インディゲームに触れ合おう、夏。
活きの良いインディゲームの紹介と、ゲームの表象・アイコンやドット絵を取り込んだアート作品が展示される。活きがよい。
ア~ まぢでゲームしんどすぎてやってないから、たまにはこういうイベントでまとめて情報収集しないとだめだ🤤 だめなんだよ?DAME。動体視力が衰えたあ?それもあるけどゲーム内で人間関係が発生するのとかがだるいねんな。ギルド炎上せよ。
今回紹介されるゲームはそういうのがなさそうな感じなんやな。ギルドで競ってギルド内で競って無限にガチャで課金でソシャゲとかいうサツバツした感じではなく、もっとクリエイティブな。クな。
◆イベント概要
会場は京都・九条の「ホテル アンテルーム京都 gallery 9.5」。いつも「KYOTOGRAPHIE」の時期に合わせて「KG+」枠で「JAPAN PHOTO AWARD EXHIBITION」など、先鋭的な若手写真家による現代写真の展示会場になっており、KG+ウォッチャーにはお馴染みの会場である。
がしかし、実はゲーム × アートの展示も行われていた。この「art bit」展は2021年から始まり、今年でもう4回目を数えていたのだった。うそやん。初めてきたら既に4回目。これまでノーチェックだったのは新型コロナ禍で外出を極力控えていた影響もある。おのれ国家め何が不要不急の外出自粛だ(※筆者はこの4年間を思い出して急に怒り出しています)(おのれ国家め)
初回「art bit #1」から「#3」までの展示概要をまとめた記事がWebサイト「MACC」に掲載されている。記録ありがたい。
なるほど。ゲームとアートは共鳴する。
今回「#4」も、インディゲームの紹介とビデオゲームにインスパイアされた平面作品が主である。
そして「art bit」展は、2013年から毎年京都で開催されている日本最大級のインディーゲームの祭典「BitSummit」と連携して開催されている。えっまじすか。
まじだった。「BitSummit」、今年も7/19-21の3日間開催されていたが気付くのが遅かった。あるならあるって言うといてんか(>_<) 行けたら行ったやで。いやまあ7月前半コロナで倒れてたから体力足りなくて行けなかったと思うけども。個々のゲームについて詳しく知るにはこうしたイベントでブースを回るのが最適だろう。体力がないからプレイするの無理なんすよ。可処分時間もない。
上記サイトでも各ゲームの紹介が載っているが、国内外の知らないゲームばかりで、なんか沢山あるなあ、誰かおすすめ教えてください。数年来しんどくてゲームをしておらず審美眼が死んでいる。
本展示「art bit #4」でも入口すぐ横にインディゲーム紹介コーナーがあり、液晶モニタにゲーム紹介映像が流れていく。13枚の紹介文が貼ってあったので13ゲームはあると思うが日本語でない解説・ゲームもあり、時間の余裕が無かったので、ちゃんと数えられていない。
◆ゲーム紹介映像
13枚のゲーム紹介テキストが貼りだされていたが、英語が分からないのと、ここに書いていないゲームも少しあり(会場の別のところで設置していたゲームもここで紹介されていたり)、全15種類前後だろうかと思う。1本3分のトレーラー映像としてもゆうに30分はかかる。一周見たやで。バスの時刻に怯えながらな。面白かったわ。
ここで紹介された印象に残ったゲームを紹介してみよう。
◇「Chants of Sennaar 」(Rundisc)
エジプト王朝か!と思ったらもっとぶっ飛んでて、バベルの塔の住人達だった!
わけの分からない記号の言語をひとつずつ獲得して学んでいくゲーらしい。このイエロー基調の、太陽と砂の世界観は、温暖湿潤気候な日本人には無い色彩感覚だ。鉄仮面みたいな匿名性の高いキャラの造形が素晴らしい。これは暇なときにプレイしてみたいな、、、
◇「Hyper Light Drifter」(Heart Machine)
FC・SFC時代の「ゼルダの伝説」を現代的にブラッシュアップしたようなアクションRPG、これは一番プレイしてみたいゲームで、なおかつ一番プレイし続けられそうに感じた。完全に馴染んだインターフェース、自分がこの世界で何をすればいいのかがもう分かっている。そして「そそる」世界の色と陰影。探索しなければならない色をしている! 敵の存在。斬りたい! wiki英語版の記事でしっかり「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」と引用元を書いているのだから完璧にそういうことなのだ。行きたい!
