2017.4/15(日)、KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)2017 を回ります。建仁寺、ASPHODEL等、四条界隈をいきます。
花かな。花ではないのかもしれない。
- 【KG_No.13.建仁寺】◎荒木経惟「机上の愛」supported by shu uemura
- 【KG+_48.ライカギャラリー京都】◎安珠
- 【KG_14.ASPHODEL】◎TOILETPAPER Maurizio Cattelan & Pierpaolo Ferrari(マウリツィオ・カテラン&ピエールパオロ・フェラーリ)
- 【KG_15.FORUM KYOTO】◎ザネレ・ムホリ「Somnyama Ngonyama 黒き雌ライオン、万歳」
- 【KG+_13.ギャラリーマロニエ】◎サンドラ・ギュルドマン・デュシャトリエ「Behind」
- ◎喫茶ソワレ
- ◎麺処 蛇の目屋
- 【KG+_49.Bijuu Gallery】◎ペニンゲン高等芸術学校パリ校の学生「Amour」
- <【KG+_31.喫茶ガボール】>
- 【KG+_12.メディアショップギャラリー】◎Yuki93「New Order」
今回まわったのはこちら
【赤】13.建仁寺 / 14.ASPHODEL / 15.FORUM KYOTO
【黄】48.ライカギャラリー京都 / 49.Bijuu Gallery / 13.ギャラリーマロニエ
/ 12.メディアショップギャラリー
※【赤】KYOTOGRAPHIE 【黄】KG+
では訪れた順の時系列で超かんたんにレビュー。(ほぼ自分の記録用)
KGの季節なのに桜がまだ咲いている・・・。今年の春は遅い。
【KG_No.13.建仁寺】◎荒木経惟「机上の愛」supported by shu uemura
死と生命を感じますとか述べていたらいい気分になってきました。死んだこともないくせに何がわかるのよといった声がします。毎年桜の咲く/散るを愛でることで私たちは疑似的に薄められた生死の輪廻を巡っているのです。アトラクションかな。うそです。
アラーキーがKGに登場するとは思わなかった。
昨年のアルノ・ラファエル・ミンキネンは撮影禁止だったが、今回は撮影OK。会場ではなく作家の意向に左右されるようだ。周りの人達がコンセプトテキストを書いてくれたり綺麗に装丁してくれたりするのは心底羨ましい。みてくださいフォントにも油断がない。
和室に合うような展示形式で、お経でも唱えてしまいそうな台が据えられている。かっこいいのだが、鑑賞に際しては立ったりしゃがんだり正座したり立ったり中腰になったり立ったりを繰り返すため、軽いスクワットになる。部屋の反対側にも同数の台があることから、十数回はスクワットができる。わあい。
写真は、この世でこんなことをするのはアラーキーしかいない、といった世界で、不吉なぐらいの生衝動が人形へ仮託されています。死の影も放ちつつ、生がぬらりと催されていて怖い。
なんでこんな気持ちの悪い人形を使うんだろうか。洗練されたサブカルに浸りきった世代の身としては不吉でしかない。基本的に男性的なものは人間の形をしておらず、這いずる小動物、小さき窃視者となっている。
首の複数あるモンスターが私の関心事です。首が一つではない。暴威の姿をしている。
女性と対等なところに立っていられる者は、こうした強力な化け物しかいないということでしょうか。
これが愛だとすると、なかなか危険を孕んでいて、ただ事ではありません。これに比すると、一般的に流通している「愛」は幻想商法というか、安全ですね。
妙な毒気にあてられて、庭先の草がぐねぐねしているのを黙っていられなくなる。写真にはそういう効果があるよね。視覚に強く来て現実が攪乱されます。
サービス精神旺盛で、写真家・作家であると同時にプロレスラーでもあると思います。身体でショーを魅せるというか。全身で体現してみせる。 もう76歳ですよ。死が視覚に入っているのでしょうか。
【KG+_48.ライカギャラリー京都】◎安珠
11時のオープンを待っている間にも、雨がやたら降ってきて参った。高級カメラ店におそるおそる飛び込みましょう。ヒイー。
店内のカメラ全てが桁違いに高くて参った。
まいった\( ゚q ゚ )/
一眼デジカメで200万円とか。いやあああ。嗚咽です。
えづきながら「うわあいいなあ」「いいなあ」と物欲しげな顔でショーケースをなめまわすように見ます。要らんけど欲しいなー。
安珠氏の作品は、京都の光景をドラマチックに、技巧を尽くして表現するもので、何杯にもムードを増幅させています。 私には合いませんでした。ピクトリアリズムに見えたからです。表現がリアリティを食ってしまっているようで、私は、リアリティがこの五感を襲ってくるような写真が良いです。どんなんや。さておき。
