nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART】R4.12/23~R5.3/13「杉本博司――春日神霊の御生(みあれ)」@春日大社国宝殿、若宮

「奈良で杉本博司」「春日大社の宝物殿で杉本博司」と断片的な展示情報を聞いていたが、例によって下調べはせず現地に行ってみたの巻。杉本の個展ではなく、氏のプロデュースによって杉本個人の制作した作品 × 春日大社などの寺社が所有する宝物を展開していた。

 

【会期】R4.12/23~R5.3/13 (※1/31から後期展示となり、展示物の一部が入れ替わる)

 

展示はバス停すぐ前の真新しい建物春日大社国宝殿」と、春日大社本殿から更に少し奥にある「若宮」の神楽殿・御廊の計2カ所に分かれている。前者がメインで要入場料、「若宮」はフリー開放で大きな屏風と写真の2作品がある。

私は「若宮」に作品があるとは知らず、一度参道を上がって本殿で賽銭を投げ入れてお参りしてから「国宝殿」まで下りてきて、入場する際に「若宮にもあります」と言われてこけそうになり、鑑賞後再び参道を上って「若宮」の2作品を観に行った。幸いにも距離は知れている。鹿と仲良くなれた気がする。

 

何度も春日大社には来ているが、国宝殿に入るのは初めてです。「いつでも来れるでしょ」という地元民(※筆者は関西人です)にありがちな慢心からスルーし続けてきたのだ。入口には「小田原文化財団」の暖簾が掛かっていて、高級老舗京菓子店のような雰囲気がある。オーディオテクニカだと思った人。はい。

 

 

本企画は、2022年3月に小田原の「江之浦測候所」に「柑橘山 春日社」を創建、春日大社の祭神が勧請されたことと、同年10月に春日若宮の式年造替が行われたことを踏まえた展示企画である。

古来の人間の意識や信仰に注目してきた杉本博司が、特に春日信仰に基づく春日美術へ関心を寄せてきたことが、江之浦に「春日社」を建てた動機という。後から調べて書いてたら謎が深まってきた。(※筆者は展示を見てから調べ物をします(遅い))

 

www.odawara-af.com

なお筆者は江之浦測候所に行ったことがなく、「構想10年、工事10年」と名高い超時空美術施設であるにも関わらず、2017年10月オープン以来ずっとほったらかして何してたんやというそしりをまぬかれません。ひい。コロナがわるいんや。またいつか行きます。

 

「江之浦測候所」とは。「Casa BRUTUS」が丁寧にまとめています。これで予習復習しましょう。


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若宮の式年造替はこちら。

www.kasugataisha.or.jp

そういえばずっと寄付を呼び掛けていたが、あれがこれか。しかし今回、現地を見た後でも何が前から新しくなったのか変わったのか全く気付かなかった。20年に1度の建て替えなのに… 私は節穴…

 

 

◆会場1_春日大社国宝殿(1F)

1階は杉本博司の作品を中心に構成している。

よもやと思ったが自動ドアを入ってすぐの背の低い石キノコみたいな石塔、これが既に作品の一部である。杉本博司プロデュースということは、視界に入るもの・入らないもの全てが作品であり「場」なのである。東京都写真美術館リニューアルオープン記念展示を観た人はそのことを思い知っているはず。

 

《鳴神神社石塔》(1301年)春日大社蔵。

上下の石がバラバラだった「石」だが、検証により石塔であると判明、上下を合わせたらしい、という解説があった気がする(手元に記録がない)杉本博司「石」を重要視しており、過去・歴史を識るものとしてよく登場する。NHK日曜美術館」特集回でも「安藤忠雄に石フェチやな~てツッコまれました」と自分で語っていた。石はキーワードです。

 

1階の作品は、石塔以外は現代のものである。が、すんなりと現代作とは見えなかったりする。

 

回廊の奥には華厳滝図》(1977年)が掛けられている。これこそ古美術だと思っていたが、杉本がアメリカ永住権を取得した1977年に日本で撮影した華厳の滝の写真を、2005年に掛け軸に仕立てたものだという。荒々しさと静かさが同居した山水画だと思って観ていたので、写真だとは気付かなかった。暗さのせいもあるが意図的に時代やジャンルを越境するよう作られていると思う。

今回展示される写真作品はどれも、古い時代に描かれた「絵」に見える点が共通している。

 

回廊を曲がると暗い部屋に続き、すぐ左手に大きな屏風が立っていた。春日大社暁図屏風》(2022年)、暗がりの中で柵の朱色が鮮やかに浮かび上がる。本作は巨大な写真プリントなのだが、デジカメ越しに撮るのと違って肉眼では背景の木々などは部屋の暗さに同化して見え、そのため仏教画のようであった。