しかし「死にゲー」らしい。プレイ経験者の記事は参考になる。そうかしぬのか。接待をやめたゲームが、真の探索を手招きしている。
まあ時間が無いのでやれませんけども😶 プレイ動画を見つけるべきです。
おついち氏のプレイ動画を見て学習をします。あ~面白そうだな~
◇「TENSEI(点睛)」(Project Pegasus / 株式会社ニューロン・エイジ)
アイデアが秀逸。昇り系アクション × 美術の世界を巡るのだ。天へ昇竜。思いついた製作者は賢い。
禅、水墨画の縦長な墨絵の世界をそのままゲーム空間として実装し、龍を操作し空へと昇らせてゆく=縦へ縦へと水墨画の中へ没入していく。
プレイヤーは目の玉のような、精神の核?墨汁の一滴? だが、鳥や蝶やウサギ、龍に姿を変えて、挙動=筆致を変化させながら昇っていく。
◇「Please, Touch The Artwork 1 」(Thomas Waterzooi)
見たらわかるモンドリアン、みんな大好き「デ・ステイル」様式のパズル。めちゃくちゃ知育的でセンスがあり偏差値の高い家の子が買い与えられるゲームの代表格という感じ。トータルで160枚以上の絵画、3~4時間プレイの規模。子供でもいけそうかな。
◇「Please, Touch The Artwork 2 」(Thomas Waterzooi)
そして第2弾もぬかりなく用意されている。だいぶカラーが違うが絵画系であることは共通している。
「1」がモンドリアンなら、「2」は近代絵画か。ゴッホ系だな。外骨の人物が主人公で、迷子の画家らしい。行く先々で絵画が破損しており、それを修復するパズルゲーム。ゲーム化してくれたら絵画の教養がすごく身につく気がする。年々暗記がきついんすよ。(だがやらない)
◇「巡るアトリエ棟」(京都市立芸術大学『巡るアトリエ棟』開発チーム)
続けてアート系。これはリアルだよ。現実の芸大(京都市立芸術大学)を舞台としたゲーム空間なのだ。しかし京都駅すぐ傍の崇仁地区へ移転する以前の、沓掛キャンパスが舞台となっており、今や幻の存在の内部を歩けるのはすごいことでは。私も烏丸御池の@KCUAしか行ったことがない。
うわっ沓掛キャンパスや。卒業生でも何でもないから何も知らないけど今はもう無い歴史とか存在としてあれだ、熱い。
なになにこれ。ホラーじゃないだろうな。
主役は「大学警備の守衛として赴任したばかりの青年」、消えた絵画の謎を追うやら。自分も消えたりせんか心配である。
◇「Loretta(ロレッタ)」(Yakov Butuzov)
1940年代の激動の時代に、裏切りや不貞を働く夫との問題を乗り越え、自身の主体性を取り戻していく女性の物語… オープニングだけでも不穏だし怖い。日本のゲームと違って人間の存在感がリアルなのが怖いんよな。サイコスリラーなので私が一生プレイしない類だが、人物像が生々しいので印象に残った。
おぢがリアルすぎて泣いちゃう。
◇「アンリアルライフ」(hako 生活)
これはいい。女子。ガール。デザインが秀逸。病んでてキュート。カワイイ。虚ろ。カワイイ。記号だ。記号がカワイイ。これは女子だ。病んでるガールというアイコンの(略
センスがいい。ゼロ年代的な「病み」要素をスマホアプリのアイコンみたいに軽く処理していてヘヴィなお菓子が主食に成り代わったような、病みのアイコンを搭載した記憶喪失のガールがモノの記憶を読み取って失われた記憶を探す、つまり「自分探し」と自傷の止揚として「壊れてしまった後の自分を取り戻す」位置にいる点で90年代~ゼロ年代はもう通過点であって伝説であり「終わったこと」に過ぎない、私達もコンテンツもキャラクターも「今」を生きていかねばならないことが至上命題なのだ。信号機「195」が相棒です。
