり、敷地との境界には森のように木を植えてあって、海が全く見えない。だが見えずとも海は近くにあるのだから、海風が強く吹いてくる。やはりここは島なのだ。

 

幼稚園のグラウンド脇のテントでは、チケット確認の隣で、地元のおっかさんが弁当を売っていた。24食限定の鰆弁当。へえと思ったが、結局、展示を観終わる頃には13時で、次の予定:イサム・ノグチ庭園美術館の鑑賞予約に合わせるために、弁当を買って車内で食べたのだった。鰆がおいしいです。

作品は、幼稚園の内部全てを用いた空間インスタレーションである。

 

作者が「SAY YES」展キュレーターであることに納得させられる。他会場と手法が一貫しているのだ。中学校の福田惠、小学校の狩野哲郎の空間作品を、更に高濃度・高密度にし、教室ごとの区分けも無くして、一つの作品シリーズが蔓やアメーバのように、園の諸室を跨いで続いていく。

作品を構成しているのは、幼稚園の物品と、作家が塗ったり描いたりしたものとの組み合わせだが、基本的には幼稚園の遺物を並び替え、再構築している。一から作家手作りの大型作品をドーンドーンと置いて…というのではない。「幼稚園」、瀬居島の、「記憶」の掘り起こしと語りの醸成を試みている。

作品はオブジェクトそのものではない。住民らの思い出の言葉だけでもない。それらが複合された空間が作品である。瀬居島の住民らのエピソードを読み、それらにまつわる品物、イベント、光景を模したオブジェを見て、解釈・連想を転回させ、空間で体感していく。坂出と陸続きに連結される前と後の暮らしを想起していく。

「いぎす」という藻を取って帰ったとか、いぎす豆腐を作るのは難しいとか、小学校のクラスに生徒が27人もいたとか、団塊の世代が子供の頃は与島地区で5島に1クラス47人の中学校があったとか、坂出・下津井への渡海船(とうかいせん)が荻野商店などから複数出ていたとか。2008年度生まれの2人が瀬居島中学校の最後の卒業生だったとか。

人口が多く子供が沢山いた時代と、現在の少子化の話のコントラストが面白い。この翌日には男木島、女木島に行ったが、どの島もかつてはそれなりの集落があり、学校など公共インフラがちゃんとあったので、この10年20年ぐらいでいよいよ子供が絶えたのだと実感した。一度は島を出ないと進学・就職が無い。島を出ると、都市生活が基盤になる。

 

漁業や祭りにまつわるエピソードも多かった。底引き網、焼き玉エンジン、戎祭り、神輿船。二艘をつないで、前の漕ぎ船と後ろのお供船の間に神輿を積むとあった。けっこう華やかでいいですね。


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順路を辿ると最後は体育館に辿り着き、瀬居八十八カ所のお坊さん88人を描いた角材や、フロア中央に集められたゴールポストや楽器のほか、映像が複数ある。その中で、作者が鎖を足に巻き付けてずりずりと園内を歩いていく映像がある。これは?

それでようやく気付く。幼稚園の建物に入ってすぐ、台の上に置いていた黒く錆びた鎖に、ラストで帰結して作品全体の円が閉じるようになっていたのだ。

作者は瀬居島と坂出の工業地帯とを結ぶ、人工的な真っ直ぐな道を鎖に喩えている。陸と島を繋ぎとめるもの、絆でもあり、縛りでもあり。

それは家族の話なのか、仕事の話なのか、愛の話なのか。

どこかの大都会の居酒屋でも似たような話をしているのかもしれない。

鎖よ、何を縛り、何を解き放つのか。

 

展示によって、個々の住民がみんが持っていた過去が解かれて、作者の鎖を通じて、鑑賞者の我々へそれは接続されたのだった。見えない島の存在感が、見えない接続によって、広がってゆくのを感じる。

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はい。面白かったですね。

なお、この後、隣の「沙弥島(しゃみじま)」に駆け付けたものの、地元の居住エリアを荒らすことのないよう、駐車場だけでなく車の動線も制限されていて通行止め。駐車場も、作品からずいぶん離れたところに指定されていて、歩くだけで片道15~20分? 時間がなさすぎ、断念するという事態に。なので見てない。よよよ。

 

∴見てない。

 

( ◜◡゜)っ 完。