西成の街を歩いて、何の植物が生えてるかなんて、考えたこともなかった。
作家と作品というのは、世界との関わり方に変化をもたらすものらしい。
- ◆イチノジュウニのヨン(大阪市西成区山王1丁目12-4)
- ◇(スライドショー作品)
- ◆山王訪問看護ステーション(釜ヶ崎芸術大学前)
- ◆助六(うどん屋)
- ◆出世地蔵の祠
- ◆日之出湯
- ◆山王おとなセンター・山王こどもセンター
「西成で植物を採集するということ」、行為・取り組みがそのままタイトルだという超・直球の展示/作品だ。どういう作品なのかはステートメントでもほぼ解答そのままに書かれている。
岩谷は、雑草と呼ばれ普段は見過ごされがちな植物に注目し、個々の形状や生態、それらを取り巻く私たち人間の営みを含めた環境を注意深く観察しながら、採集した植物を乾燥させて再構成する立体やインスタレーション作品を制作する作家です。
要は「西成」というあまりにもネームバリューのある労務者の街において、社会的通念となった認識(バイアスと言っても良いだろう)を改める体験を促す作品だ。「西成」の名前の大きさと強さは随一である。それゆえに見過ごされてきた「雑草」を顧みることで、街自体に眼を向け、そして歴史や、そこに住む人の存在を丁寧に見ていく取り組みである。
ベタである。
これ以上ないほどベタな作品だ。ゆえに強かった。
私は鑑賞後に認識と行動が変容した。なんと私は西成、あいりん地区を歩きながら、足元の雑草に注意を払うようになっていた!
◆イチノジュウニのヨン(大阪市西成区山王1丁目12-4)
しかし会場は点在しており、場所も分からない。西成区と言っても広いのだ。自力では埒があかないため、大人しくメイン会場/スタート地点「イチノジュウニのヨン」に向かう(Google Map先生の出番)。道を間違うとすぐ人様の家の密集した路地に出くわすのでひやひやする。
中はかなり照明を落としつつ、個々のオブジェがしっかり照らし出されている。想像通り、現地で採集した植物が、同じく現地に由来する品物と合わせられたオブジェとなっている。
そもそもこんなスポットあったっけ? 謎の名を持つこの場所は、カフェ・酒場であり展示・イベントスペースであるようだ。家屋が分かれていて、展示会場はかつての倉庫であり、カフェ・酒場としては隣の「桝本商店」が該当するらしい。場所名である以上に、場所も含めた総合的な企画名のようだ。
「西成の街にこんな場所あったっけ?」「こんなイベント企画があったんだ」という驚きはそのまま本展示の意味合い:「西成にこんな植物・場所・歴史、etcがあったんだ」という感想に通じている。他の街では何ら珍しくない、空き家を再利用したアート、カルチャーの場作りが、いつの間にか西成でも催されるようになっていた。
街と住民の高齢化が進んで、内圧が弱まったことと無関係ではないだろう。何度も言うようで恐縮だが2000年代前半はまだ、私のようなごく普通の男が一番メジャーな商店街を歩いているだけで「お前みたいなんが来るとことちゃうど!」と通りすがりのおっちゃんにどやされるような、ヒリついた街だったのだ。今思い出しても理不尽すぎるわ。
だが来るべきものが来てしまった。街と人は老化し、大阪維新の風が吹き、浸透圧は一気に増して、警察・行政の手だけでなく、インバウンド、中国勢力、YouTuber、コスパ&エモ目当ての旅行客、過去の文脈を知らない世代、介護事業者、星野リゾート、etcが年々参入していく。ある意味で正常な街になったとも言えるが、「西成」という特異で濃い土地が水で薄まって溶け出していくような思いもしている。
だが参入者の中にはアート/アーティストも含まれていた。優れたアーティストは、街と人の本来の声や姿を聴き取り、探り当て、その根拠と片鱗を提示する。ルーツが再認識される。
西成の街と人との歴史・過去を象徴的に物語る品物を土壌に、苗床にして、植物が生えるオブジェ。軍手や腕時計、缶、自転車のサドルなどは落ちていた物、つまりゴミであるが、言うまでもなく立派な主役として、土地の証言者としてスポットライト下に鎮座している。
