写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【映画】バウハウス100年映画祭_A「バウハウス原形と神話」、B「バウハウス・スピリット」「バウハウスの女性たち」@第七藝術劇場

【映画】バウハウス100年映画祭_A「バウハウス原形と神話」、B「バウハウス・スピリット」「バウハウスの女性たち」@第七藝術劇場

書籍や展示で触れてきた「革新的」で「革命的」なバウハウス像と、また異なるバウハウスの一面が見えてきました。

 

【上映期間】2020.1/18(土)~1/31(金)

 

そういえば2019年は、バウハウス開校100年記念年でしたね。100周年。あまり祭りがなかったな。西宮市大谷記念美術館で展示やってたぐらい?

 

バウハウスは第1次世界大戦の終わった翌年、1919年にドイツのデッサウに開校し、2回の移転の後、1933年にナチスが台頭して詰め寄られて閉校。たった14年間の歴史です、にも関わらず、その名は世界中に知れ渡っている。伝説ですよ。少しでも建築やデザインをかじると必ず出てくる5文字です。逆に知らないと「にわか」扱いされますね。私も大学時代にどこからともなくその名を聞きました。

 

バウハウス100年映画祭」は、十三の第七藝術劇場にて、バウハウス関連の映画プログラムを約2週間にわたり、全6作品を1日2プログラムずつ上映するという企画です。わあい。伝説の旅。

 

<プログラム>

A「バウハウス原形と神話」

B「バウハウス・スピリット」「バウハウスの女性たち」

C「ミース・オン・シーン」「ファグス ― グロピウスと近代建築の胎動」

D「マックス・ビル ― 絶対的な視点」

 

本日鑑賞したのはAとBの3作品です。それぞれ簡単にメモしておきまう。

 

 

A「バウハウス原形と神話」(1999-2009)

元・バウハウス生徒らを訪ねて、当時の状況について語ってもらうインタビュー形式のドキュメンタリー。

バウハウスの詳細については省略しますが、バウハウス=「革命的だった」という語り口は現代のみならず、設立当初から革命的だったようです。創始者ヴァルター・グロピウスを筆頭に、世界的に有名な建築家や画家らスターを集め、最先端のイノヴェーションが繰り広げられる知と創作の場、革命の現場だったと。

当時のドイツ社会そのものは旧態依然としていて、けれど若い世代は新しい世界を見たい、自分たちの手で切り拓きたいわけで。男女交際もオープンで、パーティーも派手で、街の人からは不道徳な連中だと警戒されていたとか。

インタビューで元学生らから「私達は世界を変えるのだと信じていた」といったニュアンスの言葉が出ていたのは、単に知的でクリエイティヴな場だったというより、ドイツ国内の社会主義革命が頓挫してしまった。そこで革命の熱は気鋭の学校へと場所を変え、芸術・創作を革命の機運とし、より強い熱気となっていたらしいということが分かりました。

 

当時を振り返る中で、バウハウスの転換期になるのがナチスが台頭する1930年代。

バウハウスを支持していた社会民主党が破れ、次第にナチスによる独裁が強まると、芸術への締め付け、ユダヤ人への圧力が強まり、隣国やアメリカ等へ亡命する人も増えていく。

しかし思いもよらぬ証言がありました。バウハウスナチスに一方的に弾圧されて閉校した、と語られがちですが、状況はそうシンプルではなく、ナチスのための仕事・協力もあったということや、元学生が第三帝国の建築に加わり、バウハウスの近代的な建築思想が活用されていたことなどが語られます。

 

「色々な立場の人がいた」、この一言に集約されていました。

 

ヴァルター・グロピウスは亡命後、ハーバード大の教授になるのですが、アメリカ的解釈の立場をとり、自分達の過去の浄化を行うようになった、つまりバウハウスのそうしたシンプルでない現実から距離をとって、ナチスによって一方的にやられたように語ったと。映画では「ナチス台頭期に、亡命せず(ドイツに、バウハウスに)残っていた人たちのことが切り落とされてしまっている」という指摘がなされていました。

