nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【KG関連】2026.5/9_PHOTOBOOK AS OBJECT / PHOTOBOOK WHO CARES トーク「構造としてのアーティストブック」(KYOTOGRAPHIE PHOTOBOOK FAIR 2026)

「KYOTOGRAPHIE」本体や「KG+SELECT」「KG+」あるいは他の展示でも活躍目覚ましい写真家4名:石黒萌子、後藤友里、千賀健史、𠮷田多麻希 が、自身の「アーティストブック」制作について語る。

 

「KYOTOGRAPHIE PHOTOBOOK FAIR 2026」はどうでしたか?みなさん散財しましたか???消尽しましょうね???あ???(道連れ

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フェアに参加している「PHOTOBOOK AS OBJECT / PHOTOBOOK WHO CARES」作家4名によるトークイベントがあり、「写真集制作」という枠組みよりも深くて広い「アーティストブック」制作について掘り下げた話がなされた。これはどういうことか?

 

◆前提と用語の整理

いくつか用語が出てくるので整理しましょうね。

 

・Reminders Photography Stronghold(RPS):

2012年に東京都墨田区に設立された、写真家が作家性を高めるためのインディペンデントな拠点。ワークショップを通じた写真集を制作と写真展を行うための、物理的なワーク&展示スペースであるとともに、そうしたプロジェクト全体を指す言葉ともいえる。

(場所としては、2022年4月に「RPS京都分室パプロル」もオープン)

RPSの各種プロジェクトは作家の活動支援ではあるが、作家と主催者が一体となって、深く関わりながら共に作品制作を行っているため、「RPS」という言葉にはそこで活動している作家群を指す、グループ的なニュアンスもある。更には、観客までが一体となって「作品」が完成するという思想ゆえに、更に総合的な概念ともいえる。

 

・PHOTOBOOK AS OBJECT / PHOTOBOOK WHO CARES:

RPSで写真集制作を行っている写真家が複数名集まり、その時点時点で作品発表を行う際のプロジェクト名。グループ名とも。

2014年に第1回「PHOTOBOOK AS OBJECT」が開催されて以来、毎年定期的にワークショップ成果等を発表してきた。参加メンバーは都度異なる。

「PHOTOBOOK WHO CARES」まで冠するのは、今回のフェアのように、外部のフォトブックフェア等へ参加・出展する際の対外活動名義と考えられる。辿る限り、2016年「TOKYO ART BOOK FAIR (TABF) 2016」参加が初出か。

今回の「KYOTOGRAPHIE PHOTOBOOK FAIR 2026」では、石黒萌子、後藤友里、千賀健史、𠮷田多麻希の4名がメンバーとなり、ブックフェア出展とともにトークイベントを実施している。

 

・「構造としてのアーティストブック」:

今回私が聴講した、「KYOTOGRAPHIE PHOTOBOOK FAIR 2026」会場内でのトークイベントタイトル。「PHOTOBOOK AS OBJECT / PHOTOBOOK WHO CARES」作家4名が、モデレーター/RPS主催・後藤由美の進行により、約1時間のトークを実施。

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◆トークの内容と構成

基本的には、直近で作成したアーティストブック(フェアで販売中)について概要説明がなされ、その後はオープンディスカッション、質疑に応答してゆく形。概ね以下のような流れとなった。

 

1.各作家アーティストブック概要説明

2.ブックの複雑な構造の意図

3.エディション数の考え方

4.(質疑)制作を通じたマインドの変化、アーティストブックという言葉の捉え方

5.展示とブックの関係性

 

以下のレポでは、順接で議事録みたいに書き起こしてもAIが書いたみたいでしんどいので、作家4名と後藤代表が何を考え、語ったのか、人物ごとにまとめる。

何よりもRPS公式サイト上に掲載されている各作家のアーティストブック解説が非常に詳細なので、客観的説明には各作品リリースページを充て、本文記述は私の解釈や鑑賞経験をベースに記載することにした。(実際に概要を書いてみると、書くことがないぐらいWebページとトークで十分だったので、やめた)

 

各作品リリース説明文を見るだけでも、いかにブック制作にコンセプトが練られているか、更に作品テーマと制作コンセプトを自分の言葉で語るかが構造化されているかが分かる。体験型インスタレーション展示会場をブックの形で設計、実装しているのだ。サイトを読むだけでもわかるが以下のトークで語られているのは、端的にそれだ。

