「Study:大阪関西国際芸術祭Vol.3」、大阪大学中之島センター会場。研究機関にふさわしく、宇宙の話である。だが・・・ わからん、、
( ´ ¬`) グバッ
<他の会場>
ちなみに堂島川、ほたるまち港の対岸にも作品があった(ミヤケマイ《When You Grow Up》)のだが、時間を切り詰めるのにあまりに急いでいたので飛ばしていました。ABCホール側にあると思った(=移動距離がもったいない)ためである。逆や。ああう。
はいじゃあ阪大。
◇「コズミック・エネルギー:宇宙の起源」
阪大中之島センターの一室にて、3組のアーティストが「宇宙の起源」という企画タイトルのもとで作品を提示している。部屋に入るとまず正面に宙吊りになった幾何学的な骨組みの図形、その奥に壁3面に映像が投影されている。中央の映像は船内の様子。なおかつ金色の踊り子のような像が3体。何が「宇宙の起源」なのか分からない。全く分からない。ううーん。これはどうしたら。いいのか。
わからないが始まった。
作品解説パネルは部屋の外にあり、人が話し込んでいて見られない。読んでもπ中間子のことが書いてあって訳がわからない。どの作品がどの作者のものかも明示がない。会場ボランティアさんもまだ不慣れで主要作品の概要説明をしてくれるのみ。ノーヒントが相乗する。
色々と詰んでおり自力での体当たりを強いられるが、展示のWebページを見ても難しい単語が並んでいるばかりで訳が分からない。山が連なっておる。こういうときは落ち着いて一つずつ山を登りましょう。スーハー(深呼吸
まず手前の宙吊りモビールのような図形?オブジェから。
色の付いた面が、中央の黒いプレートを囲んでいる。中央には5つのプレートがある。いかにも宇宙や人工衛星や物理学の何かの概念をなぞっていて、宇宙の雰囲気はビンビンなのだが、その参照元(先)が分からない。
ラーメン屋の券売機の前でフリーズした客と化した私。それを見かねた店員のようにしてボランティア氏がやってきた。「この一番真ん中のプレートは宇宙に行って帰ってきたんです」それはすごい。そういうことでしたか。それはどういうことですか??
野村康生の作品であることが判明。
5つのプレートは「エレメント」として、「宇宙」と地球の4大元素(火、水、大地、大気)を象徴し、更にそれぞれを象徴する5つのプラトン立体をモチーフとして割り当てられている。プレゼン等で表示される記号がそれだ。対応は、正四面体=火、立方体=水、正八面体=大地、正十二面体=大気、正二十面体=宇宙、となっている。
プレートは実際に、それぞれを象徴する属性に対応した環境へ身を置いてきた。中央のプレートが宇宙に行っていたというのは、「Space X」のロケットに乗って国際宇宙ステーション・きぼう実験棟へ送られ、船外暴露施設に4ヶ月間設置され、宇宙線を浴びて帰ってきたものだという。
他の4枚は宇宙のプレートが地球へ戻ってくるまでの間に、地球上でそれぞれに象徴的な場所を旅し、外部の環境に晒されてきた。ホームページに書かれているところでは、「大地」のプレートは車のルーフに取り付けられた状態で4カ月間、アメリカ大陸の北側を約半周している。「水」のプレートはナイアガラの滝や五大湖、マニトバ湖などを経由して実際に水に晒されたようだ。
いずれのプレートもGPS発信器を備え、大規模な移動に伴うリアルの時間と空間のログデータを蓄積し、プロジェクトの壮大さを証言する。
これらは帰宅後に色々と自分の中で整理し咀嚼する中でだんだんと結び付いてきた言葉であって、鑑賞中にはまるでわからなかった。かしこさが足りないのか? それはまあ(困惑)。ただ鑑賞者側だけの問題ではなかろうもん。こなもん。作品・解説全てにおいて語られている言葉とデータはある部分的な一面に留まり、象徴と概念が仮想的に組み合わされていてプロジェクトが仮想的、思わせぶりな壮大さだけが目について実際のところが掴めない、収集されたデータなりプロジェクトの経験なりの全体像をこちらに渡してくれないので、つまり分からないのだ。何を言っているのか分かりそうで分からないという状態が継続する。
本作が「科学(サイエンス)」そのものではないという立ち位置をとっているためと考えると理解できなくもない。サイエンスとしてのデータ収集作業、論理的な解明や説明ではなくあくまでサイエンスを下敷きにした「アート」の形態・文法として「宇宙」や「世界」を謎(そして挑戦)から語ろうとするために、分からなさが先立つのだろうか。こちらとしては例えば他のプレートがどこをどう辿って何のデータを得て、どういう物性・環境の干渉を経てきたのかもちゃんと知りたいのだが、とにかくスケールの大きな言葉に呑まれて実体を見せてもらえない、のでなんかこうフレームが来ないのでモヤる。小生の理解力と想像力が貧しいのは許るして下ださい。姐さんかんにんや。誰やそれ。
「PIONプレート」モデル。けっこう大きい。
こうした「モノ」として象徴、情報、アクションの遍歴・刻印をもっと物性から肉付けして語ることも可能だと思うのだが、なぜか何か確からしきものに寄り掛かることをしない。総体としてどこかスピリチュアル的な仮想の「宇宙」なのだ。
