予想の3~4倍は射程が広かった。
「ブツ撮り」が、広がる。
(会場の大部分が撮影NGだったため、文字中心でお送りしています)
本展示は何かというと、「ブツ撮り」の幅を拡げる試みであった。
個人的な直感でいうと、モノ単体を静物画的に撮ること、特に商材・商品を主役として撮る商業写真のことを「ブツ撮り」という。
歩いていて目に留まった路傍の石やをそのまま即興的に撮ることや、寺院の奥深くに佇む仏像を撮ることを「ブツ撮り」と呼ぶのには抵抗がある。石やトルソーや昆虫標本や生魚やらを組み合わせてオブジェを構築し、その異世界観を撮るのも「ブツ撮り」と呼ぶ発想はなかった。
本展示ではこうしたジャンルの作品が列挙されている。確かに「モノ」、静物を被写体としていることは共通しているので、一事が万事、「これもブツ撮りに数えましょうね」といった具合でぽんぽんと射程を広げながら進行する。ただ、射程の想定外さと、更にもうひと工夫加わっていたために、一巡目の鑑賞では混乱し、二巡して整理する必要があった。
本展示が試みる「ブツ撮り」射程拡張のひとつは、「ブツ撮り」に当たる動向を写真史から貪欲に拾い上げていくこと。
全6章のうち1~4章が日本写真黎明期から戦前の写真動向を踏まえつつ、時代が現代へと下っていき、静物を扱った古典的な写真が多数紹介される。また後編、5章では広告やグラフ写真など商業写真に注目し、一般的「ブツ撮り」へ帰結する。
冒頭で触れたように、ここで「記録写真」として仏像など文化財の写真が紹介される。仏像は威厳に満ち、人間よりも人格を有していて肖像そのものであり、「モノ」性が圧倒的に退行している。1870年代の横山松三郎、1880年代の小川一眞のあたりはまだ対・モノとしての記録性が強いが、1920年代の小川晴暘の頃には極めて強い人格・神格的なオーラが宿る。1940-50年代の藤本四八、坂本万七では部位のクローズアップによって再びモノ感が出るが、手や足、着衣の表情に目を向けているところはやはり人物写真的だ。
一方で1920年代にはピクトリアリズム全盛期に当たり、展示ではブロムオイル印画、ゴム印画やベス単フード外し等の技法を凝らして絵画的美学を目指した「芸術写真」としての静物写真が多数並ぶ。野島康三(10年後に変貌する!)、高山正隆、渡辺淳、山本牧彦、塩谷定好、島村逢紅、淵上白陽、福田勝治、高田皆義、と、本展示でも最も密度の高い一角となっている。
これらは1930年代の「新興写真」へのスイッチ、つまり絵画を規範とする囚われを脱して写真=機械の眼という「モダニズム写真」へ向かう際に終焉を迎えるのだが、さきの仏像など文化財記録写真を同じ「ブツ撮り写真」として並置して見るとき、モダニズム的な機械の眼は同時代に既に在ったことが分かる。当然と言えば当然なのだが、ある動向の歴史を追っているとき、一つ二つ隣向こうの領域の動向は見えないものだ。
そして「ブツ撮り」は新興写真、前衛写真へと流れていくのだが、これらは「モノを配置して狙いの世界観を演出・制作して撮った写真」であることが共通しており、冒頭で述べた通り現在的な「ブツ撮り」の実感から外れていたため、私は混乱することになった。
撮っているのはモノではなく、演出で立ち上がった世界なのでは???