その姿を見て「ゴミ」と形容する者はいまい。ライトの効果だけではない。やはり植物が合わさることで異化作用を起こしている。品物と植物は対等に存在感が拮抗し調和している。品物の方を「土壌」「苗床」と言ったが正しくはどちらもがオブジェクトのパーツであって、両者が合わさって一つのオブジェクトとして昇華される。片方だけでは「西成の路上で採取されたサンプル」の提示に留まる。ありのままであまり手を加えない二者がバランスよく・無駄なく組み合わせられて作品になる様は、都市の片隅で生け花が生まれるのを見るような思いがする。
中でも特筆すべきオブジェが2点あった。
一つは3冊の古い書籍(1冊は外箱)からナガミヒナゲシが生えたもの。
本のタイトルは長くていかめしい。「全港湾建設支部西成分会結成一〇周年記念出版」、「第一分冊 全国の建設土木労働者団結せよ ―― 釜ヶ崎解放一〇余年の歩み ――」「第二分冊 日本の建設産業 ―― 魅力ある建設労働を求めて ――」とある。つまり労働者の闘争の歴史書だ。
戦後の高度成長期~バブル期にかけて、関西の土木建築に係る労働力を送り出してきた最大規模の供給源として、また労働者らが人間として体を休め寝泊まりする居場所として、本書は本質そのものと言って良い。日雇い労働者と組合運動・連帯そして闘争は密接不可分であり、西成区釜ヶ崎―あいりん地区が日本有数の場であったことは、どれだけ観光化され行政・警察に引き渡されようとも、完全にはクレンジングしきれぬ「歴史」として在り続けるだろう。いやそのように現場で今も闘争を続けているがゆえの成果であろう。
もう一つが、壁に設置された牛乳箱である。
箱が少し開いていて、中を覗くと瓶に入った草がライトのように光っている。いや、光源の瞬きのように見えるのは、カッと放射状に開ききった葉に照明が当たっているためだ。
瓶に挿されているのはアメリカオニアザミで、採集場所は「天下茶屋東2丁目 かつて光本牧場があった空地」という。
牧場?
光本牧場の娘によれば、昔は西成区に多くの牧場があったが、宅地に変わっていった。光本牧場は約60年前まで、その後に残った牛乳販売店は40数年前まで営業していたという。更に、作者が植物採集を行った空地はその後造成され、今では7軒の家が建っているとも。
西成区の新陳代謝の活発さ、街としての活力を感じさせる話だ。しかし牧場があったとは予想外すぎた。もっとも、団地や新興住宅街が主体のベッドタウンにしか住んだことのない私が馴染みがなく、牧場と聞くと六甲山など人里離れた大規模な自然に近いものを想像してしまうが、宅地造成される以前の町では、田畑と家と牛を飼う「牧場」があるのも珍しくなかったようである。
大きなスケールで土地の歴史を語るものとして、ヨシと牛乳石鹸の組み合わせオブジェがある。
ヨシは、大きな河川や池の周囲に生える植物だ。採集場所は「天下茶屋湿地」とある。こんなところに湿地帯なんてあったか? と思ったら、Google Map「西成区天下茶屋東2」の住宅街の中に僅かに縦長の緑のエリアがあるのが確認できる。湧水によってヨシの群落が残されているようだ。
保存会もあるのだが2022年から活動が更新されておらず、最新の状況がどうなっているかは不明ではある。既に民間事業者の手に渡っているらしく、2020年には土地が思いっきり掘り返されている様子がupされている。
かつては釜ヶ崎一帯が低湿地だったという記事もあった。ヨシは西成の原風景を語る植物と言えるようだ。「天下茶屋」という地名自体、千利休がその湧水でたてた茶の味を豊臣秀吉が評価し、名が広く伝わったものだ。更に、千利休の師にあたる武野紹鷗(たけのじょうおう)が湧水の良さを気に入って茶室を建てていたというから、水の名所であったことが知れる。
日雇い労働者の一大拠点としての色合いが強い(現実的にも間違っていない)ため、それにまつわる諸問題:孤独、貧困、生活難、高齢化、疾病その他、それだけで多くの側面が見えなくなってしまうのだが、当然のこととして多彩な面を持ち合わせていることが分かった。ましてや歴史を辿れば当然に、現在見えている姿になる以前の姿が浮かび上がってくるのだ。
歴史を現在から過去に向かって遡り、その証言者としての人・モノ・資料を探し求めるとき、それらは地層に喩えられよう。だが引き上げられた各種の「面」としての歴史をピンポイントで場所・時間指定し参照するとき、上下関係から脱し、それぞれに全く別の世界(情報コンテンツ)へと飛ぶWebページのようにも見える。
