2025年に世界最大級のアートフェスティバル「大阪関西国際芸術祭(仮称)」の開催を目指す、アート検証(study)プログラム3回目。主要プログラムは前回(2023.1-2月)と似た構成だ。しかし会期がたった6日間と、これまでの半分以下に短縮されている。
嘆いていても仕方ないので、まず西成エリアを回ります。
- ■日の出湯はなれ こいさん路地 長屋(プロダクション・ゾミア)
- ◇キム・ジェミニ(Gemini Kim)《西成工場ラン》《レーヨン工場ラン》
- ◇マウンディ(Maung Day)《疑いの象徴》
- ◇モーミャメイザーチー(Moe Myat May Zarchi)《スプラッシュ》
- ◇常木理早(Tsunegi Risa)《しなやかなボディ》
- ■花園北(プロダクション・ゾミア)
- ◇常木理早(Tsunegi Risa)《フラットな関係》
- ■釜ヶ崎芸術大学
- ◇(1階_通路、カウンター、食堂、庭)
- ◇(2階_階段、森村泰昌の部屋)
- ◇(3階_階段、谷川俊太郎、無名の般若心教)
- ◇(屋上)
全17会場のうち難波・西成エリアは5会場あり、会期がシビアなためうち3ヵ所(日の出湯はなれ、花園北、釜ヶ崎芸術大学)に絞り込んで回った。
「日の出湯はなれ こいさん路地 長屋」と「花園北」のキュレーションは「プロダクション・ゾミア」が担当し、「ここにある ― 記憶と忘却、または裏表」というタイトルで日本とアジアの作家を紹介する。プロダクション・ゾミアは前回の「Study:大阪関西国際芸術祭」・船場エクセルビル会場にて主要なプログラムを展開し、東南アジア諸国のアートシーンを大阪に接続した。東南アジア圏は普段の日本で流通している「アート」からは抜け落ちる部分であるため、「Study:大阪関西国際芸術祭」の特徴にして強みとなっている。
■日の出湯はなれ こいさん路地 長屋(プロダクション・ゾミア)
JR新今宮駅から目にする「西成」の景色はどんどん変わってゆく。中を歩いても、飛田本通商店街を中心に観光地化が進んで、実にライトになったことを実感する。だが本質的には日雇い労働などに従事する(してきた)生活者の住む町である。物見遊山で遠方から来た人ならいざ知らず、同じ大阪民としては「人様の生活の場」であり、歩き回ろうという動機がまず生まれない。
そんな中でアートイベントは「ハレ」の場として作用する。瀬戸内国際芸術祭なども同じだが、部外者が人様の生活圏内を歩くことの口実を双方にもたらしてくれる。
というわけで「日の出湯」に来たが、前回の「study」で「飛田新地料理組合」見学からの帰路で通った一角であった。地理感がないので手探りである。ポップで綺麗な銭湯が現れた。
今どきの銭湯ってゴジラなんすか。このあたりは簡易宿泊所の立ち並ぶエリアからは商店街を挟んで離れていて、家屋が並んでおり、街の様相がまた別である。
で、会場を通り過ぎて、銭湯本体に来てしまっていた。数軒となりの「はなれ」の長屋、家屋が会場なのだった。銭湯なのか長屋なのか迷子になるのも楽しみの一つ。
この古民家でどう「ゾミア」なテーマを展開するのか?
