写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【ART】R2.7/25_杉本博司「瑠璃の浄土」@京都市京セラ美術館

【会期】2020.5/26~10/4(会期変更後)

 3年に及ぶリニューアル後の「京都市京セラ美術館」へ潜入。みんな大好き杉本博司の仏教・古代の世界へワープ。 

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約3年にわたるリニューアル工事を経て、2020.3/21に開館を予定していた京都市京セラ美術館だが、新型コロナ感染拡大の影響を受けて、オープンが延期されていた。5/26にめでたく開館となったものの、しばらくの間は入館できるのは京都府民に限られていた。

6/19以降、ようやく広く一般に開放された。ただし入場はWebでの事前予約制で、密を避ける対策が取られている。入場の手間の代わりに、人が少なくて非常に快適に鑑賞できた。わあい。

 

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外見は元の「京都市美術館」時代の伝統的なレンガ作りを維持。ただし内部の構成、動線は大胆に組み替えられている。例えば、元の正面入り口に当たる地上階の扉は閉まっている。地味に壮大なギミック。実は手前から地面が下りスロープになっており、地下から入館する。なんてこったい。

 

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入口の扉で事前予約の受付メールを見せ、検温コーナーのサーモを経て入館。すぐ先にチケット売り場があるが、杉本博司のある「東山キューブ」は受付や物販が別扱いになっている。なお美術館全体のショップは、このサーモを抜けてすぐ左手にある。わあい。

 

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大広間は通路、兼、展示会場のターミナルと化した。フロアの分割がより明確になり、複数の展示を同時に展開することを前提とした構造に。以前はこの大フロア、展示会場の一部・メインフロアになったり、通路兼物販コーナーになったりと、曖昧で多目的だった。好きだったが。

 

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杉本博司展は少し離れた「東山キューブ」という箱で展開です。なんだなんだこの超おしゃれな地方空港みたいなカウンターは! ここは今回、新たに増設された建物で、非常に明るく木目調がいいですね、カウンターの裏がそのままロッカーになっていて空間も省エネです。

 

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「瑠璃の浄土」入口は、美術館の展示というより神社めいている。

 

本展示は一部の作品が撮影可能。(一部と言いながら、ほぼ過半数ですが)

全体を通じて、写真と骨董品・歴史的なオブジェによって、仏教界や、古来の人々が見ていたであろう世界を眼前にヴィジュアル化したものとなっていた。締め括りは、田中泯が「江之浦測候所」を舞台に場踊りする映像で、美術館の外側へと接続されてゆく。

 

以下、適当に区切りながら紹介。

 

1.光学硝子五輪塔

光学ガラスで制作された、手のひらサイズの五輪塔が13基、細い木の棒に据えられ、回廊に並んでいる。

このコーナーは撮影禁止だが、後にガラス五輪塔が1基だけ別の場所で再登場する。写真はそれ。

 

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わーきれい。墓石にもなっているお馴染みのデザインだが、本作はもっと小さく、幾何学的な要素が凝縮されている。理念や真理の結晶を思わせる。

この形状には、自然界の五大要素(空、風、地、水、火)が表象されている。「水」に当たる球体は、下半分が暗い。これは杉本作品でお馴染み「海景」シリーズの白黒フィルムが封入されている。だが、ただでさえどれがどの海か区別のつかない写真は、小さなガラス球体の中ではより一層謎めいており、もはや海とさえ気付かず、観客は謎解き状態である。

 

覗き込むと、古来の人たちが信仰の内から見た、光と海の観念を垣間見た気がした。

この作品はギャラリー空間というより、それこそ森の中の神社で見たい思いがした。 

  

2.OPTICKSシリーズ

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日本語訳で「光学」。これらは写真作品だが、色以外に何もないように見えるため、説明文を読まなければ「色」を題材としたミニマルな抽象絵画と思うかも知れない。

太陽光をプリズム柱に透過させ、分割された「光」をポラロイドで撮影、その画像をデジタル処理したものだという。だが制作に15年を費やしたと書いている(2018年、作家HPより)ように、ただ太陽光を割って撮ったものではないという。解説によれば、観測室(そんなものがあるのか!?)のプリズムに、太陽光が正面から射し込んでくるのは冬だけで、その光が室内の白漆喰の壁に映ったところを捉えた写真だそうだ。

 

手前にある赤・黄・青の3枚は本当に「色」で真っ平ら、まさに絵画的だが、奥の3枚にはグラデーションがはっきりとあり、そこに見える移ろい・奥行きはコンセプチュアルな絵画には似つかわしくない。これはまさに、光の帯、時間の現れなのではないか? 

