写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生・TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展/KG+2020】【No.62】node hotel、【No.45】野口家住宅・花洛庵(マーガレット・ランシンク)

KYOTOGRAPHIEサテライト展示「KG+」を回ります。node hotelでは、複数の著名な作家らの作品があり、一方で「野口家住宅・花洛庵」は伝統的な京町家の空間が素晴らしい。

 

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(花洛庵より)

 

 

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この黄色の【No.62】と【No.45】をまわるぞ。

 

  


 

◆【No.62】node hotel細江英公、任航、ヨーガン・アクセルバル、今坂庸二郎、荒木経惟

【会期】2020.9/19(土)~10/18(日)

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ホテルの1階、カフェスペースでの展示。

入ってすぐの受付で食事目的か、「KG+」鑑賞かを確認される。本当にお客さんが飲食してる背後の壁に、作品が展示されているのを見させてもらう形だった。サーセン、サーセン。客として飲み食いしながら作品に接したいところ。今回は数を回るので必死で。作品だけを見るとなると、人様のプライベートに踏み込むようで、すいませんて感じ。サーセン,

 

お店の所有アート作品一覧を見ると、かなり種類がある。行くたびに楽しみがありますね。

nodehotel.com

 

入ってすぐにアートで攻めてくるぞ。 

 

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井田幸昌。1990年生まれ。驚異的な画力。

入ってすぐの壁の両側にごっつい油絵があり、存在感がすごい。誰だか不明だったが、後から調べて作者が判明。今回の展示とは無関係だったか。そもそも写真でもないしな… とにかく印象に残った。かっこいい。(※筆者は絵画の出ではないので語彙がひどいことになっています)

 

 

一番「うわっ」となったのが、細江英公なんと薔薇刑三島由紀夫が飾ってある。まじすか。まじです。

 

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わーまじだ。薔薇刑。写真史に名前を刻むような名作です。

わーいわーい。

 

だがこれ、トイレコーナーあたりの壁である。

( ´ q`) 由紀夫...

ちょっとな。。。トイレは勿体ないな

三島由紀夫に凝視されながら食事するのもあれだが、難しいな。。

 

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あとカフェ側の壁面でも細江作品が3つ、左右に鎌鼬かまいたち)、中央に薔薇刑。カフェで細江英公やあああ。考えたらすごい空間だな。

 

ちなみにマットの下側、左右にサインが書いてあり、左側に漢字の氏名、右側に「14000」とあり、いくら売り出されたのが高度成長期でも、オリジナルプリント14,000円は安すぎるなといぶかしんでいたら、仲間から「それ”Hosoo”じゃない?」と言われ、きわめて納得しました。せやな。

 

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ヨーガン・アクセルバル『Untitled / Vienna86』『Untitled / Itsuki3』の2枚を発見。どこか妖艶な、そして抽象性も漂う、夢の中のような写真。これは別の機会にじっくりと見たい。有名人ですよね。ずっと「アクセルバク」て呼んでた。加速貘ってやばいな。夢めっちゃ喰うやん。ズビビー。

 

お客さんの飲み食いしている卓の前などで、6名でうろうろしており、やはり気兼ねしますので、Ren Hangの作品を見落とす。あああ。しもた。

 

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一番奥、カウンター付近の壁には荒木経惟『古希ノ写真』、2009年の作品で、モデルはレディ・ガガ凄まじくかっこいい。縛られている。桁違いにいい。麻薬。

 

タイトルの意味が分からなかったが、同名の写真集が荒木・70歳となった2010年に記念して出版され、空や愛猫(ちょうど発刊の2ヶ月前にチロが逝去)、ヌードなどがテーマごとに収められており、その膨大な作品群の一部だろう。 

このガガ様の2枚だけについて、この『古希ノ写真』=「俺、70になったぜ」というタイトルを付けたのだと思ってしまったため、仲間らと「意味がわからん」と議論。「ガガ様はどこへ行った?」問題である。これを「ガガの問い」と呼ぶことにした。写真集全体の膨大な作品から見たときの2枚、と思えば別段違和感はないが、ガガ様が荒木の死のカウントダウンに取り込まれているような作品タイトルが、こちらのなにかのスイッチを強烈に押したのである。

 

それは死に直結している。

私「要は荒木は自分の「死」しか見ていないし、いかなる花や女も自己という「死」を通してでしか、見ていない。」「だからあの人は”天才”なのだ。」

生きている死、写真機としての身体が、本当の死に向かって寿命のカウントダウンを数え上げねばならない年齢になった。フィルムはいつも、残り少なくなってからようやく意識される。そんな人外の世界に生きることの前衛ぶりを、やむなく/喜んで、業界は・我々は、「天才」という言葉、称号の下に長らく預けてきた。

 

仲間が言った。「あれを「天才」と呼ぶのはおかしい。であれば荒木は何でも許されるし、荒木を盾にして他の男性らも、何でも許されることになる。」

そうなのだわ。その虚構は剥がれ落ちる。なぜなら私たちはそれぞれの「生」を生きているのであって、ある巨匠の「死」によって撮り込まれる「対象」ではないのだから。

令和の世は旧来からの「天才」なるものを土に還して、手を合わせる時代となるのかもしれない。それを許さない者たちとの軋轢は続くだろうし、きれいなものでもないと思うけれども、それでも。

