nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【ART―写真展】2016年度 写真表現大学 修了制作展

 【ART―写真展】2016年度 写真表現大学 修了制作展

H29.3/14(火)~3/19(日)@ギャラリーマロニエ

 

私の所属していたスクール「写真表現大学」の修了展が先日、開催されました。

これは、写真というメディアにおける表現の歴史と可能性を学び、また、現代の社会から広汎に求められるアート性、編集力、デザイン性も射程に入れた教育を通じて、プロカメラマンとして、あるいは作家として活躍できるよう、基礎を築く講座であります。

 

写真とは、そ 

 

固いこと言ってないでみんなの作品を観ましょう。

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ニンジャも写真家もアイサツは大事だ。古事記にもそう書かれている。

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「自らの感情や思考を形にする」

私はそのことに本気で着手するまでに、えらい時間がかかってしまいました。

いや、今まで、手を抜いたことはなかったように思います。

ただ、環境なのです。どれだけ「自分なりに」努力したとしても、部分的には強くなりますが、それだけでは、この世に伝えるためには、到底足りません。たとえ、感性、機材、知識において少々アドバンテージがあったとしても、シャープな戦略と、ディープな哲学が問われる局面では、我流では厳しいものがあります。まあ、だめですね。地元のケンカ自慢がボクシングジムのプロテスト生に軽く泣かされる図です。ゲボッ。

 

「表現」、とくに映像表現(静止画・動画ともに)については、普通に生きていると教育をきちんと受ける機会は、まずありません。しかし、頭角を現している若手のプロフィールを見ますと、教育機関でしっかり鍛えられた、軍人のような連中であることが多いものです。素人が天武の才で軍人に勝てるのはマンガの中だけです。

 少々遅すぎたかもしれませんが、私は写真表現大学に1年前、偶然出会ったことにより、自分に欠けていたものを発見しました。Web社会の恩恵です。その日のGoogle検索運が良かったのだと思います。そして文字通り一から、写真に取り組む日々を開始しました。大袈裟ですが実際そうです。EF50mm F1.2L USMの明るさが何だというのか。おほほほ。

しかし、自分の脳裏では見えている、謎のパワフルな世界を形にするためには、写真というメディアに向き合い、活用するしかないということで、足腰を鍛えながら地道に取り組んでいく所存であります。

 

\( ゚q ゚ )/ テーン。

 

手前味噌ですが自身の作品から紹介します。

◎タシロユウキ「都市の棲息者 ―大阪・梅田―」

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( ^-^)※左端のお花はちがいますよ。

私がこの1年で取り組んできましたのが、大阪・梅田における都市景の再確認の旅でした。ステレオタイプな大阪の都市景の写真や、よくある都市スナップ写真では取り扱われることのない、まだ見ぬ姿を模索し続けた結果、このように生命体のようなものが姿を現しました。

 これらの疑似生命体と、それに遭遇した私自身の両者を、「都市の棲息者」と呼ぶことにしました。

一つには、都市のディテールの随所にキャラクターを見出してしまう私自身が、ゲームやアニメなどのサブカルチャーに慣れ親しんだ世代であり、根深い影響を受けているということ。もう一つは、都市自体の意匠に、そうしたサブカルチャー的な世界観が漏れ出しているのではないかということ。

それらの発見に行きついたことを以って、都市論の提案とし、今回の修了展の展示としております。 今後も引き続き大阪を根城として、更なるモンスター召喚を試みる所存であります。

 

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 【観客の感想】

・画の力が強い /テンションが凄く高い /よく分からないが凄い /映像酔いする /会場で最もアート性が高い

・意味が分からない /説明を聞いたら納得 /コンセプト文が貼ってあれば良かった

・良かった、面白い /個性が出ている /あなた「らしい」世界 /宇宙的 /ほんま一番よかった

・言われても梅田と分からない、これ梅田のどこ??? /言われると確かに梅田かも知れない、これ梅田のどこ??? /少し古い建築の奇特さがよく分かる /自転車好きなんですか?