 

バウハウスには人間的な面、政治的な面があり、政治的な部分については良い面、悪い面があるが、悪い面は変えられなかった。そんな締め括りで。私達が抱いているバウハウス神話に対する、なかなかに強力な一撃になりました。

 

しかし映画としては難があって、元学生らのインタビューがひたすら抑揚なく100分続くのは、やはりきつい。

途中めっちゃ寝ました。ぐう。

みなさん1930年当時に20歳ぐらいとしたら、撮影時期からするともう90歳前後です。おじいちゃんおばあちゃんの話を椅子に座って聴き続けるのはきつい。芸術祭みたいに、こちらが会場を能動的に動き、個々の証言者の動画を再生しつつ参考資料を見ていく半・対話スタイルなら合うかもと思いました。

 

 

B「バウハウス・スピリット」(2018)

バウハウス原形と神話」と真逆で、スピード感ある明晰な語り口調。バウハウスの革新的精神、教育や建築、都市に対する成果を「現代にどう活かしているか」の事例が特集されます。

バウハウスの功績の一つに、「デザイン」という概念を考察し押し進めたことが挙げられます。様々な分野の知見を融合させて課題解決に取り組む発想が、新しい子供の教育の場の開発や、身体芸術の考察で活かされていることが紹介されます。

 

映画の大半は、都市部での住まいの在り方を改良するプロジェクトの紹介に費やされました。

まずドイツ国内の事例。「誰でもお金に関わらず街で生活する権利がある」という思想から、格安の居住空間を提供する100ユーロ・アパート。

トレーラーに搭載された小柄で縦長の家は、必要な機能を凝縮した6.4㎡の空間で、4~6人が食事をしたり、ゲストを泊める収納ベッドのスペースやロフトも備える。人間の体のサイズをもとに高密度に機能を収めた発想は、コルヴィジュエのモデュロールに通じています。

 

そして、南米などでスラム街に住む人たちのためのプロジェクト。

人々は仕事を求めて農村部から都市部に大量に出てくるが、まともに住めるところがないため、無秩序にありあわせの材料で家を手作りし続けてゆく。こうしてミニマムな住まいは確保できても、全体を統御する人がいないため、エリア全体での発展という観点が抜け落ち、都市にとって必要な機能は確保できない。

U-TT(Urban Think Tankのメンバーらは、個々の住まいを破壊することなく限られた土地で地域に必要な場、公的なスペースや動線を確保していきます。その一つが垂直空間。4階建ての空間を用意し、住民らが集まって教育やスポーツなど行える場を設けます。若者らの日常を変えられたことで、犯罪率が30%低下したとのこと。

 

コルヴィジュエは直接的にバウハウスに関わった人物ではないが、ミース・ファン・デル・ローエやグロピウスらと建築、都市計画に関わる新しい憲章の策定の議論をし、それが「輝ける都市」構想や「アテネ憲章」に結び付きました。

しかし、機能主義的に都市を作る発想は1950年代をピークとし、以降は批判が起こり始めます。現実には、都市はその単独のエリアで成り立つものではなく、他の地域の開発状況や経済、隣国の動向とも連動しています。複雑性に対応できなくなる。

 

スラムについて、発展途上国の固有の問題ではなく、西洋の都市も近代化の過程でスラムが生じ、衛生面の改善などを進めてきました。しかし今、また新たなスラム的な環境が発生しています。

1950年代頃に、機能主義的に理想を求めて計画され、後にスラム化した都市の事例です。(フランスのラ・グランド・ボルヌとのメモが残っているがトゥールーズ・ル=ミライ団地だったのか、失念 ((汗 ル=ミライであれば、コルヴィジュエの弟子:ジョルジュ・キャンディリスのコンペに基づくもので、本作の趣旨に合う。)

