「大阪国際メディア図書館・写真表現大学」の在校生:みまつひろゆき、駒﨑佳之の二人によるダブル個展が、京都・三条の「同時代ギャラリー」で催された。二人は展示に合わせてそれぞれ写真集も発刊している。
また、トークライブ「生きるを写して」では、私が聞き手となって二人からテーマや制作工程について語ってもらい、自己の人生観、生命観から写真を撮り、発表することの意味について考える時間を共有した。
【会期】2021.3/9(火)~3/14(日)
みまつ氏、駒﨑氏はともに2019年度から「写真表現大学」に入学して本格的に写真を学び始め、テーマを設定した作品作りに取り組んできた。二人は仕事やプライベートでカメラ・写真に触れており、ゼロからのスタートではなかったこともあってか、僅か2年で個展と写真集の制作にまで辿り着くことができた。これはなかなか真似できることではない。
駒﨑氏は1960年、みまつ氏は1964年生まれと、それぞれに少なからぬ年数をかけて、選択を重ねて人生を歩んできた。本展示は、単なる技術やアイデアの賜物ではない。自分自身や、自分と繋がる様々な存在と向き合う中で撮られたものだ。二人とのトークタイトルが『生きるを写して』となっているのはそのためでもある。最初から120%ぐらい肩入れしながら書いていて申し訳ないが、同窓生のデビューを応援したいという気持ちがあれしているのでご容赦いただきたい。
では、二人の作品を紹介しよう。
◆みまつひろゆき「Life speed」Automatism by shinkansen
横方向へと流れ去ってゆく景色が続く。本作は東海道・山陽新幹線の車窓から流れる景色を撮り続けた作品である。
仕事で毎週のように新幹線に乗っていた作者は、写真を本格的に学ぶことで改めて車窓に向き合い、そこに絵画のような流れを見出だした。そして、次第に「自分の時間」へと目を向けるようになっていったという。
通常、景色を撮る時には対象を停止させ、そのディテールを正しく描写するものだ。たとえば長時間露光を用いた流し撮りでは、動きの中で確実に止めるべきポイントが存在する。だが本作は画面全体が動きを持って流れているため、景色は作者の外側に在るものというより、視界の内側に属するもののように見える。
では、私的な心情をブレや流線に託した主観主義的な写真なのだろうか。それについては単にエモーショナルな表現ではないことを、副題の「新幹線」と「オートマティズム」が示している。
「オートマティズム」とはシュールレアリストが提唱した表現手法で、「自動記述」などと訳される。高速で文章を書いたり、薬物の効果を用いるなどして無意識の領域を表現に反映させようとするものだ。
本作では「新幹線」の移動速度がその無意識性に当たる。高速移動によって手前側はシャッター速度が追い付かずに飛び去り、遠方は写し取られるも小さくしか映らず、遠近で像がそれぞれに抽象化されることが、絵画的な印象を備える要因となっている。
この発想は「写真で絵画を描くことはできないか」という、作者の絵画に対する傾倒を反映したものだ。
当初は、作者の好きなバイクに乗った際の視界、流れ飛んでゆく景色の疾走感を表現したいと考えていたそうだ。しかし個性的なのが、コンパクトカメラを手にしたりGoProを装着してバイクに跨がるといった、直接的に視界をもぎ取りに行く手法ではなく、仕事で使う新幹線に風景を描かせる方向で突き詰めていることだ。これは写真愛好家であったならば、逆に気付くことのなかった妙手かも知れない。
作者は海外への旅を重ねる中で美術館を巡り、絵画に触れる機会が多く、印象派やフォービズムを中心に強い関心を抱いてきたという。好きな画家の名前として、ラウル・デュフィやシスレーの名が挙がっていた。
本作を見て思い浮かべる表現の系譜は、鑑賞者によって様々だろう。横位置で大伸ばしの作品の前に立った私は、真横に走る色彩の線へと像が還元されるスピード感に、ゲルハルト・リヒターを強く連想した。リヒターの絵画の方こそ写真の特性を取り込んでいることとも深い関連があるのだが、写真と絵画との思わぬ接続には軽い興奮を覚える。
ちなみに縦位置の作品の場合には、抽象化された像は色彩の配置となり、ソール・ライターのカラー作品を思わせた。これもライター自身がかつては画家志望だったり、浮世絵や印象派の影響を受けていたこととも無縁ではないはずだ。