「hako生活」氏が4年かけて一人で開発したという凄すぎることが書いてあってびびった。えぇ…。ゲームって一人でプレイするものとは思ってたけど一人で開発もできるの…。
◇「ゆめにっき」(ききやま)
かつてインターネットで話題になった問題作、バグだか仕様だか狂気だか分からぬ恐怖の世界を実装した伝説のゲーム「ゆめにっき」。2004年らしい。もうそんなに経つのか。時の流れが速すぎてそっちの方が怖かったが本作も怖い。当時何が話題になっていたのか要点すら覚えていないが、とにかくストーリーも終わりもなくて、どんどん世界(フィールド、演出、etc)の描写が狂っていくこと、悪夢そのもの、といったことだけが印象に残っている。
解説を見るとただのバグ・悪夢ではなくゲーム要素もちゃんとあったのだと知った。主人公・通称「窓付き」がキャラクターとしてアイコンとして、入手アイテム?によって見た目が変わったり干渉できるオブジェクトが変化する=クエストが軸にあることが分かった。
しかし1枚の絵で見ると完全に悪夢でバグで終わらない異次元なのだから、ゲームシステムにまで思いが至らないのは止むをえない。
「MOTHER3」のギーグ戦が延々引き伸ばされているような描画と闇。探索っていうのかこれは、、現代令和には出せない質の闇・病みがある。平成はみんなくるっていたんだよ。
◇「NEEDY GIRL OVERDOSE」(WSS playground)
病み・女子・カワイイがレトロポップで現代版にブラッシュアップされ殴り込みをかけてくるゲー、通称「ニディガ」も紹介されていた。このゲームはしばしばX(Twitter)やnoteで企画・シナリオ作者「にゃるら」氏が発信していたのでわりと知っていた。
普通なら私と決して交わることのない属性のキャラクター、世界線なのだが、なぜか気になる、存在感を有していた。デザインの良さだけではない。ゼロ年代をビビッドにネオに体現するネオンカラーとブラウザ感だけではない。語り手にゃるら氏の熱意・愛情と、特異な経歴や身体的特性などが絡まりに絡まった自分語りから来る文学性に由来するのだろうか。
凶悪そうなのが一目で見てとれる。しつけという概念のない凶暴な猫を感じる。これは大変ですよ。構わなかったら暴れるし構いすぎたら暴れるし構い方を間違えたら暴れる気がする。そういうデザインをしている。秀逸だ。触れたくない。柵の向こうから見ているだけで十分だ。よくまあこんな世界を生み出せたものだ。自己愛、承認欲求を当事者として、なおかつメタに処理し、創作物へと構築させたのがすごい。そういうところに惹かれてるんだなきっと私。
いにしえのガラケー世界ぽい描画の線がいい。なぜ良いのか?WindowsXPもガラケーもなんならゴスも自傷も全ては過ぎ去ったノスタルジーの王国、王のいない、しかし護られた伝説の楽園であるからだ。ノスタルジーの粋が集められて輝きを放っている。絶滅した世界が小さなケージの中で堂々と輝いている。それが良いのす。
◆ギャラリー内の平面作品(絵画など)
アート企画なのでアート作品もあるわけです。2Dゲームのドットが取り挙げられている。ドットで同じパターンを連続すれば馴染み深い世界が展開され、反復を多めに盛ればたちまち未知の領域のバグ世界へと繋がるし、ゲーム的アイコン・絵文字を厚さゼロの平面内で組み合わせると見慣れたインターフェイスと日本画の世界観とが重ね合わされてやってくる。
◇岡田俊《Y's》
これは「ゼビウス」とかのシューティング的な上から見た地形がバグいですね。ファミコン世代はぜったいファミコンカセット接続不良で画面がおかしくなるのを幼少期に食らって深刻な影響を受けていて、その情緒に刻まれた谷を埋めることは不可能です。心に土砂が足りない。バグは画像としては過剰だが、正しい情報を持たない(欠落)点ではマイナスである。作者は絵の具を盛り付けていて、物性や絵としてはプラスである。ここに大きな差異がある。
