7/17(土)、「表現の不自由展かんさい」に行ってみたの巻。
入場のためには整理券をゲットしなければならず、どのぐらいの混雑になるか想定できなかったため、とりあえず早めに向かいました。ひー。
右翼的な方々と主催者側の方々とが車道を挟んでにらみ合い、拡声器バトルし、水色の警官隊と黒い警察車両が周囲を取り巻く中、よく分からんけど整理券を購入するまで並ぶという苦行。あつい。
会期は2021年7月16日(金)~18日(日)のわずか3日間のみの展示だが、もはや展示内容より、展示の実行を巡る動きの激しさのほうが注目されている。
◆「表現の不自由展」とは
「開催するか・しないか」「開催を肯定するか・非難するか」といった、対立する二分論に乗っかるか眺めるか、といった感じだ。太い道路を挟んで向き合う二つの勢が、大きな音を立てている様子は、写真の先輩が「夏祭りみたいやね」と表現していたがまさにその通りで、村の祭りみたいな構造だった。
今回の「表現の不自由展かんさい」は、 2019年「あいちトリエンナーレ」のいち展示コーナーであった「表現の不自由展・その後」を、改めて全国で巡回するという企画である。
2021年6月には東京で開催予定だったが、トラブルの懸念から会場の辞退が相次いだことにより延期に。7月6日から名古屋市でも「市民ギャラリー栄」で開催されたが、嘉村市長が座り込みを行ったり、反対団体の抗議、ギャラリー宛に届いた郵便物の破裂音騒ぎなどから、開幕2日間で中止となった。
ちなみに、企画名が「その後」とあるように、起点となっているのは2015年、東京の「ギャラリー古藤」で企画された「表現の不自由展~消されたものたち」展で、趣旨も同じである。主に、様々な政治的配慮、思惑、圧力、あるいは自粛などから、公の場での発表を禁じられたり、自粛させられた表現を一堂に会させるという企画だ。
その試み自体はめちゃくちゃ面白いし有意義なのだが、「あいちトリエンナーレ2019」では他の展示コーナーと比較するとどうしても、主催者ら実行委員会の政治的スタンスが色濃く出ており、左・右の対立や騒動を全く度外視したとしても、ある種の政治的な「偏り」を認めずにはいられなかった。
「表現の不自由展」は、やはり「あいちトリエンナーレ」という大舞台に上がったことで、広く社会を巻き込み、いわゆるサヨクやリベラルな陣営と右翼や愛国者や感情的になった方々ら(このへんどう呼んだらいいのかよく分からない。すんまへん。)との対立に留まらず、社会全体を巻き込んだ感情的な騒動へと発火・展開したのは確かだ。
それは公金と表現活動のあるべき関係、日韓関係、天皇の表象・不敬、日本人としてのあるべき姿、等々の議論を超えて、愛知県・大村知事と名古屋・河村市長の対立から、SNSやYouTube等での大村知事リコール運動、そしてリコール署名水増し偽造事件という、極めて直接的な、選挙制度の根本に関わる犯罪事件にまで発展した。もうわけがわからない。
◆大阪版の開催を巡る経緯
大阪では開催を巡って事前から抗議が相次いでいたらしく、会場の府立労働者センター「エル・おおさか」側(「指定管理者側」と表記されるのでややこしいが、要は大阪府側)が、安全を確保できないとして6月25日に利用許可を取り消した。ほかの施設も入っているし、保育所もあるし、危険な騒ぎになっても手に負えないのでやめてくれということだ。まあ懸念は分からんでもない。
これに対し、実行委員会が6月30日、施設の利用許可を求める訴えを大阪地裁に起こすとともに、利用承認の取り消し効力を生じさせないよう執行停止の訴えも起こした。7月9日、地裁は施設利用許可の取り消し処分の執行を停止し、利用を認める決定を出した。
すると府立労働者センター側は地裁決定を不服として7月12日に大阪高裁へ即時抗告、元の要求通り施設利用の承認取り消しを求めた。
吉村知事は「施設所有者として管理権があり、裁量がある。施設には保育所もあり、労働相談も受けている。施設利用者を守っていく役割がある。管理権として利用停止を判断する権限はある」と主張。「地裁では認められなかったので、高裁に判断を求めていきたい」と話した。
(2021/07/09 20:30 朝日新聞デジタル)
7月15日、大阪高裁が会場使用を認める。「主催者の思想に反対するグループなどが妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に施設の利用を拒むことは、憲法の表現の自由の趣旨に反する」と、即時抗告を棄却したものだ。
