nekoSLASH

大阪国際メディア図書館「写真表現大学」研究ゼミ卒業。関西・東京の写真・アート展示のレポート・私見をup。

【写真展/KG】KYOTOGRAPHIE 2021(1)_⓪インフォメーション、①アーウィン・オラフ『アヌス・ミラビリス ―驚異の年―』

新型コロナ禍2年目の2021年、昨年に引き続いて秋開催となった「KYOTOGRAPHIE」本体プログラム(以下、【KG】と記載)を巡っていきましょう。まずプログラムNo.⓪と①を紹介。

 

第9回目のテーマタイトルは『ECHO』(エコー)、人間界のあらゆることは自然界、地球からの「呼応」である――10年前の東日本大震災原発事故、そして現在の新型コロナ禍がそうであることを踏まえてのタイトルだ。

 

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【会期】本体プログラム:R3.9/18(土)~10/17(日)

 

 

新型コロナ禍に絡む緊急事態宣言の繰り返し、感染者数の増減、ワクチン接種の是非などの脅威やストレスが日常化している中で、東京五輪パラリンピック、そして政権交代といった大きな話題が断続的に覆いかぶさってくる、そんな中では「東日本大震災から10年目」という認識は、2~3月のうちに忘れてしまっていた。

そのことを語る展示が、今回のKGでは二条城で特集されているのだが、9/18の会期スタートには間に合わず、9/20、9/23で段階的にオープンとなることが発表された(9/18午後)

 

例年通り、本blogではKG、KG+の展示レポを公式MAPのナンバリングを用いていきます。

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赤色が【KG】、黄色が【KG+】。【KG+】を全部回るのはむり😋

 

要注意なのが、【KG】と【KG+】で別々にMAP配布されているが、【KG+SELECT】と【KG+SQUARE】の会場変更が、先行配布されていた【KG】MAPの方には反映されていません。【KG+】MAP(ここで掲載している分)と齟齬があり、特にMAP修正が入ってなかったので、ミスる可能性ありです。

 

【KG】本体で言うと、【⑨b】(出町桝形商店街)と【⑭】(琵琶湖疎水記念館)だけ離れているが、それ以外はあまり苦労せず回れます。回りましょう。

 

 

⓪インフォメーション ラウンジ&ブックス @三条両替町ビル

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ぎりぎりまで調整が続いていたようで、従前から使っていた「NTT西日本・三条コラボレーションプラザ」から移動、烏丸通りを挟んで逆側の空きビルに。古い料亭や旅館ぽくていいですね。韓国料理屋があったらしい。

 

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【KG】、【KG+】のMAPはここで手に入ります。【KG+SELECT】の作家別フルカラー小冊子も。

 

入って左奥が写真集販売ブース、更にカウンター間際の階段から上に上がると2Fから上が【KG+SELECT】の展示会場。結論を先に申しますと、小学校じゃないほうが写真のポテンシャルが純粋に生きて、いい展示になっていた。学校は空間として特殊すぎるんですよ。はよレポ書きます。はい。

 

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今年のメインヴィジュアルはプログラム【⑨】ンガディ・スマートの作品からで、緑と紫と赤の取り合わせがエヴァっぽくて良いですね。エヴァと関係ないですけどね。多様性を見よう。

 

写真集コーナーが目に毒なので見たらあかん

  ァッアッ(目_・)

 

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あっぁっ

伊丹豪とか中平卓馬をもってくるの やばい 反則

(目に毒すぎるからこの時は品揃えを直視してない)(あかん

 

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あかん色々ある。メイプルソープのポラロイド写真集か… アーウィン・オラフは今回の展示にからめて買おうかなああーと悩み中。困った。人間だいたい困ったときは買うんです。内的なエクスキューズを求めているのが「悩む」の正体。

これらに加えて、京都駅前の【KG+SQUARE】でも写真集ブックフェアやってるんだから、目に毒の2乗(喜)。

 

 