  

( ´ - ` ) 

 

 

スイッチはいった すんません  酒

 

 

◆【No.45】マーガレット・ランシンク(Margaret Lansink)『無の境界線―快方に向かって』@野口家住宅・花洛庵

今回、ランシンクが出展したのは、美術工房「京都便利堂」が毎年主催する国際コロタイプ写真コンペティション「HARIBAN AWARD 2019受賞展」の枠組みである。

便利堂では、19C中頃にフランスで開発された古典的写真技法「コロタイプ」を、100年以上に亘って継承し続け、複製の製品作りに活用してきた。丹念に手間をかけて色を乗せてゆくため、少部数・高品質の印刷物には向いているらしい。

 

「コロタイプ」の詳細な説明ページも作られていたので、具体的に知りたい方はこちらを参照されたい。

takumisuzuki123.blog.fc2.com

 

現像とかの動画も見たけど工程が凄すぎて意味がわからなかった。。。めっちゃ墨塗り込むやん...  左官職人みたいやん...

 

 

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花洛庵の空間はとても美しい。この展示、入場料が別途300円必要(KG鑑賞パスポート等を持っていても必要)なのも納得。その空間にランシンクの写真は気品高く調和している。工芸品としての品格を備えているためだろうか。

 

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マン・レイをもっと感性豊かに、奔放に弾けさせたような作風だと感じた。

 

鑑賞時には特に下調べ等もしていなかったので、「コロタイプってこういう感じのプリントに仕上がるのか~」「粒子がざわざわしてますなあ~」ということしか感じていなかった。

が、調べるにつれて、コロタイプ方式でプリントを得るためには、感光液を含んだゼラチンを塗布したガラス板を用意し、そこに等倍のネガを密着させて紫外線で露光させる必要があると分かってきた。えっ。やばくね。そのためには印画紙と等倍のネガを作る必要がある。いやあなた、そんな「印画紙並みのフィルムネガが入る巨大なカメラで撮影しないといけません(キリッ)」て言われてそんなカメラどこにありますのん。第一そんなでかいフィルム、売ってるの見たことがない。

どうなんやろ。色々とやばい。カメラとフィルムのサイズ感がやばい疑惑。やばい。なんか酔ってきた。作品には女性のボディの一部や顔が、造形のクローズアップやスナップ的に撮られているが、印画紙と等倍の巨大フィルムの入った巨大なカメラで撮影していたというのか、??? どうやって?  想像がつかない。

 

これらのイメージはストレートなものもあれば、2つの異なるイメージを1枚に合わせ、そこに金継ぎを施したものもある。画像のコラージュに、さらに金継ぎで立体的な物性をもたらしているのが面白かった。現代アーティストのヤン・ヴォーも積極的に金継ぎを使っていたし、何か深く共鳴する発想なのだろう。

いやあ皆さん日本人よりも日本文化に精通されてますなあ、まいりました、うへへ、などとへらへらしていたのだが、今になってステメン(※作家ステートメントの略)を読むと、本作は「娘が大人になってから一切連絡を絶たれたという曖昧な状況から制作を始めたシリーズ」で、時が流れて作者は再び娘と連絡を取るようになったことで、空白の時を修復できないかと模索する中で生み出されたという。一度は壊れた時間・関係を継ぎ合わせるための写真であり、金継ぎの手作業なのである。ああー。思春期あたりで断絶するのと、大人になってからの切断は、傷の深さが違うと聞きます。しかも母と娘、これは難しい。一心同体みたいなところがあると聞きますよ。特に母の側から見たときは。ああ。ぞわぞわしてきた。

 

タイトルの「快方に向かって」という日本語のシリアスさは、そのような事情をはらんでいる。 

 

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けど肝心の作者はこれ。「頭で考えて撮るようなことはしない。」「体で雰囲気を掴む。」と、めちゃくちゃキリッと繰り返すの巻。武術の達人ですかよ。

こういうこともあってですね。まさか娘さんがどうとか思いませんやん。だから会場では「直感に委ねて/思考の枠を越えて、何気ない瞬間から像の気配をあらはす」ことに専心した、映像作家としての挑戦的な作品である、という印象や理解であったわけです。

金継ぎコラージュの断絶と繋がりから生まれるイメージのジャンプ力には、ざらりとした粒子感も相まって、魅了されました。岡上淑子のもっと原始の姿というか。

 

しかしですよ、

 

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この写真集めちゃめちゃよかった。

暗い。影があって、寒さを感じる。

見えない雪が上半身に降り積もり続けるような、寂寞の哀しさのような情景が続く。主観的な悲しみというより、虚しさによって自己に空いた裂け目や解離を通じて感じる、どこか突き放したような、哀しさ。

 

さきに述べた「娘の心が全く離れてしまって親という枠組みだけしか自分に残されなくなった」事態に、合致するところがあり、今さらながら合点です。わああ。

  

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茶室です。これはたいへん立派だ。茶ぁたててもらいながら精神的な話をしたい。主観とは何か。きみ、世界とは何ですか?   うぜえ。やめよう。

 

建築のことが分かったなら、この「花洛庵」の何がどう凄いかを泣きながら執筆したりするところですが、語彙がないので、このへんで筆をあきらめます。

 

( ´ - ` )  完。