KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2015/テーマ「TRIBE ― あなたはどこにいるのか?」【会期】2015.4.18~5.10
PARASOPHIAと同時期に並行していた写真展示イベント。実は今年で3回目。これまで見くびってスルーしてきたことを此処に悔いる。
前編として、虎屋、弘道館、堀川御池ギャラリー、嶋䑓(しまだい)ギャラリーを巡回。
- <1 虎屋 京都ギャラリー> フランス国立ギメ東洋美術館・写真コレクションーサムライの残像
- <2 有斐斎 弘道館> (ゆうひさい こうどうかん) ルーカス・フォリア《A Nutural Order ― 自然に向かう人々》
- <3 京都市役所前広場> マルティン・グシンデ《フエゴ諸島先住民の魂 ― セルクナム族、ヤマナ族、カウェスカー族》
- <4a コム デ ギャルソン京都店> ロジャー・バレン《Shadowland 1969-2014 ロジャー・バレンの世界》
- <4b 堀川御池ギャラリー> ロジャー・バレン《Shadowland 1969-2014 ロジャー・バレンの世界》
- <5 嶋䑓(しまだい)ギャラリー> フランシス・ウルフ《A Vision of Jazz:フランシス・ウルフとブルーノート・レコード》
【MAP】(公式サイトよりPDF拝借)
会場が15カ所もあるので、本ブログでは公式MAPのナンバリング通りにレビューを展開する。
なお、会場内での作品撮影は基本的に禁止だが作品以外はOKという線引きがあり、もどかしい感じのレビューになります。
<1 虎屋 京都ギャラリー> フランス国立ギメ東洋美術館・写真コレクションーサムライの残像
京都御苑と烏丸通を挟んですぐの「虎屋菓寮」 、併設のギャラリーにて展示。前2回においても会場を提供。
「虎屋=羊羹の店」程度の認識しかなかったが、「会社概要」で「創業 室町時代後期」と書いてあるなど企業としてのサバイバル力は神クラスであると知り、また羊羹を食べに来ようと思った。
展示は概ねこういう感じ。
1890年代撮影。
この頃にはもうリアル「武士」がいなかったようで、武士を演じる歌舞伎役者を撮ったものであるとキャプションにある。
振り返りましょうか。1867年・大政奉還、1868年・明治時代突入、1876年・廃刀令&秩禄処分、1889年・大日本帝国憲法発布。
「秩禄処分」は「明治政府は財政きついし四民平等って言ってるので華族士族にはもう給料払いません。あとは公債を支給するから事業興すなり何とかしてね」と、家禄に応じた秩禄公債を支給した政策だが、日割にして当時の東京の労働者最低賃金の1/3しかなく、誰もが商人に転職して成功する話でもなく、「武士」が一網打尽された。
食い扶持に困窮した武士が武具を売却し、古美術屋に鎧兜の在庫が積みあがっている写真を見たよ\(^o^)/
アポリネール・ル・パ《日本の武者》1864
ポストカードより。1864年は新撰組刀傷PartyNight@池田屋ですから、江戸時代末期、まだリアル武士が存命でおます。立ち方が半端なく格好良い。背筋の良い奴はだいたい武士の頃。同じ日本人とは思えない(かこいい
<2 有斐斎 弘道館> (ゆうひさい こうどうかん) ルーカス・フォリア《A Nutural Order ― 自然に向かう人々》
思いっきり住宅街の中。迷子になる。なったよ。
京都の古い建物は皆、実際の奥行に対して間口が異様に狭い。所謂「鰻の寝床」。これは節税対策である・・・と言われているが諸説の時期がはっきりしない(安土桃山、徳川幕府、戦前などばらつく)。町の区画が碁盤の目状に定められている以上、間口をできるだけ狭くし、奥の方で個々のスペースを確保しないと数が建てられないという事情もあると思われる。染物業では作業スペースも必要。