美しいのですが、美しさに対しては懐疑的です。美はある力学の構造のもとで育まれる場合があります。オーバーな美は権力を感じさせます。私は野晒しの、無音のようなところからざわめくノイズの渦を愛しています。ゆえに合いませんでした。うふ。
【KG_14.ASPHODEL】◎TOILETPAPER Maurizio Cattelan & Pierpaolo Ferrari(マウリツィオ・カテラン&ピエールパオロ・フェラーリ)
これはめちゃくちゃ面白いぞ。写真というより、デザイン、オーバードライブされた消費社会の現実との戯れ。私達が生きている消費社会のグロテスクさを、ぎりぎりでキュートに、面白く、かっこよく再構成。
人を食ったようなデザインが、何か面白いものを予感させます。
元になっているのは「TOILETPAPER Magazine」という雑誌。相当なアッパーのテンションで、Amazon等でも入手可。どぎつい中にも謎のコミカルと調和を秘めた、優れたデザイン性が光っている。
60年代ポップアートの戦線を、現代に延長している感がありつつ、デザインの洗練がきちんとあって、古さを感じない。また、展示のフォーマットも、鑑賞者を呑み込むスケールと密度で襲ってくるあたり、現代が当時よりもさらにキッチュで大掛かりな消費社会へと増幅していることを突いているようで面白い(恐ろしい)。
ペットをみだりに可愛がったり、健康・美容へ謎の対策を講じようとする先進国のライフスタイルは、客観視すればするほど不気味な文明である。
性に対する指摘もないことはないが、圧倒的に「食」の題材がパワフルであった。その点が60年代ぽい懐かしさを催させた。現代(現在)はステルス化された監視や、双方向送受信のネットワーク、多様性への疲弊、感情の偏りと増幅などが主なテーマになるであろう。作品はそういう観点では至ってシンプルです。
尻にトランプはずるいよな。\(^o^)/
平面印刷物なのかオブジェなのか立体空間なのか、どれもあやうくなるという異常な情報量が渦巻いています。
THE END \(^o^)/
私達は死を、墓碑名すらも消費し、売買する。
会場3階は自由にベッドやポールを使って遊べます。巨大な男性器、男根の写真がよかった。ペニスが半ばキャラクターとなって立ち現れます。
【KG_15.FORUM KYOTO】◎ザネレ・ムホリ「Somnyama Ngonyama 黒き雌ライオン、万歳」
南アフリカ共和国からの刺客。
ザネレ・ムホリは自らのポートレイトを用いて、性的マイノリティの存在を引き受けて「ヴィジュアル・アクティビスト」を自称し、活動を行う。
直接的にレズビアン、クィアとして明確に判る写真はありませんが、それがむしろセクシュアリティの本質;不可視性を語るものとして立ち現れるとのことです。さすがにそれはコンセプトシートをしっかり読み込まないと分からず、ただの民族衣装を記録したポートレイト群にしか読めないのが実際のところです。しかし、しっかりとコンセプトを読み込み、彼女のこれまでの活動―性的マイノリティの立場に置かれた人々を撮ってきたということなどを踏まえると、アパルトヘイト以降の難しい状況に置かれた当該国におけるマイノリティの生きづらさ、過酷さと、その中でも負けずに自律してゆくアイデンティティのようなものに気付かされます。
かっこいい\(^o^)/
【KG+_13.ギャラリーマロニエ】◎サンドラ・ギュルドマン・デュシャトリエ「Behind」
つい1ヶ月前に写真表現大学・修了展でお世話になった例のギャラリーです。
何故か一枚も写真を撮っていません。展示は極めてスタンダードに、日本の街の中で出くわす、ガラスなどへの自身の反射を捉えたスナップです。リー・フリードランダーを現代版に洗練させた感じかと思いましたがどうでしょうか。
ただ、広報用に使われていたメインイメージの1点はずば抜けて秀逸、それ以外は、わりと普通のスナップで、これは皆が撮れるかもと思うもの。そういうこともあって記録を撮らなかったのかも知れません私。
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お昼ですよ。
◎喫茶ソワレ
京都のレトロ喫茶で知らない人はいないのでは、と思うぐらいの有名店。ソワレ、フランソワ、六曜社あたりが超超定番として多くの来京者を魅了しています。うふ。みてよこのゼリー。うふ。
店内のあかりが美しいブルーのため、ゼリー、グラスなどが心地よい青を宿します。写真映えに病み付きになるのが魅力の要点の一つでもあります。