◇キム・ジェミニ(Gemini Kim)《西成工場ラン》《レーヨン工場ラン》
長屋に入った瞬間から、薄暗い和室の中に緑色の光が溢れていて、なにやら異国の香りがする。一体どういう作品・作者なのかまだ判断ができない。室内に上がると廊下の方に写真が並べてあり、意外なものが目についた。
日本の、古い工場の小冊子である。
「大日本紡績株式会社 津守工場」とある。
会社はユニチカとして現存しているが、工場は太平洋戦争で爆撃され、今は「西成公園」となっている。
近代の工場とその労働者の記憶を辿る作品のようだ。冊子は工場の大規模かつ近代的な紡績機械を誇らしげに紹介していて、職員募集パンフレットのようなものだろう。無機質でメカメカしい装置と人間の取り合わせが、産業革命から始まり、すっかり板についた「近代」の時代性を強く語っている。職員らは装置・工場に支配されるのではなくそれらを土台として上に立ち、堂々と振舞っている。
褪せたモノクロと古い額で飾られる写真は、過ぎ去った過去の記憶への眼差しであろう。
対して、和室のテレビモニターで流れている映像は、過去を現在形へと重ね合わせて接続する。これら過去の写真と、同じ場所の西成公園を作者がランニングしていくのを背後から映していく。また続けて流される《レーヨン工場ラン》では韓国、中国のレーヨン工場について同様に、過去の写真と現在の現地を走る作者の姿が交互に映される。
レーヨンという近代、戦前の産業・工業繊維を題材として、過去と未来を繋ぐ、日本と韓国と中国を繋ぐ。それだけを見ると比較的シンプルで分かりやすい作品だが、謎めいていたのが濃い緑色の照明と、「アントニオ・ミネリの死」なるテキスト集だった。15、6ページかそれ以上あるプリントがテレビの前、畳の上に置かれている。
読んでみたが要領を得ない。どうやら100年近く昔、東洋レーヨン(現・東レ)・滋賀工場(滋賀県大津市園山)にレーヨンの国産化のために招聘したイタリア人技師長であるらしい。
が、過去形で書かれながらそれは伝記や記録ではなくエッセイや日記調、しかも「ところで、最近ブックオフはたくさんの新しいアクションフィギュアが入荷したんだ…」「ドローンが空中に上がってから約3分後、制御画面が突然消え、ドローンが降下し始めました」といった風に、つい最近の出来事のようにして書かれ、100年前と令和とが混ざり合った時代背景が挿入される。
更にはアントニオの訴える「園山の丘のネズミの大群」、人間の霊的なエネルギーを吸い尽くし、卵を産み付け、それが人間の精神を侵して心を支配するという話。「精神支配の危険は、緑のレーヨン生地で回避できる」という話と、アントニオが精神衰弱からブローニングピストルでパートナーを撃ち重傷を負わせた後、自殺したという1927年2月19日の実話(「私」曰く、京都新聞の日付が間違っており、実際には17日らしい)。更に挿入される産業医アリス・ハミルトンのビスコース・レーヨン業界調査と職員の精神障害の報告。
軽やかにランで工場を駆け抜けてゆく映像と対比的に、このテキストは近代産業、レーヨン開発の暗部として、人間が物質に疎外・侵害され精神が壊れてゆく様を語っているようである。しかしそれだけでもないような語り口と緑色の照明に、なんとも言い難く後ろ髪を引かれるような思いで場を後にした。
◇マウンディ(Maung Day)《疑いの象徴》
ベトナムのホーチミン市、都市の空き地や車・バイクの往来する道路を、大きな扉が歩いている。作者はミャンマー出身でベトナムにはアーティスト・イン・レジデンスで滞在し本作を制作した。作者名で検索すると脱力した線の絵画が多く出てくる。漫画のようなポップな人物と風景が平面の線画で、淡くもカラフルに描かれている。
今回はうって変わってパフォーマンスということだ。ドアの裏には恐らくそれを運ぶ作者が歩いているのだが、街の中にドアだけが浮かび上がって見える。どこに通じるのか、何のメタファーなのか、何か参照された歴史的事件や場所があるように思われるが、具体的にそれが何かを解説等で知ることは出来なかった。
逆に、政治や歴史や宗教などが絡み合って打ち立てられる公的なモニュメントと同じ場所に並ぶとき、この小さく儚い扉は、統治された場を静かにかき乱す。
オブジェクトが移動することで人々の意識はそちらに釘付けになり、視界は一時的に政治的歴史的モニュメントを手放してしまってその場に無いも同然となる。あるいはその場のパワーバランスが狂う。これらはそもそもペラペラな演出だと暴いてしまうかのように、オブジェ自体の重みが不確かなものとなる。