剣豪の道場ぽい。
江戸時代中・後期に活躍した儒者・皆川淇園(みながわ きえん)の別号。彼の建てた学問所がこの「弘道館」。門弟3千人いたんですて。インフルエンサーすぎる。
ルーカス・フォーリア関連オリジナルグッズの販売。
「現代の自給自足生活者」と聞いて勝手に想像したのが
・アーミッシュ(キリスト教の一派、ドイツ系アメリカ人。アイデンティティ保持のため電気等の現代文明を用いず社会保障制度にも入らず中学校教育までで十分とする。子供はラムシュプリンガ終了時にアーミッシュ外で生きていくかを選択可)
・プレッパーズ(大規模自然災害や経済崩壊、有事、核戦争などあらゆる事態を想定し生き残るための独自の自衛策を講じる人たち。基本的には武装と水・食料備蓄が旨、原動力は政府・大企業の陰謀への不信感)
・ベアグリルス派生者(「多摩川自給自足生活」のカメ五郎氏的なw ある意味で趣味的な立ち位置の人)
…であるが、彼の写真に取り上げられているのはもっと小規模で穏やかなコミュニティだ。「off-the-grid」(フォーリア曰く近代的なライフラインに頼らない生活環境)な自給自足生活を送る人たちで、ガチ狩猟もするが自家発電でネットを駆使するなど、宗教観や伝統から一定距離を置いており、政府の陰謀だとか情報操作だとかは言ってない。ヒッピーの自然回帰思想を実践している感じ。
フォーリア自身が そのような思想の両親・環境の下で育ったということもあるのか、写真の眼差しや色合いはとても上品というか、優しくしっとりしている。
被ると貴族になれるアレが壁に。虫かよ。
内装の一品一品が素晴らしい。こんな高度に文化的な物件をつぶしてマンション建てるだなんてとんでもない(2009年にマンションになりかけ、反対運動の末、2013年に公益財団法人を設立)。
( ゚q ゚ )とんでもない。
<3 京都市役所前広場> マルティン・グシンデ《フエゴ諸島先住民の魂 ― セルクナム族、ヤマナ族、カウェスカー族》
全国の役所系建築の中でも、京都市役所の存在感は強面。
その広場の真正面に
マルティン・グシンデ。
直射日光が叩き付ける仮設会場は暑かった。しかしこの建物は建築家・坂 茂(ばん しげる)氏による「紙管パビリオン」といい、紙から作られている。
氏の建築は軽やかで美しくそして未来風味が素敵
展示内容も熱かった。
展示は、ネット生活者なら一度は目にしたであろう、ウルトラマンの怪人のようなファッションで我等の狭隘な美的感覚を粉々にした部族。
<参考>
<公式パンフレット>
展示に用いられた写真とキャプションをまとめて本にしてほしい。単独特集すべき。単純に好奇心をひどくそそる。通過儀礼とは何か/(^o^)\
神や精霊のことを思うと人の発想力は無限に高まる\(^o^)/のであろうか\(^o^)/あろう。
<4a コム デ ギャルソン京都店> ロジャー・バレン《Shadowland 1969-2014 ロジャー・バレンの世界》
ギャルソン店舗が異様にクール。川久保玲デザイン。
光を帯びた黒。軽いわけではないが重いのでもない。
店内では映像作品。
写真はPOPでリズミカルな構図美を誇るのに、映像はPOPの微塵もなく血液・肢体・虫・ネズミ・上半身裸の男ども・ドロドロの壁や床がグロテスクな悪夢そのもので、女が泣いてるわハエは飛んでるわ入れ歯は出るわ、目覚めたいのに終わってくれない夢特有の粘り気と強度が胸を打ちます。
閲覧は先に写真展示を見てから来たが、ロジャー・バレン関連の中ではずば抜けてインパクトというか毒気の強い世界である。確実に好みが分かれる。私はだめな部類。
ロジャー・バレンの作品は今回のKYOYO GRAPHIE公式パンフ、ポスター等の顔となった、例のPOP風味のモノクロ。