上空から見た建築物の並びは極めてデザイン的で、近未来の美学が貫かれているが、その実、住んでいるのは大量の移民、85ヵ国の人たち。都市機能としては空っぽ。立派な団地群のハードウェアが未来の墓地のように並んでいます。元々の理想からはずいぶんかけ離れた現状です。

人口11,000人に対し医師は2人、薬局はここ1軒と、店員さんがぼやきます。郊外に住宅機能だけ持たせてあるので、市街地への交通のアクセスもなく、空虚な有り様。

 

最後に紹介された事例は、スペインのサン・ハビエルにある「Comuna 13」地区の高層エスカレーター。土地の高低差によって都市機能から分断されていたスラムを、エスカレーターというインフラで繋ぐことで、医療機関など生活に必要な機能とのアクセスが片道2時間のところ10分で可能になった。

 

バウハウスの革新的な精神は素晴らしいが、当時の機能主義的な理念だけでは、個別の居住空間の機能性を追求するに留まり、現代の都市全体での課題に対応できない(むしろ理想的な都市計画がそれらの問題を生み出した一端でもある)。

創造的で勇敢な精神を継承しながら、より広い視点でのデザインで再考し、今に活かすことが重要である、というお話でした。

 

バウハウス以降の世界がどうなったか、実際の現地の取り組みが見えたのは面白かったです。 

逆に、スラムの側は都市と接続されて色々健全になったと思うけれど、スラムと接続された都市の側には、どういう影響があったかは触れられていませんでした。成功の部分だけかなり見せられたけれど、ほんとにそんなスルスルうまくいってたのかどうか。税負担と応益の不均衡で怒る人とか、いそうですけどね。みんな仲良くやってたらいいですね。はい。

 

 

B「バウハウスの女性たち」(2019)

( ´ - ` ) これめっちゃ面白いぞ。

 

 

( ´ - ` ) 見ないと損するレベルで面白かった。

 

 

近代の革命・革新の梁山泊みたいな伝説の「バウハウス」が、根深いセクシズム、ミソジニーの砦であったことが語られます。うわあ。まじか。 

 

当時のバウハウスにいた学生やマイスターら、6名の女性について、現代の研究、遺族らの証言によって、女性らを巡る環境、処遇、評価がどうであったかを浮き彫りにしていく。 

 

バウハウスはメディア現象だった」、ベルリンとバウハウスは盛り上がっていた。バウハウスは1919年、熱狂的に迎えられ、世界を自分たちの手で変えたいという若者らが集った。女性も例外ではなかった。ちょうど、女性が参政権を手にし(1920年婦人参政権)、都市部の産業が女性にも開放され、社会進出が始まった時期だった。しかし設立地のヴァイマールなど、地方は旧態依然としていた。男性らの価値観も然り。状況は19世紀並み。

 

バウハウスへの入学者の半数以上が女性だったという。

だが「男女同権は失敗した。最高にモダンに思えたが、女性については偏っていた」、どういう意味か。学校の講師陣も、男子学生らも、女性が男性以上に技量を発揮し、社会に認められる存在となることを望まず、影の名もなき存在へと押し込めようとし続けてきたのでした。ヴァルター・グロピウス含めて。うわあ。

 

バウハウスでの女性の話を超・雑にまとめると

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バウハウス開校

 女性らが各分野で卓越した技術とセンスを発揮。
 分野に囚われない活躍。商品も売れる。認知度高まる。

  ↓ 

・「バウハウス=女性の活躍する学校」として認知されるのを恐れる

  =世間に軽視されるから

 (「真の芸術性は男性しか宿していない」「女は立体的思考がない」という謎信仰)

  ↓

・「女性は重労働に向かない」+「女性は子供を産み育てるもの」という謎理論
  強制的に「織物工房」送り(女は昔の産業をやっとけ)

  ↓

・女性闘う
 ◎クリエイティヴな織物を開発
 ◎他の工房へ配属するよう要請
 ◎自分をマイスター(親方:教授的ポジション)にするよう要請
 ◎織物以外の工房でも新規的な製品、概念を開発

