写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】百々新「WHITE MAP - On the Silk Road」@入江泰吉記念奈良市写真美術館

【写真展】百々新「WHITE MAP - On the Silk Road」@入江泰吉記念奈良市写真美術館

写真集『対岸』(第38回木村伊兵衛賞受賞)を始め、『上海の流儀』、『鬼にも福にも ―もう一つの京都』など、これまでの活動が総括されている。自らの足と写真で、国境を滲むように移動し、地元の奈良を起点としたシルクロードを紡いでいく。

【会期】2019.11/2(土)~2020.1/13(月)

 

砂地に、人の足が浮き上がっている。五体投地をしている女性だという。言葉は知っていたが、現代人が実際に行っている姿は初めて見た。

 

周りは墓である。なぜ彼女は砂地に身投げしているのか。

謎の余韻が残る。そういう世界があるのだということを認めるほかはない。

 

 

そういう世界。

日本の外側は「そういうもの」と受け容れる他はないものばかりのようだ。

 

作者は、旅を続けてきた。90年代から、韓国や中国を皮切りに、私達の知らない路地を歩き、そして私達が名前しか知らないような中央アジア、中東の国々に至るまで歩き続けてきた。白地図を自らの足と眼で書き込むように、旅の道程の写真を繋ぎ合わせてきた成果が、タイトルのシルクロードという言葉に象徴されている。

 

展示は8つのパートから構成されている。

「対岸」

「上海の流儀」

「悠々とある地へ」

「Peninsula」

「惑星」

「鬼にも福にも -もう一つの京都ー」

「大和の魂」

「回帰」

 

前半5つが海外、後半3つが日本(京都と奈良)だ。

 

冒頭「対岸」では、写真集『対岸』(赤々舎、2012年)で取り上げられた内容;カスピ海を取り囲む5カ国(ロシア、アゼルバイジャンカザフスタントルクメニスタン、イラン)で撮られたスナップが繰り広げられる。

 

トルクメニスタン(2010)。

アゼルバイジャン(2007、2011)。

イラン(2010)。

 

この「対岸」シリーズが一番面白かった。こちらが旅をしているような感じがする。

 

何せ、「中央アジア」「中東」「旧ソ連」「なんとかスタン」という土地は、サハラ砂漠やアマゾンの密林や北極南極の氷地獄より距離は近いのに、全くイメージが湧かない、縁遠い世界だ。

 

詳細に国名と写真を照らし合わせて鑑賞したわけではないが、どことなく、それぞれの国の風景がどこか異なっていることに、目が惹き付けられる。例えば建築物、街並み、産業。建築には主義や信仰が濃厚に現れる。屋根の形、柱の伸び方、その膨らみや尖り方に、神や主義の存在を見て取れる。

そしてその国がどんな産業で食べているかが、スナップには写り込んでくる。海上に石油を採るためのプラットフォームが並んでいる。街の広告の数や種類などに、その国の暮らしが見えてくる。現地のことが理解できたわけではないが、確かに「見える」のが、写真の良いところだ。

 

一段と良いのは、やはり現地の人物が写り込んでいることなのだろう。実際の現地の暮らしを伝えるものとなっている。

スナップ写真にはスナップの文法や美学があって、掠め取る、切り取る、擦過する、などと表される。百々新の作品では「美」学を押し付けられることがない。路上で風が吹くように、自然に人が歩いている。作者のこと、写真のことを語らないスナップだ。

だから、現地のじゃりじゃりした砂だらけの道や、カスピ海の豊かな水とともに暮らしている人々のことが「見える」のだろう。

 

続くのは「上海の流儀」。こちらも多数の作品が並ぶ。

舞台は1994~97年の中国・上海で、作者にとって最初期の作品にあたる。若さと時代もあって、作風は「対岸」と異なり、スナップの文体を強く感じさせ、街の片隅に生き、地元を歩く人々のリズムが伝わる。

 