ちなみに、「新幹線の車窓から流れ去る風景を撮る」という同様の手法を用いた代表的な写真作品に、所幸則『アインシュタイン・ロマン』と増田貴大『NOZOMI』が挙げられる。前者についてはほぼ同じフォーマットと手法で撮られているが、もっと瞬間のモーメントに対する映像美の美意識が切り立っている印象、後者については通過の瞬間にすれ違う人々を発見し掬い取る、新幹線上からの人物スナップであり、それぞれに特徴が異なっている。
本作は絵画の意識を以って撮られた写真だが、しかし写真は、どこまで行っても絵画ではない。
それはこの、特徴があるようで特にない風景が物語っている。新幹線に乗ったことのある人なら、本作のどのカットにも「何となく」見覚えがあるだろう。
本作に絵画的な広がりとダイナミックさを与えている前提として、新幹線の沿線に特有の景色・視座が挙げられる。本州を横断して主要都市を接続するうち、その間に横たわる殆んどの領域は「何もない」土地である。
視界を遮る高い建築物や、目の覚めるような深山幽谷、あるいは四季折々の色を見せる木々のトンネル…といった遮蔽物は、ない。平らで開けた視界として、住宅街、工場、田畑、川や山、トンネルの闇が延々と繰り返される。日本列島の大半が「何もない」、「地方」や「田舎」と呼んでいた土地であることを、真横から断面として眺め、再認識させられる。
本作は、新幹線というインフラが切り開いた無名の土地の表情を記録するものであり、同時に、私達が無意識のうちに慣れ親しんでいた「新幹線の車窓」という特有の視座・風景のドキュメントでもあると思う。
どのカットがどの場所かを同定するのは難しい。でも何となく地域は推察できそうである。この、地域(地方)自体の無名性もまた、本作に抽象性を与えているのではないだろうか。それが「新幹線の車窓」という記憶の共有に続いている気がする。
作者はステートメントで「時間」について述べている。個人の時間を持つこと、自分の速度を持つことの大切さを振り返っている。
それは素朴な気付きであったと思う。だが、社会や組織の持つ「大きな時間」から少し身を置いて、自分らしさを顧みることの価値に、新幹線という強権的なインフラ(全国の「地方」を網羅し、ローカル線にとって代わって単一の経済性:ダイヤグラムと料金設定を強力に整備してゆく交通システム)の内側から再認識したことが、何とも興味深い話であった。
◆駒﨑佳之「鹿の夢」ー三陸と針畑にてー
「鹿の夢」はダブルテーマで展開され、作者の住まいである滋賀の「針畑」(はりはた)と、東日本大震災後にボランティア活動を行った「三陸」という、遠く離れた二つの地点が舞台となっている。
まず「針畑」から見てみよう。場所は滋賀県高島市朽木(くつき)、琵琶湖と福井県の若狭との間に位置する山里である。
針畑の写真はモノクロで、繊細な描画によって、ものを食べる・食べられる、火が燃える、樹が伸びている、水と山がそこにあることを、正面から力強く捉えている。
作者は80~90年代、新聞記者として全国を飛び回ったが、1998年に職を辞し、2002年から針畑に移り住んだ。
写真集で『自作の石窯で天然酵母のパンを焼き、地元住民と移住者の共存する集落で、自然そのものとして存在する暮らしを体感しながら撮影を始める。』と語られているように、写真には山深い集落の表情と、自然の中での暮らしが写っている。
ここに登場する子供らは地元育ちではなく、体験学習で都会から来たという。都市生活では生産と消費は切り離されているが、ここでは生けるものから命を貰って食べることが密接に繋がっている。そうして人は、衣・食・住の中で次第に『山の身体性』に同化していく。
森が深く、雪も厚い。
単に自然を賛美する写真ではない。人間が自然の一部となって、共に生きる様子を、当事者の眼からしっかりと見つめるものである。樹々の幹と葉の厚さ、炎の揺らめきは頼もしく写り、蛇や鹿といった生き物らは人間と対等に並ぶ。
中でも鹿は、重要なモチーフとなっている。自然界と人間界のはざまを歩き回り、時に罠に掛かり、時に旅人のような姿で斃れている。重なり合う命の輪の数々は、大きな循環となり、人間はその一部である。主役は例えば「山」とか「地球」といった、もっとスケールの大きく、そして素朴な存在なのだろう。
言わば「針畑」シリーズでは、空間としての「自然」における命のサイクルが扱われている。
