写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展】R2.2/9_Karolina Nowosielska(カロリーナ・ノボシェリカ)「Vena Oceanum」 @Art Spot Korin(祇園古門)

【写真展】Karolina Nowosielska(カロリーナ・ノボシェリカ)「Vena Oceanum」 @Art Spot Korin(祇園古門)

カロリーナ・ノボシェリカはノルウェー在住の写真家である。本作は海岸の造形を撮ることで、人体・器官の細部に瓜二つの肉感を引き出している。

【会期】2020.1/28(火)~2/9(日)

  

ギャラリー「コーリン」は祇園の北の端、京阪三条の近くにある。2017年4月に学校の同窓生かつ、人生の大先輩、くすのき氏が、このギャラリーで個展を開催したので印象に残っている。以来、あまり来る機会がなかったが、今回は気になる展示だったので行くの一択だった。

 

人体、と言ったが、写真に現れる形態は完全に女性(器)のフォルムだ。

 

これらの造形は、海の潮汐が砂浜を削って作り出した、天然の造形だ。自然の力、海の波の運動が、リアリティに富んだ膨らみや襞の形を生み出したのだ。「女性的」などという婉曲では済まされない。これらの膨らみ、襞は、女性が地面に溶け込んでいるとしか思えないリアリティで迫ってくる。

毎日の潮の満ち引き、一時も止まることなく押し寄せる波は、絶えず何らかの形、形なき形を生み出し、削り、崩し、また海に飲み込む。形は、現れては消える、その運動は永遠に繰り返されるだろう。作者はその無限のパターンの中から、確実な形態を掴み取る。それは潮に刻まれる砂の凹凸だけではなく、自然光の陰影、水が織りなす輝きや揺らぎとの関連の中で生じる、偶然の賜物だ。

 

解説によれば『幼少の頃の芸術的な感性と創造の形成は、生まれ育ったポーランドのマスリアン湖水地方の重厚で神秘的な美しさと、激しい歴史背景によって形成され』たという。

無限の形の繰り返しと組み合わせの中で、ここぞという造形の瞬間を見抜いてシャッターを切ることが出来るのは、人間側の主観に蓄積された美意識、主題性に拠るところが実に大きい。海辺を一つの「美しい風景」として概括してしまうのではなく、視界から取捨され見落とされる足元を偶然の彫刻として捉えるには、確かな美学的な鍛錬を要することだろう。

自然のフォルムから人体・女性の体との近似値を見出す写真という観点では、エドワード・ウェストンを想起するところだが、彼があくまで外側から見たフォルムの丸みを人体との相似形として追求したのに対し、カロリーナは「女性」、あるいは「人間」の当事者として、地球との深い共鳴について語っているように感じられる。それには性の違いだけでなく撮影機材など、技術面での差異も勿論あるのだろうが、観点は全く異なる。 

地球に人の器官が産み出される瞬間に立ち会うのに、作者は一体どれだけの時間を費やしてきたことだろうか。何年も要する作業になるのか、案外、豊富に展開されているのか、探そうとしたことすらないので分からないが、空想の余地も奪うほどに具体的な造形には、もはやエロスなどという形容は似つかわしくない。神秘的、などという表現は使いたくもないが、ここまではっきりと人間の女性(器)に似たものが何故現れるのか、人智を超えた類似性の前には、平伏するしかない。

 

1階の作品群が、天然・偶然の彫刻を特集しているのに対し、2階では作品の舞台となった海岸の全体像や波のゆらぎも提示され、どのような現場でこれらの女性の造形イメージを得たのかが明かされる。

1回・十数分観て終わりにするような作品ではなく、何度も触れて味わいを深めたい作品だった。じわじわとくる。

造形「美」と単純に言い切ってしまえる類のものではなく、また「女性性」の崇高さや神秘を訴えるものとも異なる。星と人間が、理屈を超えた深さで連動していることを知り、体が痺れる思いがする。

 

 

( ´ - ` ) 完。