しかし、腹を満たすものがあまりなく、「これでは足らん」と脳が焦燥し、ソワレの後にラーメン屋を追加するという謎の倒置法をかましました。、ラーを、ラーをください。
◎麺処 蛇の目屋
喫茶ソワレから本当にすぐそこ。とてもいい香りが道に流れてきていて、一瞬で魅了されてしまう。
濃厚、甘味を感じ、のうがよろこびます、セットを頼むと大きな唐揚げ、そしてTKG!TKG!!! のうがよろこびます。麺もこだわっている。
\(^o^)/ うはうはになる。
【KG+_49.Bijuu Gallery】◎ペニンゲン高等芸術学校パリ校の学生「Amour」
学校の生徒が撮ったということで、私達は心胆をやや寒からしめられました。どないなっとんの。テーマは「愛」、皆たいへんに高いレベルの愛のシーンを見せてくれます。これがKG+枠で入場無料で観られるのはすごい。
ただ、作品はどれも非常にスタンダードかつ古典的で、いつかどこかで見たことのある既視感の安定感に依拠した収まりの良さから逃げられないなあと感じました。都市のパーツ、ディテールや、サブカルへの傾倒を強める私にとって、「愛」とは決して性愛、抱擁だけではなく、もっと不定形でもあるし、「おひとりさま」の中にも小宇宙として見受けられるのではと考えています。そうした一種の狂気的な暴走や躁転をも「愛」の射程距離に含めたいと思うものであります。
あなたにとって「愛」とは何ですか。
うふ。
<【KG+_31.喫茶ガボール】>
喫茶店の店内に写真作品が展示されているというなかなか面白そうで敷居の高い試みです。地下の入口へ到る階段が良い感じにポスター尽くしで、この時点でちょっと満足します。00年代前後の、clubやライブハウスにおけるステッカー、フライヤー群の情報密度が好きでした。
茶も飲まず中に入って作品を観る、ということがどうもアレな感じでしたので、そそくさと退出。未遂であります。
【KG+_12.メディアショップギャラリー】◎Yuki93「New Order」
京都で学生時代を過ごした方々の間ではめちゃくちゃお馴染みらしく、「まだあるんや」「学生時代は憧れたな~」との声。本屋とギャラリーが併設されていて、非常に好ましい磁場を生んでいます。特に本屋は、アート、建築、文学などがお好きな人種にとってはキャッキャ・ウフフ・アハハな桃源郷であり、拙宅の本棚の上位互換だなあと羨ましく拝見しました。
ギャラリーは非常にストレートなホワイトキューブ。
yuki93氏の作品はハイパーフォトとでも言うべきか、所謂一般的な「写真」ではなく、写真データを一定の工程を経て画像処理したものを再配列したものです。
よく眼を泳がせていくと、画像の変換は一定の限度を以ってなされており、個々の画像が元の姿を何かしら残している。リアリティをぎりぎり保っていると言えます。陰影や曲線などの、立体性ですね。これは3D加工を掛けた際に、どうしても処理が完璧ではなく、引き千切れた廃墟のように絵がひずんだり、部分的に欠落して穴が開いたりするらしいのです。
それらが寄せられて再構成された世界は、ただジャクソン・ポロック的な抽象絵画の影響を経ただけではなく、まさに実世界を襲った近年の大震災について語るものでもあります。したたかに社会は揺さぶられて破損し、ひしゃげるが、作家はその渦中、まさに事態の発生している現場には立ち会うことができない。ドキュメンタリーは常に後追いにしかならない。その不可視の瞬間について語ろうとしたとき、このように作為とランダムとをせめぎ合わせた作品制作の工程を必要としたとのことです。
イメージの暴威に溺れることなく、一定のリアリティへの拠り所を、画像の出元、質感、および文脈において確保していることが、この作家さんの強みであると感じました。
同時に、どこかでこういう作品を観たことがあるような気がしています。それが何時の何だったか記憶が思い出せません。この作風は、手法としては膨大な手間はかかるものの、同様の参入者が現れた際にどこで差異化するかということが現実問題にあります。手間がかかりすぎるため競合が圧倒的に少ないと思われますが。
なお、乱暴に語るならば、私自身が取り組んでいる作品制作とは同系譜に位置するものと考えられます。が、こちらの方が断然新しく、その手仕事の質量、世界観の攻め方は、あります。私の作品はあくまで、photoshopによるカットアップ、加工、再配置も実にささやかなもので、「写真」の実体――「写真とは何か? 現実の複製か?虚構か?映像か?データか?」を問うものではないからです。そこは不問としており、この作者さんとの大きな差異であります。
等々
刺激多数 \(^o^)/
夕方は写真表現大学の同期生、くすのき氏の個展へ陣中見舞い&パーティ。
隠れ家のような、よいギャラリーでした。