◇モーミャメイザーチー(Moe Myat May Zarchi)《スプラッシュ》
次々に移り変わってゆく映像、更に上下にブレ、古い映画フィルムの粗く感光し無数の点や線のノイズが飛び交い露出過多で白く飛び色が溢れて、虹色に侵され、水彩と実写が交錯し、高度成長期の日本の映像もしばしば挿入され、ノスタルジックとファンタジックが高いテンションで断続的に続いていく。
Vimeoでは副題として「Cameraless Film」とあり、直接の撮影ではなく、デジタル編集でもない、古い16㎜フィルムを直接編集・コラージュした作品であることを示している。
参勤交代らしき絵、ラジオ体操で跳ねる児童、0系新幹線の車内、製鉄所の火花などの日本の映像に、白馬に跨る軍人のイメージが現れる。恐らく「白雪」に騎乗する昭和天皇の映像である。平成以降の生まれが現役世代となり、「昭和」の像を知らない日本人が主流となりつつある中、周辺諸国はそうではなく戦中・戦後の植民地・帝国主義時代の「日本」をずっと継承していくのかも知れない。
◇常木理早(Tsunegi Risa)《しなやかなボディ》
長屋の2階は窓が開け放たれていて、階段を上がってくると進行方向上にベランダを直視することになるが、そこには明らかに異形のものがぶら下がっている。洗濯物というより萎んだ体のようだ。
どうも巨大なゴム手袋のようだ。物干し台もパイプのように太く誇張されている。解説によれば「得点がつき、競われるスポーツでの身体性」と、家事全般の無報酬労働に従事する身体性との両者を念頭に、イメージを拡張させたものだという。
家事と身体性、その日常への埋没を題材としていることは解説を読まずとも伝わってくるものがある。だがフェミニズム的視点から男性原理による女性の搾取、家事労働への押し込めと無力化などを指摘する作品かというと、解説ではそうした言説には触れられておらず、作者の他の活動・展示のステートメントでも同様である。もっと広範な、日常生活に備わっている道具の役割とそれらが帯びている身体性そのものを拡張させ、目で見て伝わサイズ感の、まさに「体」として引き出して提示することが主眼のようだ。モノに躍らせる演劇とでも言おうか。
■花園北(プロダクション・ゾミア)
「日の出湯」から「飛田本通商店街」、堺筋の道路を西へと横断し、いわゆる「あいりん地区」を通り抜けて、南海電鉄の高架の向こう側へと渡る。労働者の街として最もコアなエリア、三角公園で多数の人が集まって列をなしていたのは恐らく炊き出しであろう。さすがに自分が余所者であることを強烈に自覚させられる。
次の会場は「花園北」、漠然とした地名であり詳細も「花園北2-13-9」と住所だけが示されているとおり、シャッターの閉じた空き物件であった。ボロボロに外装は剥がれ、落書きされている。名前すら失いながら処分されるでもなく街に漂っている、そんな場所だからこそアートの会場となることは有意義だ。人が避けるのではなく積極的に立ち寄る場となり、地元と部外者とが関係を持ちうる場となる。
◇常木理早(Tsunegi Risa)《フラットな関係》
「日の出湯はなれ」長屋2階のベランダにゴム手袋を展示したのと同じ作者である。空き家の中では亜熱帯の植物が生育しているかのように、エメラルドグリーンの布を逆Uの字に曲がった金属棒に通している。
畳が棒に貫かれて床から浮いている。ぼろぼろの室内、流しがあり、かつては作業場だったのか食堂だったのか、面影があるような、解体されてしまって分からなくなっているのだが、そうした過去の姿が分からなくなるほどにこのオブジェは繁茂し、畳という歴史的地面を持ち上げて物件から引き剥がして分解し、植物として別のものへ昇華している。
解説にはこうある。「結局自分のバイアスなしに物事を認識することは無理なのでしょうが、人のコントロールの外に出る植物の生命力をメタファーとして捉え、作品とした。」 つまりモノと固定観念を巡る認識論を展開しているようだが、ここでは「西成」の「廃屋」内に、アート・オブジェが内側から強く干渉することで、ディベロッパー的な経済力による破壊ではなく、しかし新たな場所への認識を展開することを試みたように感じた。内発的で自然発生的な、風化や崩落とは逆ベクトルでの「破壊」である。
■釜ヶ崎芸術大学