  ↓

・女性の活動が学校のPRや収入源として貢献する

  ↓

・認めない

  ↓

・女性らは学校を去り、独立し、それぞれの道を歩む
 あるいは才能を発揮せず、主婦的な立ち位置で生涯を終える
 またあるいは、ナチスにより収容所送りになる

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( ´ - ` ) ミソジニー漬けの樽に入った気分でした。

 

味噌うぇうぇ

 

何が凄いかというと、女性を軽視する雰囲気が学内にあった、とかふんわした話ではなく、トップに立つグロピウスが率先して女性の活躍を世間の目に触れないよう隠蔽しまくり、学内の制度として女性を「従順な生徒」以外の存在として認めていなかった点です。まじかよ。

そしてカンディンスキーパウル・クレーすらも、女性には芸術は無理だ、そういう思考がないから、と切って捨てていた。まじかよ。あれだけ理知的で感度の高い作品を作る人でもあかんのか。どないなっとんすか。意味が分からん。

 

そう、「意味が分からない」のです。なんでそんなことするん。

それが時代というものなのかも知れませんね。100年前ですからね。時代が変わったんですね。いや変わってへんわ、と怒られるかもしれませんが。グロピウス何してんねん、うわあ、と呻きながら観てました。うわあ。あかん。

 

一方、バウハウスに入学した女性らは、ふわっとした自分探しなどではなく、「自分の手で世界を変えたい」という相当に先進的で熱い思いを持っていたことが語られます。ここでなら新しい時代を切り拓けると。それを「女は織物と結婚だけやっておけばよい」と押し込められるわけですから、その失望や怒りは大変なものだったでしょうね。

 

紹介された6名の女性の中で、興味深い存在がいます。

ルチア・モホイ(Licia Moholy)。

 

モホイ。 モホリ。 

 

 

( ´ - ` ) あれ?

 

 

ラースロー・モホリ=ナジの妻。

 

 

( ´ - ` ) どうりで。

 

しかも

・妻の方が年上、写真家としても先輩
  夫は「最初の弟子」みたいなもん

・編集業などで稼いで夫を食べさせていた

バウハウスの近代的な魅力を伝える広告写真を撮影
  けど学内で特に地位とか立場なし

・夫と共同制作してもクレジットは全て夫名義
 (1932年には離婚)

・亡命時に500枚近いネガを学校に置いていくが、学校に勝手に使われ
 後に著作権を巡って訴訟

 

 

( ´ - ` ) うへええええ。

 

げんなりする。

 

他の5名も大体そういう感じで、

・大きな夢を抱いてバウハウスに入ってきた

・女性というだけで制度的に評価されなかった

・女性に求められるのは男性社会を裏、陰から支えることだけだった

 

後にナチスが国民の投票によって票を伸ばし、政権を取って国を染め上げていくことを見ますと、第1次大戦の敗戦では物理的な破壊や困窮に苦しんだだけでなく、国民の拠り所となる価値や体制をも失ったため、旧来の価値観を求める揺り戻しの力が働いていたとも察せられるところです。

 

そう思うと、「破壊」ってあまりクリエイティヴではなく、反動を強化する弊害の方が大きいんではないかと思いますね。

 

ともかく、「革新的だと思っていたバウハウスが女性に関してはダメダメだった」という実態の研究が進んでいたので面白かったです。

 

救いだったのは、証言からすると、ラースロー・モホリ=ナジだけは才女に対して肯定的ポジションだった様子。金属工房を受け持っていたが、例外的に配属された女性:M.ブラントに対して、男子学生が拒絶する中、モホリだけは支援し、後にブラントは成功したとか。

奥さんの存在があったから、才能ある女性に対する敬意があったとしか思えない。 

 

 

そんなこんな。

また通わないと…。

 

しょんべん小僧なのに最近はこまめに着せ替えされてて陰部が見えない「トミー君」。きみ、近代化してますね。

 

 ( ´ - ` ) 完。