・自転車のパーツは見ればわかる /カメラの性能、力技で撮っている面がある

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 【自身の感想】

・やっと「写真表現」のスタートラインに立てた。 ここからが極めて重要。

・合成系とストレート系で、人によって評価がまちまち。総じてどちらも「見てもらえている」感あり。

・これらの中からどのような世界観、スタイルでやっていくか、取捨選択して伸ばしていくかが大切 →展示空間のまとまりを得る ←カオスでも良いという意見もあったりして大変

・単なる「レトロ物件の珍デザイン収集」にはしたくない ←個別のポストモダン建築を論じたいのではなく、あくまで射程は都市全体である。都市の生命感。

・被写体は古い物件が多い →グランフロントやうめきた再開発地など、現在進行形の都市景からも同様にサブカルチャー的なキャラクター、記号の符合を見出すことはできないか?

・合成とストレートのはざまに、サブカル的世界イメージを生成する余地がある? ←サブカルの記号性には注目すべき特性があるはず

・SF、ゲーム的な、過剰な妄想世界のオーバードライブとは相性が良いと思われる ⇔社会学的な地道な考証と相反する

 

なので平成29年度も引き続き、都市からモンスターを召喚することになります。召喚が足りないと個展ができません。この「召喚」 というタームが重要で、無数のゲームやマンガで繰り返し使われてきたお約束であります。村上隆はさすがに2001年の時点でしっかりと展示企画名に用いています。

ただし、「サブカル」の定義自体に深入りすると、非常にややこしい議論に絡め取られ、写真どころではなくなるので、スタンスとしては粗すぎるぐらいサッと触れるにとどめることとします。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

以下、他の生徒の皆さんの作品について、短観をまとめていきます。

(以下の言葉は、作家当人のプレゼンテーション、講師のコメント、仲間内輪での雑談、これまでの授業での議論、私がアテンドした観客の感想などを総合的に踏まえて記載しました。私一人による批評ではない旨をご了承ください。)

 

〇鷹岡のり子 氏「Life ~ Then and then ~」

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専業主婦をされている作家が、自宅に飾った花が日々、徐々に枯れていく姿を撮り続けた作品。一朝一夕で撮られるものではなく、毎日毎日、何か月にも亘って見つめる中で写し取られたもので、窓から差し込む自然光が美しい。

この修了展の直後に個展をされるということで、この展示会場では2枚のみの展示。それゆえ、身内に紹介した際にはその力がなかなか伝わらなかった面がありました。隣で私がモンスター広げてるのがまた…。

 

 〇江原志織 氏「ヒカリのスキマ」

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 大学3回生として日々を暮らす中で出会う、何気ないけれども大切な瞬間の光と影を捉え、リズミカルに、唯一無二の音楽のように奏でた作品群。

単なる心象光景ではなく、一枚一枚の絵の作る形状が、隣り合う作品と呼応しており、連弾となって連想ゲームのように彼女の世界を織り成していく。

 

【観客の感想】

 ・めっちゃわかる、これはまさにこういう感じ(20代女性)

 ・ステキ

 

【私の感想】

・「どの写真も大切で選べない」と、テストプリントのセレクトで苦戦していた姿をずっと見ていただけに、このように取捨選択、配列、サイズ、フレームを総合的にマネジメントするところまでしっかり到達した、その成長力が何よりも素晴らしい。

・若い世代らの「ビビッドな」「センスの良い絵」はinstagram等で無数に散見される。しかし、自分の肌感覚や日常への思慕だけでなく、どうすれば観客がより視覚的体験を豊かにするかを戦略的に考えていて(無自覚かもしれないが)、彼女のcleverさが光っている。

・周囲の生徒が、社会性や公共性の観点から、論文を執筆するようなアプローチで作品制作を行っていた中、彼女はひとり、自分の感性によって音楽を奏できった。真似できない、ぱちぱちぱち。

 

山本美紀子 氏「40±」 

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作者自身と同世代、around forty の女性たちが、人生の何を選び、何を大切にして生きているか、インタビューと撮影を通じて特集されています。例えば、ヨガのインストラクター、例えばアーティスト、シュタイナー教育者、仲間と日々の感動を大切にする者・・・そうした多様な生き方には、作者自身もが投影されています。

 

【観客の感想】 

・不思議なことに、モデルの方々が皆同じような雰囲気がする

・面白い企画です ・作家さんの話を直に聴いてみたい

 

