写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】小林紀晴「孵化する夜の啼き声」@大阪ニコンサロン

【写真展】小林紀晴「孵化する夜の啼き声」@大阪ニコンサロン

日常、トンネル、鬼、祭り、日常、トンネル、祭り、日本、列島。

【会期】2020.1/9(木)~1/22(水)

 

 

静かな日常の光景から始まった写真は、暗く大きなトンネルをくぐると一気に異界へと接続する。闇夜や森の陰の中で、人の扮する、人ならぬ者たちが艶やかな装いで蠢く。文化人類学的記録とスナップの狭間にて、鬼や神や地元民は現れては踊る。

 

何よりもまず、展示構成の大胆さに目を奪われる。ケとハレ、日常と異界とが折り重なり、トリップ、反響、揺り戻し、再トリップを繰り返してゆく。写真が立体的に組み合わされているのだ。ありそうでなかった、写真の上に写真を重ね置きする展示は、祭りと日常のスパイラルの繰り返しで成り立ってきた、日本の時空間を非常によく体現していると感じた。

 

展示には法則性がありそうで、はっきりとは見出だせなかった。ケとハレでの明確な識別がされているわけではなさそうだ。ある地方の景色と、集落の住民と、祭りの異界と、光景はぐるぐると回ってゆく。フレームの色、フレームの有無、サイズの大小、重ね合わせの順序などは整然としながらトリップ感をもたらす。一方通行ではない時空間、伸び縮みと反響を繰り返しながら巻いていく。そして暗く大きく先の見えないトンネルが現われ、また次の異界へと写真は続いていく。

 

説明を読まず、予備知識なしで会場を観て回った際に受けたのは「どこか地方の集落に密着して記録したのだろうか」という印象だった。実際には6年ほどの間に日本全国の約40の祭祀を回って撮られたもので、作者と写真は夥しい移動を繰り返していたのだった。祭りの形態や衣装は全く異なる。例えば諏訪の御柱祭と沖縄方面の巨大な仮面を被る祭りの写真とが近くに並べられている。文化圏は相当に違う。

 

だがそれらは繋がって見えた。まるでとある村の数日間を追ったように。

写真の背後に広がる、闇の湿度と深さがいずれも共通しているからなのだろうか。作者の眼が同じ日本の風土の繋がりとして捉えた結果かもしれないし、多彩で独特な風習・信仰の根底を流れる大きな何かが、写真によって捕らえられているのかもしれない。この日本列島には水やマグマやプレート、あるいは電気や物流、道路、鉄道だけでなく、更にもう一つ、大いなる暗闇の川が日本各地を流れていることを想像した。

度々現れるトンネルの写真は本来、作者の物理的な場所移動の記録であり、また、展示の編集においては日常と異界とを行き来する感覚をもたらすための仕掛けに他ならないはずだ。が、トンネルが繋ぐのはケとハレだけではなく、列島を貫流する暗闇の地下水脈、各地の祭りを結び付けている途方もなく深くて確かな闇の系譜を暗示している。

 

それは絶滅危惧のファンタジーなのかも知れない。列島改造によって日本の地方は土木の力で結ばれ合い、アクセスが容易になるとともに、若い人は地方の山あい谷あいから都市部へと吸い出され、近代化の進展とともに社会は成熟して少子高齢化した。多くの地方は均質化し、祭りは担い手を失い、思い出や保護される対象へと弱体化した。山々を貫通し結び合うトンネルは、各地方に深く垂れこめていた「闇」を吸い出し、異界を白日の下に曝して管理下に置いた、現代社会の象徴でもあろう。

 

だが本作では、夜は圧倒的異界として濃厚に生きており、トンネルは私達をアリスと化して不思議の国へと何度でも舞い込ませる道となる。同時に、各地の異界の闇を太く繋ぐ地下水脈となっている。

 

私は異形の存在と気配が好きだ。内藤正敏が炙り出す列島のポテンシャルや魔性が好きだ。須田一政が滲ませる日常景の内に潜んだ魔術的なとろみが好きだ。土田ヒロミしかり、土着の信仰、風習、息遣いが周囲の風景や時間に溶け込み、それらを改変させてしまう様や、それらがたっぷり染み込んだ風土は、納豆のような粘りがあって、素通りすることが出来ない。

 

 

日常という、直線的な退屈さと、右肩上がりの発展性を要請される時空間において、異形の存在とは簡潔に言えば狂気のことだ。

祭りの担い手自体は日常の延長線上にいるのかも知れない、手順を守って儀式を執り行う者、仮面や衣装をまといながら煙草をくわえている者、宴会をする者、本人らは手順通りに倉庫から持ち出してきた仮面や衣装を身に付けただけかもしれない。だが、

 

根本的に何かが狂っていて、

 

祭りの炎の傍らで本物の火事が起きていたりする。

 

シャルル・フレジェは新たな角度から鬼や物の怪の容貌にスポットライトを当て直し、また別の国の伝説の俎板に載せ直している。それらは光を十分に浴びていて、闇の湿度は消え、あっさりとしている。鬼や魔神を明るみに出してはいけない。旧態依然としていても良い、未開の暗闇の中で、一寸先が現世か、あの世か分からない闇に満ちていること、それが重要だ。そこいらじゅうの石碑や樹木が妖しいものになって狂おしくなる。そんな光景が、屈託のない少年少女らが行き交う日常と折り重なり、同じ場所の異なる時空となって立ち現れては移ろいゆく。住人らの聖や邪、そして性が絡み合う、蛇のような、濡れて何処かへ滑り落ちてゆく、暗く濃い時間。

 

祭りは非日常の魔力に満ちている。古来から人は祭りを通じて何と出会ってきたのだろうか。鬼? 神? あの世? それとも遥か古代、原初の力に満ちた世界? 分からない。イオンと高速道路と整備新幹線Wi-Fiが完璧に敷設された現代、縮小し続けながらもなお、祭りはどこかで必ず催されている。民は時間を超えて原初の力を貰いに行くのだろうか。その力を何に使うのだろうか。召喚した鬼に何を希うのだろうか。鬼を呼び、炎と共に畏れながら戯れる。法悦の逆の力、世俗を極めた濃厚な昂りが民の体を貫く。

 

トンネルを抜けると祭があったのだ。

 

 

( ´ - ` ) 完。