nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】川久ミュージアム(ホテル川久)

海に面したうねうね道に温泉ホテルが立ち並ぶ白浜温泉郷の中でも、完全に規格外の存在としてそびえ立つ「ホテル川久」。それはまさに異国である。

1F、2Fの吹き抜けロビー周りは「川久ミュージアムとして、鑑賞料を払うと自由に観て回れる。これが、超宮殿だった。

 

私は2017年1月にも「ホテル川久」に来て、ロビーを撮影した。当時は無料、手続きなしで鑑賞させてもらった。

2020年7月以降は館内の美術品や代表的な部屋などを「川久ミュージアム」として一般公開している。これが入館料ということで一般1,000円が必要になる。珍スポットや撮影スポットとしての注目度が高まったのかもしれない。

 

今回はアートイベント「紀南アートウィーク2024」鑑賞目当てで白浜エリアを回っていて、川久ホテルが展示の主プログラム会場となっている。というより他会場と違って「アウラ現代藝術振興財団コレクション」による特別プログラム「水の越境者(ゾーミ)たち」が展開され、一線を画す内容となっていた。

www.hyperneko.com

本記事では「紀南アートウィーク」以外の、ホテル独自の内装や展示物についてレポする。

 

 

◆ホテル川久(外観)

いにしえのRPGのように外壁に囲まれている。駐車場が壁の外にも中にもあり、ズタボロの車で泊まりもしない身だから遠慮して外側に停めた。

建物の色や形は迫力があるが、どこの国の宮殿だか城だかよく分からない印象を受ける。ヨーロッパとも中東ともアフリカ北部ぽくもあるような。様々な国や時代の要素が混ざっている?

この点については「紀南アートウィーク キュレーションストーリー」インタビュー記事にて、実際に様々な国の要素を足して構築された多国籍なものであることが語られている。ヨーロッパ、アフリカ、アジア、日本から優れた技師を集め、世界中の優れたものを集めた館。建築様式やパーツの造形などの話ではない。「もの」という曖昧な言い方になる。ありえないものが建っている。

kinan-art.jp

 

飛ぶウサギは彫刻家バリー・フラナガンの作で特注品、最大級サイズ。

円形の時計みたいな装飾は庇(ひさし)の一部で、庇は土佐漆喰でできた全長45mにも及ぶもの。

全ての部分が個別の職人によるこだわりの制作物だ。

 

日本が空前のバブル景気にあった1989年に計画は始まり、やはりバブルの終わらぬ1992年3月末にグランドオープンとなった。総工費400億円、延床面積26,000㎡、全てに拘り過ぎて当初の予算の2倍に膨れ上がった。そんな無茶が出来たのもバブル経済パワーだろう。おそるべし日本。

しかしバブルが崩壊。1995年に約403億円の負債を抱えて「川久」は会社更生法の適用を申請し、倒産。1999年、現在の「カラカミグループ」に買収される。そりゃあ中国の紫禁城の瓦と同じものを作ってくれと頼みこんで47万枚も焼くようなこだわりかたをしていたら破産しますわ。しかしそんな世界規模の美学が通用したのが昭和末期~平成初期の日本だったのだ。すご。

ホテルに近づくと無線連絡を受けながらスタッフがやってきた。宿泊かアートかを聞かれ、アートと答えるとロビーのカウンターを案内される。手続きをして支払いを済ませると館内地図を渡され自由鑑賞だ。しかしどこから見ればいいのか。全てが鑑賞の対象である。一度見ているにも関わらず未知なのだ。

 

 

◆ホテル1F(内装)

ホテル川久と言えばロビーを包む、肋骨の内側のような金色のアーチの天井だ。どこに立ってどう見ても凄い。ホテル川久を「宮殿」に例えてやまないのはこの古典的で堂々とした強烈な優美さゆえだ。