アーウィン・オラフ(Erwin olaf)《アヌス・ミラビリス ー驚異の年ー》@京都文化博物館・別館

いつも大掛かりで荘厳な展示を繰り広げる京都文博別館、【KG】の1丁目1番地ともいえる会場は、異様な静けさに満ちていた。フロアは明と暗で大きく二分されている。

 

闇の回廊から入って《April Fool》パンデミックの渦中のスーパーマーケットを模した演技的世界を通り、突き当りで光に導かれ、明るく開けた《Im Wald》大自然の中に佇む人間たちの小さな姿を確認しながら戻ってくることになる。人間と自然との関係性におけるコントラストま、まさに今回のテーマ『ECHO』を体現した展示構成だ。

 

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アーウィン・オラフの名は聞いていたが、作品に触れる機会がなかったので世界観は全く知らなかった。むしろ2016年【KG】で発表された、シャンパンの老舗・Ruinart社とのコラボレーション作品(地下深くにある世界最古のワインセラーの内部、壁面に刻まれた歴史をストレートに写した)を思うと、自然への意識の強い写真家という印象があった。

 

(参考)KYOTOGRAPHIE 2016

情報量が異様に薄いんですがご勘弁

 

 

①前半_《April Fool》

しかし今作《April Fool》では、元々の制作スタイルであるステージド・フォトグラフィの痛烈な批判力やメッセージ性を打ち出している。闇の会場の中で冷たく光るスーパーの店内照明、あるべき商品がほとんど持ち去られた後の空虚さ、棚と床だけが光に照らされ、置き去りになった人間の虚しさが際立っている。

 

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物流や経済、交流が死んだ、ある種の、社会的温度が零度となった情景である。

国や地域を超えて我々・人類が置かれている現状を、現在進行形で提示されることは有難い。3週間前、3カ月前、1年前、一体自分達がどのようであったかをものの見事に忘れてしまっているから、こうして眼で見る機会、内省する機会が与えられるのは重要なことだ。日本でも、ロックダウンには踏み切られなかったものの、昨年3月中~下旬頃は、外出への制限や感染への恐怖からスーパーやコンビニでの買い溜めが起き、都内では棚から多くの食料品が消えた。

 

解説によると、本作は個々の写真に「9:55am」のような、時間を刻んだタイトルが付され、シーンごとの経過時間が追えるのだという。既に店内には何もないので、大した時間もかからず買い物が終わり、カラのカートをゼロ台の駐車場で押して歩く。

 

本作は記録写真ではなく構築された創作物であるがために、状況を観る人によって様々に解釈ができる。

直接的に買い溜めラッシュから店内がカラになったとも、物流や製造ライン、はたまた輸入元が感染爆発で従業員がいなくなって、末端の小売業が機能停止になったとも考えられる。演者の顔の白さ、白い三角帽子は、マスク等の感染防護に身を包んでいることの比喩か、あるいは感染しているかも知れないという暗示か。黒づくめの服装に白い顔はそれこそウイルスに乗っ取られ、乗り物(ベクター)と化したゾンビ的な状況にも見える。

 

そして孤独、音も言葉もない静けさと描写の美しさは、既に生者の世界ではなく、多くの人が愛好する、『バイオハザード』シリーズを筆頭としたゾンビや病源体などで崩壊した世界を描く映画やゲーム世界を思わせる。つまり映像的には慣れ親しんだ、人工の地獄ものでもある。エンターテイメントとして享受してきた世界に、よもや世界各地のロックダウン等の形で直面しようとは思わなかった。サバイバルの主体は私達個人になってしまった。

 

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フロアを進んで突き当り、折れ曲がりの通路では3つのモニターで映像が流れているが、ここでも閉塞した室内、白い顔面と三角帽の人物が登場する。スーパーから家に帰ってきたということだろうか。ラジオから音声が流れている、ニュースだろうか。独房のように4辺を壁に囲まれて、行き場もない。