 

私は、日の出と日の入りで激しく染まる空をそこに見た。地球が宇宙の一部であることを圧縮した写真だと分かった。

 

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「OPTICKS」繋がりで、アイザック・ニュートン『光学』初版(1704年)が。プリズム体に光が入って分かれる様子が描かれている。一体どこからこんな歴史的珍品を・・・。杉本博司現代美術家として活動する傍ら、古美術商を営んでいたが、一体どういうコネクションが・・・。

 

3.瑠璃の箱 シリーズ

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作品制作の工程で発生したガラスを縦に積み上げて、大きな光の窓・塔のように設置している。透明、青、緑の3基があった。

説明によればこの青の光学ガラスは環境への負荷が大きいために、今では作られていない。透明なガラスの柱は、さきの「五輪塔」を制作した際に生じたものだとスタッフに教えてもらった。

 

古来の人々が信仰の中で触れてきた「光」が重要なテーマとなる本展示では、これらのガラスは文字通り、人類が求めてきた「光」の歴史の比喩そのものであるし、信仰という、洗練された理念を構築するために捧げられたものの断片を見る思いがした。 

 

 

4.三十三間堂・仏の海シリーズ

「OPTICKS」シリーズからフロアを折り返しで辿る、本展示の核心部だ。闇を湛えた空間に、「蓮華王院 三十三間堂千体千手観音立像が並んでいる。三十三間堂と異なるのは、観音が写真の中にいるということ。それらは鈍い光を帯びて、写真の内側で並んでいる。

 

このコーナーは撮影禁止である。

どこか緊張感のある空間だ。観音の顔がはっきりと見える。隙の無い表情と隊列は、一糸乱れぬ究極の軍隊に見える。

三十三間堂で実物を何度か見たことがあるが、人間の眼では空間の縦横全てをパンフォーカスでビシッと捉えることが出来ない。薄暗い場所なら尚更で、千体も観音が並んでいると人の眼と脳は結構いい加減な処理をする。その上、一番手前には二十八部衆の像と解説もあるから、実質的に千体の観音像は粗い風景として後退しがちである。

 

それが写真になると、否応なく、観音の存在に向き合わされることになる。観音の視線から逃れることが出来なくなる。

かなり高い位置から見下ろされた観音は、遠近法によって大小はあれど、前後左右の全ての顔にピントが来ており、射し込む朝日によって、神の国の輝きを帯びている。生と死の理を超えた、永遠の存在である。眼と脳は逃げることが許されない。目の前にそれらはどこまでも、立ち並んでいて、「私」はその光と眼から逃れられないのだから。神様仏様、加護、救済、などという生易しいものではない。それは、だらしなくどうしようもない現世と人類が尽きた先にある、究極に浄化された地――「浄土」の姿に見えた。

 

中央にはひときわ大きな像がある。「仏の海(中尊)」、千手観音座像の写真だ。これは今回が初公開となる。800年前の像を写した「仏の海」シリーズは、交渉から撮影まで7年を要したという。

脇には東大寺 転害門 垂木」極楽寺鉄灯籠」が置かれている。これらの装置は、写真によって本格的に呼び出された西方浄土を、再び見慣れた寺社の空間へと安置し直してくれる。写真だけだと、ヒトという存在が塵も残らぬほど滅されそうな、真空の怖さがあった。仏像を怖いと感じたのは初めてだ。

  

 

5.古美術、宝物殿シリーズ

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フロア手前にケース2列で古美術品を展開し、宝物殿の様相。フロア奥の中央に直島護王神社のレプリカが鎮座する。その暗がりを「海景」の大きなプリント3枚が側面から支える。