 

 

◆後藤友里 / ブック『Love Knot』

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作品は作者の実体験、マッチングアプリでのマッチング経験を元にした恋愛の物語だが、マッチングから連絡先交換に至った9名の相手を「機種変して乗り換えるスマホ」と重ね、更にそれぞれの作品ケース箱の裏には作者自身の写真を入れることで、それぞれの相手に応じて機種変していた自分自身をも重ねている。

言わば、人間個体のみならず、異性との出逢い、恋愛、その先の結婚までもがデバイス機種変の一例として俎上に上がっている。旧来の人間観からすれば極めて不遜で傲慢、しかし人間個人よりも先にデバイスとプラットフォームがプレインストールされた「世界」ではそれが当然の仕草となる。そうした現在形のシステムを伝えてくれる作品。

 

ブックの構造としては、スマホ画面をスワイプするように左右へめくる構造が意識されている。これによってマッチングアプリの挙動:スワイプでお相手を選択し、買い合い、消費し合う関係にあることを重ね合わせている。

マッチングした相手の人数・200名をエディション数とし、連絡先交換に至った9名を作品の構成数としている。

 

展示との関係性では、等身大の写真を掲げ、裏に自分のTwitter鍵垢ツイートを掲載することで、鑑賞者が身体を動かしながら介入していく構造としているとのこと。

「KG+SELECT 2023」出展時(当時のタイトルは「pop ropes」)では、まだ写真の裏面は白紙で、写真のビジュアルを見せるだけに留まっていた。その後、立体的な構造を持たせるよう進化が進んだのかもしれない。

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過去の構想段階を振り返ると、作者の取組みはいうほど単純ではない。「相手を消費する」、商品化された相手=男性を条件でザクザク切って捨てていくような酷薄さが、現在のSNSやYouTubeでは問題視され常々話題となっている。が、本作ではむしろ作者自身の自認の問題、「私はどういう人生を歩みたいか」があり、マッチングアプリという半ば設定ありきの世界に参入したことで、アバター的に分岐してゆく「私」をどう捉えるのかという問題意識が強かった。マッチング相手毎に派生した「私」を演じる私。消費以上に過酷な管理者責任を負っている。このリアリティがたまらない。

 

 

◆石黒萌子 / ブック『Notation(s)』

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今回初めて知った作者。トークの説明を引用すると

この本は日常の風景から心が動く感覚を伝えるための本です。パッと見は真っ白で、パラパラやってもあまり写真が見えない構成を意識しています。 写真は全て袋綴じになっているので、この内側に隠れているという構成を考えました。

日常的な風景を『なんとなくいいな』と片付けてしまうのではなく、何が面白いと思ったのかを自分でも理解するために、図形(記号)を全部作っています。視覚的な要素や構造的な要素を1つ1つ自分の中で言葉に表す作業をしました。 その図形を記号化(ノーテーション)してページに入れています。

ということで、「何気ない日常スナップ」が作品だが、写真自体を隠して、そのシャッターを切った動機を探り当てるために形態素を抽出している。

サイトより引用。

ページは片観音開きとなっており、外側に記譜図、内側に写真が配置され、観音(ページ)を開くことで初めて写真を見ることができます。

(略)

本編は、100枚の写真と、それぞれに対応する100枚の記譜図によって構成されています。
この記譜図は、誰でも描けるような60個のシンプルな図形の中から該当するものを選び、配置することで、1枚の写真に対して1枚ずつ作られます。ただし、その組み合わせは絶対的なものではありません。

「何気ない日常」の写真がなぜ普遍的であるか。その一方で、なぜそのままでは無意味・無価値となるのか。誰でも撮れるし誰もが撮るということ、ここに働いている誘因因子として、視界に潜み、表れる図形と配列の問題があるということだ。

日常の風景を綺麗に印刷してまとめた本は既にいっぱいありますが、自分の主観で止まってしまっている感じがありました。それをどう他の人に理解してもらうかを考え、ワークショップでのやり取りの中で「図形記譜(ノーテーション)」という手法に落ち着きました。共通で使える簡単なツールがあれば、主観的な部分から抜け出せるのではないかと考えました。

