写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【ART】R2.6/6_「熱い絵画」大橋コレクションに見る戦後日本美術の力 @奈良県立美術館

【会期】2020.4/18(土)~7/5(日)

いやあ~日本の戦後の抽象絵画は熱いですな~。げんきがでます。

抽象は元気になる。

 

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穴場的な展示でした。

 

全国の美術館、ギャラリーの休業が解かれ、展示が再開、いよいよ楽しくなってまいりました。私は写真だけでなく、絵画や現代美術も、分からないなりに好きなので、うはうはしています。うはっうはっ。

 

場所は、奈良県庁のすぐ隣の建物。近鉄奈良駅が最寄です。今回初めて行った。

 

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設計は片山光生。飛鳥・奈良時代の伽藍配置をイメージしているというが、古風な巨大ロボットにしか見えない。

 

「熱い絵画」展は、関西の企業家・大橋嘉一が収集した1950年代後半~70年代初めにかけての日本の現代美術のうち、主に抽象絵画が90点を特集。全6室で展開、須田剋太工藤哲巳今井俊満といった著名人だけでなく、知らなかった作家もかなり多く、新たな発見が多かった。

大橋氏の熱心な収集はそのまま、新進気鋭のアーティストを金銭的に支えるためのお買い上げとなり、ある個人の作品を何十、何百とお買い上げしていたりして、岡崎乾二郎がかつて言っていた話(誰か1、2人がその作家の特異的に熱心なコレクターとなり、市場を形成する。)を裏付けるような解説を興味深く読んだ。それでいて、白髪一雄を180点近く購入していながら田中敦子吉原治良など多くの具体美術協会メンバーの作品を買っていないのは驚きだった。

 

各展示コーナーでは、それぞれ8名前後の作家が登場する。特に印象に残った画家たちをメモしていこう。 

 

【第1展示室】(桂ゆき、小山田二郎、田中田鶴子、鶴岡政男 等)

戦前から創作していた作家らが、戦後の社会変化の中で新たな表現を模索するコーナー。何かしら戦前にシュールレアリスムに触れていて、戦後の自由で解き放っている。理性や現実を批判的に無視して向こう側を見に行くような世界観を、戦時中の社会は「けしからん」と、許さなかったんですね。そのうちまたそういう風潮になりそうで怖い。

 

桂ゆき『大きな木』(1946)、切り株と両脇に2本の幹、根っこにフジツボやヒトデなど様々な海の生き物と、葉っぱや蝶、蜂など陸の小動物が絡み付いている。同時に衣服、モンペのような切れ端、リボン?、家屋も見える。一度戦争で失われた村落なのか、この樹は相当大きいのか。スケール感も謎。

小山田二郎の『池』(1961)は、闇落ちして悪夢専門家になったシャガールのように、基本的に優しい色を使うけど黒いよどみが展開、中に瞳のような円形が光っている。『ふきだまり』(1962)は全体が暗くて黒い。人間の体を置き去りに、内面の闇が増幅して外界と反転しているようだ。

田中田鶴子『無』(1961)は模様のない茶色い平面(と言いつつ、ほぼ無作為での塗りの濃淡やマダラが描かれている)に、象形文字のような筆致が載っている。静かだが語りかけてくる。しかしその模様?文字?は、サラダボウルみたいな形で、漢字とも記号とも付かず、読もうとしても読めない絵画。

鶴岡政男『ひと(3)』、『魚になった人(No.7)』(どちらも制作年不詳)は、ジャクソン・ポロックのミニバージョンとしか思えない、黒地に白や灰色のドリップと線が躍動溢れた絵画だが、図録を見るとポロックとは似て非なる作風だと分かった。俯瞰してみると、オールオーヴァーではなく、ドロップと糸引きの配置や密度にかなり計算がある。

 

 

【第2展示室】(津高和一、久野真、菊畑茂久馬 等)

戦後になってから本格的に創作活動を始めた世代。既存の価値観に捉われない試みを行ったコーナー。

津高和一『対話』(1958)、『作品』(1960s)は異様にかっこいい。止め・跳ね・払いから温度を抜いた「書」のように洗練された静謐があり、抑制の効いた、極めて太く伸びた黒い「線」に「動」が宿って、生き物のように「形」を成そうとしている。動きの予兆が画面内に満ちている。わたし津高ファンになりつつある。

久野真『鋼鉄による作品』(1961)、これも異様なスピード感と未来感がある。絵筆の代わりに鋼板を切って合わせて額に収めているのだ。ホワイトクリームの鋼鉄が「絵」というとんでもない作品。もの派ともミニマルアートともまた違った絵画の変異種。

菊畑茂久馬『奴隷系図』(1962)は3点出品。「九州派」に参加していたのと、本作がNMAO収蔵品だから、名前は知っていた。真っ赤な円形の合板の上に、黄色の、溶けて流れる黄身のような塗料、中央の黒い円、怪物の眼のような小さな円、飛蚊症のように散りばめられた焼き痕、意味は分からないが印象に残る作品だ。こっちを睨んでくる。

 

【第3展示室】(今井俊満、宮脇愛子 等)

