nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【学生】R3.11/6~11/28_じないまちフォトプロジェクト2021「旧杉山家写真物語展」(大阪芸術大学)(前編)@旧杉山家住宅

大阪府富田林市、古くから残る寺内町(じないまち)」の4会場を舞台に、大阪芸術大学の大学院生・写真学科生15名、准教授1名、教授1名の計17名が写真作品を展開する。

この前編の投稿では重要文化財にして巨大な邸宅:「旧杉山家住宅」会場を取り上げよう。ここだけで全体の半数弱の7名も出展している上に、この住宅こそが本企画のテーマ・被写体なので知っておく必要があります。それに主力作品があって、それがかっこいい。

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【会期】R3.11/6(土)~11/28(日)

 

後編はこちら

 

同じ大阪府といっても、富田林に用事があることって無いすよ。用事。ないなあ。あるとすればPL花火大会を見ることと、PLタワーを見るぐらいでしょうか。きみの用事はどうだい。 ※PLタワーはリアルRPG感をいやおうなく駆り立てるので極めてお勧めです。

 

そんな富田林でこんな写真をたくさん面で展開するイベントがあるのは大変ありがたい。書を捨てて町に出ようやって昔の人も言うてた。寺内町(じないちょう)」という古い町並みがあることを今回初めて知った。人生そんなもんですね、そんなもん、

 

( ´ - ` ) 切なくなってきた。MAPを見ましょう。

 

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会場は「旧杉山家住宅」「寺内町センター」「じないまち展望広場」「じないまち交流館」の4つ。旧杉以外の3カ所は名前似てるな… って思ったけど実際なんか似たような施設でした。役所が観光振興でお金かけてつくった/民間に作らせた感のある施設ですね。歴史と観光を絡めた町おこしを考えていた模様。それだけこの寺内町の歴史は重要なものとなります。

 

 

1.旧杉山家住宅

本企画の主役でありテーマであり、最大の展示会場。また富田林・寺内町の最大の見どころでもある。400円で入れるでっかい古民家です。でっかい。普通の屋敷ではございません。でかい屋敷(語彙、

 

www.city.tondabayashi.lg.jp

寺内町を歩くと、くるまが普通に行き交うわ、電柱電線普通にあるわで、風情があったりなかったりするのだが、江戸~昭和初期の屋敷がそのまま残されており、またその雰囲気を出来るだけ残そうと景観も配慮しているのがよくわかる。

ただ、ほとんどの古い物件には入ることができない。どうも見学という形で内部公開しているのは「旧杉山家住宅」「旧田中家住宅」だけのようだ。あとは店として活用されていたり。なので旧杉(略)に入るのは、寺内町を知る上で必須イベントだったりする。

www5d.biglobe.ne.jp

 

本企画が特徴的なのは、出展者16名全員が「旧杉山家住宅」を題材として撮影・作品制作していることだ。寺内町の街並み全体や他の古民家なども選びうる中、この人数規模で1軒だけを集中的に取り組むのは珍しい試みではないだろうか。ベテランの作家なら非公開物件に時間をかけて個別交渉&密着取材できるとしても、この人数で一斉に作品作りをしようとすると、なかなか制約も多かったと思われる。

 

◇「旧杉山家住宅」家の中(1F)

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駅から10分弱歩くと到着。とにかく屋敷がでかい。なに これ どうやって建てたんですか。木綿問屋だけなく造り酒屋としても商いをやっていたと。時代によって何が儲かるのかが全く違うのが分かって社会勉強になります。おいYouTuber、10年後おまえたちは(略)

 

作品はこの屋敷の中を進むとあるということで、400円払って入館します。奥の方まで進むと作品が登場するので、そこまでしっかり和の空間を体験します。和はですね、体で感じないと分からないんですよ。ヨガとかと同じで、呼吸みたいなもんなんですよ。なんやそら。

 

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お部屋上がります~。すんげえ広い。尋常じゃない広さやぞ。これは襖をすべて開け放っていて、「部屋」の概念がマキシマムに拡張されているためです。和室ってやばいな。わたしの語彙がやばい。

ばんとうさんがパチパチするアレを見て「今の若い子は時代劇もない中で、こうした古い設備とか生活・文化をどうやって理解するのだろう」と疑問になりましたが、たぶん「鬼滅」のような漫画などが継承していくんだろうなとも思いました。ノスタルジーは物語をつむぐ。

 

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日差しがすげえいいすよ。自然光の織り成す陰影が物件に満ちています。それはすなわち、滞在する時間帯や天候、季節によって、この古民家、「和」の空間の意味や表情が全く変わることを意味している。えらいこっちゃな。

こうしてブツブツいいながら、変数がかなり大きい中で写真を撮って作品制作しているということを押さえます。「和」の空間は色々とやばい。私の語彙が(略

 