【私の感想】

・私では絶対に真似の出来ない仕事。物理的に彼女らを撮影することは出来ても、彼女らの領域に立ち入ることは出来ない。そんなパスポートは持っていない。無論、他のアマチュアフォトグラファーも同様である。(女性に対してある種制度化したような「美」を担わせて撮ろうとしている限りは不可能)

・ていうてる私もaround fortyだ →他人事のようで、実は同族種か、

 (逆に振り返ると、私の作品は、思春期以前の男児性を全開にしているとも言える)

・ 「40歳前後」のリアルな人生の問題ごととして、女性であれば妊娠・出産の安全性に関するライン、男性であればキャリア、雇用の流動性の限界のラインが、代表的な例として挙げられるだろう。しかしそれ以外にも、無数の様々な属性、選択肢について、わたしたちはささやかな幸福論を見出し、あるときは深い不安にかられ、また回復を試み、そうして人生を生きている。ということをふと気付かされる。

 

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 ご本人の中では、ポートレイトフォトとしてのクオリティを高めたいという思いもありつつ、写真家の長島有里枝氏からは以前、「話を聴けば聴くほど、被写体の彼女らは只者ではなさそう。けれど写真では普通に見えちゃうので、もっと(本性に迫るような密着取材を)」といった趣旨の指摘がありました。機材とテクニックで美しく撮ってしまうと、逆に彼女らの個性が隠れてしまうかもしれない? 今後の展開が面白くなりそうです。

 

 

  〇くすのきりょうへい氏「雨溝の生態学 ~発掘される風景~」

今年度の表大生を牽引した御方。我々生徒の間では、「溝」といえば楠さんですし、楠さんといえば「溝」という、圧倒的なキャラクターポジションを獲得されている。ご本人曰く「ほかにも色々撮ってるねんけどな…」がお約束。

 

展示作品は、後日開催される個展の予告編となる4枚。

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【観客の感想】 

(だいたいサッと見て素通りされそうになる or 何となくサッと見られる) 

→趣旨説明する 

→「面白い」「確かに溝は未来も残る、遺跡の発掘とか確かにそうだ」「天候によって色んな表情がありそう」「我々が"溝"と呼んでいるものの先を見た」

 

【私の感想】 

・前回の個展(H28.7月)時点より、溝というコンテンツの内容に踏み込んでいる(溝のフォルムや空の美しさをあえて切り落とした)ため、より「溝」の表情の多様性が楽しめる。

 <参考:前回の個展>

 

・今回展示されているのが控えめな絵柄の4枚1組であるため、安定感が高く、人によってはあまり目に留まらず、「何が見どころか」を解説する必要があった。

 →主力級の絵が充実する個展の場では、事情は異なると思われる。

 

・青紫色の球体がほんとうに不思議な効果を発している。それはボールではなかった。星のようである。ひとえに、見せ方の「スタイル」(文体)が決まっているので、鑑賞者はスッとその中に描かれている物語に入っていける。私が目指すべき地点を先取りしておられるので非常に参考になります。

 

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この続きは個展で!

 

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4/4(火)~4/16(日)

『雨溝の生態学 ー視覚化される境界ー』

【会場】京都祇園古門前 ギャラリー「Art Spot Korin」

 

 

〇井垣和子 氏「田園のファッション はたらく姿」

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 写真の並びがガッタガタなのは、私がレンズの歪みをむりやり補正したら補正できなかったためです。世が世なら切腹級のアレ。

仕事で丹波篠山方面を駆け回っておられますが、現地で出会う農家の方々のオリジナリティあふれる「野良着」に着目した作品群です。都市生活にズブズブに浸っていると見えてこないライフスタイルですが、たしかに私の実家のあたりも以前は田畑が多く、作業に従事する方は、このような恰好をしていました。

このファッションにおいては、見た目は二の次三の次で、作業の能率と快適性、そしてご家庭で賄える品物でメンテナンス出来るか等が重視されています。子供さんが着なくなった衣類を野良着に転用している例も。

 

 【私の感想】

・もっと数を集めて、夜空の星々の瞬きのように野良着の輝きを網羅したとき、凄まじい力が湧き上がること、まちがいない。

・授業を通じて、「全身が写っているものを選ぶように。あくまで主役は野良着、足元まで見せるように」との指導を受けて作品としてのフォーマットを獲得。ばっちゃんじっちゃんのまぶしい笑顔に引き寄せられると、野良着が見えなくなってしまうという、高度な罠があるのです。 