「日の出湯」から「花園北」へ移動する道中の、「飛田本通商店街」内に位置する会場だ。過去2回の「study」でも会場となっていたことに加え、メイン会場の一つ「船場エクセルビル」内でも出張展示を行っており、今回も同様にダブル展開となっている。
「釜ヶ崎芸術大学」はGoogle Mapにも記される場所名であると同時に、NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)が2012年から開講・運営する活動の名称でもあり、そして活動自体が見る/見せる「作品」でもある。
「学びたい人が集まれば、そこが大学になる」というコンセプトであり、釜ヶ崎の街そのものを「大学」、学びの場と見立て、毎年多数のプログラムを展開する。目的は生きがいや目的、やることを失った地元の元・労務者など(多くはおじさん)に学びや活動の機会、居場所を提供することだ。
また、NPO法人による無料またはカンパでの活動だけでは採算が賄えないため、カフェとゲストハウスの運営を行っている。これらは誰でも利用可能。よって施設名としては「ココルーム」が適切だろうか。
設立の経緯などは初回「study」鑑賞レポにまとめている。
私は初回「study」では「船場エクセルビル」内展示のみを鑑賞、都合によりここ西成の現地には来られなかった。第2回では現地見学に来たものの、混雑のため1階部分しか観ることができず、ゲストハウス部分の2階・3階・屋上は未知となっていた。今回はそのあたりを重点的に鑑賞することができた。
◇(1階_通路、カウンター、食堂、庭)
エントランスから実に独特の世界観を放っている。至る所に貼り出される自由書道。最初は面食らって戸惑ったが、見慣れてくるとクセになり「釜芸はこれがなくては」と思うようになる。
「下剋上」。いかにポップに、フレンドリーに振舞っていても、根底には生活、生存の闘いがある。
受付の方の手が空いていたので、中を案内してもらえることに。
カフェスペースの先、「庭」へ。
書道のできる卓。こうやって壁や天井を埋め尽くす無数の言葉が生み出されてゆくのだ。みなさんの職場や学校にも書道をどうぞ。魂が解放されます。
庭は都市部にしてはなかなかの広さで、木々が周囲を囲んでいて自由自治区の趣がある。庭は魂を解放します。やはり土と緑は人を癒す。
庭の奥にある井戸は、なんとリアルに水を汲める井戸だったことが分かった。西成(あいりん地区)には土木に精通した方が多いため、ここに来ていたおっちゃんらの手によって見事な井戸が掘られ、掘った土で井筒も綺麗に作られたということだった。なお水は飲料には適さないものの植物の水やりなどに使われるとのこと。
◇(2階_階段、森村泰昌の部屋)
ここから念願のゲストハウスを案内してもらう。カードキーで施錠されており利用者以外は入ることができない。
階段の壁には書や絵の作品、釜芸の活動を取り上げた新聞記事、写真、表彰状など情報が溢れていて、記録に忙しい。踊り場の壁のでっぱりには作品がひしめく。
高木進氏による建物などの模型。「スーパー玉出」のチラシでこよりを作り、組み立てている。専門のアーティストではない、しかしいわゆる「アウトサイダーアート(アール・ブリュット)」と呼んでいいか非常に躊躇われる。異能や異質な世界観が突き抜けた結果に生じた表現行為というより、釜ヶ崎芸術大学という場との関わりの中で育まれて発揮されている才能・作品であるだろうからだ。缶ビールの空き缶で脱力したメタリックなキャラを作る富永武氏も同様である。
これは・・・ これはすごいのが来てしまった。「陸軍大臣参謀総長 東条」「陸軍大将東条」、本人がそう言っているのだからそうなのだろうが、あの東条英機が、これですよ。両隣の人物に比べてあまりに可愛いし簡略化されているし、どう解釈しても猫である。インベカヲリ☆氏が左手で描いた猫にしか見えない。どうなってるんや。私は唸った。
「釜ヶ崎芸術大学」をポップでフレンドリーな場として外側に開き、そうした親しみやすい形で地元の元労働者らの作品・声を提示しているのは、上田假奈代代表の信念や発信力、行動力によるところが非常に大きい。こうして「西成」や「あいりん地区」を「消費」するのとは異なる形で私のような部外者と関係を結ばせているのが実際の効果として明確にある。日本のスラムとして、低廉でエモい体験ができる場として、非日常の旅ができる場として消費するのとは異なる関わり方が実現されている。
ゲストハウスの地図。館内の案内は意外と英語表記が多かったところを見ると、海外からの客が多いのかも知れない。
