nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展/KG+SQUARE】(前編)<1F>㊸石山和広、(S1)京都中央信用金庫、<2F>㊹伊藤妹、㊺横山大介、㊻鷹巣由佳

JR京都駅からほどなく「京都中央信用金庫・旧厚生センター」建物をフルに使って、KYOTOGRAPHIEサテライト展示・特別企画「KG+SQUARE」が、今年初めて開催された。

KG+参加作家の展示をダイジェストで紹介するほか、各部屋での「KG+」展示、そして期間限定で「KG+PHOTO BOOK FAIR 2021」:写真集やZINEの即売会などが、一つの建物内で催されている。うれしいな。

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前編では会場1Fと2Fの途中まで紹介します。

 

 

「KYOTOGRAPHIE」のサテライト展示プログラム「KG+」は、個々人が企画する個展・グループ展について、審査のうえその冠を付すもので、基本的には場所も会期も散発的である。唯一、同一会場で複数の展示を展開するのが「KG+SELECT」だったが、これは審査員により選出された写真家のみが展示でき、KG+の中でも枠組みが全く異なる。

今年は新たに「KG+SQUARE」が加わった形で、実質的にボリュームアップした。大変に有難い。

 

<1F> ホール展示:KG+作家紹介など

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1FロビーではKG+出展作家の作品のダイジェスト展示が壁面で、そして机には各展示の告知フライヤーとZINE、写真集が並んでおり、今年度KG+の顔ぶれが一望できる。たぶん1~2枚の作品だけでは意味は分からないので、ここで気になった作家・作品を訪ねに現地に行くことになる。行きましょう。

 

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MUGA《The colors of my maze》のエメラルドグリーンに光る写真はかなり気になりますよね。何が写っているのか(写っていないのか)を見たいというか。

 

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石場文子の作品は「あいちトリエンナーレ2019」などで定期的に観ている気がする。今作《2と3のあいだ》はGallery PARCでの2020年4月の展示と何が違うかどうか。観に行きましょう。

 

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これなんすか、金物?が写真に乗ってる。見えへん。

本間純《I saw a Landscape》か、ランドスケープ、いや何も見えてませんで。金物がついとる。なんだこの作品は。現地を観に行かないとぜったいわからないやつ(喜)。

 

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福島あつし写真集《ぼくは独り暮らしの老人の家に弁当を運ぶ》が動画付きで紹介されている。今年8月下旬に青幻舎よりリリースされたところだ。

この作品は「KG+SELECT 2019」でAwardグランプリを受賞し、翌年KG2020の本体プログラムで展示を敢行した。超高齢社会の最前線の現場=独居高齢者宅へと足(眼)を踏み込ませた写真であり、最も「写真」らしい写真の力=ドキュメンタリー性で、来場者に力強く訴えかける内容だった。

 

 

 

◆【KG+】㊸石山和広《網膜的なグレイ》

見ると金庫の中に入れるので、喜んで入りました。金庫は珍スポットです。普段は入れませんからね。入ったら撃たれますからね。

そしたら壁にでっかい写真が。

 

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写 真?

 

金庫の壁と影に同化するようにして、ヒマラヤかどこかの山脈が写っている。遠目に観れば「古い山岳写真」あるいは写真のように描かれた「絵画」にも見えるが、近付くとその解像度が異常に高く、山の岩肌の微細な表情、地形がビシビシと描き出されている。そしてそこには、表現の人為的なテンションを感じない。つまり「絵画」ではない。あるのは山でもなく、像の描画の集合体として「写真」があるのだ。

 

作者は東京ミッドタウンに設置するパブリックアートを決めるコンペでグランプリを受賞し、地下1階で恒久展示されているが、その作品も「山」、インド最北部のカシミール地方・ザンスカールの岩山だという。本作の説明が特になかったが、恐らく似たようなアジアの極地だろう。直接、壁に薄く彫り込んだような岩嶺の表情だった。

 

