写遊百珍

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ生&TA。各種講座のレポや、関西・東京の写真展、アート展示を特集。

【写真展・トーク/KG+】成田直子「みやこうつし -EYEcon-」@京都駅ビル東広場(北ピロティ)

【写真展・トーク/KG+】成田直子「みやこうつし -EYEcon-」@京都駅ビル東広場(北ピロティ)

「木津川アート2018」で出現した無数の「眼」が、今度は京都駅ビル上層部の広場に集まり、過去と現在を行き来する「都」のイメージを映し出した。 

【会期】2019.4/12(金)~5/12(日)

トーク】2019.4/13(土)17:30~18:30

 

 

「木津川アート2018」での展示の様子はこちら。

www.hyperneko.com

 

4/13(土)には写真家・吉川直哉氏が聴き手となって作家トークが催され、本作の制作談や作家としてのこれまでのキャリアについて語られた。以下、展示とトークの内容から、特に本作の制作に関わる話題を取り上げる。

 

本作「みやこうつし」は前回blogで書いたように、人の眼に映った風景を写真に写すという、反射の作品である。あまりに映り込んだ風景が鮮明なため、よく「合成ですか」と聞かれるそうだが、実際にモデルの眼球を接写することで、生の反射景を取り出している。

 

この撮影には「メディカルニッコール」という、医療用(口腔内などを撮影)のレンズが使われていることが明かされた。等倍以上に寄れるため、眼の中をここまで大きく、克明に写すには最適だったそうだ。確かに、自分の眼に物差しを当ててみたが、角膜の直径はたった1㎝前後しかない。通常のマクロレンズではこの迫力は出ないだろう。

被写界深度が非常に浅い上、僅かなブレも失敗に繋がるので、1枚の作品を作るために400~500枚の撮影が必要だという。この過酷な撮影に付き合える人は限られるため、今回の作品では全て、作者の夫がモデル役を務めている。ロケの先々で目をいっぱいに開きながら日光を受け続け、何百枚と接写されているところを想像すると、地味に壮絶である。

 

作品の工夫は、フレームにもある。京都駅ビルではガラスにより風が遮られているが、前回の「木津川アート」では吹きさらしの屋外展示だったため、風で飛ばされないための対策が最大のミッションとなっていた。そのためエンジニアに気象条件から最大風速と飛ばされないための必要重量の想定を計算してもらい、写真を支える木枠に土嚢6つ・120㎏分の重量を載せて固定していたという。

そんなわけで、今回の駅ビル内での展示は、格段に安定した条件となった。そもそも京都の都市部には空き地がなく、1辺2.5mにも達する本作を並べて展示できる場所はここしかなかったのだ。

それぞれの眼には、かつて関西にあった5つの都(平城京恭仁京紫香楽宮難波宮平安京)の地が映り、眼はそれらの大極殿跡の方角に向けられている。本展示は、千数百年前、聖武天皇から桓武天皇の時代にかけて、めまぐるしく遷都が繰り返されてきた時代の人々の想い、そして失われていった首都の存在を思い起こさせる装置となる。

 

眼は私性を持たず、純粋な映像メディア、匿名の――公共的な眼として差し出されている。写真はカラーとモノクロの二種類があり、前者は現在のステレオタイプ的なアイコンとなる風景を、後者は過去の都と繋がるような光景を眼に宿している。

 

眼に宿る、生きた反射景を撮ろうとした動機は、これまでの作品制作においても「記憶」がテーマの根幹にあったためと思われる。

作者の作家キャリアは2011年の『眠る工場』から始まる。これは、勤め先の印刷会社が無くなることになったのをきっかけに、工場の記憶を写真で残すための取組であった。この時点では作家になろうとは、自身でも思っていなかったという。

その後、ヌード・セルフポートレイト、母との死別など、被写体の変遷はあったが、今ある存在が無くなってしまうこと、その存在との作者の関わりを形にして表し、残すことが主眼となっているという点では、一貫したテーマを追っていると言えるだろう。

 

「眼」の写真を見たとき、まず反射的に引き起こされるのがマン・レイの作品イメージだった。だが、メトロノーム作品(『破壊されるべきオブジェ』等)にせよ『ガラスの涙』にせよ、マン・レイが意図したのはシュールレアリスムとしての世界観、現実・非現実のイメージの往還だ。成田作品は真逆で、現実の「今」と「記憶」を綴る、ドキュメンタリーとしての性質が強い。

他者の眼を借り、より広く普遍的な「記憶」のイメージを宿したことで、本作はこれまでの作家個人のドキュメント写真から、大幅に射程が拡張された。公的な場に置かれ、空間と呼応することで、写真作品の枠にとらわれず、パブリックアートに近い性質を帯びたとも言えるだろう。

 

 

迂闊なことに写真の記録がないのだが、この展示会場の向かいにはガラス越しに京都タワーがそびえており、そのタワーの像を引き受けて投げ返す眼の写真も展示されていた。

夜が迫るにつれて、ガラス面には京都駅ビル側の景色がよりはっきりと反射する。京都の現在形を象徴する建築のアイコンを巡って、京都タワー京都駅ビルが、そしてそれらを眼の作品が、互いに像を受けては返す。万華鏡のような場が生まれていた。なぜ記録の写真を撮っていなかったのだろうか。悔やまれる。よよよ。

 

余談だが、KG会期終了後に京都駅ビル内を散策する機会があり、再び上層階まで上がってみたが、広場はがらんしたコンクリートの空洞に逆戻りしていた。少々喪失感があった。駅ビルは優れた建築物なのだが、改めて歩いてみると、何かで満たしてやらないと勿体ないような気がした。「みやこうつし」はパブリックアートだったと改めて実感した。

 

あの時、展示会場で京都タワーがどう見えていたかを思い出そうとしつつ、上り下りをしていると、駅ビルの各所からは実によく京都タワーが目に留まった。その時不意に、京都駅ビル京都タワーの存在を受け入れ、肯定していることに気付いた。

1997年に駅ビルがオープンした時、高校生だった私はあまりに近未来的なソリッド感に痺れ、目が眩み、混乱しながら悦んでいた。新しい時代、平成的な世界観が、1964年生まれの京都タワーという、古き・旧態依然とした昭和臭い日本を、完全に端っこへと追いやったことを確信し、よく分からないが喜んでいた。

 

だがそれは間違いだった。原宏司の設計は、斬新さに満ち溢れながらも、すぐ傍に立つ京都タワーの存在を受け入れるよう、来場者がタワーへと目を向けるよう、見えない視線を湛えた空間だったのだ。駆逐などしていない。共存のための建築だった。「みやこうつし」が京都タワーに向けた眼差しと反射、それは、京都駅ビル京都タワーに向けていた見えざる眼差しを浮かび上がらせるきっかけとなった。

 

面白い体感だった。

 

( ´ - ` ) 完。 

 

 

※( ´ -`)本作の隠れた主役:どのう。