岡田舜《R??a?aR??a?a?n??`?R??a?aR??a?a?n??`??e?zR??a?aR??a?a?n??`??e?z?e?zR??a?aR??a?a?n??`??e?zR ??a?aR??a?a?n??`?R??a?aR??a?a?n??`??e?zR??a?aR??a?a?n??`??e?z?e?zR??a?aR??a?a?n??`??e?z》
もっとデカいバグが用意されました。デカバグ。
おめでとう。一面のバグだ。祝福を感じる。端子の山と谷を手で差し込むカセット構造である限り、いつでもいつまでもバグは発生しうるし、招かれざるものであるにも関わらず、バグると不安の中に歓喜の火が灯る。これが裏世界かと。ただゲームで起きるそれは多くの人にとっては全く予期せぬ、まさに不具合で避けたい現象であるのに対し、絵画など表現物においては歓迎・受容と再現であるから、ただ淡々と広がっているだけのようにも感じられてしまう。事故ではないからだ。その折り合いをどうつければよいか――ノスタルジーなのか。
◇竹内義博《Re:》
星型マークがたくさん。
「この作品は、視覚的な混乱と秩序の相互作用を探求し、多文化を超えた明確なルールに基づく新たな視点を提供します」「現代社会の複雑さとその中に潜む普遍的な法則を象徴し、観る者に知的な遊びを投げかけます」解説がデカすぎてそれは分からぬが、星型グリッドの織りなす暗い青色の背景に「NEW GAME」という題字が立っているのが、ゲーム開始画面を表しているように思ってしまうのは確かだ。まだ知らない何かのゲームが始まる。そのフィールドが無限であるかに期待させるのが☆と★の明滅、2Dのドット世界ならではの、最小限の記号的表現からなる最大限の時空の広がりである。わあい。異世界が待ってゐる。
◇たかくらかずき《涅槃の壺》《愛染燕子花の壺A・B》
アート側ではこの作品が最も2Dゲーム表現を織り交ぜて、新たな視覚体験を繰り出していた。ゲームに留まらずスマホ、SNSなどオンラインコミュニケーションの領域にも及ぶ表象がフルに盛り込まれている。いいなあ。
2Dゲーム平面性が日本画的であること、日本画のルーツとして中国の山水画の空間認識があることを踏まえた作品で、確かに見慣れたアイコンの過剰な重なり・配置はどこか東洋的な自然との調和が図られている。作品は絵画なのにタイトルにある「壺」とは?というのは古代当時、平面表現を立体物の曲面に立ち表し、さらに回して一回転してくる「スクロール」の概念と似ていることを指摘するものだ。
本作では各種アイコン・ドット絵が矩形にぎゅうぎゅうに押し込まれて配置され、スクロールも移動もへったくれもないが、特にスマホ顔文字が拡大、縦横引き伸ばし、連続されることで動的な印象をもたらしていて、画面内において動きが続いている―どこまでも続くことを予感させる。
ステージのスクロールはなくても、画面の矩形内で構成パーツが次々に動いて入れ替わってゆき、そこには異次元自然の時間・空間があるとみなし得るのだ。素晴らしき彼の世界!ぴえんは人新世の申し子となって私達の先を飛んで行く。
◆立体作品、服飾
平面だけじゃなかったんや。色々ある。
◇シン コヤマ vs 飯田和敏「THe HOLE 2024」
陶磁器、服飾を手掛ける画家シン コヤマとインディゲーム作家・飯田和敏のコラボレーションにより、コヤマの代表作「Hole」をアップデートしたという。かなりの部分がシン コヤマの世界観を尊重していて、「昭和ポップ」とビデオゲームの接続が試みられていたという。(あまり気付いていなかった、、)