天井はフランスの金箔職人ロベール・ゴアールが手掛けた。1,200㎡の天井に四方5㎝のドイツ製金箔を1枚ずつ手作業で貼り付けていったという。約19万枚。豪華とかいう以前にこれは異国というほかない。

 

柱は左官職人・久住章がドイツで習得した「シュトックマルモ技法」で仕上げたものだ。直径1.6m、高さ7.4mで合計24本立っている。

中東なのか西欧なのか、現代か中世か、何なのかこれは。

床も見ましょうね。図形が見事ですゆえ。

「ロビーの床面積は約1500㎡。ローマンモザイクスタイル(約1㎝角のモザイク)を、イタリアのフリウリ地方のモザイク職人集団が、一枚ずつ手作業で床に埋め込んだ。」

魔術を感じる。どこを見ても見どころになるのってすごくないですか。どこに立ってどこを見やっても新しい光景が出現する。カメラを通してなら猶更だ。困った。フレーミングが無限発生。わりと時間がないのにまだ「水の越境者たち」映像作品を観れていない。あ~時間がない。水族館とか行ってるからや(※筆者は大阪の端に住んでいるため白浜に来て地味にテンションが底上げされております)

 

 

◆川久ミュージアム1F

ロビーと柱だけでも既にクライマックス級だが、1Fロビーの左右、壁に沿ってホテル川久の歴史を語る展示物が陳列されている。

まずは受付デスクのすぐ隣、川久ホテルのオリジナルグッズ物販。こんなのあったんですか。金箔デザインのシャツけっこういいな。

ホテル川久ってポストモダン建築なんですね。まあモダニズムに反することが旺盛になされておりますね。これをやるには金が必要です。良い時代だ。

 

そして噂の紫禁城の瓦」こと「瑠璃瓦・老中黄」。中国では皇帝以外に使うことの許されなかった黄色「老中黄」を国外向けに焼いたのは史上初のことだという。なぜそんな不可能が通ったのか、バブル期の日本の勢いと交渉力は恐ろしいものがあったということだ。かつてJAPANという国からは商社マンやTVクルーが世界中に送り出され、縦横無尽に我が物として飛び回っていたという…(伝聞形)

それで外壁を組む煉瓦のほうはイギリスのIBSTOK社で、多国籍がうなっている。73種類140万ピース、施工はピーク時に約80人の職人が作業していたとかで、それで作ったのが文化施設じゃなくて高級ホテルなのがすごい。

骨董コレクション。オーナーが中国から買い付けた清の時代のもの。ケースもなく普通に置いてある。貴族の屋敷のようだ。これ何?お香焚き?炊飯器?

HYDE様である。HYDEは高貴なので様を付けないといけない。ここでPVでも撮ったんですかね。芸能人サインも飾ってあったが2024年あたり直近の4名分だけで、実際にはもっと大勢来ていることが伺える。他には田原俊彦、はじめしゃちょーなど。

あとドンキホーテ(本家)ぽい人も逗留中。

ホテルの警護してるんですかね。白浜は気候が良いですからね、多少発狂してもらっても良いと思います。

 

面白かったのは天皇陛下がお泊りになった際の記念コーナー。日本における歴史の全ては国家、役所、将軍、それらを統べる基本線としての「天皇」に紐付けられて正統性を得るのだとわかる。

岡部桃『イルマタル』がなんで置いてあるのかと驚いたんすよ。アルバムの表紙が似てるだけだった。なんだ。

中身は昭和46年(1971)10月25日、天皇陛下がお泊りになった際の記録写真。これが面白い。恐らくホテルのスタッフが撮って切り貼りしてるから妙な雑味というか拙さがあってそれが味わい深い。がらにもなく敬語を使っているのは天皇に敬語を使わないと怒り出す層が一定数いるためです。

内部の人間といえど天皇陛下をほいほい撮影できるわけでもなく、本人が写っているのはホテル到着時の写真が主となっている。全国で災害が起きるたびに全国の被災地を飛び回って民の慰撫に努めた平成天皇上皇明仁)とは時代が全く違うので写真に重みがある。あとはお迎えした部屋や食事の記録が多い。

