nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】2024.2/3-3/17 眞岡綺音「陸の珊瑚」~第5回入江泰吉記念写真賞 受賞作品展 @奈良市写真美術館

抑制の効いた写真の流れ。登場人物それぞれの存在という「糸」を等しく、一定のペースで編みこんで、一枚の「布」へと成らしめるがごとき作品である。23歳の作者が16歳の頃から撮り続けてきた「家族」は、文体によって貫かれていた。

 

(時間軸や制作年月について、ステートメントや解説では年数の明示がなかったが、受賞を報じた新聞記事がいずれも「高校生の頃から8年間かけて家族を撮ってきた23歳の作家」と記していたため、それを前提に解釈して書いています。)

 

本作は「家族」というコミュニティ――牧場の牛も含めて、を主題とし、その内で静かに強く繰り広げられる「生と死」の光景、幼い従妹の成長や祖父母の老いてゆく姿へ、それらを包む奈良の自然へ、若き作者が8年間かけて向き合ってきた眼差しである。

 

こうまとめると、またか、と食傷気味な響きをもたらすかもしれない。家族、生と死、無垢な地方在住者と自然・・・一体どれほど多くの作家が繰り返してきた主題、どれほど繰り返されてきたクリシェとしての評(称賛)なのか、と。

実際、要点を文字に起こすとこの通りになってしまう。奈良の山に囲まれた集落で、牧場を営む祖父母の元で暮らす、天真爛漫な従妹、もう一つの家族でもある牛たち・・・コンテンポラリーともアートとも切り離された時の流れを、無垢な(アート市場や写真界、写真史などとは特に無縁な)存在たちと共にして日々を歩む、極めて「ベタ」な舞台と被写体、テーマ、etc、etc、の作品である。徹底してクリシェであり、ベタなのだ。

何一つ新しいもの珍しいものもなく裏切りもなくメタでもない。ただただ作者が経てきた現実の日々と関係性があり、それを誠実に写して表しているだけだ。それだけなのだが、それゆえに、良かった。ヒューマニズム的な素晴らしさや感動とは別のところで、脅威すら感じ、良かった。

 

では本展示の何が私にとって響いたのか。何よりもこれらの「ベタ」さの徹底にあった。

「凡事徹底」という言葉がある。ビジネスの心得や人生訓として用いられる堅く古めかしい警句、金言の類だが、この作品はまさにそれだ。どのカットにも特別なもの、特別な感情の発火、特別な「私」がなく、奇を衒うカットもない。が、腰を据えて一貫し、等価な眼で田舎での「家族」との日々を見つめている。そして必要なシーンを取りこぼしなくきっちりと押さえている。

 

本作には特別なもの、とりわけ、特別な「私」が、皆無なのだ。

「日常」を見つめ、日常の中にある輝きや憂いを以って表現する若手写真家は無数に存在する。老若男女、有名無名関係なく、誰しもが日常を舞台に日常を撮るが、特別な接続先や特別な技術を何も持たず時間も金もない若者にとって、「日常」は貴重な資源採掘場である。家族も同様に人気のテーマである。かけがえのないものだし多くの場合はゲームスタート時から与えられている。そして「生と死」は最高の謳い文句であって、これ以上ないエクスタシー&カタルシスを表現に、何も持たない「私」にもたらしてくれるし、それを「わかってる」感は強い優位性と説得力をもたらす。「私」や周りの人が生きたり死んだりするのは、通例であれば最高に「特別」である。特に、写真をやり始めた若い世代、感性と自尊心と感情と体力と願望だけは誰よりも強くあるが、具体的なものを何も持たない世代の人間にとっては。夜を更かしたり夜を明かしたり朝日に感動したり朝日を恨んだり雨雲が満ちてきたりLINEが既読で返ってこない等々の事象だけで、生と死であり特別な「私」の「日常」が輝くのだ。通常ならば。

 

本作はそうした次元をまったく凌駕している。

生と死、家族、自然に囲まれ光と緑の溢れる、四季を深く感じられる場を舞台としながら、それらを「ベタに」、まさに日常に与えられし凡庸な「一期一会」として向き合っている。自分の感情やバイオリズムの奴隷にならず、自分の感傷や心象を撮っていない。

いや、実際には作者の心はあれやこれやに動かされ、大きく動いているがゆえに長い年数をかけてシャッターを切っているのだが、その心╱目の向かうところが「私」の領域を超えているのだ。そのうえ、周囲の人々・登場人物らに酔ってもいないし依存してもいない。写真は写真でそこにあり、「そこ」とは他者である身内の家族らと対する場であり、作者はその写真のずっと背後に立っている。

牛の出産も、祖父の死も、従妹の元気溢れてはしゃぐ姿も、窓から陽を浴びる観葉植物も、それらは「写真」に対して立っていて、そのフレームの手前奥に作者がいる。対象物として突き放すでもなく、他者のまま受け容れるような視座。深読みするならば、特に従妹に対しては、過去の幼き自分自身をそこに見るような入れ子の置換関係はあるかもしれない。

 

これは何なのか?