シン コヤマが何者かと深堀りし始めると大変なので、デキスタイルデザイン、イラスト、版画、陶器といった様々な分野で活躍するデザイナー、アーティストであることを理解すればOK。墨絵で描いたようなドクロ世界がそれだということで、このコーナーだけデジデジ、ピコピコしていなくて人間の腕力が勝っていて特徴的。
完全にしくじったのだが、このドクロの目の奥を、眼鏡越しにのぞき込むことで作品が見られたらしい。それは気付きませんて(悔やみ) そういうところにゲームが取り込まれているのか。
宙吊りにされたシャツ、窓からの光で絵が透けて、古き良きYakuzaさんの彫り物みたいでカッコよかったですね。Yakuzaの彫り物は「和」のテイストを過剰に推し進めたものであるからその連想は仕方がない。しかしブラック・ジャックの影響か、Yakuzaの彫り物の入った皮膚標本が吊り下げられているようにしか見えない。まあそれでいいんです私。
さっきのぴえん(たかくらかずき)、立体作品もあったりする。レゴい。これはこれでなんかグロいな。うるんだ眼がこっち見てくるねん。この壺の中から映像を天井に投影している。あまりパッとしなかったのが残念。やはり絵画3点セットが良かったんすよ。
◆ゲーム実機など
この展示ってゲーム好きが見に来るのかアート好きが見に来るのかよく分からないのだが、実機が展示されているとどちらの勢に対しても説得力があるよね。物理は説得力がある。
◇しゅんて「BearRunner Any% RTA」
まごうことなき実機、しかもRTA(リアルタイムアタック)のプレイ画面である。ほんまもんのゲー。筐体もあるよ。
「遊び方 カセットを叩くとバグります」、すごい日本語だ。「人を刺したら死にます」ぐらいに真実だが人が死ぬ以上に「その先」があるのが深淵である。
「Any%」というのは「ゲームの達成率は度外視して、いかなる手段を使ってでも最速クリア(エンディング到達)」という用語で、例えばスタート地点でバグ起こして全イベントすっ飛ばしてED到達できる手法が発見されたら、それでRTA的には業績となる。
アートというよりガチモンのゲームカルチャーが提示されて、こういうのは切れ味があって良いなと思った。断面が非常にソリッドなので良いんですよ。やってること自体が狂ってるというか、革靴を煮炊きしたら食えるんですみたいな、そうかもしれんけどそれマジでやるんですかみたいなことが平然と行われている、人類の文化の一つの極地なんですね良いですね。
◇のへもん/Kenji Okuda「チョークの叛乱」
冒頭のゲーム紹介コーナーでも流れてきていた、チョークと戦うゲーム。インターフェースが昔懐かしの黒板消し?お、お前は、役に立ってるか立ってないかいまいち分からなかった黒板消しクリーナーじゃないか!
叛乱を起こしたチョークが左から飛んでくるのを、照準合わせて黒板消しで叩いて倒すゲーム。
昔、河合塾の講師が使っていたチョークがめっちゃ軽くて書きやすかったので、講師が使った後の捨てチョークを持ち帰り、高校の黒板のとこに混ぜといたら、先生がそれ手にした瞬間、質の違いにびっくりしてて、なんやこれはという顔になってて、面白かったと同時に何か社会の哀しさも見てしまった気がした。余談でした。
物販コーナーの横に、クレーンゲームとアーケードゲームがあるよ。この2台は5月あたまに「KG+」展示鑑賞した時点から既に設置されていた。説明書きなどは無しのため、詳細が分かっていなかった。
◇STUDIO TOKOYO, vitte『摩尼遊戯TOKOYO 神仏習合Godda Mix』(ゲーム筐体)
かっこいい。もうゲーム会社から普通に90年代初頭に出てたやろっていうぐらい説得力がある。シューティングですよね!
