nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真イベント】2024.9/6-8「flotsam zines tour 2024」@I SEE ALL(大阪本町)

今年もZINEですツアーです。大阪会場の最終日夕方に滑り込み。

個性が。あります。ありました。

 

sold outが多かったから良かったようなもんで、全部在庫あったらマジで破産していた。理性が飛ぶ。😂わあい ※筆者はここに来るまでに「文学フリマ大阪」をやっており、カードで払っているので、よくわからなくなっているよ

 

 

1.ツアー。

写真集販売でお馴染みの「flotsam books」さんが主宰するZINE即売全国ツアー企画。昨年夏に京都会場に行ってキャッキャした記憶も新しい。時の流れが速いんや。

昨年ツアーが仙台、東京、名古屋、金沢、京都、大阪、神戸の7都市8カ所だったのが、今年は茨城、広島、福岡が追加され、10都市12カ所へ拡大。6月上旬に開始されたツアーも9月の大阪で最終です。なぜ最終まで放置していたのか。7~8月の京都、神戸を行きそびれたので大阪会場を駆け込みですよ。今夏は暑かったんで無理であのその(死)

www.flotsambooks.com

 

昨年の京都のようす。

www.hyperneko.com

 

何でキャッキャするかというとZINEがめっちゃある。以下の点でポイントが高い。

  • 販売価格500~3000円(税込)以内
  • 1年以内に制作されたもの
  • 募集がゆるい(参加費なし、審査なし、150名程度に達したら修正)
  • ジャンル不問(写真に限ってない)

つまり「無名・有名問わず、新作ZINEを手に取って、リーズナブルに買える」という、狩猟心を昂らせてくれつつ安全に買えるあれです。Web通販だとサイズも薄さ厚さも紙質、プリント具合も分からんまま勘で買うので(勘であれだけ買ってんのかい)、良い機会ですね。

この、クオリティのこだわりというよりスピード感、手作り感、全品机上にバーッと散らばって重なってチャンプルーしていて、それを更に鑑賞者が見ては戻してはでかき混ぜていくチャンプルー、即興性と無名性、「さっき見たいい感じのやつどこだっけ?」、一通り見た後も「あれ こんなのあったっけ?」、いずれも「ZINE」の本質そのものなので非常にZINEツアーでした。目と手で浴びるライヴ体験である。

 

なお、ZINEには作家の連絡先が付記してあって、売り切れ時には作家に直接コンタクトを取って売ってもらったりする方式である。知らないフォトグラファー、クリエイターがほとんどなので(たまに名前を知っている人が出てくるが希)、いわば作家との交流会の側面もある。

 

 

2.面白そうだったZINE

ディグってると面白そうなZINEが出てくるが、在庫が限られているのでsold outが多く、定位置もないので目を通したと思った品が後から何処に行ったか分からなくなる。そして知らない人がほとんど。プチ一期一会である。ゆえにメモ的に写真をあれしまして。今回買わなかったといってもなんだかんだで後から買う恐れが高い。いつスイッチが入るか分からないから怖いんすよ。スイッチ😶

 

色んな作家さんがいましたね。

 

永田拓也「分からないものは分からない。」

気になる~。1枚1枚の写真だけが展開されていく単数系直線的な構成ではない、写真だけでないテキストなど様々な要素、様々なページが複数・複層的に展開されていく作りがなされていて、正しい。言葉と写真を同時にいかに扱うべきかの解答のひとつだと思う。

主体が写真家なのか被写体なのか分からないところもいい。女性モデルをその美を心情を含めてカメラマンが表現して撮る、という構造を解いているところが良い。

 

takuyanagata.stores.jp

 

◆小松芭蕉/Bashow Komatsu「ラフ&ポップ」

買った。買いです。これは買うだろ。私が今重視しているのが混淆、ミクストメディアよりもっと制御できないコンフュージョン、二元論も洗練もない、直線的な意義や目的性、物語性を持たないというか、しかし乱暴ではない、汚いのではない、制御できない・切り分けできない「場」を作っていることが分かる作品が、重要に思っているわけでして。

本作は恐らく広告で冊子を作って各ページの上に直接、作者の撮った写真が貼り付けられている。手作業で直貼りしていて厚み、凹凸があり、物性がある。広告は文字の暴力がすごくてとにかくうさん臭く、しかし文字・単語が風景の中から込み合いながらぶん殴ってくるのは都市空間として馴染みのある光景で、これは正しい。

都市の内部と広告の内部で、それらが孕む「イメージ」、オブジェにどれだけ差があるのか?も問うている感がある。ただ、都市の側がやたら再開発・洗練・高級化を目指して排他的になっているので、今後はどうなるか分からないが…

 

bashowkomatsu.myportfolio.com

 

 

◆Riko Takagi「Swimming down the road」

薄手の半透明な紙に強い暖色が合っていて気になった一品。撮られているのは日常の光景、場面だがそれが擦れたような紙質のせいか目に染み入る。トマトバスタが心に留まった。突き放された、視線の先にある物ではなく、こちらの体験の現在形のように目に入ってくる。普通こうした写真はスルーしてしまうのだがそれはプリントと紙質のためだったのかもしれない。