 

順序が逆になり、また直接の引用や関連は言及されていないが、写真作品を評論する際にこうしたメタデータの解析を行ったのが清水穣で、これまでの写真評論では用いられていなかった形態素分類を徹底して行うことで傾向を掴み、あやふやなスナップ写真を私性や私情から切り離して論じていた。

本作ではよりシンプルに、2次元平面上の図形配列に純化したものとなっている。配列を逆に鑑賞することで、個々人が何のどんなパターンに反応し魅力を覚えるかを想起することが可能にもなる。撮影における画面構成の話はかつては当然に踏まえられていた(モホリ=ナジ・ラースローを持ち出すまでもなくブレッソンを筆頭格に、構造が全てだ)が、いつしか私性、私情の表現が先行して見失われていたらしい。それらと融合した配列の再発見、再認識を提唱しているわけだ。

 

本作は図示によってシンプル化――メタ化されているが、その分、本としての装丁が凝っている。自立して立つぐらい太い。何よりもカバーが異様に太い。「カバーは30枚の紙が重なって作られていて、開けると小さな本が重なっているようになっています」、本自体に違和感を持たせる意図がある。これらが総じて「何気ない風景」を再考させようとしている。

 

 

◆千賀健史 / ブック『After the Wall』

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4人の中で、いやこれまで見てきた「写真集」の中で、本作は最も極端な値をとる。ロール状の紙(要はレシート)を吐き出す箱。「表紙と中身」「ページ」「めくる」といった本や読書の構成要素を大胆に引き算している。

モニタで表示しながらプレゼンしているところ。作者手元のサイズにも注目。

 

誰もこれを「写真集」や「ブック」とは呼べないだろう。音の代わりに印字を吐き出すオルゴールと呼んだ方がしっくりくる。だが「ブック」なのだ。なぜなら読者の挙動によって作品を出力し読み進めることができる機構を保っている。ただし一度出し切ったレシートは自分で巻き戻して収納する必要がある。

破壊的なイノベーティブさが際立つが、巻物・絵巻物にまで遡ってみれば、読み物メディアとしては古典的というか保守本流であるとも言える。

むしろ物理的構造よりも印刷物の中身の方が異質でイノベーティブかもしれない。レシートは展示会場のインスタレーション機構から吐き出されたデータを再利用している。印字されるのは、意味ありげな警句・格言、意味ありげなIDナンバー、文字列で再現された人物写真。人物像は作者の自演セルフポートレートを元にしていて、特殊詐欺事件の加害者(出し子、受け子、勧誘役)、被害者、その候補となりうる高齢者などに扮している。

元の写真自体が極端にざらついて激しく劣化したような画質のため、それが誰なのか、犯罪者側か被害者側か、善か悪か、判別できない。どちらにも転びうる切り立った稜線上を歩いているようなポートレイトだ。それを更に文字列でアスキーアート化している。つまり、全てはデータでしかない。加害者側も被害者側も消費され奪われる数字であり、その立場では等価である。特殊詐欺をはじめトクリュウ案件における真の暴力性とは、加害メンバーすら使い捨てラジコンに過ぎない=”被害者”であるという点だ。

彼らを操り、その気にさせるのが、巧みに繰り出される自己啓発、自己実現の言葉である。

 

こうした構造を盛り込んだ感熱紙ロールは、濃厚な邪悪を結集させた呪符のようなものだが、消費者にとって慣れ親しんだレシートとして淡々と、軽々と、そこにある。

 

展示空間の一角にレシートが大量にうねっているのを目の当たりにしたのは、昨年(2025年)のKG+だった。(千賀健史、林田真季「After all」@RPS京都分室パプロル)

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終わりの無さを実感させるのに十分なインスタレーション。犯罪と被害は終わらず、搾取は終わらず、詐欺舞台のスクリプトは更新され続ける。手元のロールを出したり巻いたりすることで終わりなき再生を体感できるというのがブックの意図だという。

 

4人の中で最も「写真(写真集)」から遠いブック。なにせ出力データが全て文字で構成されている。これを写真(集)と呼ぶのか? ブックから入った人には唐突かもしれないが、これまでの代表的な展示を観ていると違和感がない。(特に2022年「Hijack Geni」@RPS、2024年「まず、自分でやってみる」@BUG など) 

