「大阪府20世紀美術コレクション」の作品に、名誉館長・立川直樹が自身の感性で音楽を選んで結び付ける企画展、第2弾。「社会と人間の関わり」がテーマ。
意外と戦後20世紀の写真が多いので良いですよ。
キービジュアルは、アトムスーツを着用した空也上人風のヤノベケンジ(のセルフフィギュア)だが、全体としては写真と大型絵画とLPジャケットの組み合わせ、ビジュアルの共鳴を企図した展示である。
確かに《アトム・スーツ・プロジェクト ―大地のアンテナ―》が本展示の主役級の一角を占めているが、壁面にはみっちり写真やLPジャケットが並んでいて情報量が多い。どちらが主従ということではなくLPも映像作品のように並んでいる。
掲げられる音楽(LP)は、ブライアン・イーノやピンク・フロイド、DEVO、ディープパープル、アートオブノイズ…等と、主に70~80年代の超有名級が43枚。洋楽に疎い私でも何となく知っている名前ばかりだ。各曲の説明ラベルを読みながらジャケットのヴィジュアルと写真作品とを見比べていくと、その世界観が増幅されたように感じた。
音楽が主要なテーマになっている割に、会場に鳴っているのは、小さなアトムスーツ人形軍団が断続的に立てる電子音と、佐藤慶次郎《ススキ》のボールの駆動音だけだ。
よって音楽の中身については家に帰ってリストを元にyoutubeを当たるか、イヤホン × スマホ × youtubeで聴きながら鑑賞しましょう。会場は電子音が静かに鳴り響いている。それはそれで良かった。電子音は全てに通ずる。
前々から分かってはいたが、古典的なLPジャケのヴィジュアルは良すぎる。まだサイズが写真作品より小さいから良かったようなもので、写真作品がサイズ負けしていたらLPイメージの圧勝だった可能性もある。芸術的だが商業イメージだから強さの質が違うのだ。しかしどのLPジャケットも、世界の不協和音が津波になって押し寄せてくる3分前のような、静かで、淡々と、狂気めいたものを孕んでいる。特にピンク・フロイドは凄い。ジャケ買いしますか? やばい笑 やめてや笑
コレクション作品(美術・写真作品)の方は、作家14名・全33点。うち写真が8名・21点と過半数を占める。絵画は11点だがうち7点は李禹煥《廃墟へ》の組作品だ。つまり写真が多い。
会場入ってすぐ左手には受付カウンターがあり、動線的にはフロア右側から壁沿いに回って観ていくことになる。
松谷武判《軌道-1‐B》が巨大なカンバス・黒い作品の面から床に白い和紙が流れ出して浸出し、隣の壁で更に大きな山口啓介《Calder Hall Ship-ENOLA GAY》が黒い渦を巻き起こし、黒い船影、網状のエネルギー球体が不穏さを極める。黒い。世界の破壊の圧を催させる「黒」の存在感がある。原子力だ。
そこから続いていくのがカラー風景写真とLPジャケの連なりで、ジョン・ファールの原発など発電所施設、リチャード・ミズラックの風景写真で、乾いた現実、乾いた国家=世界最強のアメリカのを露わにする。本当に不穏。核と冷戦が背景にあるからだ。LPジャケも不穏で良い。このあたりの写真が本展示で一番良かった。明確な絶望の手前、まだ自覚までには至らない不吉な予兆のあたりの写真作品が好きだ。真実や現実の奥、先にあるものを体感させてくれる。旧来の写真の最も幸福だった時代でもある。
間の壁に並ぶベルナール・フォコン × ピンク・フロイドの掛け合わせは最高だ。幻想と現実の境目がない、海岸線に並ぶ約800台のベッドと《火の玉》《風船》《Le faloise》などとの交錯は見ているだけで陶酔的トリップ効果がある。壁裏面のジョン・ディヴォラのズマ・ビーチ、焼け焦げた小屋の窓枠の板とそこから見える海岸は、強烈な印象を残す。数年前にもコレクション展で見ていたが、他の写真よりも克明に記憶に残っていた。脳の記憶野を焼くような像だ。不穏さが振り切れていて最高。
フロア左側に移ると、タン・チン・クワン《叫び》、16組の叫びの表情の連続写真と、アントニーン・スティーブレック《文明の出会いⅢ》異星人のパワフルな邂逅、祝宴めいた巨大な絵画が存在感を示す。巨大な感情のエリアだ。続く壁には李禹煥《廃墟へ》シリーズが来るが、絵とも文字ともただの線ともつかない断片のエッチング、叫びとヤノベケンジの間にあり、本来のヤバさが薄まっていた感はある。
フロア左側の真ん中、柱の奥にヤノベケンジのゾーンがある。等身大フィギュアの足元には正方形の写真パネルが並び、更にその下の床面をアトムスーツのミニチュア人形軍団が整列する。90年代の大阪の現代美術と言えばヤノベであり、80~90年代のヤノベ作品(に限らずアート、サブカル全般のモチーフ)といえばネオ・万博的な祝祭の後にある空虚さと、チェルノヴィリ原発事故やエイズ禍に象徴される、目に見えざる恐怖の地球規模での広がりがあった。だが現在と違ってそれらは表象(他人事)の域に留まっていた感がある。
最後、受付カウンター後ろの壁には、佐藤慶次郎《ススキ》が動き続けている。床から細い二本の棒が伸びていて、白いボールが3球ずつ、上下運動をしている。球は、球同士が出会うと組になったり、また分かれたりを繰り返す。1は2になるが、2は3になって完結することはなく、また1に戻る。初めて知った作家だが、かつて「実験工房」で瀧口修造らと活動していたという。シンプルなのに刺激的な作品だ。
いにしえの名曲LPジャケットのヴィジュアル表現と共に見ていくと、何か新たな展開を得られるかもしれない。リストを見ながら家でyoutubeをたぐろう。
セバスチャン・サルガドの南米の採掘現場写真3点は柱に掲げられ、今回の展示形態とテーマ性、サイズ感の中では目立たなかったが、それは逆に良かった。私はサルガド世界が苦手なのだが、生プリントはさすがに良い。印刷物とは別物だ。
ロバート・ハートマンの風景写真はあまり印象に残らない。
地味にアルフレッド・スティーグリッツ《熱気球》もあるのだが、情報過多のため埋もれている。というよりあえて写真を主役にするのではなく、現代美術、LPジャケ(とその奥にある音楽世界)とをトータルで編集しているため、特別視されていないのだ。写真史の展示ではないので、メリハリはないが、これはこれでまあ良いように思う。
むしろenocoの展示スペースが変な形とスペース感をしているので、美術館のように権威とメリハリを持った展示ができないのである。どうしてもコレクション展をやると雑多なコラージュ空間のようになる。よって逆にブリコラージュ的な構成から攻めた麥生田兵吾の展示は成功していた。
色々見たけど何を体得したかというと散漫な印象ではある、だが不満だったかというとそれなりに情報を得ていて不満ではない、なんだか奇妙な鑑賞体験だった。とりあえず現代写真を沢山観られたら満足するという体質のせいかもしれない。ニューカラーの作品は良いんやで😙😙
無料なので、大阪中之島美術館や国立国際美術館と合わせて観て回ると良いでしょう。私はこのあと梅津庸一「クリスタルパレス」へ行きました。理想的な夏休み。おほほ。あつい。
( ´ - ` ) 完。