対して「三陸」シリーズでは、同じ命を巡るサイクルでも、時の流れの中にある命のサイクルがテーマとなっていることを感じた。一つは2011年・東日本大震災をゼロの地点とした、復興の10年間という時間軸。そしてもう一つは、遥か昔より祭りや神事の形で受け継がれてきた、より大きな目に見えない時間軸だ。
東日本大震災が起きた2011年に、作者はスコップを手にしてボランティアに駆け付けた。翌年からはカメラを手にして三陸に通い、写真を撮り溜めた。本展示では時系列ではなく様々な年の写真が織り交ぜられている。
一度は壊滅した街も、時を経るにつれて瓦礫が除かれ、地面が整えられ、陸には土が盛られて嵩上げが成され、海岸沿いには堤防が建ち、元通りの生活とは言い難いものの、確実に人の営みが戻りつつある。改造された土地との、新たな身体性の取り結びである。
象徴的なのは、数多く登場する子供や若者らの姿だった。平らに造成された真っ新な土地に、子供や若者が集い、祭りの賑やかな明かりの下で踊る。震災から10年の間に、新しい世代が命を継いでいたことを知った。背の高い防潮堤の向こうの砂浜を駆ける子供らの姿に、私は見入ってしまった。「被災地」というものの捉えどころのなさと、実の生活とを同時に見た思いがした。
赤裸々に白状すれば、私のような部外者にとって、「東北」や「三陸」「福島」は、「あの日」のままで止まっている。勿論、1年が経つごとに新聞やニュースは「いま」の現状、すなわち「報道的三陸」をその都度伝えてくれている。が、その前段として繰り返される「あの日」の圧倒的な津波と瓦礫と水蒸気爆発の映像は、こちらの記憶を強烈に巻き戻すのだ。それは日本現代史における広島原爆の瞬間と双璧を成すリセットボタンかも知れない。
そうして通算10回巻き戻されて、「復興五輪」も繰り延べられ、着地点を見失ったまま漂っているのが、多くの人々の感覚なのではないだろうか。だが現地での暮らしは淡々と、連綿と続く。続いていた。
もう一つの象徴は、「祭り」や伝統的な装飾具だ。本展示で最も多く登場するシーンである。
賑やかで楽しいだけではない。熱狂を、人間界とは別の力をうっすら帯びている。
「祭り」は地元の人たちを結び付ける。同じ場に集わせる。リセットされてしまった喪失後の世界に、四季を、1年のサイクルを、エネルギーの流れをもたらす。それが日常を生き抜くための力を与える。造成された新たな土地と住民とが、一から身体性を取り結ぶ際の、踏み込んだ契機として機能しているのかもしれない。
だが「祭り」は単なる熱狂・発散のイベントとして働くだけではない。衣装や装飾具、舞いからは、もっと大きな「時」のサイクルによって継承されてきたことに気付く。全てを流された人たちが、あえて伝統的な装いで祭りに挑むことの意味である。日頃から慣れたカレンダーやスケジュールの線表のレベルでは補足できない、もっと大きな時間軸、古来から続く命のサイクルだ。
「祭り」は古来から受け継がれてきた、それ自体が生命であるかのように、3.11の津波のリセットでも消されることなく、新しい整備後のまちと人々に宿っていく。ここでも「鹿」のモチーフが登場する。「鹿踊り(ししおどり)」の祭りの装具に、そして舞の中に継承されている。人と獣の世界を行き来する存在を、人の側から宿しに行く。
写真集から作者の言葉を引用する。
山田、大槌、釜石、大船渡、陸前高田、それぞれに郷土の祭りがあり、鹿踊り、虎舞、太神楽、剣舞を始め、たくさんの伝統芸能が暮らしの中に息づいています。祭りの日、街中の人たちが歓喜の中で競演し、時に入り乱れ、三陸の海と山に囲まれた、全ての命あるものたちに寄り添い、生を寿ぎ、あるいは死者に語りかけるのです。
どこでどこまで復興が進んだか、どの地域に何が建ったか・撤去されたか、「10年目の節目」として何を総括すべきか、そうした情報や言説として公式に記録・報告される「報道的三陸」ではなく、大きな空間と時間の中に息づく「生命の重なり」に対して意識を向けてきたことが、本作の意義だろう。
歴史に刻まれるほどの恐怖をもたらした「海」は、時の流れの中でまた豊かな漁場として、癒しとして、一つの大きな生命として映るようになる。また、海と人々とを物理的に切断する巨大堤防も、決して誰も手放しで喜んでいるものではないだろうが、存在を否定することはできず、人々の暮らしの一部となって交わっていく。
こうした 「三陸」と「針畑」、遠く離れた2つの地域にある「命」のありようを、写真は同時に展開する。