ロジャー・バレン《擬態》2005
一見センスのあるシャレオツな写真ですなあ、で終わりそうだが、基本的に前述の映像作品のような世界が根本にあるので思っていたのと全然違った\(^o^)/
<4b 堀川御池ギャラリー> ロジャー・バレン《Shadowland 1969-2014 ロジャー・バレンの世界》
写真展示+映像作品。もはや私のごとき凡庸なジャパニーズサラリーマンの筆ではアルコール度数を何度高めてもまるで足りないので直接ご覧ください。
ロジャー・バーレン《Asylum of the Birds
想像と違い過ぎてうめき声を上げてしまった映像。写真と違う。私は冷静さを装いながら繰り返した。写真と違う。ハードコアだ。
ポスターのPOPな可愛い感じのあれはどこにあるんだ。写真と違う。舞台は南アフリカのリアル貧民窟、鳥は小道具ではなくリアル住民、正体不明の表情・風体を晒すキャストたちはリアル住民。
コラボ:Die Antwoord 《I Fink U Freeky》
\(^o^)/この世界観を説明できる言語は ない
無念だ
ロジャー・バレンのカオスさにダイ・アントワードが更に味付けをして良質な闇鍋が仕上がっている。ダイ・アントワードはケープタウン出身、彼らもプアホワイトがテーマにある。使用する音源がジュリアナテクノで好感が持てますw ださかっこいい。しかし映像になるとZefとか言ってる場合でなくなる。
消化できない脂身を大量に食べた気分。だいたいの難解な素材でも喜んで摂取する私なのだが… それゆえに興味がわきました。
<5 嶋䑓(しまだい)ギャラリー> フランシス・ウルフ《A Vision of Jazz:フランシス・ウルフとブルーノート・レコード》
「会場ごとに世界観が全く異なる」のがKYOYO GRAPHIEの真価である。南アフリカ貧民窟で大いに虫と鳥と歯抜けのオッサンが懇ろになっていたかと思えば、次は古き良きジャズ文化。
(以下、公式ガイドブックをほぼ引用)
御池通りに面した古風な町屋。もとは1608年創業という老舗の生糸商。
伊丹の酒造家との縁もあり江戸時代中期から兼業として灘の酒を取り扱う。
幕末に消失し1883年に再建。
ギャラリーは生糸を扱っていた西館と、酒を扱っていた東館に分かれている。
内部は和セレブな超上質ゆったり空間。
一日中居れますがな。なんてことしはるんや。
これやさかい京都のお人はこわいんどす。
\(^o^)/ 周囲をブルーノート写真に包囲され、JAZZが流れており、年中こないしたらよろしいのにと思いました。JAZZ和室よろしいおすやん。
JAZZを一切聞かず、「JAZZと言えばソルトピーナッツで食通が唸るアレ」(※『美味しんぼ』8巻)程度の知識しかなく、そんな私でさえもこのテイストの写真は知っている。決してSuper Euro Beatシリーズのジャケではない(avexは相当意識してたと思う)。
フランシス・ウルフの写真の魅力はどこから来るのか。演奏者の表情が良い。単なるライブ写真、プロモ写真とは別物。息吹が聞こえるが自然である。優秀なフォトグラファーの条件に「被写体に自分の存在を悟らせない」或いは逆に「被写体を自分の世界に導引し支配する」力がある。ウルフは前者に秀でている。プリントの美しさも欠かせない要素。淡いグレーが獲れたての魚のように鮮度を誇っている。
また、グラフィックデザイナー:リード・マイルスの手腕が、ウルフの写真を別次元の作品へと昇華させた。マイルスの写真もいい。だが世界を魅了したあのブルーノートを象徴する正方形、単色、余白の大胆なデザインは格別です。
格別です。
そんな感じでうだうだ書いていたら1/3ぐらいしか進めなかったので困りましたなあ。
中編へ続く(予定外www