まず写真の「文体」があり、その文法によって全てのことが撮られ、そして「写真」として並べられているのだ。

冒頭でいう、会場で感じた「抑制の効いた作品」という感想は、写真表現の文体がまず全体を貫いていて、その律の中に「家族」の姿や「生と死」があり、作者の見つめた8年間が流れとして構築されていたことの発見と驚きに他ならない。家族らの存在と生と死は、それぞれが等しい太さと強さの糸として編み込まれてゆき、より大きな横長の面を成して、この時間の流れが語られている。

 

では具体的に「写真の文体」とは何か?というと、作者自身の「私」的な感情や感傷、言葉を語らないこと、対象は一定の距離感からほぼアイレベルの範囲で撮られること、アレ・ブレ・ボケやアオリやヨリなどの身体的・視覚的運動を持たないこと、ドキュメンタリー的に事実的な状況を撮り溜めていくこと、しかしドキュメント的な解説を排すること、一定のテンション・陰影を保つこと、メタな言及や操作や解体を差し挟まないこと、…等が挙げられる。

 

連想したのは、東日本大震災福島第一原子力発電所事故の被災以降、現地と現地の人々に向き合った写真やその他多くの表現、コミュニケーションの在り方だった。

 

傾聴のドキュメンタリー。

まず圧倒的他者としての相手があり、相手が今に至った・今が今であることの経緯と状況があり、それらを他者の言葉として「聴く」形で進められるコミュニケーション、すなわち傾聴的な「対話」のスタンス。誰もが当事者であり、少なからぬ傷や負債を負っていたり、属性で二分すれば多数派に振り分けられても個別の事情で見れば分断されたグレーのマイノリティであるような、そんな状況と存在に対して、私達はいかに向き合うか。いかにすれば向き合えるか。そうした対話の模索が被災地に代表・象徴される様々な場所で続けられてきたように、思う。

互いの生存のための共助を「当たり前」のことと感じるまでに徹底し、習得していった、そんな時代の「文体」としての傾聴のドキュメンタリー性を、「陸の珊瑚」から感じたのだった。

 

この10数年で、平成から令和にかけて、圧倒的に時代が、感覚が、常識が変わったと言われる。事実、旧態依然とした組織や文化や有力者が、一斉に、価値が底割れし真逆に反転ぐらいに批判され、激しい評価の見直しが繰り返されている。SNSスマホ、動画メディアによって、私達庶民が発信者となりメディアを選択し、旧来のマスメディアとそれに連なる権威に対して強気に出られるようになった。言論についての発言権と選択権を獲得したことは大きな変化だった。

だがその裏には、東日本大震災津波原発事故が刻み込んだあまりに深い傷があった。歴史・記憶からの切断。コミュニティの壊滅。コミュニケーションの断絶。強制移住。そして差別と偏見··· 様々な絶望があった。その渦中では、表現に携わる者たちがめいめいの無力感や「表現」の野蛮さを乗り越えるべく、損なわれたものの回復を願い、共助の一歩ともなることを願って、現地入りを繰り返しながら模索してきた「傾聴」から成る「対話」が根気よく続けられてきた。明日は我が身、もしかしたら私がそうなっていたかも、という場所交換の想像によって当事者性を仮想しながら。そうした表現やコミュニケーションの姿勢が、現在に至るまで、一つの大きな底流を成していったのではないか。

 

このことは震災に限らず、あらゆる暴力や貧困、搾取、生きづらさや堪え難さと、それらに無理解で抑圧的、冷笑的な権力や資本、組織による支配、インターネット上での暴力、分断された隣人・・・etcとの困難な関係性に苛まれ続ける現代の状況において、絶えず模索されてきた「表現」のスタンスであり生存戦略の一つであったろう。現地の声を聴くほかないという状況を、まず認めること。そこにいる近しい「他者」が自分であったかも知れないという交換的な当事者性に基づいて。

それが平成末期から令和にかけての、現代の写真文法に流れる大きな脈の一つであるとするならば、眞岡綺音は若くして3.11以降のコンテンポラリーな「文体」を自然に体現している写真作家であると言えるのではないか。

 

 

眞岡のキャリアを見ると、しっかり場数を踏んでいることが分かる。高校の写真藝術部を卒業の後、日本写真映像専門学校を卒業。現在は都内の貸しスタジオに勤務。2018年、関西御苗場レビュアー賞を受賞。2019年、御苗場2018年間最優秀賞を受賞。同年、六甲山国際写真祭の招待作家となる。

実戦経験を積むことで、同じテーマ・写真でも、撮り方・見せ方・語り方を更新し続け、作者個人の想いや感情を扱いつつも手放し、主観を第三者的な目で編集する術を会得したことは想像に難くない。

 

実戦経験によって「文体」へ昇華した作家にとって、目の前で繰り広げられる「家族」の一期一会の日常や「生と死」は、驚くべき・共鳴すべき・感情移入すべき「私」のアルファでありオメガであったとしても、まず彼ら彼女らの言葉と姿を「しかと聴く」ようにして「撮る」べきものだったのだ。

 

その凡事徹底が生み出す、抑制の効いた写真が、見事だと思った。

 

 

 

最終盤、牛舎は空になっていた。

祖父が亡くなってから、残された祖母も徐々に年をとっていく。牧場運営は厳しかったのかも知れない。Googleで調べてみると、牧場名は検索画面で出てくるも、もう地図上には何も上がってこず、住所地のあたりにそれらしい物件もない。

そして成長して大きくなり、学校生活を楽しんでいるらしき従妹の姿が写されていた。

 

時はどこまでも流れてゆく。変わらないものと変わりゆくものがあって、作者はそれらを受け止め続けている。

 

( ´ - ` )完。