ハイコンテクストかもしれないが、そもそも千賀作品において「写真」は本来の用法・意義から遠ざかっていて、「現実社会を反転させた・転写した舞台仕掛け」のパーツを作成するために動員された要素で、例えるならモキュメンタリーにリアリティをもたらすために逆輸入された現実成分が写真なのだ。よって作品世界の中に入った観客にとっては千賀作品こそがリアルとなるので、その内側から見られる「写真」は更に逆照射の視線に晒されることになり、仮想世界を仮想のまま増築、増幅させる扉となっていく。

そこではレシートもプリントも機能上は区分の領域があってないようなものとなっていて、総じて現実社会の複写場として働いている。1枚1枚のプリントやデータを写真と呼ぶのではなく、それらの展示空間自体が「写真」ということになる。私は写真である、名前はまだない、『Hijack Geni』の不特定多数の肖像たちにせよ『After the Wall』のロールデータにせよ、それらはまさにそう言っているように聴こえる。

 

◆吉田多麻希 / ブック『序の口』

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トークで紹介された『序の口』は、同時期に開催中の「KG+」:𠮷田多麻希・松村和彦2人展「閾 ─ 揺らぎの像」(@RPS京都分室パプロル)展示と同じ作品である。先に展示を観ていたので理解が早かった。

 

本書は、知床・羅臼町に出没した一頭の「問題熊」の痕跡を辿ることから生まれた、59部限定のアーティストブックです。

熊出没、熊による食害問題―全体としての「クマ被害」ではなく、「問題熊」としているところに、本作の凄みがある。数年来、連日報じられる日本全国のクマ被害(もはや国民は「熊」と聞いてもヒグマとツキノワグマの区別もないだろう)、その中から、ある1頭を絞り込み、形容を与えて浮き上がらせた。必然的に、「熊」は個別具体的な存在となる――人格めいたものを帯びる。

 

特別な個体、特別な熊、だが驚くべきことに本作は、その個体化されたはずの「熊」の実在を揺さぶる。

報道、文字や数字や映像によって「見える化された」存在を、見えないものへとあえて再後退させる。ヒトの世界へと入り込んだ熊は、ヒト側の語りとイシューによって捕獲され、固定された存在となるが、作者は熊を、認識とイシューの外側へと、目視の能わない存在へと「帰す」のだった。

 

ヒト世界の外側の者として解き放たれた熊が、改めて、森の闇の中から、センサー感知伝いに見えないままに我々の前へと忍び寄り、迫ってくる。

 

更に、59部というエディション数の意味が、不特定さを増幅させる。「2018年から2022年7月にかけて、本プロジェクトの契機となった『問題熊』が捕獲されるまでの期間に、羅臼町で捕獲された熊の総数」がブックそのものとなることで、「問題熊」は、何処に何体いるのか分からない、無数の「熊」を呼び出すことになる。

 

 

『序の口』はそのようにして編まれている。

 

実は本作『序の口』に至る伏線、というか出発点があった。

2023年9/2〜10/9に同時開催されたダブル個展「葬斂 SO-REN」@ 229Gallery と「Brave New World」@ 東條會舘写真研究所 、どちらも野生動物と人間世界との関わり、距離感、生の境界の問題がテーマだったが、「葬斂」はまさに「問題熊」を扱った作品展だった。

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あるきっかけから調査を始めたこの1頭の羆にわたしは没頭し夢中になった。

そして、いつしか、人間とその熊との中立な立ち位置を保つことが難しくなっていった。

 

当時の作家ステートメントは、作家としてとるべき距離感を自覚しつつも、中立的でいることの困難さを滲ませている。

 

またこの時点では通称「RT」(ルシャ太郎)という問題個体について取材、撮影していたことが語られている。2018~2021年の3年間で、飼い犬を計8匹襲った問題個体として有名になった。RTは取材中の2022年7月に捕獲罠にかかり殺処分された。トレイルカメラでの観測などを通じて彼の足跡を追っていた作者にとっては、人間都合で駆除され、廃棄物として処分された彼の存在は、作者にとっては、こちら鑑賞者側が受け取る以上に複雑なものだったと察する。