するとすると、大阪府立労働センター(大阪府側)は同日、安全配慮を理由として「決定には納得がいかず、最高裁判所の意見も聞きたい」と、最高裁への特別抗告を行った。リアクションが早。吉村知事が最近ちょいちょいTwitterで「話題のツイート」に上がってきてたのは、このへんの動きが関係していたが、展開が早すぎて追えていなかった。
そして7月16日、最高裁がこれを棄却した。これも早いな。特別抗告って、司法の判断などが憲法に照らし合せて違憲、あるいは解釈が間違ってるという指摘を行うものだから、まあそこまでのもんじゃない、警備がんばったら何とかできますやん、という判断だったのだろう。
ここで法的な「開催する・させない」闘争は終了となった。裁判制度のおさらいのような数週間だった。
実行委員会、大阪府、司法の繰り出す展開が速すぎるうえに、開催まで間がなく、連日何かしら報道が入ってくるので、はたから見ていると「とりあえず揉めてる」以上のことはよく分かっていなかった。
検索するとダーッと出てくる。関連報道が連日すごくて時系列がもはやよく分からない。ネットニュースって次々に古い記事が消されるからよけいに時系列の整理が難しいすね。
そのうえ、脅迫文、サリンと称される液体(水?)、刃物?爆竹?等の送り付けといった不穏な報道が連日のように入っていた。それはさすがにアカンやろ。あかんことをしたらあかん。これ本当に開催されるの??木曜の時点でもよく分からなかったし、金曜の時点でも、中断されずに土日にも開催されるのかが分からなかった。
結果的に、中断されることなく3日間の会期は全うされた。3日間という短期集中で挑んだから何とかなったという面は大きいだろう。
では実際の状況をば。
◆7月17日(土)朝_整理券配布の列に並ぶ。
8時半すぎ、天満橋の「エル・おおさか」に向かって土佐堀通を歩いていく。 思っていたのと違って静かだ。特に軍歌などは流れていない。
が、遠目にもやたら水色の制服が路上に立っているのが目立つ。新聞やニュースで見た通りの、厳重な警戒態勢だ。
まだ右翼の街宣車などはない。これだけの警護が必要な美術展示というのは、モネでもモナリザでもツタンカーメンでもありえないだろう、ある意味すごい。
しかし驚いたのは警戒態勢よりも整理券待ちの方で、建物入口付近はごった返して人だらけ、整理券に並んでいるのか運営スタッフなのか、はたまた活動家なのか、全然よく分からない。ななな。これどうしたらいいの。
とりあえず列が後ろの方に伸びているようだ。
長い。
なにこれ?
( ´ ¬ ` ) 長い、
建物の外周を取り巻いている。おいみんな1時間半前やぞ。飲食店でこれやったら近隣苦情で営業停止に追い込まれそうな勢い。会期3日間に絞ったのは正解だと思う。警察&警察車両もすごい。警察決起集会みたいになっている。
8:40すぎ。とりあえず最後尾についたが、動揺していたせいか、自分が何番目ぐらいなのか全く分からない。この日の整理券は500枚配布とのことで、まあ何とかなるだろう。でも夜の入場になったらいやだな~。
黙って炎天下の中で待つだけなので、耐えるだけです。
ものの10分ぐらいで行列がどんどん増えていく。開場が10時だから、まあ9時頃に並んだら早いほうだと思うよね普通。ぜんぜんや。9時では遅い。8時半すぎがベストアンサー。
めっちゃ増えとる。しかしこんな日に限って晴れてて日差しが強く、暑い。これは純粋にやばい。まる1年間コロナ自粛でなまった体にはきつい。あかん、なまってるわ。
主催側から整理券受付についてアナウンスが入る。「このへんで待っていただいている方は、あと1時間以上待っていただくことになります」。
え? きつい。
整理券のシステムはこう。
・金属探知機+手荷物検査で建物内に入場
・7階に上がって千円で購入
・希望する時間帯(1時間50人ずつ入場、10時~20時の10枠)を指定
そら時間かかるわ。エレベーター何基で往復するねんな。
後にエントランス前での販売に切り替えられた。そらそうや。救急車呼ぶはめになるぞ。
20分ぐらい待ってるだけで既に色々とヤバさを実感。暑い。これ、反対派がガヤるとか、危険人物が入ってくるとかいう以前に、500人以上の来場者を安全にさばくところに難がある。5月とか10月ならええけど、暑いぞ。
運営スタッフが割と多いので、アナウンス等々、分かりやすかったのはよかった。しかし列が全然進まない。うげー。
自販機があって本当によかった。こういうときはドデカミン一択です。あと並んでる人が謎にタフなのか、見た限り文句を言ったり具合が悪くなる人はいなかった。観客がタフい。
