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ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R5.12/2-R6.1/28「世界遺産登録25周年記念 入江泰吉 約70年前の古都奈良の貌」@奈良市写真美術館

この1年間、地味に入江泰吉の常設展が良かった。昔と明らかに何かが変わった。

今回は世界遺産登録25周年記念」ということで、約70年前の奈良の風景、寺社仏閣が幅広く紹介された。

 

わかりやすいタイトル、世界遺産というブランド、懐かしい風景写真ということで、高齢の観客が常に何名かは会場におり、普段より来場者が多かった。対して同時開催の「あ³展」は旧来の「写真」の枠に収まらない展示(そもそも写真展ではない)のため、鑑賞者が分断されたような流れになっていた。

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かく言う私も従前までなら、入江泰吉の展示は足を止めず軽く飛ばして見ていた、何なら今回も最初はそうやって飛ばし見をしたのだが、やはりどうも気になるということで「あ³展」鑑賞後に再度観て回り、なぜ気に懸かったのかを考えてみた。

なぜ入江泰吉の展示が面白く感じたのか。今回は特に興味を持って観ることができた。端的に、取り上げる写真のセレクトが何かを感じさせるもので、キャプションの解説が面白くなってきたように思う。それがこの2年ほどの間、ジャブのように積み重なって効いてきた気がする。

 

入江泰吉が奈良を撮ったのは太平洋戦争後すぐで、米国が戦争の賠償として日本から仏像を接収するとの噂を聞いたことから、写真で記録することを決意。それから仏像だけでなく東大寺のお水とりや大和路の風景などが多数残されることになった。

淡々と記録するスタイルなので、土門拳の仏像のような、偉人が呼吸しているような撮り方ではない。仏教や大和路の美である。日本の美である。だが普通の風景写真、映えの写真ではない。日本が戦争から復興し、高度成長期を経て「奈良」の風景も変容していく中で、入江は遠い過去へ、王朝へ、古代へ通じるシーンを撮っている感がある。

 

そのような視点でじっくり見るようになったのは、展示作品のセレクトと配置、そしてキャプションが根本的に変わったことで、ただの風景記録写真ではないと思い始めた/思わされるようになっていったためである。

キャプションには、入江がその写真をどう撮ったか、どういう状況だったか、そこは現在どうなっているかといったことが書かれている。これが「現在」、つまり鑑賞者側との結びつきのフックをもたらし、我が事として入江泰吉作品を見る仕掛けとなった。文化財的な古典としてではなく、手の触れられる箇所があったのだと。

 

例えば東大寺南大門 1958年頃》のキャプションなら「西陽であろう、奏でる陰影が参道を照らし東大寺に漂う空気感をうまく表現している。現在は松の木の数が減っているが、この頃は南大門の脇を通って中門前まで観光バスやタクシーが走っていた。」とくる。

絶対不可侵に思えた大家の写真に、どこがポイントなのかの「評」を付しているのだ。これは見て面白いですわな。更に、現在の奈良との違いを挙げることで、保護された古典的風景ではなくなり、現実の事物とひと続きとなる。

 

《雪の大仏殿 1950年代》ならこうだ。「この頃の入江は、風景のなかに人物を点景として登場させ、奈良らしい情景をねらっていた。その人物も現代風な出で立ちではなく、古風で素朴な人たちであった。」

東大寺法華堂(三月堂) 1946年代》ではこう。「「三月堂前の石段を上りきると、樹間の幽暗に慣れていた目が、また月光に驚かされた。三月堂は今あかるく月明に輝いている。なんという鮮やかさだろう」これは和辻哲郎の『古寺巡礼』の一節だが、おそらく月明のイメージで入江は撮影したと思われる。」

 

こんな感じでそれぞれの写真が、入江泰吉という写真家の心身、現実の風景と結び付きを得て、こちらから触れられる「写真」として確かな距離感を帯びる。入江泰吉の写真は私にとってそれほどまでに縁遠いというか、良くも悪くも「古典」だったわけだ。

 

では入江泰吉作品を、身近に我が事として引き寄せられることで何が見えてくるのだろうか。

 

私が「奈良」という土地に特に思い入れや由来がないのでノスタルジー等は度外視するとして、最も特徴的なのは同時代性を飛び越えていることではないだろうか。つまり記録保持のための撮影であったが、撮影時点の時代性を記録する写真ではなく、もっと遠い過去に向けてカメラが向けられている。

同時代性というなら人の往来、店、建物などその時点で生きている人間たちの生活・活動を取り込むことが不可欠だが、入江作品にはそれらの代わりに建築、仏像、山や道など、古来から伝わり残り続けている存在と、それを取り巻く空気、地面が写されている。すると写真を通じて、奈良時代古墳時代の光景へと眼が飛ぶことになる。

 

入江泰吉の写真を見ているとき、戦後の奈良の風景を見ているのと同時に、約1500年前、仏教が伝来した時にあった光景もまた見ているのだ。畢竟、その時に生きていた民の暮らしの姿もまた見えて来ようというものだ。

 

更に言えば、これら1940~70年代の奈良の光景と、「あ³展」の藤岡亜弥が撮った令和現在の奈良の光景とが呼応する。奈良という地の変化/近代化と、写真自体の文法の変化/現代化をともに見ることができる。二つの展示を見ることで、それらの進歩を見ることもできるし、逆に本来の根本的な姿を辿ることにも繋がるのだ。

 

何を以って日本の古来の姿、根本的な姿というのか。寺社仏閣のように歴史・文化の核にまつわる風景を追うことなのだが、それは王朝、王権の世界でもある。かたや、野原や野道など、天皇の圏域から離れたところにある民の生活域を感じさせる場も写されている。そこに、入江泰吉の遺した写真風景の意義があるように思われる。

 

 

( ´ - ` ) 完。