野村康生の作品自体だけでなく、先述のとおり解説も含めた見せ方全般においてが分かりづらく、作品について解説・理解を求めても捉えどころがないのも一因である。理解の仕方を違う形にする・理解をやめて共感に切り替えると話は違ったかもしれない。
が、例えばステートメントの「今回、世界初公開される宇宙アートの展示の舞台となる中之島アートセンターは、野村がアーティスト活動を通して提唱する「PION理論」の元となる、湯川秀樹博士がノーベル物理学賞受賞のきっかけとなったπ中間子理論発見の場でもある」、アートセンターが世界初公開なのか宇宙アートがそうなのかが分からないし、まずもって「宇宙アート」とは何なのか前提が分からない、「PION理論」ってなによ?? 極めつけは「π中間子理論」が本作のテーマ、のように見えるが、この文からするとこの場所(阪大の創設の地)が関係しているだけで本作はそうではない。クッソわかりにくいがステートメントを更に読み進めていくと「・・・元々のπ中間子理論をアートという形で実践に移し、それをこの場所で展示すること自体が原点回帰ともいえる。」と締め括られ、じゃあやっぱり本作はπ中間子理論をアート化した作品だったのか、とさきの理解を引っ繰り返される。おいまてや。だが全体を通じて見てみても「π中間子理論」(当時、原子核は電子・陽子・中性子から構成されているところまでは分かっていたが、陽子と中性子が中心に密集し安定した構造を維持するためには強力なエネルギーを媒介する未知の物質(=中間子)が介在している必要がある、と新物質を想定する理論。1934年に構想発表。)を直接に取り上げたり参照したりなぞるものではなく一体何の作品なのか逆に不明。「原点回帰」と言われても何がどう発展して回帰してきたのか分からない。いや過去作とか勉強してたら知ってるはずですよ笑とか言うのであれば悶絶頓死してしまうであろう。宇宙宇宙ππとでかい話を矢継ぎ早に繰り出されてスケール感だけ煽られるも、それらが指し示す実態がなく仮想的なテキスト、作品も具体的なコンテンツではなくプロジェクトや概念を集約した仮想のものであるから真正面から解釈しようとすると衒いにはぐらかされた気分になってしまう。
なので補助線を自前で持ち込んでくる必要があり、野村の哲学やキーワードは過去作品、例えば島根県立石見美術館での展示や、本プロジェクトのクラウドファンディングのページなどを辿る中でだんだんと分かってくる。なるほど異次元、多次元の話をしているわけですね。
つまりは理論と体験を伴う「旅」であり、日頃安住している認識の「次元」の外へ出て行こうという旅、その大いなる移動の連鎖と繋がりは地球と宇宙、諸物質を繋ぎ、枠を超えてゆき、更には地球人皆が大きな意味での「宇宙」へ意識をアクセスできる… 愛とか高次元の… きっとそういう趣旨の作品/世界観なのだろうと解する。
「PIONプレート」オブジェの後ろ・真正面に流れる映像が本プロジェクトを示唆している と思われる。(後に野村康生作品とは違うらしいと気付く) 窓が青くて白い。宇宙は明るくなかったと思うので、高高度の機内で何か作業をしているところと思われるが、何なのかが分からない。なん? 凄いことをやってる感はあり、一事が万事、何かすごいプロジェクトが連鎖し、組み合わさり、すごい宇宙、宇宙すごいをやっているアート、宇宙アート、という仮想的な全体像がイメージされるような構成となっている。たぶん実際すごいのだろう。だが提示されるもの一つ一つに由来や状況の根っこがないと困る、困っていましてまsので、すなわち私はラーメン屋の券売機の前で呆然と立ち尽くす人になっていた。
本展示の困るのは、文句ばかりですいません、陳謝、困るのは、どの部分が誰の何という作品なのかが会場で明確に分かる形で提示されていないことだ。What's? この金色の歪なクリーチャーめいた、歪な仏像の一種のような像が誰の作品なのか? 全体の解説から察するにおそらくShlumper(シュランパー)の<Spirit Snacks>シリーズだと思われる。彫刻家ではなくドローイングアーティストのようだ。「レイキ師範資格という異色のバックグラウンドをもつ彼は、日々スケッチブックに山のようにドローイングを描き続け、無心の状態から浮かび上がるキャラクター的な要素を Spirits Snacks というシリーズとして発表している」はい。
またも解説で困ったのが「今回は、エネルギー周波数や様々な宗教において信仰される3という数字そのものを尊重しつつ、Spirit Snacksをドローイングから3Dプリント立体、更にARにすることで、3体の神々しい黄金の集合体がいくつもの次元を自由に行き来する展示となっている。Spirit Snacksは更に中之島センターの建物自体を背景にした超大型パブリックAR作品としても登場するなど、最新テクノロジーの導入により、展示の場に止まらない宇宙アート体験の継続にチャレンジしている。」と高めのテンションで書いてあるが、え?? これブツの彫刻だけでなくARでも観れたということなのか? しかも中之島センター建物外側からもARで投影して鑑賞できたということなのか??