オブジェ化した歴史はなおさらで、圧倒的な軽さによって参照先へリンクを及ぼし、想像と知見を転送し、想起を促す。
◇(スライドショー作品)
《西成で植物を採集するということ》は作者が滞在中に撮影した写真と短い動画をスライドショーとして提示する。15分50秒=950秒、写真1枚5秒間表示するとして190枚。約200枚前後の写真が映し出されることになる。
時間で考えるとそこそこ長いが、200枚という枚数はちょっと街中をうろついて撮影すれば半日もせずに溜まる枚数で、写真をやっている人間にとっては気付けば一周している感覚、丁度良い分量である。
だが作者は写真家ではない。
写真家でないアーティストが写真を撮るとき、必ず撮ること以上の意味がある。ここでは植物採集、リサーチの過程を語ると同時に、西成のここかしこの自然、動植物を主に取り上げ、身体感覚を以って西成の土地の奥行きを拡げるものとなっていた。
自然が意外と豊富なのである。
緑が意外とそこかしこにある。道の脇の雑草だけではない。小さな農園が設けられていたり、街路樹がある。生息者としてイタチが駆け抜けたりする。案の定、猫が最も多いが、誰かに飼われているのではなく独立して存在しているかに見える。
かたや、西成の現実的な生活者である労務者らの存在感として、住居、宿、支援・福祉施設などの看板や張り紙も並ぶ。両者は等価でもある。
その両者を、作者の滞在・制作活動が縫い合わせてゆく。最も印象に残るのが、作者が滞在中に利用した飲食店と、食べた食事の写真である。見た目は何気ない日常の写メ、Twitterの投稿写真のようにすら見える。だがこれこそが、外部からやって来た異世界の者が、西成という土地に身体を寄せて馴染ませていく過程であり、その営為もまた作品の一部であることが分かる。
オブジェ作品の次の段階として、作者の滞在に伴う身体性から「西成」を追体験し覗き見る行為が作品となっている。
更にその次の第3段階として、今度は我々鑑賞者が「西成」の街を散策し、作品を巡って疑似フィールドワークを行うのだ。
◆山王訪問看護ステーション(釜ヶ崎芸術大学前)
「イチノジュウニのヨン」で渡されるマップに基づいて街の中に配された作品を回っていこう。今では西成の街も安全で歩き回るのが容易くなった。
まずは「山王訪問看護ステーション」、そんな場所あったっけと首をひねるが、要は「飛田本通商店街」の中、「釜ヶ崎芸術大学」(ココルーム)の向かいなのだった。「居酒屋で覚醒剤を売るな!」看板のすぐ隣に、薄い隠し部屋のような仮設のギャラリー空間が出来ていた。
回りはパンチがきいています。これでも全然平和な西成。
ハンカチかと思ったが、市川正士氏が手製の織り機で作成したコースターなのだった。いずれにせよおしゃれである。ずるい(誉め言葉)。
模様に見えるのは「ヌスビトハギ」、いわゆる「くっつき虫」である。あの憎たらしい、靴やら靴下やらをめちゃくちゃにする、あの(思いが強すぎる私)くっつき虫が、このお洒落さなのは、ずるい(誉め言葉)。
「山王訪問看護ステーション」は単なる訪問看護事業者ではなかった。地元の住民:大工仕事が得意なおじさんたちと共に「にしなりベンチプロジェクト」を行い、数多くの椅子・ベンチを街に置いている。
植物を題材に街を巡るアート、その作家活動と作品を目当てに更に街を巡ることで、街の特色ある取組みに誘導されていく。確かに多くの、独自の問題を抱えた街であるが、自助的な共助が働いていて、繊細さと逞しさも見出されるのだった。
◆助六(うどん屋)
商店街の分岐を左折し「山王市場通商店街」へ入ると、アーケード終点あたりに極めて古風な、昭和の骨董品のようなうどん屋「助六」が現れる。あまりに見事で以前から気になっていた店だ。
この10年でカラオケ喫茶、カラオケ居酒屋だらけになった、ツルツルな西成の商店街において、気骨ある最高の出で立ちである。
「とってつけたような最近できたカラオケ店」がめちゃくちゃ多い。モノマネ歌手発祥の地かと思うぐらいどの店もカラオケ。オッケ-メイジェイ。
1件だけドスが効いている。スゴイ。
