【ART―写真展】H29.4.15_くすのきりょうへい氏「雨溝の生態学 ー視覚化される境界ー」パーティ☆
写真表現大学の同期生にして人生の先輩、くすのきさんの個展に皆で行ってきましたの巻。
京都ではKYOTOGRAPHIE・京都国際写真祭がこの4/15(土)より開催されましたが、個展はそれに先行する形で開かれていたもので、この日はギャラリーで祝賀パーティーが催されました。ワーイ。
「みぞ」の中を見つめる作家さんです。
パーティーなので買い物をしてから行きます。酒屋で役所の看板みたいなセンスのラベルの地酒を仕入れたり、京都三条「アローツリー」さんで美味しい果物のスイーツを仕入れます。どれも正解でした。
買い食いをしながら、会場となる祇園小門前のギャラリー「Art Spot Korin」へ向かいます。名前がオムロンコーリンみたいで親近感がわきます。
つきました。
タオるのはまだ早いです。個展を観てからにしましょう。
京都らしく奥へと細い道が続きます。 外から見ただけでは分からない奥行き。
「Art Spot Korin」。
エッセイ風の文章を書かはるのは初めてなので新鮮です。
ギャラリーは1階・3面と2階・4面の構成で、小ぶりです。展示に当たっては、想定上の寸法と、実際に並べた時の間取り感や照明の位置が大いに異なり、配置の再構成に苦心されたそうです。
わたし相当浮かれていたらしく、1Fの展示写真が残っていない。
あう。
2階のようす。
照明数と位置に合わせて、設営当日に作品をだいぶ減らしたそうです。現場の機転が必要というエピソードで、個展をやったことがない私には参考になります。
1年間の工夫によって、雨溝のフォルムの描出をやめ、溝の中に広がる世界に眼を落とすことに集中されました。そのことによって、より多彩な表情が明らかになっています。
また、制作過程においては、作品一枚一枚にキャプションを付けるかどうかもかなりの検討がなされましたが、結果的に写真のみで良かったと感じました。マットの余白とコンテンツが良い具合に落ち着きを与えてくれているので、日本語がなくても写真の中を読もうという気になりますし、わからないところは作者と会話すればいいのだと思います。
凍りついた霜と苔や、空間を侵食する触手のような枯草、事件現場のような赤いペンキ痕、不気味な兵隊のように無機質に光る乾電池の群れなど、意識から切り落とされたもうひとつの「日常」が能動的に生きていることがよくわかります。私も溝の中を覗くのは、スマホを紛失したときとか、桜の花弁が堆積しているときだけです。様々な発見があります。
そういうわけで、
パーイ。
祝・雨溝 \(^o^)/
類希なバイタリティと探究心で活躍されています。
写真表現大学の仲間などが来場しました。
けっこんしきではありません。
このケーキがたいへんに美味しかったので幸せでした。
謎の合評が始まり、私 「EOS 5D Mark Ⅲが修理から戻ってこないんすよ」、姉さん方「いや無くていんちゃう」「ぶっちゃけ無い方がいい」「無いほうがいいよね」「無いほうがおもしろい」 あはあう\(^o^)/
ないねん。
今年度の作家活動のあり方について。
ボンズ氏のご友人もかけつけ。
KG「TOILETPAPER」展示空間がエロくてうれしい。
仕事で苦労してはるのを癒す会。
ボンズ氏の。
そうして一瞬で3時間が経過し、20時でギャラリーがお開きになり、街のほうへ出ます。
体力の限界から、くすのきさんとはお別れ。
二次会はコトクロスの居酒屋で。
途中で桜の花弁を凝視していたら迷子になるなど順調な仕上がり。
たのしい個展祝賀会になりました。
なぜか卒業後になってから皆の本音カミングアウトがさらっと続きます。私も何か仕込まないとだめですかね。ハイアマチュアフォトグラファーに対する純粋な憎悪と、アニメやゲームへの汚染がひどいということをのぞけば概ね平坦な人間です。また語らいましょう。
(´-`) 完