「信仰」の、古来の姿を辿るフロアなのだろう。ケースに入れられた古美術品は、法勝寺の平安時代の瓦や、ガラス製の勾玉・首輪、仏像のパーツ、古代のガラス玉、古い製法を元に作られた茶碗などが並ぶ。下からの照明で浮かび上がってどれも星のように美しい。そう、このコーナーは楽しい。

 

護王神社が3枚の「海景」とともに視界に入る構成は、古来の信仰を想像させられたと同時に、いやそれよりも、十年以上前に直島を辿った時の鑑賞体験を凝縮したように感じた。地下に伸びてゆくガラスの階段が、照明を受けて透明に輝いていて、記憶を刺激する。 

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 やはり自分が写真系の人間なので、「海景」シリーズ、大プリント(119.4×149.2㎝)に魅入る。3枚とも島根県隠岐日本海だが、素人には見分けが付かない。穏やかな凪の表情が写っている。

 

だめだ、直島に行きたくなってきた。

 

 

6.映像:田中泯コーナー

最後のコーナーでは、舞踊家田中泯「江之浦測候所」で「場踊り」を行う映像「泯踊」(2018)が上映されている。

 

20分の映像の中で、日の出、日の入り・夜、また朝と、太陽が空を巡り、時間が移ろいゆく。舞踊家は、からだ一つ、存在ひとつで、太陽の運行、光の到来を受け止めて踊る。太陽が昇り、横殴りで注がれる凄まじい橙の光を受けて、舞踊家は目覚めるとともに、たじろぎ、恐れのような表情を顔いっぱいに浮かべる。

 

太陽と光の向こうに初めて畏怖すべき「存在」を認識し、全身と繋がったたかのように、体が動いていく。

 

脱力感に満ち、しかし個人の 意思を離れた大いなるものと糸で結ばれているかのように、次々に動きは繰り出される。その場にあるもの・来るものを受け入れ、刻々と移り変わる時の流れを全身で受け入れて、その結果が「踊り」なのだと知る。まさにプリズム柱と似ている。時の流れ、始まりと終わりはまさに太陽が制している。舞踊家はその力の循環と揺らめきを体現する。

 

最後は建物:宙に突き出たギャラリー棟の外周、ガラス壁の外側の僅かな隙間に立って、舞う。

そこは安全上、観客が立ち入ることの出来ない領域だが、舞踊の映像においては「今」「ここ」の外側を 時間の系に位置する。観客はあくまでも江之浦測候所という設備の内側から、安全に巨大な時空の貫きを「観察」するのであって、生身で触れることはできない。舞踊家は自己を棄てている、空にしている。踊りによって心身を原初のエネルギーに沿わせ、透過させているので、安全圏の外側にも立つことが出来る。そこでの舞踊家の表情は、忘我の境地にあり、人ならぬ領域に達した者、空の存在である。

 

太陽と時間の動きが、浮かび上がる。

 

 

( ´ - ` ) 田中泯の踊りを介して、江之浦測候所で繰り広げられる太陽の躍動、天体の姿に、魅入ってしまった。

 

 7.ガラスの茶室

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美術館スペースの外に、ガラス張りの茶室がある。作品名「硝子の茶室 聞鳥庵」(2014)、もう読んでその名の如く「モンドリアン」で、 コンポジションで歴史に名を馳せた抽象画家ですよ。あれっ。なんで。

解説によると、茶道・茶の湯は構成する全ての要素が抽象的な「配置」の連続から成ることに着目しているようだ。

 

残念ながらこの日は雨が物凄くて、鑑賞どころではなかったが、鑑賞者が外側からや中に入って見るものというより、誰かが茶を点ててもらっているのを見る、イベント的な要素があるのではないか。6/12の茶室開きのイベントでは、杉本博司が客人となって、千宗屋に茶を点ててもらう会があったようだ。

茶室は来年1月ごろまでの展示らしい。また行く機会があれば良いが・・・。

 

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という感じでした。

総じて面白かったし、よく分かる展示だった。理屈ではなく滋養が心身に染みてくる。それはこの10数年の間、杉本博司の作品・展示に触れる機会がいかに多かったか、いかに慣れ親しんできたかを物語っているように思います。

 

( ´ - ` ) 完。