・このカスタマイズの個性と地域特異性はどうか

「土地の気候・風土」×「作物の種類」(作業工程)×「感性」(人種、年齢層)=最適な野良着 

→漁労者やマタギでも同様にサンプルを採取してみたいところ。同様の観点では、街の占い師のファッションを採集するというテーマ設定もありうる。で、全ての占い師に同じ問いで占ってもらう等

 

 

〇武藤さよみ 氏「平井と日置の あいだの 三代子さん」

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 本作は、モデルの方の過去の写真については「収集」し、直近の状況については「撮影」するという2つの手法で作成されています。これにより「人生」という非常に幅の広い時間軸をカバーし、ドキュメンタリー的なポートレイトを構築しています。

モデルの方は、作者の会社員(電通)時代の師匠にあたる高名な方で、かつてはプロデューサーとして辣腕を揮っておられたそうです。しかし定年退職後、パートナーの方が他界し、近年には認知症を発症。独り身という状況の中で、やむを得ず成年後見人が付く事態となります。一度は介護施設へ入る運びとなりますが、本人に病識がないために、「自分は拉致監禁された」との思いを鋭く募らせます。

武藤さんを初めとする周囲の方々の尽力により、何とか現在、第2の介護施設へ身を移し、「ご主人が老後のためを思って残してくれた家」と思いながら日々を過ごされている模様。

身近な個人の自伝でありつつ、超高齢社会の現代において「誰にでも起こりうること」の実態についてのドキュメントでもあり、意義深い作品です。

 

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 【私の感想】

山本美紀子さんの作品と同じく、作家本人からトークを直接聴かないと、作品に流れる物語の意味、面白さが伝わらなかった。私のつたない解説では説得力もなく…。これは武藤さんと平井さんの人生そのものであったのだ。

・撮影テクニックや品質ではなく、人生や老い、認知症というものへの話題をかき立てる作品。1年間の合評において、武藤さんの作品制作については、話の8割か9割は被写体である平井氏の病状や環境に関するリアルタイムな報告で、受講生らに「認知症」という病の真の恐ろしさを突き付けた。

・また、額装と配列の工夫(=編集力)によって、モデルへの敬愛を込めた訴求力を一気に深めることに成功していて、私たちは唸った。絵画の額が本当によく合っています。

 

 〇桐石陽子 氏「隠された美観 ~高速道路裏面吸音板~」

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 高速道路のお腹に、模様がありませんか。あれは音や振動を吸って、緩和しているのです。私は水か電気でも流れているのかなとずっと思っていましたが、「吸音板」という名称のついた装置なのでした。誰も気付かなかった、縁の下の力持ち的な存在が主役になった日。建築を学んだ作者だからこそ、その存在と役割に気付き、眼差しを向けることができました。

 

 【観客の感想】

・やばい、かっこいい ・あれ模様じゃなかったんですね ・名前があるとは思わなかった ・視点がおもしろい ・好きだなー。これは好き。 ・知っていたけれど知らなかった

 

 【私の感想】

・吸音板というテーマに対して、その存在感をどうすれば伝えられるか、アプローチの模索が多岐に富んでいて、非常に理知的な制作過程だったことが何より面白かった。寄る・クローズアップ・模様の形状の中へ入り込む。引く・道路として捉える・街の中での立ち位置を捉える。タイポグラフィー化する、単体で主役にする、全体をカットして若干のキュビスムを加える、連続写真にする… 考えられる選択肢を網羅的に試行していかれた。

・美しさがあり、高速道路自体の存在を認めている点がgood。風景に埋没していない。社会の中において、吸音板がしっかり見えていて、「これが吸音板っていうのか」と話題を喚起できることが、実力あるなあと実感。

 

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ご本人は他にやりたいこと、撮りたいものが無数にあられるようで、「私もっと可愛いものも撮るんですよ?」「心象光景が撮りたい・・・」と仰る。うへえ。そうだったんですか。「しゅっとした男前な写真を撮るお姉さん」というイメージが定着してしまった。すいまへん。