「スペシャル3人部屋」は「森村泰昌ルーム」として名物である。
中を見せてもらった。
よくあるアートホテルでは本人の作品を設置したり特別な内装を施し、高級感を高めているが、ここでは生の作品ではなく森村泰昌のチラシやポスターといった印刷物を大量に壁に貼り出す手法をとっていた。比較的安価にでき、かつダイレクトに作家の世界を演出できる。内装は森村泰昌と、鹿児島県出身の元日雇い労働者・坂下範正氏が手掛けたという。
森村作品の多数の目に囲まれて眠るせいか、宿泊客はよく不思議な夢を見るのだという。そんなわけでこの部屋では夢日記をつけることが出来る。
他の通路や内装も全て表現者―ここに集う人たちの手が入っている。
◇(3階_階段、谷川俊太郎、無名の般若心教)
3階へ上がる階段には「あいりん労働福祉センター」を巡る過去の写真が掲示されていた。センターができる前の1960年代、設置された1970年以降の様子の一端がわかる。
なお現在も建物は不気味な廃墟となって芦原橋駅の前に残ってしまっている。耐震性に問題があるとして建て替えを決め、2019年3月に閉鎖となった。が、一部の労働者らが反対運動を起こして建物周辺の敷地で寝泊まりを続けていて、解体工事に着手できないまま現在に至っている。大阪府が裁判を起こして2021年12月には大阪地裁が立ち退きを命ずる判決を出すも、依然占拠が続いている。
綺麗事だけでなく、人の集まるところに様々な思想や思惑の組織あり活動あり、そこに行政がダイレクトに関わっているので、色々とあり、YouTuberの流し撮り動画ではこういったややこしさは見えてはこない。まあ深入りすべきではないところだが。
ただ何にせよ西成、あいりんの街を構成する労働者、元労働者が高齢化してしまっていて、既に労働の街から福祉の街へとステージが変わっているのが現実。街を歩いていてデイサービスやヘルパーの事業所がやたら増えたことに気づいた。組織的な争議を居場所にし続けられる人はどんどん減っていくのではないか。孤独と向き合う時間がやってくる。
色んなことを思った。
谷川俊太郎が訪れ、「ココヤドヤにて」という詩を残している。これに呼応した「詩人の部屋」もあるよ。
通路の隙間に設けられた「線の間」には、達筆で般若心経の書かれた段ボールが貼り出されている。威厳のある見事な書だが、誰が書いたものか不明のままだ。2019年3月31日、あいりん労働福祉センター閉鎖の日に上田代表と森村泰昌がセンター内での撮影に赴いた際に偶然見つけた段ボールだという。
あまりにも見事である。テレビ越しに見ていた「日雇い労働者」という存在の根幹を突き崩すような字体だった。尊厳が、レッテルや階層の柱を突き刺して崩すのだ。
権威を伴わない、素朴な心情と情熱から生まれる表現がゴロゴロしている。日雇い労働者としての歴史や生活背景、西成という土地の歴史があるがゆえに、例えば学生の文化祭などの活動とは全く異なる重みと文脈がある。常時向き合うのはしんどいが、こうした時に浴びるのが良い。なんだろうなこの感じ。
◇(屋上)
念願の屋上です。西成で物件の屋上に入れる機会はなかなかなく、街の姿を高所から見渡すのは今回が初めて。
TONAの作品。近年、西成の路上で絵を描き残している有名な人物だという。後に商店街から三角公園へ向かって歩くと複数の絵と遭遇した。日本人の若手を想像していたが、調べてみるとドイツ人アーティストという情報が散見される。なんと朝日新聞の記事にもなっていて「30代くらいの外国人男性が『描いてもいいですか』と聞いてきました」との立ち飲み屋店員の言を紹介している。
景色を確認しましょう。
ココルームの庭の植物がすごい。周囲は少し間隔を置いて民家や倉庫に囲まれている。左隣の倉庫と空き地は商店街からは見えていなかったので謎。
背の高いフェンスがずっと続いているのだが、これはかつて路面電車が走っていた頃の線路跡が未だに開発されずに残っているためだという。
あべのハルカス、通天閣の姿の一部が見えた。近くて遠い。2022年5月にJR新今宮駅北側にオープンした星野リゾートの、薄い板のような姿も見える。これも遠い。新今宮と西成、外部からは同一エリアに見えるが、こうして内側から見るとかなり遠いところにある。
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こうして「Study:大阪関西国際芸術祭」西成エリアの散策は終わった。