9時を回って、受付が進み始めたのか、行列は次第に前へと進む。9時を境目に列に新たに加わる人が急に減った。だいたい皆の判断基準は「9時までに並んどこう」というものだったようだ。せやな。9時過ぎたら無理っぽい気がしてた。
同時に、右翼的な方々の街宣活動も始まり、表通りの様子が全く分からないが、爆音でそれっぽいBGMと叫び声が聞こえる。すごい。音が割れまくってて、言葉が音の塊になっている。言語の判別ができない。すごい。これも展示のひとつ。うそです。
警察に怒られたのか、すぐ軍歌は止んだ。あ~。世の中厳しいな。
ようやく建物を回り込んできた。
全方位を警官&警察車両が取り巻いている。これに匹敵する厳戒態勢のアート展示はやはり思いつかない。それは美術の範疇を超えた、別のコードを刺激した事態であることを意味している。政治、宗教といった根本的な対立要因だ。昨今のアート作品やアーティスト、美術館の仕組み自体は、対立を避けたり緩和させたり、対話へ導くよう教育・訓練・制御されているから、本来はこうならないよう努力・工夫するのが「アート」「美術」の枠組みなのだろうと思う。いや知らんよ、2020年7月「盗めるアート展」みたいに大騒ぎになったりするのもあるし。確信犯かどうか知らんけど。
でもなあ今回の件を「アート」「美術」と括っていいかは疑問符がつく。まあ引き起こされている以上、無関係なわけがないんですけども、「これも含めてアート」と形容してしまうと、どうかなという気はする。それは美術側の権能・責任者としてのキュレーターなりチームなりが不在で、市民の有志からなる「実行委員会」という、人権運動的な、美術界とは別の性格をもった文脈での主催であるためだ。
そんなことを言うと「お前は美術エリート以外の層が表現するものをアートとは認めないのか」と非難されそうだが、同じ「展示」でも、誰がどういう形でどこでどう実施するのかは、「アート」なるものの重要な構成要素の一つだと思っている。
このあたりで整理券受付ルールの変更が再アナウンスされる。入館して7階まで上がってというのをやめて、入口付近で買えるようになった。とてもじゃないが手続きが回らないと気付いたのだろう。
続けて、来場者が500人分に達した旨のアナウンスもなされる。お友達を呼んでも入っていただけません。はい。
アナウンサー的な人がスタンバイしていた。しかしここでは特に喋ってなかった。ロケハンかな。あついのにごくろうさんです。あの、なんで私ここで並んでるんでしょうか。よくわからへんくなってきた。
かと思ったら冷や麦茶がおいてあって、主催者側の配慮がなされていた。ありがとうございます。
「歴史を改ざんするな」 はい、
いや直射日光あびながらすごいな、タフすぎる。
9時半頃、列が前に進み、土佐堀通のほうへ近付くにつれて、演説者の声がよく聞こえるようになる。わあわあ言うてはりますなあ。これか、金曜の夕刊やWebニュースに書いてたのは。
整理券アナウンスと政治的主張とが混ざって、わけのわからないことに。
◆右側の方々の演説について
もっと左右の活動家らが揉めて、罵倒し合ってバトってる図を想像していたが、要は右翼的な方々が、延々と、同じ訴えを繰り返し繰り返し演説していたのだった。それはそれですごい。言う事があるのはすごい。ほめてたらあかんけど。
これが、15時枠の鑑賞を終えて、16時過ぎに会場を出た時も、ずっと続いていた。土佐堀通を挟んで最前線で向かい合ってる両サイドの方々は、3日間にわたって終日・炎天下の中をライブしていたわけで、タフさが信じられない。それ自体大変なことなので、何か価値があるような気もする。リアルタイムで実況ライブ動画を流し続けてもいいぐらい。
右側の方々の主張としては思いのほかシンプルで、
・天皇陛下のお写真を燃やすという展示、内容がだめ、どこが芸術だ
・日本人としての良識はどこ
・そんなものを表現として有難がっているのはどうかと思う
これは列に並んでる時も、夕方通ったときもずっと同じことを繰り返していて、ほぼ一貫していた。
この論旨、話し方は興味深かった。もっと脅迫めいた攻撃が繰り返されているのだと思っていたのだ。「あいちトリエンナーレ2019」で遭遇したのはそういう暴力的な人だった(偶然もあるだろうが)。今回の演説は、予想と違った。
「作品」の意図や性質を脇に置いて、「天皇陛下の写真を燃やす映像を、作品として展示している」という文字情報、論旨だけをシンプルに抽出する限りにおいて、「自分にとって極めて大切な人の顔写真を燃やすなんて、常識的に考えてとても許せない」という、非常にまっとうな話に帰結してしまう。むしろ庶民の感覚として非常に分かりやすい。
