nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展】R2.6/12_松原豊「知立」@gallery 176

【会期】2020.6/5(金)~6/14(日)

真っ赤でレトロな列車が青空を射抜くように映えて、印象に残る。その印象は、日本の無数の「地方都市」の像と重なってゆく。

 

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タイトル名「知立」は「ちりゅう」と読む。愛知県の市町村名である。「ちたて」と読んでしまうのは人の世の常ですね。

位置どこだよ、という声が聞こえてきそうなので、はい。

 

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名古屋の地理をしげしげと見つめる機会もあまりないでしょう。

どうだ。ピンときますか。

 

位置としては、刈谷市の東隣、豊田市岡崎市の西隣にある。豊田市はその名の通りトヨタ自動車の本拠地で、知立とは電車で1時間弱、車も高速で30~40分の距離にあるため、知立の産業としては自動車関連の工場がある。また豊田市岡崎市ベッドタウン的な位置付けにもあるという。

同じ「知」で言うと、名古屋市のすぐ南方に「知多市」「南知多市」というまた紛らわしい地名があり少しややこしい。そう、土地勘がないのでややこしいのである。これも「知立」という土地のキャラクターが全く掴めないことに起因している。

 

その掴めなさは、写真にこそ現れている。

 

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ギャラリーの階段を上がった所に掛けられた1枚はスナックの店内、そして会場内では、知立駅前のロータリーの写真から展開される。スナックで一晩酔って、店を出てきたら、知立の朝があった、という物語を感じる。実際、作者は知立の夜、スナックに立ち寄っては飲み、そして朝早くから動き出して、仕事までの合間で撮り歩くというライフスタイルだったという。

 

とにかく1発目の、ロータリーの写真が強い。どこでもないどこか、を否応なく喚起する。全国津々浦々の駅前ロータリーには、曖昧な色のタクシーやバスが何台か溜まり、曖昧な高さの建物が並び、地元特有のスローガンや銅像が円形の中央に立っていて、上空は遮られることのない青空が広がっている。地方に普遍的なその構造が、ここ知立でも繰り返されている。会場で知立に降り立ったはずの私は、日本列島のどこの地方都市を見ているのかが分からなかった。

 

この地名や地理的な遠近感の狂いが、一種の酩酊のような状態を引き起こす。目の前の写真には「知立」の実の姿しか写っていない、何ら誇張や曲解もなくただただその通りの姿であろうはずなのに、写真に相対する私自身が「知立」が「こう」であることの情報や確証を持っていないため、写真は私の記憶の中にある他の都市像を呼んでゆき、視野には遠近感の歪みが現われ、それを認知することになる。

 

今まで訪れた無数の地方の駅前を想い、脳裏で見ながら会場を歩くことになる。この遠近感の歪みや狂いの感覚は、先日鑑賞した山下豊『サクラカラー』(@The Third Gallery Aya)でも感じたものだが、それは「桜」や「花見」の写真が、新型コロナ禍により切断された「これまでの日常」とそれ以降の「今」との間にある遠近感の狂いをもたらしたものだった。 

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本作で生じた遠近感の歪みは、日本の地方都市の地理に起因している。なぜ地方の昭和の「駅前」はクローンのように似ているのか、和歌山でも山梨でも富山でもetc...でも同じような光景を見てきた。

 

タクシーの緩い青だか緑だかよく分からないカラーリングの謎なセンス、駅前の一等地に立ち並ぶ雑居ビル、誰も知らない地元企業の名前とロゴ、地方にしては高いが都市と呼ぶには背の低いビルの密度。ロータリー中央に立つスローガンの塔『鉄道高架事業を早期完成』、繁華街の看板や店名の恐ろしく安直でキッチュなこと。駅すぐそこに広がる空き地、その虚無を埋め合わせるように咲き乱れる花。スナックが肩を寄せ合う小さく古い物件は、寂れた村の集落のように時の流れの中で留まっている。

 

そんなの街の風景を貫いて走る名鉄の地上線路が裏のテーマである。

知立の街のこうした光景は、名鉄の高架事業によって変更されてゆく運命にあった。撮影時期は2013年、作者が舞台撮影の仕事で訪れ、それから約1年にわたって撮り溜められたものだ。高架事業を目前に控えた時期であった。今はもうすっかり高架化されていることだろう。作品では田畑の上空を貫いていく高架の姿が撮られている。他の写真も見せていただいたが、しばしば登場する踏切はもう過去のものだろう。

 

人口7万2千人ほどの知立の街は、ベッドタウンと呼ぶにはどこかローカルで土着的で、「地方」と呼ぶには近代的で、みんなの「地元」にしては表情が複雑で、あまりの捉えどころのなさゆえに、「どこそこの町に似ている」「いついつ行った〇〇の駅前も同じ感じだった」と、鑑賞者の共通記憶との照合を図りながら埋め合わせていくことになる。もし鑑賞者が、愛知県のこのあたりの土地に歴史や思い出を持ち合わせている場合は、もっと地元トーク的な鑑賞体験となるのだろうが、京阪神の在住者にとって、愛知県の郊外とは絶妙に「近くて遠い」エアポケットのような土地なのだ。まず行く機会も理由もない・・・廃墟や珍スポットでもあればどうだろうか、いやそれでも、また日本全国の数多くある同じような風景の集合的な記憶の一つとして、記憶のバケツに混在してゆくのだろう。

 

Googleストリートビューでは2018年5月の写真が出てきたが、知立駅付近の名鉄名古屋本線側は高架になっており、支線の三河線はこれから高架されようと線路脇を塞いで準備しているところだった。駅周辺も見てみたが、写真の印象とはまたかなり違い、もっと平べったく広い土地で、ロータリーを抜けるとビジネスホテルと駐車場と宅地造成中のエリアが広がり、広大な再開発のニュータウンと化してゆくような気配があった。中心街の全体が、プレハブのような「仮置き」の雰囲気に満ちている。これらもまた、本作の撮影時期から大きく変化を迎えたところだろうか。

 

地方の画一的な昭和の姿は次第に消えていき、また新しい、平らで画一的な光景へと塗り替えられてゆく。コピーのような円形からより匿名的なフラットへ。そして名鉄の車両もまた、印象深い全身スカーレット色から側面がステンレスの銀色の車体へと、次第に世代交代しつつある。日本の風景は東京だけでなく足元からも変わりゆく。青空の下で、スナック街はどんな形で生き残ってゆくのだろうか。 

 

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 ( ´ - ` )完。