 

 

対面する壁には液晶画面に森山正智《春日山原始林》(2022)の写真スライドショーが続く。

春日山原生林」はハイキングコースがあり歩き回れる、とGoogle Mapにすら書いているのだが、行ったことがない。いつか行かねばならないだろう。山に分け入れば信仰の姿が何かつかめるかもしれない。

 

次の部屋もまた暗く、大きな屏風がぼんやりと像を放っている。

春日大社藤棚図屏風》(2022)、さきの屏風より更に暗闇の中でぼうっと光を放つ、まさに仏教の世界を現わした絵図、霊験により開かれた世界の姿のような体感があった。これが写真のプリントだということを実感するには、目が暗所に慣れてきて、背景や細部の描画が見えてきた頃だった。明暗のコントラストがあり像や描線が闇に溶けていると「絵」として、それらが一定の均質な情報量として目に見えると「写真」として認識されるのが興味深いところだった。

満開の藤の花は涅槃を思わせる。なぜだろうか。花が密集して咲いている様はなぜか楽園やあの世を連想させる。植物にとってはただの生殖行為なのだが。人間が思い描いた極楽の像を具現化するよう造園し、品種改良を重ねてきたためだろうか。

 

 

◆ 〃 (1F)・鼉太鼓(だだいこ)ホール

2階への階段までの間に、巨大な「鼉太鼓(だだいこ)」を展示するホール/通路がある。素通りしそうになったが窓側に並んでいるのは京セラ美術館の企画展でも展示された《光学硝子五輪塔》シリーズ(2012/1996)だ。モダニズムの建築物、何本も縦に走る金属質の格子と完全に調和している。

反対側・階段からの方が空間との呼応がよく伝わる。ホールの建築、太鼓の威容、それぞれのディテールと、マクロとミクロで入れ子となり曼荼羅のように構造が続いていく。五輪塔の中を角度を変えながら覗き込んでいると反射と回転の迷宮から逃れられなくなる。

 

このガラスが尋常ではなく、撮影のために近付いてもこちらが映り込まない。高い透過率によってあくまで前方のものを映し出している。こちらの身体を無に還しながら向こうを見ようとする「私」の意識を引き出している。終わりがない構造体なのであった。恐ろしい。

 

90度立ち位置を変えて球体の中を覗き見ると、<海景>シリーズの海が見える。古代の人が見ていたであろう海の姿が、五輪塔の表す五大元素の中にある。海という知識を排すると炭素に見え、また人類史との関連が転々と続いていくのであった。

 

 

◆ 〃 (2F)展示室

2階からは撮影不可で、平安・鎌倉・南北朝・室町・江戸時代の古美術品が特集される。展示物は春日大社など寺社が所有するものと、杉本個人蔵・小田原文化財団所有のものとに大別されるが、一部の品を除いては全て古来の春日信仰を伝える文化財の類だ。仏像や菩薩・観音像、舞楽面、曼荼羅、経典(称名寺聖教)、春日本、厨子、鏡箱、剣…などと多岐に亘る。

美術手帖」の記事を見ていると、展示品のセレクトは2022年1~3月に神奈川県立金沢文庫で開催された特別展春日神霊の旅―杉本博司 常陸から大和へ」と似ているようだ。

bijutsutecho.com

 

全6章構成のうち、2階の展示は春日神霊の御生」「春日若宮の御生」「伝えられる神霊の物語」「御神宝と御調度」「神遊びの仮面」の5章から成る。春日信仰、霊験、神の現れと継承といった観点から見ることができればよかったのだが、私に全く前提となる土台がなかったことと、「どれが杉本博司の作った・関わった作品か?」という目でしか見ていなかったので、数々の貴重な資料の連関を見るに至っていない。また次回がんばりましょう。

というのも、展示の全体像や構成を全く知らずに来たので、どこで杉本博司の作品(特に写真)が出てくるのか、その場合どういう展示形態になるのかを警戒していたのだ。仏教密集地帯となればぜったい<放電場><海景>シリーズあたり来ると思いますやん。来ませんでしたけど。

 

代わりにいくつか古美術との組み合わせが凝らされていて、春日神鹿像》(室町時代は鹿の像の背中に須田悦弘の作った蓮の台座が取り付けられ、その上に杉本博司のガラスの五輪塔が載っていて、球体は<海景>を示している。原初の宇宙の構造のような品となっている。