そして車の写真の切り抜きが可愛い。本人が撮れないので周辺のものを撮るしかない。

カラー写真が出た当初は褪色=保存性が問題となっていたことがよくわかる。ご飯の写真が完全にセピア写真になってしまっている。コダクロームを使ったソール・ライターは偉大だった。

アルバムは食事ごとの献立と1品ずつの写真が続く。「御造り 浜防風 青紫蘇 山葵 白髭大根 車海老湯洗い 鯛菊花造り 活横輪重ね造り」武芸書の技名一覧みたいになっている。

 

逆サイドの壁沿いでは「ホテル川久」を特集した雑誌や新聞記事を資料として閲覧できる。

ホテル川久を礼賛し驚嘆する記事の数々。破産前、バブルの頃のものだ。

このコーナーは私にとって非常に有意義で、この理解不能なスケールでのこだわり、多国籍キメラの超贅沢物件が一体何なのかを、建設~オープン当時の時代の空気と熱量のフィルターを通して見返すことができた。今や失われてしまった時代の熱気や風力、経済的なノリというのは、当時をコンテンポラリーに伝えるメディアを通してでしか分からない。

「ホテル川久」はバブル期という日本史を、当時の価値観や世界観を、最もフィジカルに体現し今に伝える重要な物件ではないだろうか。多くの「バブル」物件やニュータウンが廃墟、過疎化して廃れていく中、ここはしっかり手入れされ最高の状態で使われ続けている。

 

オープン当時に従業員が着ていた制服も並んでいる。

素人目にも豪華だ。手の込みようが半端ではないことが分かる。まるでモデルの着る服だ。ホテル従業員がこれを着て走り回ってお仕事するのか。ただ「ちゃんとしてる」だけじゃなく美と個性が過剰なまでに搭載されております。アパホテルを高級だなあと思って苦々しく生きている現代の私には、貴族の世界だ。これが日本か。

 

 

◆ホテル2F(川久ミュージアム2F)

2Fまではミュージアムとして鑑賞できる。前回来た時はそこまで立ち入っていなかった、未知のゾーンだ。どこから見ても新しい発見がある。

 

ビュッフェの上を渡って、エントランス向かって左側へ移動。渡り廊下から下のビュッフェの様子を一望でき、誰がごはん食べてるかがわかります。

自然光の取り込みが素晴らしい。これ時間帯によって見え方変わるんですよね(震え声) ああまたゴージャス感が上がった。

 

エントランスに向かって左側の回廊をいきます。ラウンジや浴室があるあたり。「水の越境者たち」展示を観ました。

この左側のメタルすまきみたいなのが高級ラウンジ的な店で、「水の越境者たち」展示会場。BGMがわ"んわ"ん漏れてて奇怪な状況です。いいぞ。

 

 

◇廊下の絵画

廊下には絵画、リトグラフが並ぶ。オーナーが世界で買い集めたコレクション。こちらも多国籍で、良いものなら和でも洋でも中でも揃う。エントランス向かって建物右側の廊下にいはベルナール・ビュッフェなど洋画が、左側は平山郁夫をはじめとする日本画が飾られている。

陶板の壁は加藤元男の制作。名の知れた陶芸家である。どんだけこだわってるのこれ…。

そして平山郁夫連打。

美術館で大きな絵しか見たことがなかったので、家庭用サイズ(?)の品は新鮮だ。こんなに簡素な絵だったのかと驚く。色がない。生スケッチだろうか。価値・希少度が分からないので詳しい方はまた教えてくだsai。

他にも水野深草、川西道夫、野々内保太郎といった画家の名がある。日本画を知らないのでこのあたりは深入りしません。

既に客室が始まっているのだろうか、番号の振られた扉も並んでいる。そして花札の絵柄が掲げられている。これ海外客が喜びそう。

 

