nekoSLASH

ねこが超です。主に関西の写真・アート展示のレポート・私見を綴ります。

【写真展/KG】KYOTOGRAPHIE 2020(4)_⑨マリー・リエス『二つの世界を繋ぐ橋の物語』、⑩a~d_甲斐扶佐義『鴨川逍遥』

KYOTOGRAPHIE2020、本体プログラムのレポはこれでラスト。

⑨マリー・リエスはどの会場からも離れた大徳寺付近にあり、少し回りづらいが、写真を「手で」視ることを試みた、新しい形の展示だ。⑩甲斐扶佐義の展示は出町柳に3ヵ所、JR京都駅ビルに1ヵ所と分散しながら、京都の過去を振り返る。 

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【KG】No.⑨マリー・リエスは離れているので地図の欄外・北大路駅あたりにある。河原町駅祇園四条駅から地下鉄で40分近くかかる。がんばろう。No.⑩甲斐扶佐義の展示が散らばっているのは、屋外に巨大なパネルとして設置してあるためだ。

 

本来はあと3つぐらいプログラムがあったそうだが、新型コロナ禍による会期延期の影響・再調整から、次年度に持ち越しとなった。 そのため全体的にコンパクトになっている。

 

 

【No.9】マリー・リエス(Marie Liesse)『二つの世界を繋ぐ橋の物語』@アトリエみつしま

通常の写真プリントだけの展示ではない。教室スタイルで白い台が並び、その上には石板のように、眼で見る写真と、手で触れて「視る」写真とが並んでいる。フランス国立盲青年協会(パリ盲学校)に通う子供たちの姿だ。

 

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写真自体の完成度は高く、構図の決まり具合や情感の豊かさは言うまでもないが、本展示の形態は写真の映像美を愛でるという趣旨ではなく、「目で見る世界」と「目では見えない世界」の二つを繋ごうという挑戦、すなわち手の触覚による写真鑑賞への試みである。

展示は1Fの大広間・メインの展示スペース、階段へ続く部屋。そして2Fの触る彫刻作品のスペースと、スクリーンで映像を流すフロア、計4室で展開される。まず入口からメインの展示室へは、光のない真っ暗な通路を手探りで歩くよう促される。光を奪われることで手先、指先、鼻先の感覚を急に頼みにすることになり、視覚がきかない世界を疑似体験する。いつもは使っていない部位のスイッチが入る・・・気がするが、当然、眼に頼って鍛えてもいないので、何も起きない。

 

展示室に入ってすぐ、今回の展示に当たって用意された、特殊なデザインとエンボス加工の解説がある。写真を手で触れて理解するためには、どうしても美学的な要素よりも理解のしやすさを優先し、簡略化の作業が必要となる旨が書かれている。言葉で説明されると「なるほど」とは思ったが、あるイメージを誰かに受け渡して質感を伝えようとするとき、自分には視覚情報以外に想像がつかなかった。浮き上がった女児の像を手で触れてはみたが、会場の記録撮影などに汲々としていたせいか、残念ながら知覚が出来なかった。それだけ、眼に依存してきたということか。

  

目で見えない世界、手で「視る」写真とはどういうものなのか。触覚の未発達な私にはむしろ、ひとつひとつの写真に付されたテキストの描写に心を強く惹かれるものがあった。盲学校に通う子供らは様々な表情を見せ、活発に、静かに、時に不安げに写っている。その背景にある学校の制度や理念と、子供らの置かれたシチュエーション、そして心境が端的に語られていて、より深く彼ら彼女らの内奥に足を踏み入れた感じがした。

 

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上の写真では、撮影された自分の写真が白黒であったことを後に聞かされた少女が、「私の写真は白黒ではない」 と落胆して泣き出したという。下の写真は、生徒らが地下鉄を利用して通学する様子だが、彼らは写真に撮られることを喜んでいる。『彼らにとって保護者なしで地下鉄に乗るのは、自由と自立の象徴なのだ。』という。