日本を離れて欧米の前衛美術の動きに身を投じた人たちコーナー。

今井俊満『鎌倉武士(赤)』(1961)、 タイトルに反してめちゃめちゃ抽象画。赤い絵の具の飛沫を散りばめて、上へと赤いエネルギーが上りつめて、上空で炸裂しているように見える。もしかして原爆の記憶? 絵のサイズは大きくないのに力強さをとても感じる。

宮脇愛子『作品』(1961)、灰白色の塗料のドロップとしたたりが延々と何段も並んでいて、歯髄の標本のような絵画。大理石を砕いて入れていたらしい。ステンレスのワイヤーをしならせて展示する立体造形の作品の方が有名だと思うが、この溶けた歯がびっしり並んでるような本作もなかなか印象に残る。

草間彌生『作品』(1954)、渡米が1957年なのでそれ以前の絵画。まだ水玉模様は描かれていない。おぼろ月夜に痩せたススキの穂が宙に手を伸ばしているような、幽玄な絵。とても繊細な精神世界で、我々が知る”嵐の大野君大好きド派手な水玉おばちゃん”という印象は微塵もない。

工藤哲巳『作品』(1955-56頃)、『作品』(1959)は、絵の具を厚く盛って黒々とした絵画。何を描いたかというより、ビタビタとした「塗り」の筆致が画面を締めていく運動力がすごい。普段NMAOでは鳥籠の中に閉ざされた、バイオでグロみに溢れた陰鬱すぎる人間の模型を見慣れていたので、絵画は逆に新鮮。

 

【第4展示室】(野村耕 等)

日本画の伝統にこだわらず、その領域から変革を試みた画家たちコーナー。

ここはさすがに全く知らない作家ばかり。

野村耕『古代都市』(1961)、『マンハッタンA』(1962)は紙のコラージュ。タイトル通り、長方形の紙を貼り合わせて直線に特化していて、近未来SFのビル群の都市のような光景となり、かっこいい。

「1950年代にコラージュによる制作を始め、60年代には活版印刷の紙型やジャカード織機(西陣織で使う)のパンチカードなど、コラージュの幅は広がり、膠彩画という意味での日本画からは逸脱した実験的表現を試みた。」とのこと。コラージュはどこか冷ややかな物性が入ってくるのが気持ちいいですね~。

 

 

【第5展示室】(白髪一雄、元永定正

大阪の前衛美術集団具体美術協会初期メンバー、白髪一雄元永定正の2名のみを展示。ほとんどが白髪。このコーナーのみ撮影可。わあい。

 

白髪一雄作品は、小ぶりな作品がずらっと並んでいる。全20点。最も有名な、天井から吊るした紐にぶら下がって足で描く(フットペインティング)巨大な絵画はなし。1961~63年頃のものが多数。水滸伝シリーズなどと時代が同じはずだが、小さいと全く雰囲気というか、世界観そのものが違う。違いすぎて驚き。

水滸伝シリーズをやりたおした後に、新境地として切り拓いていった70年代の密教シリーズが11点。これは小さくても強力で、全然伝わる。宇宙に徹っていくような、ダークでグラフィカルな色使いが気持ちいい。気持ちよさが伴うということは逆に言うと、デザインの方へと移行しているとも言えるのかも。 

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『作品』(1961)、もう絵の具の盛り上がりの凹凸とカーブは、生き物というか、生まれたての暴威に満ちた星のようだ。

そう、白髪作品は、星のエネルギーそのものだ。抽象絵画と呼ぶにはあまりに肉感的だ。とんでもない力で元素がつながって流体となり渦を巻いている。たまらない。

ただ残念なことに、こうして写真に撮ると、回遊魚を吊り上げたらみるみるうちに、深い黒や青の光が白く色褪せていくのと同じように、色と流れのエネルギーというエネルギーが完全に死に絶えます。写真で死なせてしまうとは。。。

 

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あーあーあー。傷んだ奈良漬みたいになってしまった。写真ってほんと何なんでしょうね。絵画って(略)

 

生で観ましょう生で。

 

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元永定正のボタボタとした色の造形がポップでもあり毒々しくもある。塗料を直接流し込む「たらしこみ」という独自技法である。これも生がいい。 

 

【第6展示室】(美術館の収蔵品より)

第5室までは大橋コレクションだったが、最期の部屋は美術館の収蔵品から「奈良の現代作家」として8名(井上武吉、金森良泰、絹谷幸二、清田雄司、久保晃、田中敦子、松本秋美、柳原義達)を紹介。知らない作家が目白押し。そしてここは図録には載っていない。 

田中敦子の電気シリーズの小さいのが三点ほど。こんな習作ぽいのあったんか。いつも美術館では、背丈ぐらいのバリバリに緊張感ある大作しか観てなかったな。

誰か言ってた... 作家は戦略的に、めちゃめちゃ巨大なスケールの勝負作品も作るが、一方で、コレクターが手を出しやすいように、小さな作品もギャラリーに置いて売っていくと...   今回の白髪一雄と田中敦子は、その実例を見た感があるですね。

 

 

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 ソーディス。

 

( ´ ¬` ) 絵画も写真も生に限る。

 

 

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近くの真新しいバスターミナルは、2019年4月開業、新しいですね、けれどコロナの影響か、バスが全然停まっていなくて、店も大半閉まってるし、なんか生きてる廃墟のかおりがするなあと思ったんですね。

 

 

完。