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この邸宅には撮っていい野良ふすま・壁絵と、撮影禁止の狩野派とかの絵があります。いずれにせよ至近距離で貴重な絵が体感できるのはうれしい。後で作品としてこれらが出てくるのでよく見ておくのが吉です。いやもう会期終わったあるがな。まじまじと見るとかなり薄味で素朴な絵だけど、ないと凄く殺風景になる。かすかすになるのではないか。絶妙な美のエネルギー回路がある。

 

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四方を見渡すと庭にせよ和室の作りにせよ、方程式に囲まれているような高密度の力があり、落ちつくと同時にテンションが張ります。なにその矛盾した力は。緑茶と似ているなあ。カフェインと鎮静、炎と水。

 

そういう感じで「旧杉山家住宅」本体でした。庭がうらやましいとか寝床が広いなどとわめいてたら楽しかったです。めっちゃ広い。文化がそこいらにある。庭がやばい。羨ましい。相続税もやばそうだが、焚火や全裸日光浴をしても誰にも怒られない庭と塀があるのは羨ましい。庭の話で盛り上がりました。

 

言うてたら作品展示のエリアに来ました。

 

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やっと作品鑑賞タイムです。お待たせしました。今まで巡ってきた部屋に比べると雰囲気が変わってフラットな、空きスペースという感じの一角。ついたてがクールですよ。

 

 

◆茂木山スワン

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ほぼ全ての作家が旧杉山家の和の空間・建築様式を撮っていた中で、唯一「自己表現」に寄っていた。ガラスケース2段構えのうち上段が写真作品、下段が資料などが入っている。解説が一切ないためこの両者がどういう関係なのか分からず、もしかして元から入っていた資料ケースの上側を作品展示に使ったのか?とすら思ったのだが、後に作家が全部一からセッティングしたものだと分かった。全てにセレクトの意図があると見るべきだろう。

 

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だが結論から言うと本作の意図や世界観は読み解けなかった。情報・要素は散りばめられているがそれらがどう関連しているかは分からなかった。

上段の写真はセルフポートレイトで、作者は白鳥の形をした玩具の仮面をかざし、旧杉山家住宅を舞台に戯画的なキャラクター化となって登場する。白鳥のマスクは作者名「スワン」に掛けているのだろう。

 

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棚の下段にはサディスティック・ミカ・バンド」のアルバム『黒船』の歌詞カードとイラスト、ヨルシカのアルバム『盗作』の初回特典版の小説、鏡などが置かれている。これらの関連性を読み解くことは私には出来なかった。上記2作品の特徴は海外の先行作品を貪欲に取り込み、オマージュに満ちている(特に『盗作』はその名の通り、創作活動におけるオマージュの位置付けを逆手に取っている)ことだが、本作がそれらとどう繋がるのか、杉山家住宅の歴史にどう関わるのかは謎だ。

 

シンプルに、作者の個人的な好み・世界観を表明したのか。過去の日本の美が、時代を下るとともに解釈を変えながら受け継がれていくことを表わそうとしたのか。写真の表現力はあるから絶対に意図はあるはずなんですよね。あの白鳥マスク可愛いから反則🙃

 

 

◆岡崎琴美

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作品は計8点あり、白のフレーム3点、木製フレーム5点。いずれも同サイズ。サービス版に近いサイズでフォトスタンドに立てかけるスタイルは、公の展示では逆に珍しい。

うち一つは本展示のメインビジュアルに選ばれていた作品である。屋敷の土間のあたりだろう。大きく伸ばしてしっかり見せると映える作品である。

 

ただ残念ながら、午前中に行ったところ、窓がモロに逆光となって写真の面がほとんど見えなかった。これカメラの能力によって見えてますが肉眼では無理でした。和の建築の、繊細かつ深い陰影を表わした作品だと思うが、逆光のうえ画面が小さい・フレームが大きい、バラけて置かれているといった展示上の条件から、そのポテンシャルは分からなかった。

 

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同じく逆光、かつ画面が小さくてほとんど見えなかった作品。旧杉山家住宅の象徴的な場所を撮っている。部屋や庭を見て回った時に目につくものが主だ。上掲の写真では綺麗に見えているが、これはカメラ側の補整が強く効いているためで、肉眼では見えていない。

 

◆山中彩葉

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絵画と写真の融合を試みている。不思議な質感があり、キャンバス布に施された写真プリントの上からアクリル顔料で色を塗っている。写真と絵画の中間体のような質感は面白いが、わざわざその手法を選んだだけの必然性が伝わる何かが欲しいと感じた。そしてやはり逆光が辛い。あああう。見えんす。。

 