何気ない日常の1枚にも、当人らの人生にとって重大な意味が秘められていて、ドキュメンタリー写真としてのメッセージが深い。KG公式パンフレットで1枚ずつの写真を向き合うと、しみじみとした気持ちになった。

 

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階段へ続く和室では、指で触れて「視る」ためのエンボス加工の版が並んでいた。目に頼る私にとっては、どれも真っ白で区別のつかない代物だった。 

 

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2Fの奥の部屋は、大きなスクリーンで映像を流している。短時間しか見ることが出来なかったが、パリ盲学校の生徒らの日常と思われた。生徒らがピアノを弾いたり、バスに乗って目的地に行くのに、勇気を振り絞って運転手に行き先を尋ねたりしていた。 

 

結局は身体・社会訓練の賜物だということだ。目が見えない以上、指先を眼に替えるための訓練を積んで点字を読めるようにし、対人コミュニケーションのスキルを実践で鍛えるしかない。先天的にだけではなく、後天的に光を失った人も多いだろう。生まれた後に再び与えられた自身の身体と、どう折り合いを付けるのか? 困難をどう訓練して自己の身体と見做せばよいのか? まさに片山真理の作品に通じる問いでもあると感じた。

 

 

 

階段と映像スペースまでの間にもう一つ部屋があり、そこでは光島貴之の指で触れる作品が展開されていた。美術品を指でなぞり、押したり、指の腹を走らせたりするのは、とても斬新な経験だ。釘の連続に指の腹が食い込みながら駆け抜けてゆくとき、たらららら、と音が鳴る。気持ちよかった。

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【No.10-a】甲斐扶佐義(Kai Fusayoshi)『鴨川逍遥』@河合橋東詰歩道

[No.10-a]は、プレスツアーではコース外で、自分でも回る目途が付かなかったので、省略させていただく。

 

甲斐扶佐義は1970年代頃から京都を撮り続け、京都新聞での連載や多数の写真集の発刊など息の長い活動を行ってきた。写真史上では名を見たことがなく、恥ずかしながら全く存じ上げなかったが、海外でもパリなどで紹介されている、関西のドメスティックの写真家である。

むしろ写真家や文化人が集う場所を立ち上げた人物として語られる機会の方が、遥かに多かったかもしれない。ひとつは、今となっては伝説となってしまった喫茶店「ほんやら堂」(1972年開店、2015年1月全焼、廃業)の共同立ち上げ人、経営者として。もうひとつはバー「八文字屋」(1985年開店~現役稼働中)のオーナーとして。特に「八文字屋」の知名度は根強く、私はまだ未体験だが、同世代の写真仲間複数から体験談を聞いたところ、狭い店内にはレコードやら書籍やら何やらが高密度で積み上げられ、写真関係者や外国人が夜な夜な集まる、ディープそのものの場であったという。関西の写真文化を語る上では外せない人物であろう。

 

出町柳での展示[No.⑩a~c]は屋外に巨大な写真パネルを立てて展開しており、鴨川の流れる出町柳の町並みに、過去の京都の記憶が交錯する。

  

【10-b】甲斐扶佐義(Kai Fusayoshi)『鴨川逍遥』@タネ源  

鴨川河川敷の遊歩道から巨大なモノクロ写真のパネルが見える。種苗店「タネ源」の壁面だ。

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ご本人によるトーク。一番古い写真で1973年、多くは70年代のものだろう。実は70年代にも20数回、本展示のように、街頭にて写真展示をしていたという。その時は壁面に大きな紙を貼って台紙にし、そこにプリントを直接貼り付け、「写っている人には最終日タダであげます」と書いていた。

写真にのめりこみ、写真のことが気になって仕事が手につかなくなり、写真をやめるつもりで写真集『京都出町』(1977)を出版したが、作者が市民運動にも関わっていたことから、商店街を含めて色んな人が関わるようになったという。そうして息の長い作家活動を経て、今に至る。

 