《春日舎利厨子》(鎌倉~南北朝時代は大きな仏壇のような箱の内側、扉の裏に多数の僧が描かれていて、その箱の中央にやはりガラスの五輪塔が置かれている。この五輪塔があるだけで古美術は一転して現代のものへと転じるのが驚きだった。高い透明度と光の密度を湛えた幾何学図形は、劣化・風化=過去、という時系列の縛りを越境させるらしい。

 

文化財コーナーみたいなものだったので、展示品の大部分のレポをすっ飛ばすが、やはり「春日信仰」とは何なのかを齧った上で見るのが良いです。で、展示もされていた絵巻物「春日権現験記」(江戸時代)については国宝殿の物販で売られている冊子『春日権現験記 増補版』(2012)に全20巻の和訳とフルカラー図で紹介されており、これはたいへん良い本です。

gengensha.jimdo.com

神様仏様を直接描写しているのではなく、中世における霊験の描写が非常に多い。修行したり祈願でお経を読んでいたら「降りてきて」お告げを聞いたり、夢でお告げをしてくる、この2パターンが繰り返されている。要は理性のコントロールの外れた状態で霊験が起きる。

が、修行や学びの話がセットになっているのは、確かな教えに基づく夢なり白昼夢なりを呼び込むためには、無意識を支配するぐらい徹底した下地としての世界観=教養を身に付け、さらに超越者の設定をリアルに(現実の人間関係を超えたリアルさで)思い描き、常に正しい順位で持っていなければならないのだろう。だいたい夢にはその時々の対人関係や煩い事の優先順位が適用され、嫌なやつとかおもしろ仲間とか初恋の人とか現実的なものが制御不能のままに現れるので、仏や菩薩に逢って確かなメッセージを受容するのは、並大抵の努力では不可能である。たいへんや。学のないものはトランスしてもだめなのである。中島らもはえらい。

 

だいぶ勿体ぶりましたが、「美術手帖」に本展示の記事があり、そっちに詳しい説明と2Fの写真が載ってるので、行けない人はこれを見ると良いですよ。プレスツアーは全部撮影できるからいいなあ。

bijutsutecho.com

 

 

◆会場2_若宮

国宝殿から若宮に戻ってきました。確かに改めて見るとボディの朱塗がすごく鮮やかになっている。がこれは撮影時にスマホが勝手に色補正した可能性もかなり高い(フォーカス箇所を変えると極端に再補正をするので正解がない)ため、式年造替によるものなのか自信がない。真実がデジタルで揺らぐのであった。困。

 

この朱色の若宮神社の真正面に通路と神楽殿、御廊があり、それぞれ杉本博司の大型作品が置かれている。

 

日本海隠岐》(1987)、色々と反射で映り込んでいるので分かりづらいが<海景>シリーズの写真である。時間帯や気象で見え方は相当変わるだろう。晴れているとスケールと作風に対してやや遠すぎる気がした。奥まったところに鎮座させるより直島・ベネッセハウスの<タイム・エクスポーズド>シリーズのように奥行きなしで曝されている方がしっくりくる・・・気がする。(※たぶん時間と気象で変わります)

 

その奥にはまた巨大な屏風、《甘橘山春日社遠望図屏風》(2022)。冒頭で触れた「江之浦測候所」の新たな「春日社」から望む相模湾であろう。これも他の屏風と同様、実に「絵」に見える。写真には見えなかった。昔から受け継がれてきた精緻な日本画?の文化財のような体感が不思議だった。

 

デジカメの解像度と露光補正を通して「見る」と同族の「写真」ということが分かるのだが、人間の眼には写真離れしたものに映った。作者は常々、数千年~万年の時間単位のスケールで世界を捉え、作品を制作してきたが、この写真も千年、二千年前、もっと昔から人達が見ていた場を表すものなのだろう。

 

あ、お詣りするの忘れた(><) ガチいいことありますように(パンパン

 

レポは以上である。

なんで奈良のでっかい神社を「春日大社」と言うのか、「春日という場所に昔からあったから」としか思っていたが、そういう信仰があること、藤原不比等タケミカヅチノミコトを鹿島からもってきて山にまつったことなどが分かった。だが杉本博司の世界のスケール感が知れば知るほど大きくて、これはやはり「江之浦測候所」に行かないとだめだ。手に負えない。

 

なお国宝殿で流されていた「江之浦測候所」の紹介動画はYouTubeでも配信されている。


www.youtube.com

ここで杉本が語る言葉がほぼその通り全作品に共通する世界観で、NHK日曜美術館」特集でもその通りだった。

 

自意識が生まれるところ、「自己」や「時間」が生まれるところ、その原初の兆しを杉本博司の活動は追っている。春日信仰はそれに深く関わるということだ。まじすか。私はまだ入口にも立っていない。お詣りをしよう。パンパン。

 

( ´ - ` )完。