◆インゲン テツ

部屋の奥に立てられた屏風状の作品である。これは文句なしにかっこいい。

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これは私の写真が悪い。もうちょっとこう、立体の壁と化した平面のビジュアルの妙があった。

和の建築・庭を縦長にばっさり切ると、情報量はその分大幅に削られているはずなのに、デザイン的には説得力が増している。なぜだ。とにかく無性にしっくりくる。和の部屋だから屏風が合う、などという単純な理由だけではない。勿論、庭園をモノクロで処理したことで、屏風という極端に「縦」が強いフォーマット性が強調され、そのスタイリッシュさに目を奪われたのは確かだ。

だがそもそもの和の建築には、面や幅というより「縦」の構成が根底に内蔵されているのだろうか? 掛け軸が合うように作られているぐらいだから、柱と共に見えざる垂直線が何本も走って空間を作っているのだろうと想像する。伝統的建築について全く知らないので何とも言い難いが、和の建築に潜む美学の一端を切り裂いて見せてくれたように思う。

 

 

◇家の空間(2F)

屋敷の2階に上がると、より静かで闇の密度が高くなり、雰囲気が元に戻る。ここで現れる2つの作品は大きく、縦または横の連続したカットによって、「和」の多面性と連続性が強く表される。それは平面だがスケールの大きさと陰影により奥行きを出していた。つまりかっこいいってことです。

 

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貴人の棺みたいな作品の置き方でいいですね。まさに仏間というか、生を抑制する力がすごく効いた空間で、これは普通に写真展示をしたらニュアンスが全部喪に服したみたいに沈められてしまっただろう。出展者2人はその抑制へうまく合わせ、陰を宿しながら光を招き入れる形態を取っている。この空間に合わせているのは見事だ。

 

◆余 坤鵬(Yu Kunpeng)

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写真では小さく見えるが、実物は赤い敷物と相まってかなり大きく場を占めている。写真は屋敷の影・暗がりの中で光を湛えている。写真自体も暗闇を過分に抱えながら光を湛えている。この迫力ある静かな光の沼は、間近でよく見てみると、先ほど見てきた屋敷の襖や壁の絵なのだった。

 

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志賀理江子の世界から人を取り除いたような、演出的幻想がある。もっと言えば、書き割りの舞台装置で出来た銀河である。壁や襖の絵に色付きの光を当てて撮影しているのだと思う。それが絵という絶対的な平面に光の吸収と反射をもたらし、疑似的な奥行きを与える。襖や壁の絵は全く予想外の深みと煌めきを持っていた。とことん陰影の掘り下げを受けて、内へ内へと深みを生じることができる。そんな「和」の底なしぶりを暴いたのが本作の面白さだろう。

 

これは「重要文化財だから、ありのままをそのままに尊重せねばならない」という保護的な発想では絶対に生まれない作品だ。伝統に挑戦していて、高い創造性に痺れる。

 

◆尤 嘉楽(You Jiale)

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こちらも同じく「和」への調和的な挑戦がある。インゲンテツの作品と同様に「縦」で和の建築を切り取っているが、あちらが庭の光景を屏風という非常に強いフォームによって規定していたのに対し、こちらは素の「写真」なので写っている中身のイメージがより生な形でそこにある。

だがやはり同じく「縦」の説得力が半端ではない。縦長に切り取られた和の建築、こちらでは障子や壁など「面」の被写体であるにも関わらず、規定しているのは「縦」の線だということを思い知らされる。和の建築に内在された縦の垂線を、掛け軸のような縦長の写真によって抽出・再定義する。

だから新しい写真というわけではない。「和」の正体は掴めない、その内側へと触れさせず、指示対象はぐるぐるとウロボロスのように回っている。それがまた面白い。

 

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他にも、歴史のこととか色々資料がありました。もう覚えてない。瓦も重要なもののはず。窓から瓦が見えまして、これが良かった。

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構造、骨の部分が見えるとうれしいですね。瓦いいですね。脊椎。

 

 

◇庭園 ◆吉川直哉(教授)

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さんざん「庭が広い庭が広い」とワーワー羨んできたので、はなれに行くついでに庭を歩きました。天気もいいし、庭も緑が多い、広いなああ庭あああ。戸建て信仰に憑かれた私達を庭が包みます。あうっあうっ。NIWA,Yeah。どれだけコロナ禍に襲われてもこんだけ庭が広かったらめっちゃ運動できるし四季も愛でられる。無敵ぞ。いいなあ。戸建ては良い(信者)。紅葉で色付いていますし。いいなあ。紅葉で高揚。

 

すると写真が置いてありました。えっなに。

 

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戸建てを買うと写真の展示もできることが分かった(違う)。