写真一枚一枚の表情が豊かだ。写っている人々の所作やアクションが現在よりも自由で大らかなように感じる。道や川に留まって何かをしたり、何もせずただ留まったりしている、その自由さが鴨川沿いの豊かな表情となっている。いつからか街という空間は、目的なく人が留まることを不審視し、管理する傾向が強まっているため、鴨川沿いの河川敷あたりは「何でもない」ことを許容する場所として、貴重なものとなっていく実感がある。

 

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ひとつひとつのカットは、京都の記憶と対になるものだ。京都の街並みがそうさせるのか、作者と被写体の関係性あっての写真だからか。地元の温もりやウエット感が大きい。それは凍結された冷徹なスナップの美(スナップ写真に美という価値判断を当てるべきなのかは疑問だが)とは真逆のものだ。土地のヒューマニズムと言うべき「情」の写真というか。

 

巨大なパネルになることで展示としての存在感が確保され、屋外の環境にも耐えられることのメリットはよく分かる。一方で、写真映像としての奥行き、一枚一枚に封じ込められた記憶の風味を味わうのは難しく、全体で1枚として、ざっと俯瞰して終わりになってしまったのが残念だった。

京都で生まれ育ったわけでもないのに、「京都の記憶」などど言うのは実におかしいのだが、持ち合わせていないはずの記憶について疑似的に共有しているような、共感覚的な状態を引き起こすのが写真の不思議な力であり、私が期待していたのはその可能性についてだったのだろう。

 

【10-c】甲斐扶佐義(Kai Fusayoshi)『鴨川逍遥』@青龍妙音弁財天

同じく『鴨川逍遥』、鴨川から少し河原町通りの商店街の方へ入ったところ、神社の壁面で展開されている。こちらはパネル、写真が小ぶりだ。 

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かつての商店街の様子が大量の写真で表される。場所は離れているが、オマー・ヴィクター・ディオプが写した「今」の商店街の人々と、そして写真そのもののスタイルとを比較すると刺激的だろう。時代の変化により被写体である街並みや服装、商売のありようが大きく変わったが、それらを記録し語る「写真」そのものが大きく変質したことも分かる。土門拳のごとき肉体でぶつかり、その体温の接触面で撮る写真から、アートとしてのフォーマットと構造を備えた建築物のような写真への変化である。

 

 

【10-d】甲斐扶佐義(Kai Fusayoshi)『美女100人』@京都駅ビル空中径路

京都駅ビルの屋上にある空中径路、ガラス面に女性らのモノクロ写真が延々と貼り出されている。 先述の喫茶店ほんやら洞」とバー「八文字屋」を開店したことで『美女と接する地の利を得た』と、街頭で女性の撮影を繰り返したという。「八文字屋」に来店する女性らを撮影した写真集『八文字屋の美女たち』も出版したとか。京都の町家のように、キャリアを分け入ると活動がとにかく深い作家である。

 

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単純に「美女100人」と言うと「なるほど100人か」と錯覚するが、実際に見て歩くと、どえらい枚数で、これは心身のコンディションを整え、時間のある時に見た方が吉です。100という数字のマジックで、脳的には綺麗で整っているが、その物量たるや凄まじい。

それも、単なる美女ではなく、あまねく属性の女性を写真行為で受け止めた結果の像を「美女」と呼び表しているので、ハリウッド女優や秋元康軍団アイドルのポートレイトを100枚見るのとは、脳の情報処理系統が少し違うのだろう。只者ではないガチの美人もいるし、素朴な良い顔の人もいるし、お年を召した方もいる。属性で分類できない女性らと眼差しを交換して歩いていくのは、街の中を当てもなく歩き回っては素性も知れぬ誰かとすれ違うことと、どこか似ている気がします。

 

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パネルで1枚にしてしまうとどうのこうの、と文句言ってたくせに、こうして1枚ずつ展示されると、時間が~とか脳の処理が~とかで言い訳し始めるので、現代人はだめですね。はい。皆さん良い顔をしておられる。

とにかくスナップは、時代が写るのが面白い。市井の人の全身像には時代性への鍵がある。メイクや装飾品の乏しい男性よりも、女性の方がその鍵が多くて、開けたり閉めたりするのが面白いのです。

 

 

( ´ - ` ) 完。