 

『序の口』では、「問題熊」をRTとは明示していない。トークでは。OSO18なのか、また別の熊なのかもしれない。観客に対してのみならず、作者の中でも一度、「熊」を不可視の、領域をまたぐ存在へと置き直していく――代わりにブックの物理的形態そのものが闇と「熊」を帯びてゆく。カバーは綴じられておらず黒い板をゴムバンドで留めただけ、天・地は作者が手作業で裁断した後ヤスリで磨き入れたもので、それは「熊の毛並みをブラッシングしているかのよう」であったという。

 

熊のポテンシャルを解き放つ工程、そして熊の存在の現れをブックそのものへと乗り移らせる作業、それが段階を踏まえて姿を現わしてゆく・・・『序の口』なのだと感じた。



 

◆後藤由美 /RPS代表者としての視点から

最後に、作家と共にパワフルにアーティストブック制作を行う後藤由美代表の言を紹介する。

 

後藤代表のスタンスは明確である。トークでは、主にブックの構造について作家に話を振るところで自身のスタンスを語っていた。要点は以下のとおりだ。

  • 個人的には、主観的な作品は苦手であり、共感が難しい

石黒萌子の作品への補足で語られた言葉。確かにRPS関連作家・作品では「なんとなく」「言葉にできない私(の気持ち)」が、ない。徹底した言語化が図られている。言語化の上で言語にはならないものを見せることに徹している。

実際、この好みというか生理は私も共通している。雰囲気、”わたし”、な作品を鑑賞者側が言語化するのは無理だ。言語化できないとは語れないことで、語れないとは感じるものがないということだ。構造がないのだから当たり前だ。

 

  • ブック作成において最も大事なことは試行錯誤、その作品に一番ふさわしい形とは何なのかを突き詰めること
  • 「アーティストブック」は一から十まで作家が出作りする「作品」である。アート作品は一点ずつしか買って所有できない=作品全体を所有することはできないが、ブックは全体を所有できる
  • 展示もブックも、伝統的なリニアな(直線的な)見せ方ではなく、観客が参加できるインスタレーションとしての設計をしている

これらは「アーティストブック」作成、構造についての言だが、RPSの展示とブックを一度でも見ればそのことはすぐ理解できよう。これまでも「KG+SELECT」で度々目にする機会があったし「RPS京都分室パプロル」での展示もしばしば催されているので、行けばわかる、というものだが、何よりブックの制作工程にこれらのエッセンスが凝縮されている。

ブック制作ワークショップではどの作家もバージョンは20を数える。とにかく試し続ける、試す中で辿り着くものがある、それはクオリティの洗練というよりも、作家性、テーマ性、それらを伝えるための方策、の総合的な深化と構造化の営みだ。

 

写真(ブック、展示)はどこまで凝った言語化、構造化を図るべきか、という問いは常にあるが(特に今回の「KG+SELECT」を見るにつれ)、実質的にRPSほどの手間と労力をかけられる+的確な批評とプロデュースの恩恵を受けられる人は圧倒的に少数のため、寧ろ今、必要なクラスタと言えよう。

 

言葉にすると簡単になってしまうが、やり抜ける人間は少ない。複数要素の合わせ技になると尚更だ。実力のある、尖った能力を持つアーティストでも(だからこそ)、自分の思想とやり方で突っ走ってしまう。なのでRPSのようなワークショップの場が求められ、今まさに機能し評価されていることがわかる。

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というようにして1時間のトークが終わった。

 

しかし書いたもののこれはトークイベントのレポートになっていない。特に千賀健史、吉田多麻希の項に至っては自分の展示鑑賞とブック読解の実感が入り交ざって、トークを逸脱している。トークを聴いて理解を深めたということでよろしいか。

 

なによりAIによる音声データ文字起こし構文を見ると痙攣起こして死にそうになるので一から自分で手探りして書く必要があった。自分でもめんどくさい性分でめんどくさいのだが何かこう作家に対するレスポンスとして自分なりに身体の手応えが必要だったのだ。それはAI的な定型を脱したものでなければならないように感じた。

またトークのレポと離れていく。このあたりにします。

( ◜◡゜)っ 完。