人の手を離れたところにある「山」を、Google Mapのクリック拡大ではなく鑑賞者が、自分の体で寄ったり遠のいたりしながら掴みにいく感じが面白かった。

 

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金庫いいすね。

 

 

◆【KG+】(S1) 京都中央信用金庫 80年の歴史展

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個人的にツボったのがこれ。KG+だから写真作家の写真、だけではない。本会場の貸主、京都中央信用金庫の歴史を物語る写真や資料が展示されている。こういうの好きだなあ。なぜか。企業とアートの融和が良い感じだから。

言わば、KG+という写真芸術イベントは、こうしたパトロンの理解・協賛なくしては成り立たないわけで、パトロン側=大企業・資本主義側の文化も開陳するという相互交流は、現実的路線として重要だと思う。結果、企業文化というものの内幕が見えるのが面白い。

 

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このアルバム面白すぎる。総務課が持ってたのか、社員さんが個人的に持ってたのか分からないけど、あまりに綺麗に整理されているから、社として残してきたのだろう。制服、社員旅行とかのイベント、新店オープン、四季折々のイベント、浮かび上がる「昭和」と「京都」。

 

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電算室のパソコンがもう激熱。すごいね。オープンリール磁気テープ方式じゃないですか。もう~。でかい。隣のお姉さんよりオープンリールがやばいです。あれ回るんでしょ。取り替えないとだめなんでしょ。素朴な写真ほど強い・やばいの法則。

 

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そして社の歴史動画。すごいなー。外部の人間にとっては全く分からない話だが、内部の人間には重要な、まあ会社=イエなんですね多分。これらの写真は家系図でありファミリーアルバムである、それが戦後昭和~平成にかけて、日本人の相当に共通した心性とか生活を象徴していたのだろう。

 

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そして通帳とか広告などの販促物。いいですね。妙に健康的な女性。力がある。

若い女性は力なのか? おいおいまた炎上しそうな話になってきたわよ。

力は女性なのか? 女性が力なのか? 写真が力を与えるのか?? これは宿題にします(永遠にやらない)

 

 

<2F>

◆【KG+】㊹伊藤妹《スロウスロウ》

建物内に小さな和室があり、天井から写真が垂れ下がっている。人肌の気配で溢れている。それは「癒し」の姿と言えるかもしれない。

 

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吊り下げられているのは裸の背中だ。柔らかく肌の色が溶けるように動きを伴う中で、その背は抱き締められている。どの写真も背中とそれを抱く腕と手だ。

 

だが女性のエロスやエロティックの美を表現し讃える写真ではない。和室に裸という取り合わせは昭和のエロスやエロに見えるかも知れないが、会場で作品に取り囲まれているとニュアンスが違う。腕と手の存在感が強い。背中を抱く腕、これはハグの写真、抱き締め合っているときの、生々しくも切実な営み、生命活動の写真だ。

 

本作は、作者自身がモデルとなる人と会って話をし、お互いにハグをする姿を撮ったもので、それぞれの写真の下には、登場人物のごく短いプロファイルと言葉が貼られている。名前、抱えている疾患名・障害名、自分にとっての人との距離感や関係性やハグすることの意味、という3点セットである。躁鬱病強迫性障害PMDD」や「アトピー性皮膚炎、HSP、親族トラブル」といったプロファイルはもはや症状というより人格の一部で、その要因が先天的か後天的なのか、いずれにしても個々人の人生とそれらは密接で切り離せない。

総じて言えば、他者とのコミュニケーションに何らかの根強いハードルがある状態。しかし皆、ハグの中でやすらぎを得て、モデルらは他者と居ることの温もりへと立ち返っているようだ。繊細さの中で、生命力を取り戻す抱擁。その癒しの瞬間が写真として提示されている。

 

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写真だけでなく、部屋の押し入れや窓際に、折り鶴の入った鳥籠があり、本作の繊細なテーマと共鳴している。閉ざされているのは誰だろうか、私だろうか。

 

 