そもそも一般人にとっては、天皇制の是非や戦争のことはあまり一般的な論点として持ち合わせていない。むしろ平成の世では、災害の苦難のたびに、天皇陛下によって国民が列島のすみずみまで励まされ、癒されたという実感が強い。そんな文脈の中で、「天皇陛下の写真を燃やす」ことだけを突き付けられると、負の意味が勝つのではないか。そのような芸術作品があると言われると、意味不明というか、「は?」となるだろう。
「いやそういう話ではないよ」とか「そもそも前提が違う」といった議論に進むためには、対立するお互いが前提条件として、作品の経緯やコンセプトや現物を見て読み解かないといけないのだが、それ自体が多大なコストである。
また、それをすると作品の存在、こうした表現がありうること自体を認める話になる。それに議論に乗った上で反論していく作業は、白黒が分かりにくく、一般人も興味を持たないだろう。
なので街宣での反対行動としては、分かりやすい言葉を繰り返して非難することになる。ある意味、庶民に寄り添っているとも言える。いやまあ、静かに議論するに越したことないですよ。ただね、想像と違ったということで。
いずれにせよ声を上げて主張できるのは羨ましい。私なんて言いたいことを言わなさ過ぎて、何が言いたかったか分からなくなるタイプなので、うらやましい。しまいに必要なホウレンソウまでしなくなったりする。カレー沢薫『なおりはしないが、ましになる』に一番共感したのはそこ。
◆整理券ゲット
話は逸れましたが、9時半を回ったかどうかぐらいには整理券をゲット。この時点で最も早い15時台の券でした。夜にならんでよかった。ということは250人以上は並んでいたわけか。みんなすごいなー。熱心。
そして時間が経ち、
14時50分頃に再来。
ぞわぞわ。
( ´ - ` ) 状況なんも変わってねえな、
本当にこのくそ暑い中でずっと対峙し合っていたんすか。
たいへんやこれは。。熱中症きいつけてください。。
◆7F・展示会場
金属探知機&手荷物チェックを経て、エレベーターで7階に上がります。運営委員会メンバーと、エル・おおさか職員とが対応に当たっています。ごくろうさまです。
「あいちトリエンナーレ2019」モニカ・レイヤーをほうふつとさせるものが。
内容はだいぶ違った。
なんの「不自由」さと戦っているかの意味合いが、2019年当時とえらく移り変わったなーと実感。今回は開幕を封じようとする大阪府、すなわち吉村知事――大阪維新の会の基本姿勢との抗争という意味合いが強まった感がある。この短期間で最高裁まで持ち込むとはなあ。
開場はごく普通の、昔ながらの貸し展示室で、地元の写真愛好会や絵画クラブの方々の展示会場になってそうな空間。いやあこれ。懐かしさすらある。地元感がすごい。
これが「表現の不自由展」か・・・
「あいちトリエンナーレ2019」での狂騒、緊張感を体験した身としては、牧歌的すぎて信じられない。
あれ?
慰安婦像(展示名は「平和の少女像」)も、でっかい彫刻も、作品数自体めっちゃ少ない???
第2会場がありました。ふうー。あせるわ。
ただし内容は部屋に合うようにけっこう変えてありました。また詳報をします。
で、問題の「天皇陛下のお写真を燃やした作品」でずーっと話題になっているのが、こちら。大浦信行『遠近を抱えてPartⅡ』。
作品自体は撮影禁止のため、ステートメントだけ撮影。
実際の映像作品を観ると、そんなにヤバいもんでもない。 なので一番いいのは「観ずに言葉だけで伝え聞いて怒り狂うこと」に尽きるだろう。よくないけど、シンプルに怒りたいならそうした方がいいだろうなとは思った。
天皇陛下が燃やされてるっていう感じがあんまりしないんすよ。天皇制を表象したイメージ体=かつての軍国としての日本が、主人公である女性の言葉、特攻的な決意とともに終わっていくことが表わされていたというか。
ていうめんどくさい話になりますやんね。そんなめんどくさいはなしが好きな人って世の中あんまりいない。庶民は貧乏やし忙しいねんな。私も貧乏やし時間がない。わああ。金くれ。
今回の騒動ではあまり話題に上がってない像。
圧倒的に影が薄い。
反対運動や対立の主訴が移り変わった結果だろうか。これを争点にする際の是非の問題より「天皇陛下のお写真が燃やされた」の一言の方が、訴求ポイントがシンプルで分かりやすいんだろうと思う。それはまた、誰が反対運動のトップをとってアジテーターとなり、どういう論点と理屈付けで世情を動かそうとするかの、人材と戦略の兼ね合いでもあるだろう。
( ´ - ` ) 以下は展示内容レポ。天皇そして日韓の歴史認識、その他。