物件だけが残されているものと思っていたが、今回、店先のガスメーターあたりに添えられた作品とともに観察したことで、店内に明かりが灯っていたりと、現役営業中であることが分かった。既に昼食を終えて腹パンパンになっていたのでスルーしたが、ここは店がある間に食べにきたい候補ナンバーワン。こうした足を止めての観察が可能になるのが屋外アート展示企画の最良の特徴である。
平和の輪が咲くようにして陰に並ぶのは「エノコログサ」、通称「ねこじゃらし」で知られるあのふわふわ・もふもふである。平和だ。
◆出世地蔵の祠
商店街のアーケードを抜けてしばらく歩き、「日之出湯」のある山下筋に出る一つ手前の、名もなき路地で曲がって歩く。住宅ですやん何かありますのんか。
お地蔵さん、と思ったら、不在である。
「お地蔵さんは盗まれてしまったが、普段は近所の方が描いた可愛らしい紙のお地蔵さんが祀られている」どういうことや。お地蔵さんって盗んでどうするんや。さすが西成。世間の常識がやや通用しない。
だが紙のお地蔵さんでも十分にありがたいというか、これはこれで良いような気がする。説得力があるのだ。地元の人から慕われていることが一目で分かる。
商店街を出て民家のあたりは、家屋の一部の私有地だか公道だか判然としないところに植木鉢やら植物が繁茂し、公然と「私」が溢れ、境界が曖昧にされているのだった。私人の暮らしの憩いが法制度をまったりと侵す。最高である。これぞ大阪。
植物観察とは、純粋な植物生態系の話だけでなく、民の地の力を認めることでもあるだろう。
◆日之出湯
銭湯にも作品がある。安心してください、入口すぐの傘ロッカーです。下駄箱にしてはずいぶん細いなと思ったら傘専用すか。
No.28「使用中」が作品である。
傘用だけあって奥に細長い。暗い中で白くて丸いものが、繭か、キノコのように光っている。「アメリカセンダングサ」と「犬の毛」そして「牛乳石鹸」が組み合わされている。小さい黄色い花を咲かせ、散ると細長いトゲが突き出た引っ付き虫になる植物だ。
石鹸というモチーフは銭湯だからという以上に、西成の労務者、路上生活者の健康状態や生活状況について意識させられる。健康で文化的な衣・食・住のために石鹸は欠かせない。その暮らしが保障されているか否か。この後、あいりん地区にも足を延ばしたが、路上生活者を全くと言って良いほど見なかった。皆、どこへ行ったのだろうか。
全国各地で銭湯が経営難に陥り、あるいは跡継ぎがおらず廃業していく中で、「日之出湯」は積極的に設備を更新し、壁にアート絵を配するなど、かなり力を入れて営業していることが伺え、頼もしい。地域で必要とされている施設であることが分かる。
◆山王おとなセンター・山王こどもセンター
飛田新地と隣接する「新開筋商店街」の一角にある「誰でも来られる場所・遊び場」。子供向けの交流場と障害福祉サービス「就労継続支援B型」事業所を兼ねているようだ。
作品は外壁に向けて提示されたワークショップの写真と、ひっつきむしが大量に付着したパーカー。
子供らと作家がひっつきむしを採取し、パーカーにありったけ付けたものだが、なかなかサマになっていて、遠目にはそういう毛深いワイルド風デザインに見える。
本当にすぐ近くに飛田新地があり、おとな社会と経済のリアルがガチンコなので、子供らの活動記録に癒される。料亭より女体よりこどもの笑顔ですよ。合意のうえでひっつきむしをむしって服に散りばめろ!外来種も大歓迎だ!わあい
近くで見ると永谷園のふりかけの海苔みたいなんやな。縦に長い。
ほんと商店街をちょっと出ればそこは飛田新地。カメラをしまって歩きましょう。
外人さん向けの案内図もある。世界的に人気になってんか。お茶とお菓子と自由恋愛と合意と行為とそして別れを15分とか20分でやりますか。カップヌードルと新幹線の国だからな全てが分刻みなのだ。
土曜日の昼下がり、まだ全然明るいのに若いお兄ちゃんらがぞろぞろと品定めをして歩いていた。元気やね。元気玉を作れるのはこういう人たちであって私のようなのはそれを眩しく仰ぎ見ることしかできない。エナジー。
植物は至る所に咲いているのだった。
岩谷雪子作品を巡るうち、特にスライドショーによって、確実に私の眼は何かが変化していたことを知った。
( ´ - ` ) 完。
※このあと、あいりん地区に行きました。寒かった。