「静物写真」と表記していたらニュアンスはまた違ったのだが、「ブツ」「モノ」の次元で言うとどうしてもその疑念というか同調困難さが抑えられなかったのだ。1930年代の「新興写真」によって写真が真に機械の冷徹さを獲得し、木村専一、中山岩太、野島康三がソリッドな配置と取り合わせをやり、更に「前衛写真」で安井仲治、植田正治、高田皆義がモノの構成に超現実を表すあたりで、「ブツ撮り」の定義の拡張と私の認識とがぶつかって混戦状態になった。中山岩太・野島康三の美しい闇、SF的な漆黒の創作宇宙に引き寄せられてしまったのだ。惚れ惚れとすればするほど「モノ」が眼前から見失われて「世界」へと開かれて引き寄せられていってしまう…。
そんなわけで本展示の狙いと逆のところで私は引き裂かれていた。定義の拡張と、個への没入と。全体の把握と、把握の拡張と。
本展示の試みの二つ目は、写真史の各パートにて、関連しそうな現代写真を対置させること、つまり再解釈だ。
静物の扱いの形態上は同じに見える現代写真を、100年前の動向の写真群へあえて投げ入れてみせる。当然、時系列の順列としては混線・脱線するわけで、展示の意図が掴めなくなり見失われたり脱線したりして、私が鑑賞中に混乱した大きな要因でもある。もっとも、そうしなかった場合には、単に写真黎明期から順接によって写真史を辿るだけの優等生的で博物的な展示になり、印象には残らなかっただろう。
まず展示入口から第1章「たんなるモノ」として大辻清司、島霞谷、川内倫子の3名が来る時点で、どちらに振れるか読めない。
そして次に前述のように、19Cの記録写真からの写真史へと突入する。川内倫子《M/E》シリーズ2枚からの、廃仏毀釈で危機に瀕した仏教的文化財の保護写真へとジャンプするのだから、ここから辿るのが歴史ともフォーマット・スタイルとも読めない展開なのだ。
実際、どちらとも読めるし読み切れないしで、文化財記録写真の歴史には潮田登久子《Bibliotheca》シリーズが、ピクトリアリズム期の静物写真には石内都《mother's》シリーズと安村崇《態態》シリーズ、新興写真・前衛写真コーナーにはオノデラユキ《古着のポートレート》シリーズと今道子の生魚オブジェ作品群が、それぞれ同じ類の写真として100~数十年の時を超えて当てられている。
写真史の経時的順接による検証に、そのつど垂直に現代写真が割って挿入されるという非常に攻めた構成で、直線的鑑賞が妨げられる。古典と現代はリンクしてるんですよといったある種の分かりやすさが提供されるとともに、逆になぜそれが同列に直結されるのか?という疑問が強く出てくるので、良い意味で分かりやすさが阻害されている。
分かりやすさが遮られる=問いが生じることで浮かび上がるのは、「モノ」性の在り様だ。
戦前の写真と現代写真との最大の違いである。いかに「モノ」の扱い方が外形上似ていても、モノ自体が存在を語っているか、モノを通して別のものが語られているかが異なる。
前項で言ったことと矛盾するが、古典写真は、確かにモノの配置によって絵画調やSF、超現実の「世界」を現していた、とはいえ、そこには「モノ」同士の連携、関係による力が、無機的に働いていた。人間の私情や私性はなく、ある個人が現れてくることはない。その意味では「モノ」性が機械的に重視された世界だ。
現代写真は真逆だ。川内倫子、石内都が最も分かりやすい。モノを撮っていてもそれは人間の、ある個人の私情であり命に直結している。口紅、肌着、皿に剥かれた林檎、それらは「誰か」の生活のあかし、命の尊厳である。中山岩太がナイフを断面に割り刺した林檎とは、全く別のものが指し示されている。オノデラユキの衣類は「宙に浮いたモノ」ではなく「還る処を失った死者の存在」であり、植田正治や高田皆義、後藤敬一郎らが配置する真空的なトルソーとは全く異世界のものだ。今道子のオブジェクトは最も古典写真に近く、確かに無数の魚の眼球、文脈を立ち割る異物性はシュルレアリスム的だが、もっと妖艶な生気、死にたての「生」のドレスを纏ったエロスが芳醇に詰め込まれており、シュールよりもゴシックで古典的・貴族的な退廃を孕んでいる。安村崇は徹底的なフラットネスによってモノと背景=デザインの差異(の無さ)を明らかにし、それはデジタル写真の特質(全てを等価に情報化する)へ結びつく。
現代写真の抱えているもののあまりの違いが目の当たりになり、戸惑う。言わば現代写真は多次元構成でメディアミックス的、古典写真はモノラル的な再生で一対一の構成となっていることが明らかになる。このことに言及するのが最終の第6章「かたちなるもの」で、複数の要素がミックスされた多次元構成というものについて、最も顕著に、かつメタに表すのが鈴木崇《BAU》シリーズだ。
それらは「モノ」としてはスポンジである、しかし前後上下左右の組み合わせによって「形」が幾つにも分岐し「モノ」(thing、mono)は果てしなく拡張される。では複数性(poly)へと集合されて向かうかというとそうではなく、個々のオブジェ(作品)においてスポンジのモノ性が薄れただけで、個々のオブジェ(作品)自体は個のままにあり独立している。個であるが群であり同じ事象面の波形の様相でもある。これが多次元であり、本展示で《BAU》シリーズは現代写真の意味構造のメタ基盤を開いて見せたものとして意味を持つ。これ(ら)はオブジェクトなのか、それとも文体なのか。
しかし《BAU》シリーズと横に並んで、別種のおそろしさを見せた坂田稔の1940年前後の作品:楕円や球体、そして名状し難い水滴、とろみ、粘体的な形状の写真は、もはや写真なのかどうかも判別し難く、多次元とは別の恐るべき暗黒面――写真が来た原点にあるモノと闇の未分化な特異点を想起させる。この暗黒めいた澱みやカオスといった創造の原初性は、戦後昭和の写真が追求した世界ではなかったか。ベッヒャー・シューレに始まる新たな工業的視点による現代美術化、洗練された21世紀の写真と対置されるものとして、興味深い闇があった。
( ◜◡゜)っ 完。