テレビでもスマホでもなくラジオという状況が、第2次世界大戦中の、身を潜めて窮屈に生活している市民を連想させる。100年が経ち、大規模な国家間の戦争は(一応)終わったが、人類は自然と経済がもたらす危機に脅かされるようになったのだ。

 

 

②後半_《Im Wald(森の中)》

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だが次の長細く暗い回廊に踏み入れると、闇の先には白く光が灯り、光のほうへ、黒づくめの人物は向かって行く。その先は、大自然の中に人物を配して撮った《Im Wald(森の中)》シリーズが、白い壁面と共に開ける。

 

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深い森、川や湖、木々の中に、人間がいる。前段の、感染爆破によって立ち行かなくなった都市生活の閉塞と停滞から解放されたかというと、実感としてはそうでもない。モノクロの大伸ばしの自然景は、その画面内に小さな人物の像を握っているだけでなく、この会場に立つ我々鑑賞者をも包囲し、二重構造によって人間をその内に収めている。モノクロの風合いは濃い霧のようにこちらの眼を塞いでいて、その先:人間の自由勝手な領域へと突破させてはくれない。

 

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写真/自然の中では、人間は奇妙な写り方をしている。癒しや対話などではない。文明・都市生活から着の身着のままで入ってきた感がある。自国から逃れてきた難民が国境を越えて山中に身を潜めているような、何とも不思議な(不気味でさえある)姿をしている。写っているのが背後ばかりなのも、後ろめたさが漂う。自然を後にして近代文明の粋を集め、産業化・都市化に邁進してきた結果、自然からの使者に都市を追われ、数百年ぶりの出戻りを強いられたかのように。

 

 

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《Im Wald》の自然景の背後には、3×5=15人のポートレイトが組まれている。森の現地部族のような表情と出で立ちだが、フェイスシールドやマスク着用者が混ざっている。現在の自然と人類との関係を非常に象徴的に表している。人物らの眼はポジティブに前を見据えている。悲観的なものはない。いかなる状況にあっても、自然とは前向きに共存するしかなさそうだ。その腹の括り方を見た気がする。

 

その中で、マスクをした同じ人物が2枚写っていて、片方は目を瞑っている。示唆に富んだ2枚組だが、これはアーウィン・オラフ自身である。トークでは自身が肺気腫を患っており、日々の行動に制限がかかっている上に、老いも迫ってきている(現在62歳)、そんな辛さもありつつ、今この瞬間を精一杯生きることが大切であるとの念を表現しているという。

 

《April Fool》はコロナ禍の現状とリンクするため、観れば即効性があり意味が伝わる。《Im Wald》の方は作品とイメージの大きさゆえに、一見、漠然としているように感じるかもしれないが、この15枚のポートレイトが前後の結節点となっているのではないだろうか。

 

 

 

①2F 映像_「Im Wald(森の中)」メイキング・ドキュメンタリー、スライドショー「1985年から現在」

「Im Wald(森の中)」メイキングドキュメンタリーが10分半、著名な過去作品のスライドショーが11分、2本でトータル20分ほどの映像である。取材で駆け回っていたので3分ぐらいしか見ておらず、これは腰を据えてリトライしたい。

 

私が観たのは名作スライドショーの方だったが、「アーウィン・オラフってどういう写真家?」「何撮ってる人?」という振り返りが出来るので、とても有難い。チラッと観ただけで、何枚か知っている写真があり、記憶が照合できた。

 

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これ、これです。

 

ファッショナブルな体裁で、マイノリティの身柄や座標、えぐみ・えぐりのあるものをパワフルに出してくるのが、これは無視できない写真家だなあと。これは写真集を買うしかないのではないか(自己誘導)

 

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例年に比べて地味かもしれないが、作品や作者の哲学がしっかりしていたら、別に全然いいです。

 

なお、このテキストの多くは私個人の鑑賞録であって、何かの公式な発言や評に基づいたものではないことを申し添えておく。いつもや。はい。usually。OK.

 

( ´ - ` ) つづく。