専門分野の豊かなバックグラウンドを有する人が、写真というメディアによって、その人にしか扱えない世界を可視化することの強さと意義を知らしめてくれました。昨今のカメラは押せば大体うまく写るので、絵の良し悪しだけでは作家の個性を語ることがもはや出来ない状況があります。「写真やりたいなら社会人になってからにしろ」と思春期の私に諭していた両親はえらいなあと思います。うわあ( ゚q ゚ )。

 

 

篠原孝典 氏「たぶん、きらいな町」 

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作者の地元、香川県観音寺の多様な姿を特集した作品。「地方都市」である観音寺では、交付税等の資金投下により、公的機関やインフラの整備がなされ、新陳代謝が施される。それは思い出の詰まった商店街を一掃して真っ新な道路に変貌させ、作者をして「ほんまめっちゃ嫌い」「なんも無くなった」と言わしめており、行政の暴力的な面に対する因縁が本テーマの根幹を成している。だが一方で、嫌い嫌いと言いながらも、数えきれないほど沢山の写真が撮影されてきた。

若者が都市部へ出て行かざるを得ない構造があるため、つやつやの街は実際には空洞化しており、朽ち果てた物件が目立つ。しかし、毎日砂で作り直される「寛永通宝」、寺社や公園で繁茂する高齢の樹木には、生命力が見られる。また、年一回のお祭りでは他地域で見られないほど豪勢な金色の飾りを掲げた神輿が練り歩き、境内に集結し、かつての趨勢を今に伝えている。

 

【私の感想】

・たぶん一番好き。同じ「都市」をテーマにしながら、私は日本有数の大都市、彼は四国の地方都市。私はアートやサブカルの影響の下でテクニックを総動員し、彼は実直な「カメラ初心者」として真っ直ぐにシャッターを切る。全ての面で対照的で、発見の多い作品であった。

・「地方都市」のリアリティを伝える、ネイティブの声。私のごとき、ベッドタウン住まいの大都市圏生活者にとっては、何をどう頑張っても「観光地」になってしまい、このような写真を撮ることはできないのです。

・最も驚かされるのは、ほぼ初心者の状態で、廃屋、景勝地、鉄道、ダム、祭、奇怪な形状の樹木といった、多様なシーンをしっかりと真っ直ぐに撮ったこと。そのシンプルな真っ直ぐさは逆に絵に力を与え、彼のスタイルとなっている。

 

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懸念があるとすれば、卒業後の活動がどうなるかといこと。彼の地元では写真、アートの文化は顧みられていないらしく、例えばポートフォリオ用のアルバムや、展示用フレームが地元に売っていないと聞かされ、文化の地域格差に私は軽いショックを受けたものだった。卒業後にも写真を撮ったり見せたりするコミュニティ、プラットフォームと出会えればよいのだが・・・。

 

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<5F>

(修了展は4階と5階の両方で開催されていたのだが、そのことに気付かなかった方がけっこう多く、どちらかの階だけを見て「ありがとうございました~」と帰ろうとされること多々。分かりにくくてすいませんどす。。 )

 

 〇松本理恵子 氏「引退なんかしないよ」

 おばあの花が咲く。f:id:MAREOSIEV:20170320185615j:plain

介護業界でケアマネージャーとして活躍してきた作者は、無類のおじい・おばあ好き。そんな彼女が注目したのは、80歳代に突入しても「現役」で活躍している方々の存在でした。大企業や官公庁では就業規則によって60歳を定年とするシステムが敷かれているが、世界的にも例のない超高齢社会の日本においては、60歳代はもはや若い世代であると言える。「現役」とは何か?「高齢者」とは誰のことか? そういったことを考えさせてくれます。 

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【私の感想】

・篠原氏同様、写真キャリアがほとんどなかったのに、ものの1年でしっかり撮れるようになった。成長のスピードに御世辞抜きで驚かされた。今、のびざかり。

・本当におじい・おばあ好きであることがひしひしと伝わってくる。彼女のキャラの良さは格別で、その特性は仲間内輪で「隠しきれない育ちの良さ」と言い表している。

・この調子で取材源を当たりまくり、気長に特集して人数を集めれば、相当面白い展示ができると思う。社会の注目度も熱くなろう。2025年には団塊の世代が丸ごと後期高齢者・・・。

  