◆【KG+】㊺横山大介《bind》

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写真はこちらを穏やかに眼差し、見返してくる。何かありそうで何なのか掴めない人物写真である。配布されているステートメントに明記されている作者の背景と制作意図、そして会場に流れる動画映像《身体から音が生まれる》を併せて把握することで、本作は意味が立ち上がる。

 

ステートメント冒頭を引用する。

私は、これまでにポートレート写真の手法を用いて作品を制作してきた。なぜなら、私は吃音者であり、吃音によって自分の意志とは関係なく寸断されてしまう会話でのコミュニケーションに違和感を覚え、カメラを構え他者と対峙し、写真を撮る行為そのものが、私にとっては会話に代わる重要なコミュニケーションツールになると考えているからだ。

(このステートメントシートは伊藤亜紗『どもる体』の一節が引用されているなど、「吃音」の置かれている状況が非常によくわかる優れものだ)

 

この、コミュニケーションにおける「自分の意志」と「寸断」=拘束性に引き裂かれた作者が、写真ではポートレイトにおける被写体への視線とフレーミング、動画映像では活字の音読における発話行為によって、吃音の拘束性をトレースしつつ、逃げ道のない中で言葉に詰まったり感情を帯びたりすることで、意味性の拘束から溢れ、フリーになる瞬間に出会うことを企図している。

 

ポートレイトにおいては注意深く見ると納得がいく。被写体らは撮影者と機材の言いなりになって、撮られる=支配されるままとなるのではなく、その眼と表情は生きており、フレーミングと撮影意図と「外れた」(ずれた)形で写っている。そのズレが「見返す」視線として感じられるのだろう。顔の各部位はたやすく定型からズレを起こす。

 

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動画は48分15秒もある。吃音の描写が印象的な9つの文学作品をモデルらが朗読していく。活字とそれを読む行為と発せられる言葉、そこに囚われる身体、しかしズレる声、そのあたりの関係性について、あまり意識して観ていなかったので、2回目に訪れることがあればちょっと注意して観てみたい。

 

 

◆【KG+】㊻鷹巣由佳《センテント》

幾度となく旅に出てはシャッターを切り続ける作者、その膨大な写真を断片的なままに壁と空間に重ね、散乱するイメージをまとめ上げている。浮かび上がるのは白い馬だ。各国を駆け巡る旅・移動の象徴か、作者自身の自由奔放なクリテイティビティの気質を象徴するのか、夥しい写真群を死蔵データにさせることなく浮かび上がらせんとする飛翔の意欲の象徴か。

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展示は作品のバリエーションの多さが目を引く。しかしメタレベルでの「写真」の意味や形態を問い直す・崩す・ずらすといった哲学的試行とは趣向が異なる。アウトプット自体の喜びに満ちているのだ。これは物理的な旅・遠征に加えて、イメージ操作においてもイメージの旅に攻め込んでいる。言わば作者は「写真」を全面的に信頼していることが分かる。

 

タイトルの『センテント』は「sentence」(文、文章)から来たのかと思いきや、『線、点と。』をカタカナ表記にしたもので、点と線の倒置法で強調するイメージの作品群だという。掲げられていたのぼりにはタイトルと共に『What color do you see? 何色に見える?』と書かれており、本作のテーマが「色」であることを示している。

本展示は2本柱で、インスタレーションともう一つ、「色」を切り口にしてまとめた写真集《YELLOW PAGES》が提示されている。海外の電話帳をイメージして作られたこれは、Google photoのAI機能を用い、「blue」や「yellow」と検索して表示された写真=AIが「青」や「黄」と判断したイメージ、を再度自身で編集したものだ。

これは面白い試みだった。膨大な写真群を作者個人の記録や私的な日常世界として手元に留めるのではなく、グローバル企業のデータベース、集合知フィルタリングに接続して、誰の意思とも言えないセレクトに晒すというのは、実は私達が無意識で日々行っていることでもあり、また新たな「色」の定義、第2の主観世界に関わる話題ともなり、発展性があると思った。

 

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( ´ - ` ) 2F残り~3Fへつづく。