堀川団地の一角に宇宙あり
<前編>
団地だと思って足を踏み入れるとそこは宇宙であった。
笹本 晃(ササモト アキ)《ラストコール、誤りハッピーアワー》
作家自身によるパフォーマンスを収めた映像作品となっているが、映像の域を超えており、即興演技とも「インスタレーション」ともつかぬ緊張感溢れたものとなっている。写真のように、キャスター付きのゴミ箱に身を投じ、部屋中をガラーッガラーッと駆け出したり、おもむろに予期せぬ展開が来るため、見るものに滑稽さと戦慄をもたらす。
「彼女は何者?」
会場には彼女が暴れ回った痕が生き生きと残る。
パンフレットの解説によれば
『空間を彫刻的に分節し、その環境の中で自らの身体によるダンス、言葉、モノを用いて即興的なパフォーマンスを行う作品を数多く発表している。日常的な出来事や行為から着想された即興的な展開に見える彼女の作品は、実は緻密に構成されたもので、インスタレーションの静的空間と動的パフォーマンスとが複雑に交差する迷宮的物語世界となっている。』
と、全く意味が解らないがだいたい合っている。
扇風機に紙をバサバサ飛ばされながら、顔で紙を押さえ、何かを読み上げる。単発的に発せられるフレーズはすべて英語。
そしておもむろにメガネを選び、鏡に向かって装着したと思うと、メガネにコーヒーを注入する。
意図は全く解らないが、画の破壊力がすごい。
コーヒーで視界を奪われてからの彼女は実に饒舌である。私は英語を介さないので意味は解らないが感情に突き動かされて歩き回り、何かをひたすら訴える。
「日常」というものは私たちが普段「これはだいたいこうだよね」と共通して理解し、共有している手続きの連続から成り立っている。叫びや踊りや形の定まらない動作はそのプロトコルの記述を超える。しかし力任せにそれらを行使するとただの暴力、破壊に終わる。「日常」を形作る物理的な空間の中で、ある手順に則りながら徐々に、しかし緩急をつけて、プロトコルを解体してゆくとどうなるのか。
彼女の企てはよく手順を踏まえた装置的なものであって、一つ一つの挙動は意味不明なことになっているのだが思わず「その先を見たい」と思ってしまう。
そして壁の向こうにパタンと消えたかと思うと、壁ごと部屋を押し潰しにかかってくる。ブルドーザーのように日常を崩してゆく
しかし公式本によると、笹本氏のテーマは「ロマンス」である。
/(^o^)\ むちゃ言うな。
余計に分からなくなった。私はロマンスという概念について考えたことがなかったので、ここから先は解釈不能。ロマンスと、空き瓶なぎ倒し、コーヒーメガネ…ロマンスとは何だろう。ロマンスカーは分かる。流線型のアイツ。江の島のあ(略)
「ロマンス」で検索すると主な意味としては以下の2点が出てくる。
1.
「非日常」に近いかなと思ったがそのような客観的なものではない、もっと主観に寄ったもののようだ。片思いに近いような。
コーヒーぶっかけてやがる。
液体を誰か/何かにぶっかけるとロマンス値が上がる。
笹本晃でした。
こういう人が職場にいたらいいな ( ゚ε゚ )いません。
そして別棟では打って変わって、深き幻想の床の間。
ピピロッティ・リスト《進化的トレーニング(堀川―不安は消滅する)》
原初の記憶を呼び覚ます、陶酔、極彩、浮遊の映像が続く。酒と投入させてくれれば最高の幻夢体験となるだろう。
んnんん。あああああ
あああんnんnnん あんんんんnnnnあ
あああ/(^o^)\ああああ
自然の色彩が続き、時折、人間の形へと回収され、胎児のようになったり、体のパーツが現れたりする。
見る者の精神を原初に回帰させる。
( ー_ー)( ー_ー)( ー_ー)
そして隣の寝室にもう一つの宇宙。
ピピロッティ・リスト《巨大な西洋梨の記録》
お布団がキラキラと輝き、宇宙がすぐそこにあります。
スーツ姿のリーマンが浮遊、回転しながら迫ってくる。
これは大変だ。
女子も布団宇宙の彼方よりぐるぐる回ってやってくる。
冴えない4畳ほどの小さな和室、しみったれた白い昭和布団が
この変貌。
なんというエロスだろうか。この闇の中で妻を抱きたい。
(※妻いません( ゚q ゚ )
堀川団地を宇宙に接続し直した、きっと半世紀の間だれも成し得なかったことだと思う、それがアーティストというものの恐ろしき実力なのだと知った。
眩暈がします。
Yeh. クラクラ( ゚ p゚ )
幻夢とともにありたいものです。