〇長村玲奈 氏「伝統工芸師 工房と手業」

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京都の伝統工芸の現場を取材し、写真とテキストで工芸の現場の仕事を語る作品。京友禅の刺繍屋、京念珠の作成現場、京友禅の仕上げ屋(着物のお直し屋)の3つの現場を辿る。「京都」のブランド、コンテンツを裏で支えている工房である。

また、「プロカメラマンクラス」らしく、ドキュメンタリーと広報的PRとの両方の性質が合わさった仕上がり。ご本人によるアイデアとのことで、テキストが写真の中に一体として組み込まれているのが特徴。

 

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【私の感想】

・文武両道を地で行く選手、DQ3的には戦う僧侶の趣がある。撮る、書く、まとめるをバランスよくこなし、良質な公務員事務職のような安定感がある。

京友禅仕上げの現場は、クリアで無機質な白い背景と、専用の機器、縦に並ぶ管などとのコントラストにより、医療現場のように見える。ナースステーションの一角のようで面白い。

・撮影の難しい環境下だったはず。光源の位置や光量も現地入りしないと分からないし、人様の仕事場にどこまで干渉して良いかも手探りであろう、しかも深入りは出来ず、一回のインタビューと撮影を敢行したはず。それでこのように作品の形にまとめ上げたのはすごい。

 

 

自分を撮る人もいましたよ。 

〇大野尚貴 氏「ファッションスナップから見える自分」

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モデルは凛々しくて、自分に自信がある人物であるように見える。しかし彼はメンタルの調子を崩し、休養を余儀なくされてしまった経緯があったという。そこから回復を図り、ゆっくりと歩み始めるに当たって、彼は写真という手法を活用した。自信や力を得た自分のイメージを写真という形にすることで、正のスパイラルを徐々に起こしていくという試みである。

それらは写真集という形にまとめられることで、印刷・製本などの会社で勤務していたことのノウハウも生かされ、彼の人生を総合的に肯定する作用をもたらした。 また、シャッターを切るのは彼と同様、回復の途上を歩んでいる仲間であり、協働でのケアという形がとられていて、制作を楽しんでいる様子が伺えた。

 

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 【私の感想】

・当初は友人達の群像的なファッションフォト集を作る構想だったが、満場一致で「大野さん一人のセルフポートレイトがいい」と声が上がったことが思い出される。彼の人柄が当初から愛されていたことを表わすエピソードとして記憶している。実際すてきな男子。

・都市のイメージに狂った私には縁のないこと…と思ったら、大学受験の浪人時代にしばしば自撮りを行っていたことが判明。アイデンティティーの危機に晒されたとき、。

・観客への説明が難しかった。私の人生ではないがゆえに、軽々しくプロフィールを説明できない。しかし解説しないと、自撮りの意図を理解してもらえず、サッと流されてしまう・・・魅力を伝えることって難しい。

  

 〇薬師川聡 氏「いつかのあの日」

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一見ふつうの子供の写真と動画だが、このほんのりとした絵には、今後、プロとしてご飯を食べていくための戦略が込められている。

彼は鈴鹿サーキットに通いつめ、モータースポーツ写真家として長年腕を磨き続けてきた、実力派の男である。写真の機材、テクニックに明るいだけでなく、Lightroom等のソフトも駆使し、美しく印象的なレース写真を多数発表してきた。学校では知識とテクニックの面で、生徒の良き相談役として頼りにされていた。

しかし、コネの無いレースの分野でプロとして生計を立てることは事実上困難であるため、講師と幾度もミーティングを重ね、以下のようなプロジェクトを回して「写真」を商業ベースに引き上げることとなった。

①「子供」のジャンルに特化 

②写真だけでなく動画サービスも提供 

③プログラミング授業が義務教育に組み込まれることへの対策と、子供写真家としての属性を活かし、レゴを用いたプログラミング教室を開校。レゴとプログラムを自作してもらいつつ、その場限りで解体されるレゴとともに子供らを撮影

 

( ゚q ゚ ) ③がすごいな、これは近々、授業のスタイルやコンテンツが固まり次第、学校から正式なアナウンスがあると思われます。  

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 【私の感想】

・10秒程度のバラバラだった動画が、いつどこで編集されたものか、1分44秒のストーリーとしてしっかりまとめられていて、衝撃だった。編集の力である。文字のカットイン、漫画のような吹き出しの効果など、何気ないテクニックが華を添えた。コミカルさと、一期一会の思い出が詰まっていて、これはお客さんが喜ぶのでは。