いや どこにもそういう別の鑑賞方法のアナウンスは一切なかった。館内も入口も「Study」企画の展示案内は最小限で、とにかく5階に上がるしかなかった。のだが? 何がどうなっているのか???準備中だったんすかね???「いくつもの次元を行き来」してませんよブツしか無いんやもん。何かわからんブツが。困った。「3という数字そのものを尊重」どこがどうなって尊重? 宇宙アートってなに? 関係者間では了解済の世界観なのかもしれないが、私にはひどく遠いテンションの宗教観に感じられた。困った。
唯一の良心が、向かって左右の壁面に流れる映像であった。
それは金属の流体のような、3D合成動画のようなマクロの特殊撮影ハイビジョン動画のような、現実味がありつつも無いという謎の映像で、粘体のように、免疫組織のように、飛び散る水銀を超高速撮影したかのように、ぬらぬらと飛んで流れている。
土佐尚子<Sound of Ikebana>シリーズ_《Zero Gravity》であろう。
解説によれば「パラボリックフライトのなか、1/2000秒の高速度カメラ撮影技術を用いて、無重力の音の振動の可視化を実現したダイナミックな作品」ということで、これは、納得がいく。我々人間にとって特殊条件下、宇宙に近い物理条件下では、流体は生物と無生物とが入り混ざったような不思議な動きをするのだと。そこに「科学融合型の現代人の身体感覚の中に潜む普遍的な文化アイデンティティを、最先端技術で見出す『カルチュラルコンピューティング』を目的として挑んだプロジェクト」と位置付けるのは、正しい。なんなんだよカルチュラルコンピューティングって?? なん(略
土佐教授の発表でいうところの「文化・無意識・ソフトウェアの創造力」を指す語であるようだ。はい。
他でなされた講演などを参照しないとこの場に展開されている作品と解説が何を言っているのか分からない、大学の講義ではよくある光景なのだろうけれど、じゃあ解説やステートメントが解説の役割を果たしてくれよ。ここに「現代人の身体感覚の中に潜む普遍的な文化アイデンティティ」を見出すまでには相当に間が飛んでいてブッ飛びすぎているので困るのだが、言わんとしていることは判る。ただ一足飛びにやるとそれこそ重力に囚われない新たな人類の拓く境地「ニュータイプ」のような、ともすればスピリチュアルなものになりかねないので、このぬらぬらとした物性をしかと掴んで考察していく必要があるのではないか。
あっそうか、
この中央の映像は、この無重力状態を生み出す飛行(パラボリックフライト)の現場の様子だったというわけか。ようやく作品の個々のパーツの繋がりが飲み込めてきた。家だけどな。会期も終わった。あばば。
この作品も「作品」としては扱いが軽すぎるというか、本来持っている映像と物性のポテンシャルが違う方に使われていて――宇宙スピリチュアルな身体性・感覚への飛躍へ行き過ぎていて、本来ならこの映像だけ別個に、カーテンで間仕切りをして暗くしたところで上映し、「作品鑑賞」としての重みを与えるのが定石だと思うが、どうも新規的かつ壮大なプロジェクト、そのためのプレゼンテーションとして扱う姿勢が先行していて、作品世界への没入、アート鑑賞体験というより、アート的文脈や文法から脱し、出展者ら(主に野村康生)の語る言説、プロジェクト賛同へ乗せ換える働きが主であったように感じられてならない。
まあ宇宙はいいですよね。GDPもないしポリコレもない。前澤 いやなんでもない。
◇1F・オープンスペース
「Study」と関係ないがセンター1Fロビーに巨大な石と写真が置いてある。置いてある? 展示だ。
あまりにも立派な石、そして確かなフォーマットの連続写真。これは只者(石)ではない。オーラがちがう(スピ発言) なぜか説明やプロフィールが周りに無かった上に、Webをなんぼ見ても展示室のことしか書いてなくて不明。
写真は2種類あり、カラー1枚、モノクロ連続写真で飛行機の動きが捉えられたものとがある。双方に共通して写っているのが、石を縦に20個積み上げたパブリックアートだ。
写真の隅に「Norio Imai」のサインがある。
あっ。
ヽ(^。^)ノ 関西が誇る現代美術家
置かれている石は、今井祝雄《タイムストーンズ400》の一部だろうか。
残念石20個を積み上げた、未完の作品。残り1個が21世紀を迎えた際に積み上げられて完成とするはずが、色々あって積み上げられず、未完に終わっているのだという。
逆にいえば永遠に終わりのない、未来を指し示すオブジェとも言えなくはないか。
今回は母校が舞台だったのでシビアな目で鑑賞&レポをしました。
( ´ - ` ) 完。