 

x.com

 

 

◆佐藤龍斗(タイトル不明)

こちらもページの紙質、作りが凝っていてフォトブックというより書の冊子のようで、読めないが文字がずっと書いてある。印刷技法の知識がないので分からないが、和綴じにざびざびとした紙質で、挿絵のように写真が掲載されている。写真が紙質と印刷に押されていて、色の乗りと面積がもっと主張してくれば写真が生きてくるように思う。あるいは文字が背景になっているが、これが普通に読めたら数段面白くなるのではないか。色々と発展性を感じさせる。

 

 

◆蓮井元彦「東京」

出品作の中で最も「ガチな写真」、大きめに伸ばされたモノクロスナップで、こちらも和風の紙質にじっとりと印刷されていて、速度のスナップではなくにじみ出てきたような印象を与える。撮られている場面のせいか作家の視座のせいなのか、撮影された時代が分からず90年代にでも迷い込んだように写真の中で彷徨うのも特徴的だ。写真は外部を写すというが記憶のイメージを繰り返すものでもあるようだ。

 

 

◆谷宏樹「裂け目」

ガチな都市ストリートスナップ。街のコミカルさ親密さ暴力的さ得体の知れなさエモさ等々が切り出されている。まさにフォトジンの手本という感じがする。都市って何だろうね。それが何かが分からなかった、一言では言えなかったから写真家は写真で狩猟し続けてきた。それがナントカヒルズとか大手ディベロッパーの再開発で商業化されたとき、見るもの撮るもの全てが開発者と運営者の経済的利益に巻き上げられてしまうだけなのか、写真はその虚や隙を突けるのかを見てみたいと思っている。

 

https://www.instagram.com/pirosiki0930/

 

 

 

◆坂田健一「流れない河 -non flowting river-」

名古屋在住の作者が、地元の中川運河をテーマに撮った写真。フィルム写真にあえて取り組んでいるのは、暗室でのプリント時に中川運河の水を用いていることが関係している。激しくブレているカットは運河の水を通して露光されているという。バットに水を入れてその中に印画紙を入れ、恐らく揺らすなどして光の当たり方をかき乱し、干渉させることで、こうした揺らぎに満ちた像を生んでいる。単に長時間露光でエモーショナルに撮っているのではない。コンセプチュアルなのだ。写真は光と時間のメディアだが、フィルム写真に関しては水の映像メディアでもあることを思い出させてくれる。

 

deladesign.nagoya

 

 

 

◆_sixsens(タイトル不明)

原稿用紙と鉛筆、の組み合わせから身体、肉の中へ接続される作品。肉感は植物などで最小限に装飾され、霞がかった白い透明感によりシズル感と現実感の薄れを表す。では死か?いや、死に傾いていると読むには生命力がある。ままならない、逃れられない、切り離せない自己の肉体を、文字によって書き表すようにして文体によって切り離し、自らでそこに美や生を再発見するような作品。

 

https://www.instagram.com/_sixsens/

 

 

◆Numari「ここに画像を配置」

買うか最後まで迷った品。抽象性のあるオブジェや風景、空虚さも含んだ白味のあるそれらのスナップと、「ここに画像を配置」の欄の配置。自身の写真をWeb画像アップローダー画面と接続する大胆さが面白く非常に気になった。だがどちらなのかが分からなかった。「ここに画像を配置」という画像を上書きしていくWeb機能と、穏やかに虚ろさのある世界とは両立しないのではないか、後者は後者で本来独立した世界観として表現されるべきではないか、配置された画像によって消されたり背景化してしまうべきではないのではないか、と感じたりもして。

 

fu-shi-gi-sightseeing.tumblr.com

 

 

◆Momoka Hagihara「MY FAVORITE THINGS  VOL.2」

買った。買いです。何かが分からなかったためだ。開いたらNewJeansが私的に特集されていて混乱した。純粋に私的な同人誌という観点で割り切って見れば何ら珍しくはないのだろうが、しかし「私の思い出、感情、そして私の頭の中を覗いてみて。」から、徹底的に自分の好きなもののことを語り倒すスタイルは、逆に新鮮ですらある。写真作家や現代アーティストにばかり触れていたから、自分と全く関係のないコンテンツを愛することに自分があるという関係性が新しかったのだ。しかも、妙に編集がうまい。画像と文字とテキストのメリハリ、配置がうまい。自費出版ミニコミ誌である。が、表紙は完全にクリエイターのフォトジンみがある。いい意味で混乱する。

 

https://www.instagram.com/__hghr_mmk__/

 

 

 