・会場に、被写体となったお子さん2人を連れてこられていたが、想像を超える動きっぷりであった。次の行動が予期できない。この子供さんらを抱えながら1年間、写真と動画映像の作品制作を行っていたのかと思うと、 脱帽です。

  

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 よく動くお子様たち。この「今しかない」躍動感は、写真だけでは伝わらない。

 

 

〇山本真澄 氏「1」

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 尋常ならざる手仕事の作家。これは飛行機の中から空を撮った写真だが、無数の空の写真を切り抜いて貼り合わせられたものである。本人曰く、関心の射程距離は「写真」というよりアート全般であり、活動のエネルギー源になっているのは60年代のコラージュ的な絵画とのこと。写真を活用した絵画とも言えそうだが、本人にとってはパーツ各部の立体性が重要で、鱗のように少し浮き上がり、影を落としていなければならないのだという。

また、選ばれて切り取られてくるパーツは「最もときめいた部分」だそうで、ときめきが集合して生まれた世界という点では、手入れの行き届いたinstagramの個人アカウント画面のようでもあり、絵画とはまた異なるメディア性を発している。

 

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 【観客の感想】

 ・これはすごい ・手間めっちゃかかってる ・これが「空」か!

 

【私の感想】

・見ていると、自問自答が促された。

  Q.1_私がときめいたのは、いつですか

  Q.2_そのとき、何に、どこにときめきましたか

  Q.3_そのときめきは、どんな形でしたか

  Q.4_そのときめきは今、生きていますか

  私たちは今日、明日、明後日も、答えられるだろうか?

 

・まさに私が10代から20代の頃、飛行機に乗るというのは特別なことで、必ず機内から写真を撮った。雲を突き抜け、青空の中にぽつんと包まれるとき、まるで一人前の作家にでもなったかのような高揚感と、謎の使命感に満たされるのが常だった。それは、日頃漠然と「空」や「青」とラベリングしているものを、異なる視点から触れたり、その内部へ思いっきり入り込むことで、この世界のとても重要なことに立ち会っていることに他ならなかったからだ。彼女は今、その立ち合いの真っ最中にいるのだと思う。好きなだけやり込むべきだ。いつしか、空や飛行機にも慣れ親しんでしまい、泥のような仮眠時間と化してしまう日が来てしまうかも知れないから。輝きは、短命だ。ゆえにとても美しい。

 

 〇佐藤美幸 氏「天神橋筋日々商店街」

これもすごいぞ。

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まさかのテーマ、天神橋筋商店街である。これを設定してご本人も「あたしどうしよう」と何度も狼狽していた。それもそのはず、天神さんは1丁目から6丁目まで、総延長2.6㎞にわたって大阪北区を貫く、日本最長の商店街である。600近い商店がひしめいて、もはや巨大な生物の一種である。それを、やるという。

その結果が、立体コラージュであった。作者が「面白い」と感じたディスプレイや人物は、少し浮き上がらせて貼り付けてあり、平面の画像から浮き上がって迫ってくる。それが、大阪の勢い、大阪人たちのしたたかな強さと人情を表わしている。

 

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敢えて、商店街の雑多さ多様さ、猥雑さ、勢いの良さをそのままに活かしたことが本作の見どころである。面白くて、力強くて、珍奇なものたちに、順列や物語など付けようもないのだから、全部バッと広げて見せる。相手を丸のまま受け入れるという、佐藤さんの気質が効を奏している。人物スナップが非常に多いのも特徴的である。

 

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 【観客の感想】

 ・「面白い!」ということで満場一致。

 

【私の感想】

・私が編集を相談された際には、コンセプチュアルな発想から抜け出せなかった。どういう配列、形状にすれば、全6本の商店街の店舗数、店舗のジャンル数、比類なき長大さを観客に伝えられるのか、という発想であった。それは天六商店街に対する客観的観測から来る発想である。