思いっきり庭の中に、そのまんま地べたに写真が置いてある。ダイレクトな攻め。これは学部生とか若い子がアグレッシブに攻めに出たのだろうと思っていたが、後に調べると教授の作品だった。転倒しそうになった。あかん。一番攻めてはります。将軍が一番先頭で馬を駆って攻めてくるパターン。

 

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景色、植物に写真が溶け込んでいる。写真は庭の植物だろうか。でしょうね。写真に撮るとえらく溶け込みましたね、歩いて鑑賞する分には眼で違いがわかるので、「あ、写真あった」「ここにもある」と割とすぐ判別できた。と言いつつ庭が広いので全て見つけられたか自信はございません。

 

写真が景観、自然に混じって何が起きるかというと、四季にタイムラグが生じる。撮影時と今現在とで草花の咲き方や色が

 

( ´ - ` ) ???

 

いやこれそういう作品じゃないぞ。

 

その場では庭を歩きながら写真を見つけることと、色付き始めたプレ紅葉との差異を楽しんでばかりいて、庭の景観に溶け込んだもの・庭石のようなものとしてしか写真をみていなかった。が今になって、写真に写った作品を拡大してみると、どうもおかしい。植物を鏡か水面で反射したか、透明な湧水の中から外界を撮ったかのように、像が揺らめいている。

 

拡大してみましょう。

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写真について語ろうとした時、言葉がこの四角の中身を捕捉することが出来ない。流体のように言葉を逃れてゆく。現地では庭の一部として雑に体験していたため気にならなかったが、これだけを取り出して見た時に、これだけを以って語ることができない。

一体どうやって撮ったのか分かりそうで分からない。地と空が1枚の中に歪みながら共存し、分断と接合が同時にあり、像と虚像が隣接して写り込んでいる。プリントされた1枚の写真という極めてオーソドックスなフォームを用いながら、その内側では被写体が複数形でも単数形でもなく、記録などの機能性も揺らぎ、参照している「現実」や「外界」も混迷しており、複写元を辿ることができない。普通の写真のようで、全く普通の写真ではない。

 

これは正真正銘の、視覚の迷宮である。そして風に揺れる柳のように、樹と風と光景とが混ざり合いながら刻々と移り変わる。和の風物のありようが表わされているのかもしれない。

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「旧杉山家住宅」の写真展示は以上、7名である。

( ´ - ` ) フー。

 

 

◇番外編:石上露子(いそのかみ つゆこ)

「旧杉山家住宅」を見て回ると、和の建築と同じくらい出てくるものがある。一人の女性歌人だ。

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石上露子(いそのかみつゆこ)。本名、杉山孝(たか)。

この邸宅の外や中にしばしば紹介文が登場する。

1882年生まれ。めちゃめちゃ英才教育を受けて、才能もあり、気性もはげしく、何でもすぱすぱ吸収し、色々あって歌を詠み、22歳で『明星』に掲載されて歌人デビューしたりして「新詩社の五才女」と呼ばれる。七武海みたいなもんですかね。与謝野晶子と名を並べるまでの存在だったがゆえか、杉山家もたくさん人間がいただろうのに、屋敷中この人の紹介しか出てこないんすよ。凡夫はつらいよ。

 

しかし1907年・27歳で結婚してからは、夫の命により文筆活動から遠ざかる。オイィー! くそっ家父長制め。これにはフェミニストでもない私も「は???」と大きな声を出さざるを得ない。現代ならTwitter暴露&世界中からRT祭りですよ。さっきの茂木山スワンの作品はこの石上露子の境遇に対して、同じ「表現を志す女性」という立場から――女性が自由に表現が可能となった時代の側から、何か呼応させようとしていたのだろうか??? 

 

解説もしんどいのであとは寺内町紹介のサイトをご覧ください。結婚後のことがもうすこし具体的に書かれていてだんだんハラ立ってきた。

www5d.biglobe.ne.jp

男女に限らず、文芸・表現のたぐいを嫌い、身近な人間がそれに手を染めることを生理的に嫌う人って、実在するんですよ。それで何だかんだ理由をつけて全部やめさせようとしやがる。そういう人がいたんですよ。別れましたけど。ああいう文盲型サイレントDVってマジで滅びてほしい。

 

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はなれの小さな資料庫も露子コーナーでした。書簡などが保管されていた。

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つゆこでした。

 

旧杉山家住宅の和の空間、大阪芸大の学生と教授の写真作品群、そして石上露子。なんちゅうボリューミーな一時であろうか。これを書き起こすのに気合と時間が掛かったことをお察しください。ちょっとした海外旅行ばりに密度が濃いぞ。それが表現の世界というものです。おほほ。

 

( ´ - ` ) 後半、のこり3施設も回っていきましょう。つづく。

 

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