nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展】R3.11/27~12/19_高林直澄「A second of...」@galerie SPUR

2021年11月27日、大阪・服部天神に新しいギャラリー「galerie SPUR(シュプール)」がオープンした。写真専門ギャラリー「gallery 176(いなろく)」とギャラリー&ショップ「G&S根雨」の入る建物とは、実に徒歩1分以内の超至近距離に位置し、写真ファンにとっては超うれしい展開となりました。ありがとうございます。

 

開店初となる展示は、オーナーであり写真作家・高林直澄氏の作品である。ギャラリーも作品も見ていきましょう。

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【会期】R3.11/27~12/19

 

今後発展していく予定のギャラリーホームページ。

galerie-spur.com

 

◆店内のようす

店内はコンパクトだが狭すぎず、大人3~4人ぐらいが立って話すと丁度ぐらいか。作品を掛ける壁面としては、入口から向かって左右の壁2面がメインとなり、正面・スタッフスペース前と入口横の小さな2面はサブ的にアクセントや〆で使う感じだ。

 

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向かって右側の壁はストレートに白い平面。こちらは額装された作品に合う。オーナーの計算です。

 

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反対側・左の壁面は太い柱が2本通っていて、かなり凹凸がある。そのためロールなどを用いて、変則的な展示で立体的に見せるのに向いている。オーナーの計算です。展示に慣れた作家なら柱の凸をまたいで写真をめっちゃ張り巡らせるなども可能。求む・やんちゃ氏の挑戦。

 

ちなみに施工業者からは「柱を埋めることもできますが」と言われたそうだが、もし埋めていた場合は柱の位置に壁を合わせることになっていたため、かなり圧迫感があっただろう。柱の凹凸がある方が部屋として奥行きを感じる。

 

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向かって正面。

スタッフスペースの間仕切り壁と、奥のドアはトイレ。必要なものがコンパクトに詰め込まれた空間だ。壁・床など全体が白色ベースなのも、オーソドックスな展示をきちんとやりたい人にはありがたい。

 

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スタッフスペース横の棚は、他ギャラリーのDMなど情報コーナー。これ便利ですね。京阪神の写真展示情報を得ましょう。ただし、閲覧のみの冊子等もあるので、持って帰ってよいかオーナーに確認しましょうね。(あやうく赤々舎の『りんご通信』を持ち帰りそうになった。てへ。)

 

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入口側を振り返ったところ。

入口すぐ横に物入。これは便利。そして小さな壁面の下に、ポートフォリオ等を置くことのできる台がある。これは便利。出展する時に必要なものが機能的に収まる仕組みになっている。さすがどす。

 

とにかく全方向的にスタンダードで、アットホームな空間だ。機能性・実用性が高い分、純粋なギャラリースペースというよりは、一般の部屋に近い間取りをしている。

 

 

◆作品『A second of...』

作品は1点ずつ額装されたものと、縦に連なったロール紙から構成される。いずれもコンセプトとして「1秒間露光」の写真だ。一枚一枚の完成度というより、意図されたフレーミングとコントロール不能な露光現象との兼ね合わせ・ズレを見るものとなっている。

 

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1秒間も開け放ったシャッターの中では当然ながら像は流れている。作者は記憶について言及していた。秒・分単位での記憶認識で言えば、眼前で見たはずのものと別の光景を写真に見ることになるだろう。長期的な記憶で言えば、とろけて抽象化した光景に撮影時とは別の場所や記憶を惹起される効果があるだろう。

確かに現実の記録でもなく、撮影者の感傷でもない、光景の流れであるから、そこに何を見出すかは自由度が高いと思われる。

 

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だが個人的に興味を抱いたのは、異常な描画力の方だった。「ブレ」を塗り潰して「正しい」像へ強引に補正する力である。

 

これがデジカメ写真にしかない映像世界を生み出していた。

 

デジカメ内蔵の手振れ補正機能によるものだが、補正効果が強力、いや、効きすぎているぐらいで、1秒もの間露光していたとは思えないぐらい、写真の様々な部分で像がビシッと写っている。歩く通行者の群れ、作者が歩くことで流れ去る風景はブレて写っているとしても、それ以外の部分が強力に「止まっている」ことが多い。

作者は手持ち撮影をしているので、ただじっと立っているだけでも手指の震え、鼓動などで十分にブレるはずだ。雑踏の動きで床が振動するだけでも写真にブレは写り込む。そのはずが本作では、微細な動きは無かったことにされていた。

 

この点はフィルム写真をやっていなくても、普通に長時間露光で撮影している人間なら体感的に異常なものとして感じられるだろう。私はフィルムだけでなくデジカメでもEOS 5D Mark ⅣやSONY RX100M3を相当使い込んできたが、このような処理のされ方は初めて見た。むしろ手ブレ補正が弱いので、少々のことですぐにブレる。そうした写真的な視界とも、本作はまた違っていた。

 

デジカメが人の手を離れて独自に作出したデジタル加工の世界は、何かを示唆するものがあった。機械にしか見えていない世界、そして機械の側はそれを認識・鑑賞はしないという虚数的な場。無論、本作はそれを主題としていないので、今回は私が個人的な気付きを得たに留まる。

 

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本作は「1秒露光」という手法だけが共通していて、被写体や撮影シーンは幅広い。都市景が多いが車窓や路上もある。動いているのも被写体だったり撮影者自身だったりする。

ここに「1秒」の時間・空間上の尺を見るか、吹っ飛ぶ光景の面白さを見るか、色々と自由である。何か見るべきものが更に明らかになれば面白いと思う。

被写体やシーンのみならず、展示方式においても発展性がある。例えばロール紙を使った展示方式を、柱をまたぐような縦横入り乱れたものとしていくと、また新しい発見があるかもしれない。

 

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そんな中でこの1点は異色だった。夜間、ライトを花に当てた状態で撮られたものだが、他と明らかに撮り方が異なる。他は流れた風景だが、これには核となる被写体が存在し、「形」が写っている。

色々と見出されていくと面白いと思った。

 

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そんなこんなのギャラリーと展示でした。わあい。

地味によろこんでいます。

 

( ´ - ` ) 完。