一方で、佐藤さんは現地に触れる中で、商店街のおっちゃん、おばちゃんたちと非常に密度の高い交流(作者曰く、翌日クタクタになるぐらい)を交わしたといい、その体験が、それぞれの写真が親しげに隙間なくひしめいている絵を産み出したのではないか。むしろ佐藤さんは商店街のディープ過ぎる住人達にえらく気に入られ、そっちを潜入取材しようともしていて、何か魔界へ誘われているような気配があった。お体をご自愛なさいますよう。 

 

〇キノシタ藍 氏「もののあはれを知る」

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身辺の環境の変化をきっかけに、日々何気なく不要物として棄てられるモノたちへ、眼が向けられるようになったとのこと。これらは本当に要らないモノなのだろうか? 眼差しは、廃棄されたものたちの存在を、レッテルを貼ることなく見つめ、それらの独特な姿、佇まい、表情に、ある種の美しさを認める。

 

【観客の感想】

・画面中央に置かれた人工物と、周囲の自然物との対比ですね。真ん中の作品は少し異なるかな? 棄てられた野菜は、元は野菜として人工的に作られた製造物であるから、左右端の2枚の写真はやはり同じ世界をしていると思う。

・中央の写真は、絵としての構成がよく、メッセージ力が高い。作者としても主力作品と捉えていると思われる。レコード盤面を見ると、音楽のジャンルが何か、何の歌なのか不明だし、アリがたかっている。甘い味がするのだろうか、ではこれは何なのだろうか。

 

【私の感想】

・ゴミいいですよね。私も好きなんです。ゴミじゃないと思う。むしろ生きている。だってシステムや役割から解き放たれた後の姿だから。制度の中で生きるというのは、江戸時代の武士や、小学校の生徒みたいなところがあって、滅私? 全体の調和のために存在を捧げているような。ゴミは封建制度モダニズムの外にある。私達に何かを伝えてくれる気がする。

・プリントが綺麗だと、自然と目が入っていく。世界観を伝えるための基本的な構成をしっかりされていて、参考になります。

 

〇熊田聖三 氏「透明昆虫」

あ あっ。

 

/(^o^)\ 撮ったつもりが

 

/(^o^)\ 撮ってなかったああああああああ

     あああああああああ すいませんすいません パン買ってきましょう

     か先輩、

 

熊田氏はプロカメラマンコースでライティング等の商品撮影の技術を高めた後、ゼミ生としてずっと昆虫写真に取り組んでおられる。本展示では、人の身長よりも高い巨大なプリントが2作発表された。1枚はルリタテハの真正面からの顔面写真。もう1枚はキリギリス科の幼虫を薬品で透明に脱色したブルーの標本写真。どちらも非常にクリアな質感で、特にタテハチョウは微細な毛並み、色つやが美しい。深度合成技術の賜物である。ご本人特製の機構によって、百枚近い写真を合成させ、まんべんなくピントが合った絵を作成しているのである。

 

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熊田氏の蝶写真に見入る友人。

他の生徒とキャラが圧倒的に違う。例えるなら、引き出しは一つしかない棚が、開けてみると奥行きが家一軒分ぐらいある。そういう世界の持ち主で、昆虫への想いが半端ではない。昆虫の中でも得手不得手があるらしく、肉肉しいのはダメらしい。ぷりんぷりんの芋虫や、色白で腹部がブヨブヨと肉厚なヒヨケムシなどはたぶん御嫌いだろう。さらに、方向性はあくまで標本である。昆虫写真家・海野和男氏のアドバイスを受け、「死にたて」の写真にこだわるなど、独自の道を歩まれている。生態写真は扱っていないらしい。

この熊田氏の実直でマニアックな取り組みは、一部のコアな観客にとっては琴線に深く触れるところがあり、私の友人(珍スポットや廃墟が大好き)は大いに好きになったようだ。

 

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 以上、個性あふれる取組の数々でした。

 

今後も、プロとして活躍する方、個展に向けて取り組む方、映像系で活躍しようとされている方、一旦写真としては区切りをつける方、もう1年おかわりで世界観を練り込む者など、様々です。私はおかわりくんです。1年後には自我を梅田に乗っ取られているかも知れませんので、皆さん楽しみにしておいてください。

 

明日3/26(日)は、写真表現大学の修了式です。はやいね。

 

www.iminet.ac.jp