Steamで「摩尼遊戯」が販売されていて、2018年リリース版です。「神仏習合~MIX」の表記がないのでバージョンが違う気がする。
2016年には「NewNintendo 3DS版」の開発プロジェクトのためにクラウドファンディング(CAMPFIRE)を実施していた。
ほんでこのゲーム、実は2019年のアート展示「TOKYO2021」で出展されていたようだ。完全に忘れてた。キュレーター・黒瀬陽平の展示ステートメント文があまりに難解というか韜晦的でその印象がめっちゃ強い展示だった。その意味では成功か。
◇副産物産店|byproducts market(クレーンゲーム)
まごうことなきクレーンゲーム、カプセルにも何かコンテンツが詰まっているのは分かるが、何が詰まっているのかがよく分からない。
今、サイトを確認して主旨が判明。「アーティストの作品制作の現場から出る副産物を使い、プロダクトを販売」と。確かにまあ作家が切ったり貼ったり砕いたり塗ったり切ったり破いたりすると色んなものが出ますわ。作家が生きていると色んなものが出ます(意味深)。
baseによくまとめられているが、プロダクトがぜんぶsold out。活動は活発で「MIND TRAIL」2023年や、「アブソリュート・チェアーズ」展にも参加している。クレーンゲーム苦手なんで見送ったんすよ。いっこぐらい欲しかったな。
◇yuka tokuyama、ジェレミー・コーティアル『Game Play Airlines』
キュレーター、現代美術研究者・yuka tokuyamaと、アーティストのジェレミー・コーティアルと筆者によるコラボレーションプロジェクト。紙飛行機である。
ファンキーな漫画テイストのチラシ?作品?である紙を折って、紙飛行機を作り、飛ばしましょう。観客が自発的に参加しないと作品にならないタイプのやつ。「ヘイDr.ひろし!!ゲームって何??」「ゲームとはルールのある遊びだよー」いいQ&Aです。これはあらゆる遊戯、そして組織労働、会社生活においても共通している。自由になろうで。Dr.ひろしって誰。
◆ホテル客室への通路の作品群
食堂横の壁面で、絵画や彫刻作品が並ぶ。ここはガチに美術ゾーンという感じで、ゲームなのかこれ、
◇大小島真木『私ではなく、私ではなくもなく』
なんかここだけ国立新美術館みたいなテイストやな、、
本展示のダイジェスト版にて、人間と動物・自然とが混ざり合って輪郭線が揺らいでいくところが語られている。液晶画面では、芸術と人間と動物・自然=「私」と「私でないもの」との関係性について言葉でプレゼンテーションされており、読めば作品世界をもっと理解できたはずだが、帰りのバスの時間が迫っていたため飛ばしたのだ。悔やまれる。バスがわるい。
◇Zennyan《Rock》《Box》《Bird》《Radio Waves》《Mail Box》
ホテル客室への通路には、Zennyanによる2Dモノクロのゲーム画面を模した連作が並ぶ。ゲームボーイ調の絵柄は、素朴な現実界のもの:石、鳥、ラジオ、郵便ボックスなどを描いているだけでも、ゲーム世界へと誘ってくる。現実とゲーム世界は表裏一体なのだ。だってバイリンガルで育ったんです私達。フォーマットを用意すれば今ここはゲーム/リアルに。あっあっ/あっあっ。
ゼルダか何かのOP画面のような、いいですね、物語が始まる。実際には何も起きない日常だが、常に物語の始まりがスパイラル状に絡みついていて、そうして絶望的にどうにもならない10代を乗り越えてきた。
ゲームがゲームらしく感じられるリアリティについては世代的な問題があって、リアリティを追求したデジタル3Dハリウッド的な高クオリティのものよりも、2Dドット絵、静止画という、いにしえのゲームそのもののフォーマットがまず「来る」。これも10年後にアーティスト世代交代によってかなり変わるのだろう。スプラ?マイクラ?フォトナ?
◆物販コーナー「ピクセルアートルーム」
油断ならんのが物販やぞ。ここで全てが決まるのがアンテルーム京都。美味しいものが落ちていることがしばしばある。審美眼が試される。今回は「ピクセルアートルーム」と銘打って関連商品を特集している。
今をときめくピクセルアーティスト、ヘルミッペ(Hermippe)のグッズが並ぶ。へえ~~。あまりピンときていないのは印刷物で見るからで、たぶんスマホ画面で何度も刺激されていると良さを感じるようになるのでは。
私のよくない性質が、旬の時にピンと来なくて見送って、だいぶ世間の熱が冷めて、客観的にその時代を振り返る頃になってから参考書として関連本を買ったりし始めるので、結局プレミアがつくなどして割高になったり、あの時もっと追いかけてればよかったなどと、こう。まあいいです。
こっちはビンビンきたんや。ドットだ。ドット。
m7kenji、こちらもピクセルアーティストだが、ヘルミッペ作品が彫刻的というか抽象性の高い「彫り」工作なのに対し、こちらはベトッとした1枚1枚のキャラクターが単位となっている。つまり私の好みというか祖国(いにしえのドット絵ゲーム)の言語、故郷である。買いです。みんなゲームになろう。
このようにして楽しんだわけだが、バスの時間が厳しかったので、かなり駆け足で大変だった。もっとゆったり再訪問して鑑賞しようかなとも思ったが、なんだかんだあって、コロナになったり業務があれしたり暑かったり暑かったり暑かったりし、会期が終わってしまった。くぁあ。
( ´ ¬`)完。