◆渡辺絵梨奈「ojine」

買うの迷って見送ったけど買うべきだったんでは(困惑) 都市スナップ写真か・・・と思ったら画面内に出てくるおじさん、おじさん、おじさん…。彼らは肖像としてではなく、都市の風景の一部、都市のインフラの一部として、時にポストや電柱の亜種のようにして溶け込んでいる。姿形、風貌のせいでもある。彼らはそれぞれの職種、役割に応じた制服、作業着に身を包み、機能主義的に存在している。滑稽であると同時に本作はシリアスにその事実を浮き彫りにしている。

wtn46pm.myportfolio.com

 

 

◆nobu_mas「Deadpan」

ZINEをめくっている時には、髪型にこだわったか、色のついた糸の束をモデルに乗せたか、アート系美容師の模索的な表現なのかなと思った。髪、ポートレイト、髪を誇張したフェイク、色彩と質感。が、Instagramを見て、それらがデジタル画像編集と密接不可分な演出であることが分かった。ZINEに採用されていた作品が自然なものだったためか、PCの大きな液晶画面で見ることで細部のデジタル感が判明したのか、全く異なるものだった。人物の顔や身体はグリッチが掛かって素材・データ化し、カラフルな糸(のエフェクト?)=疑似的な髪だけが物性を伴い、データと物理が合わさった世界にある。

データ、デジタル感がもっと強く伝わる作りだったら間違いなく買ってた。

 

https://www.instagram.com/nobu_mas/

 

 

◆yamada akari「TOKYO PEOPLE HEAD」

縦長、カレンダー型の大きな作品で、上にめくりあげて見ていく。タイトル通りヘアスタイルの写真がまとめられているが、ポートレイト、スナップ、ヘアスタイル集、デザイン集の要素が混ざっていて面白い。が一番強かったのが真っ白く発光している後頭部の写真、ヘアデザイン写真としてはミスショットになるだろうがこれがZINEとしては一番面白い。どの写真・フォーマットを定型として組み上げるかで多彩ゆえ色々散らばった感があり、色んな角度から見どころがあるが、これという決定打がほしかった感。

 

https://www.instagram.com/yamadaakariii/

 

 

◆中村健太「ケンタとマイケルのピンポンパン!」

2人の写真家(中村健太と、米ポートランドのマイク)が写真で応答し合う作品。マイクが見た夢からインスパイアされた企画らしい。2枚の写真はコミカルに共振しつつズレを生じながら展開していく。こうした企画、皆が思いつきそうであまり見ないのは、やはり写真家は撮影から編集まで自分の世界を自分で表現する、あるいはクライアント、モデルの意向を汲んで納品するといった自己完結の宿命が伴うためだろうか。身の回りで目についた光景からの簡単なスナップではなく、作り込んだカットが多くて、テンションの高いやりとりだったことが伺える。楽しい。

 

www.kentanakamura.com

 

 

 

◆AVOCADO(タイトル不明)

バナナ。バナナですねこれは。

作者のインスタはイラストの点描・ドローイング作品ばかりなので、同一人物なのか戸惑ったが、ZINEはバナナの写真である。バナナ…。アーティスト名が「アボカド」なので、「アボカド ZINE バナナ」で調べてみたりするが、「バナナとアボカド 疲労回復に適しています」やアボカドとバナナの写真素材といった検索結果しか返ってこない。えぇ…。

写真だが味わい深い。バナナというものを試している。画面を構成するための平面オブジェとして、立体的な性質を持った物理オブジェとしての二点から、水をかけたり宙に放ったりしている。こういうデッサンの延長線上の扱い方はデザイナーならではだと思う。面白い。

 

https://www.instagram.com/avocado_no_drawing/

 

 

◆ノセレーナ「PYONCOS」

デザイン的に企画され配列されているオブジェクト、背景、色味、だが作為よりも画面内の情報、情緒がこちらの処理を超えて多い上に、洗練を拒むナンセンスな滑稽さに溢れているので「デザイン」とは感じない。作者個人の意図をはみ出すようにしてそれらは存在していて、「写真」としての強さを有している。改めてこのZINEの山の中で見ると強さを放っていた。

 

本作は「六甲ミーツ・アート2023」出展作で、屋外の大きなパネルで鑑賞したが、驚いたことにZINEになって更に強さを増して感じられた。写真や絵画は大きくて生々しい方が強くて美しく感じられ、本の形になると落ち着いてしまうことが多いのだが、本作はまとまったスケール感になることで密度が高まっている。そこにデザイン性の強さも発揮されているようだ。おそるべし。買いです。これは直DMで買い買い

www.rokkomeetsart.jp

 

そして「六甲ミーツ・アート」鑑賞レポを自ブログに上げてないことに気付いて泣いているのだった。ああっ。記事休暇ください😂 1年が経つやん。ああっ。社会人きつい。

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というわけでZINEツアーでした。有意義でしたね。有意義だったので本日なんぼ使ったかは不問といたします。(※ここでは大した買いを打っていないが、ここにたどり着く前に「文学フリマ大阪」でなんぼ使ったか分からなくなっているため、あれです)(※なお道中のメルカリ鬼連打は別計算とします。あああああ)

 

( ´ -`)完。