◇サラチェリベルティ(会食・宴会場)

エントランスの上側、ロビーを跨いで左右の廊下を繋ぐ大広間が「サラ・チェリベルティ」、元は会食や宴会場に使われていたが、一般公開を機に、左右を結ぶ巨大な通路と化していた。

照明を受けて光る木目の床と、漆黒の背景に赤と白の絵が浮かび上がる天井とが素晴らしいコントラストを織り成す。これはすこぶる凄い。

イタリアの画家、ジョルジオ・チェルベルティの作で「愛と自由と平和」がテーマらしい。ハートマークが連打されていることからもわかる。むしろフランス国旗のような赤と薄いブルーの入った白とが漆黒の天井に大きなアーチを描いているのが、自由を叫んで夜空にデモのビラと横断幕と国旗を掲げて歓声を上げているかのように、革命的な熱情を感じさせる空間となっている。

 

漆黒に赤と白が強烈に映えている。赤が空を縦断、横断する。体制や閉塞を打ち破るような動的な力を感じさせる。「✕」の連なりがストリートの乱雑さと生命力を感じさせるためだ。日本の高級ホテルの内部が西欧のストリートに接続されているように錯覚する。血が熱くなる大広間だ。音響がめちゃくちゃいいのでフラメンコとか踊ったらすごいことになるのでは。

 

 

◇斗酒千吟(和宴会場)

細長く、とても奥行きのある和室だ。とても長い。上座と下座の序列がすごいとも言える。警視庁や全国ホストクラブ連合会とかが宴席に使うと良いのではないか。あほなこというてますけど何気なく置いてある照明や花瓶などが明らかに良い品で、宴席でも格が違うということを実感します。時間がないのと疲れてきてるので写真は撮ってません。今まで○十年生きてきてこんな飲み会したことない。高貴な家に嫁いだらいいですかね。我に富豪を。

 

奥の演台には金屏風、そして中尾淳『六曲一双』。

中尾淳は一貫して舞妓を描き続けたという。本作はこの会場のために描き下ろされたもの。大きくてゴージャス、声高に主張しないがれっきとした存在感を誇る、そんな絵だった。舞妓の眼が真っ黒で怖い。幼い頃から夜の接客業の修行を続けた末に、自己を封印したのだ…。

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こうして「川久ミュージアム」鑑賞を駆け足で終えた。時間が足りなかったので2階は飛ばし見したが、要は多国籍ながら全てがこだわりぬいたゴージャスで、つまりスノビズムを追求している。

前記事で書いた通り、そのバブル期スノビズム極致の力がマジモンのために、「水の越境者たち」という、声なき声を届けようとする現代アートの映像技法と決定的に齟齬があり、ホテル川久が完全に圧勝する結果となっていた。それが実に正しく、面白いと感じた。

一泊お一人2~3万円台ですかね。駆け出しの作家の作品ぐらいの値段。どっちしますか?笑

 

しかし内部をしっかり観ていったことで、冒頭に紹介したリンクのインタビュー記事で語られていることが「ガチ」であると実感できた。

お客様から深夜の2時に「今から宴会がしたい」と言われたら、それを実現する場所が川久で、すべての欲望を受け入れる場所なのだと表現されていましたが、オープンしてからそうした非日常の場面は実際にあったのですか。

 

ありましたね。原則としてお客様に「ノー」は絶対に言ってはダメだと言われていました。最終的にさまざまな問題を考慮して「ノー」に近い状況になっても、まずは「イエス」と言ってできることをします。

夜の12時ぐらいにチェックインがあっても、それが大切な VIPでしたら、十何人のスタッフがフロントで並んで「いらっしゃいませ」とお出迎えしていました。

 

さすがに現在はそうしたオーバーなサービス提供は難しい時代となったが、むしろその過剰なまでの対応力、顧客にどこまでも応える力が唯一無二の場を作り出していたのだと思う。すご。

 

( ´ - ` )完。