驚くべきはやはり中国の変容だろう。現在の「中国」はTVのニュース等で見る以外に知らないが、人々の服装や街並みから、飛躍的に発展したのだと実感する。これらの写真には、開発に着手されたばかりの上海がある。今に通じる風景として、新しいビル群やテレビ塔(東方明珠電視塔)の姿が背後にあり、そして垢抜けない昭和ぽい服装の群衆が、ガヤガヤと立ち歩いている。パワーのある光景だ。

 

「悠々とある地へ」は、1997年に博多港から釜山へ渡り、天津へ船で向かい、三峡ダム重慶から長江を下り、そして香港、インドネシアへと渡ってゆく、大掛かりな旅の記憶だ。

 

展示された17点のうち5点は1998年の香港である。色鮮やかでゴミゴミした重慶、重機とコンクリートのせめぎ合う三峡ダムに続いて、非常に見覚えのある都市景が現われ、おやっと思った。2019年、民衆のデモ・暴動のニュースでさんざん目にした、香港の都市景と見事に脳裏で合致した。現代的で整ったコンクリートとガラスの街は、他の中国の光景と全く違っていて、異彩を放っていた。

 

ここまでで会場の半分ほど。残り半分は2000年代以降の日本(京都、奈良)が主になる。

 

「Peninsula」、1993年の韓国・釜山のモノクロ写真も活気がある。昭和40年代の東京みたいなスナップだ。

 

「惑星」シリーズは、2019年のモンゴル・ウランバートルだ。これは「対岸」シリーズや90年代中国と繋げて鑑賞すると実に面白い。

近代化を急速に果たしつつある、矛盾に満ちた光景。地方と都市、住宅街とパイプライン、それなりに垢抜けた服装と未舗装の路面、建設され続ける高層ビル群。勢いと素朴さ。様々な・全ての事柄がごった煮になっていて、その雑味が逆に調和している。

 

作者の撮り方の変化も興味深い。スナップによる捉え方が、人間から色彩の「面」へと移行している。それまでの写真は、風景や空気を撮っていても、「人」を中心とした空気感だった。だが、「惑星」では、人々はそれぞれの纏った「色」とりどりの服装、近代化とグローバリズムの恩恵である服により、同じく急速にカラフルになってゆく都市の「色」と呼応し、同質な平面となっている。

 

時の流れと共に撮り方が変わってゆき、それがそれぞれの社会の在り様にマッチしているのは、優れた反射神経と呼ばざるを得ない。

 

作者の特質は、撮り方のスタイルを横断できることだと思う。作品としてのストリートスナップ的な文体に徹するかと思えば、「対岸」「惑星」のように地元のドキュメンタリー風のスナップを可能とし、あるいは被写体の良いところをクローズアップしてPRする、広告写真の技も発揮してみせる。

 

それが最も表れていたのが、2015~2018年に京都を特集した「鬼にも福にも」シリーズだろう。 

京都の北側に美山、綾部、福知山など、伝統と自然の美しさを伝えている。猥雑物がそぎ落とされ、伝えるべき情報が絞り込まれている。

 

同じように、奈良の自然と暮らしの美を伝えるのが、2013年「大和の魂」だ。作者の生まれ故郷であるためか、踏み込みがずっと深く、青は透明だがその先を見通せないほど濃い。

 

同じく奈良を撮ったモノクロ作品「回帰」も並ぶが、こちらは1997年。地元の溜め池や商店、樹木など、実に地味で、味わいのある写真だ。

 

いずれの写真も、作家の顔を感じさせず、ナチュラルに風土を捉えてゆく。

 

国境を滲んで移動していく作者の足と眼は、グローバル化と断絶の進む現代において、グローバルの逆説――ある個人が、名もなき人々や見知らぬ土地を繋いでゆくことの可能性を示唆しているように感じた。 

 

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今回の展示は撮影&SNS投稿OKでした。いり美(略称)では珍しいことです。ありがたい。どんどん解禁してほしいです。ぜひ(懇願

 

( ´ - ` ) 完。