元・新聞記者として報道的写真を撮っていた作者は、報道では撮ったり伝えたりすることのできない枠組みと時間軸の中に分け入り、シャッターを切った。それは針畑でも同じである。
それらを渡り歩いて繋ぐのが、鹿だ。空間と時間を越えて、人の住む領域の向こう側から、鹿はやってくる。私達をどこに導こうとしているのか、いや、私達の方こそ、「命」の見える場へと奥深くまで誘われたいと思っているのか――少なくとも作者は、そうした「命」の重なり合いの響きを全身で見ようとしている。そんな感慨を抱いた。
◆トークイベント「生きるを写して」
当初は一時間半で3人でのトークショーを企画していたが、念のため密を避ける目的から無観客で行うこととして動画収録を行い、私が聞き手となってお二人からテーマや制作意図などを語ってもらった。
駒﨑氏は1960年、みまつ氏は1964年生まれと、二人ともそれぞれの人生を歩んできた上で作品制作に取り組んできた。人生における想いや行動の蓄積と選択が、今の作品に結び付いている。このことは、若手の写真家にはなかなか真似の出来ないところであるし、私自身も未知の領域が多い。
よって二人からは、これまでの人生の蓄積と選択がどのように作品に反映されているのかを出来るだけ聞いていこうと試みた。 私から投げ掛けた主な話は、これまで書いてきた気付きや感想のとおりだ。それに対して作者らがどう返したのか、生の声を聴いていただければ、より伝わるものがあると思う。
「生きるを写して」 みまつひろゆき(写真作家)& 駒崎佳之(写真家)ギャラリートーク
トーク収録では、これまでと違い、より動的な動画を作ることが試みられた。撮影と編集は全てプロの中矢修司氏(HAMAOKA STUDIO)の仕事によるものだ。中矢氏もまた、「写真表現大学」で作品作りを学んだ縁である。
写真関係者のトーク動画は通例、話し手も画角も固定で、1時間ずっと撮りっぱなし無編集で、話だけを聴く形態が多い。要は低コストで、喋る側としてはコマ割りや尺を度外視して話に集中できるので、自然な流れでやれるメリットが大きい。
しかし写真界隈だけでなく、より多くの人に見てもらい、聴いてもらえる動画にするためには、尺の気遣い、寄りやシーンの切り替えなど緩急を付ける必要があると中矢氏は考え、私のラフな進行表と現地の状況、各人の意見を元に、その場で撮影方法を組み上げて構成していった。実質的にほぼ即興に近かったと思う。
撮られる側の3人は、シーンごとに分けて収録し、コマを意識しながら発言のオンとオフを切り替えていくのは初めてだったので、最初かなり動揺していた。
何度か予行演習をしているうちに腹も座ってきて慣れていくが、撮られるということ、撮られる時間に対して身体が無防備であることを実感した一時であった。中矢氏には、うまく練習を挟みながら進行していただいて感謝している。
展示会場を歩きながら対談するというのは現地での思い付きで、元ネタは『日曜美術館』のソール・ライターの回で、須藤蓮と飯沢耕太郎が歩きながら作品にコメントしていくシーンが分かりやすく、印象に残っていたためだ。
お陰で動画としてはとても分かりやすくなった。が、撮影者である中矢氏は一眼レフを普通に腕でホールドし続けることになったため、体への負荷が半端ではなかったと思う。ありがとうございました(手を合わせる)。。
また、本番に限って予想外のことが起きるという、みんなお馴染みマーフィーの法則(悪夢)が発動した。会場に着いてみると建物周辺で工事の真っ最中で、騒音と振動がひどかった。会場のどこに移っても、ドドドドド、ガガガガガと響いてくる。これはあかん、と、夜か翌日に収録を振り替える案まで出た。
幸いにも騒音は途中から静かになったが、その分時間が押して、ギャラリー開廊後も来場者が普通に入ってきている中での撮影となった。火曜の昼だったので大した影響はなかったが、土日だったら混乱していたかもしれない。何があるか本当にわかりませんね(汗)。午前だから飲酒で意識を飛ばすわけにもいかず、なかなかチャレンジングでした。ふう。
そんなこんなの展示とトークイベントでした。
・新幹線や車窓がもたらすもの
・速度が描くものと絵画
・山や星と人間の暮らしの関係
・三陸の「今」=太古との関係
・鹿という越境者
・動画(を撮ること・映ること)にチャレンジ=慣れ
などなど、何かしら掴めるものがあれば、幸いです。
( ´ - ` )完。